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我もまたアルカディアにあり
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Twitterで誰かのRTした呟きが回って来た。江波光則さんという作家さんのもので
俺はマジでこれはバカみたいに自信作なので皆さんアルカディア読んで俺に感想とか送って欲しい
という文言と共に通販のリンクが添付されていた。
そんなに言うなら…と、それまで全く存じ上げなかった人だけれど、書影になんとなく心惹かれ「我もまたアルカディアにあり」というタイトルも印象的で、さっそく江波さんのアカウントをフォローして早川書房から発売中の文庫本を購入してみた。
私もマジでこれはバカみたいに自信作だ、と思っても、なかなか感想や閲覧数は頂戴出来ない。ましてレビューだのお気に入り登録だの目に見える数字になるような動きは、殆ど期待できない。それでも毎日毎日、誰かの更新通知ばかりが羅列される新着お知らせを読み流してはセッセと書いているし、自分がそうであるのとは別に、面白そうだなと思ったら読むし、読んで面白かったらそれを伝えるためにまた書きたいと思う。それで喜んでもらえたり、自分の作品ではなくとも、自分の文章が読んでもらえるなら十分に嬉しい。
他人の褌で相撲を取るのは最高だ、と、シェルターマンションの住人も言っている。
誰かに読まれて届く感想や評価と戦うのと、そもそも誰にも読まれないという事実と戦い続けることは似て非なるもので、どっちも果てしないが後者の方が終わるのは早い。
諦めればいいのだ。
この本の中には、諦めの悪い奴等が揃っている。そして一つ一つのオハナシは別々だけれど、デヴィッド・リンチのマルホランド・ドライヴに散りばめられた現実と妄想を繋ぐキーアイテムのように、ちょっとずつ繋がっている。名前、容姿、道具、仕組み、ちょっとした共通点がこの世界を緩く、強く引っ張られなければ気付かないくらいの感触で繋げているように思える。
私も学校で上手く行かなくなって、教室に火を点けようとしたり(理科室からマッチをガメてきて教室のゴミ箱に着火した)暴れたり、気に入らない奴の教室に授業中に乗り込んだりと狼藉をはたらいたことがあるので、なんとなくわかる気がする気持ちがある。
自分の凡庸さに辟易しつつも、頂に君臨する天才や鳥人を見上げては、性懲りもなく追いかけているのは今もそうだ。
仕事はイヤだが、しかし全くいかないのも気が引ける。かといって好きかと言われれば別に…私は2019年の秋以来、転職に失敗して転々とした末に今の仕事をしているけど、いい人たちばかりだしいい会社だけど、自分のやりたい仕事、向いてる仕事かと言われたら全然そんなことはない。むしろ、今まで向いてないのがわかってて避けてた部類の仕事だ。
だからって、何もせず、国からもらうだけもらって生きられるか、と言われたらわからない。この本の中に広がる世界でそれぞれの主人公たちにダブっているのは
生き方の見せ方、決め方
なのかもしれない。
欲しいものは多い。行きたい場所も会いたい人も乗りたい鉄道もいっぱいある。
それに稼ぎも暇も追いつかず、鬱屈として過ごしている。
それでも、自分がどう生きるか、どうなら生きられるか。そんなことを、ちょっと考えてしまう。
大怪我をして動けなくなりたい、120%向こうが悪い、誰かのせいでしばらく動けなくなってしまいたいと思う事がある。何度もあったし、今もある。いざとなると、埠頭で叩き込んでもらったブレーキングでもって、飛び出して来たバカの玩具(クルマ)を見た瞬間にスコーン!と急ブレーキを踏んで、それから
ああ、当たってやればよかった
と思う。まともに働いてもクルマを買い替えることはおろか、毎週のガソリン代にまで事欠いているというのに。
だけどイザ手厚くケアされて、さらに全身をサイバネティクスで覆い尽くし、最先端の技術で最底辺の現場に復帰したとしても、要するに言ってしまえば高卒の履歴書があれば潜り込めるようなところで働いても、結局は満たされなかったりズレを感じ続けたりで、望みどおりには生きられない。
どう生きるか、を自分で決めたつもりでも、どう生きて来たか、を振り返ればキリがない。
夕子の描いた贋作の絵も、またひとつ繋がりを緩く結ぶアイテムだった。
瞳、贋作の絵画、謎の建造物、人の居なくなった社会
少しずつアルカディアが近づいてきている気がする。
死んでもいいからバイクに乗りたいという男が出て来る。私の親戚にも一人いる。あまりにオートバイが好きで学校も仕事も全部ほっぽりだしてオートバイ屋さんになり、70を超えてもスッ転ぶまでアクセルを回してしまう名物男が。彼の心情を描く一文が素晴らしかった。
「天国の門は一方通行で、気付いた時にはそこに居て、やっぱり地獄がよかったなどと言ってみたって、もう戻れない」
戻れないけど、道を選んで逸脱して、自分なりに生きることは出来る。彼女がそうしているように。全裸でバイクにまたがっても、死にかけた世界で一人浸っても、それを一顧だにせず通り過ぎてゆく奴が居るだけ。
この本は、やっぱり
どう生きるか、どう生きたか、それをどう決めたか
を、一つ一つの物語の根底に敷いて進んでいるような気がする。アルカディアマンションの歩みと共に。
そして、どう死んだか、を描き切って、彼の人生に幕が引かれる。まるで自分の死に際のように淡々と、思うがままに描かれた最後の一瞬がひどく鮮やかで、だけど色合いに乏しく、アタマの中に思い浮かぶ風景が、ああ死ぬんだなという色をしている。
世界は終末に向かって突き進んでゆく。Dis Machineとなった最後の主人公と、彼と戦う者との奇妙な邂逅。そして杞憂。全部、無駄だった。全部、無用の長物だった。
つまるところ、危機なんか備えた以上のものが勝手に訪れて、そして人類は勝手に生き延びた。それだけのことだった。だけど、そのために、それを描き出すために、この濃密極まりない激しいイメージが必要だったし、それを読んで味わうことは私にとって物凄く大事な時間だった。上手く言えないけど、めちゃくちゃ面白いしビッチリ書き込まれた世界が何処か知らない国の摩天楼か、外国の「2次元みたいで素敵すぎる図書館」ぐらい聳え立っていて。だけどその結論は空虚で、杞憂で、所詮マッチポンプの革命ごっこ。森田童子や中島みゆきの歌みたいに、結局は青春の燃えカスでしかなかった、という感じ。
熱いアツい描写と、何処までも冷たく冷え切った心と無情な結末とが繰り返し寄せては返す終末の砂浜で、最後は愛しい人を思って死ぬ。
遺伝子の欠片が巡り巡って、最後の最後に出会ったことを、なんとなく想像しながら。
読み終わるのが惜しくて、実は数日、手が停まっていました。そのせいで少しアルカディアの世界から離れてしまったけど、我慢できずに読み終わり、その勢いで書いてます。
あと何度か読み返して、しっかりした感想が持てたら、これを読んだ人と話してみたい。そんな本です。
江波さんは硬派で程よく色気のある作品を書いているなあ、という印象と、健啖家で洒落の分かる人なんだな、という二つの要素でとても尊敬できる作家さんだと思いました。私の好きな世界、私も書きたい、書いているつもりの、荒廃した未来の社会や世界と、そこに生きる人々。一握りのドラマ、ちっぽけな物語が連綿と積み重なって、また別の誰かのちっぽけな物語と紡がれあって広がりを見せてゆく、その何処か一部を描く。それって凄く楽しくて、豊かで、でもセンス居るし、書いてるだけなのと、描いているということの差を、如実に感じる思いでした。
久しぶりに、ああ好きだな、と思えるオトナに出会えた。そんな感じです。いやもう好きですホント江波さん。他の本も、もっと読んでみたいと思うし、急に買って読んで急に感想を呟いてタグ付けちゃうんだもう…!
俺はマジでこれはバカみたいに自信作なので皆さんアルカディア読んで俺に感想とか送って欲しい
という文言と共に通販のリンクが添付されていた。
そんなに言うなら…と、それまで全く存じ上げなかった人だけれど、書影になんとなく心惹かれ「我もまたアルカディアにあり」というタイトルも印象的で、さっそく江波さんのアカウントをフォローして早川書房から発売中の文庫本を購入してみた。
私もマジでこれはバカみたいに自信作だ、と思っても、なかなか感想や閲覧数は頂戴出来ない。ましてレビューだのお気に入り登録だの目に見える数字になるような動きは、殆ど期待できない。それでも毎日毎日、誰かの更新通知ばかりが羅列される新着お知らせを読み流してはセッセと書いているし、自分がそうであるのとは別に、面白そうだなと思ったら読むし、読んで面白かったらそれを伝えるためにまた書きたいと思う。それで喜んでもらえたり、自分の作品ではなくとも、自分の文章が読んでもらえるなら十分に嬉しい。
他人の褌で相撲を取るのは最高だ、と、シェルターマンションの住人も言っている。
誰かに読まれて届く感想や評価と戦うのと、そもそも誰にも読まれないという事実と戦い続けることは似て非なるもので、どっちも果てしないが後者の方が終わるのは早い。
諦めればいいのだ。
この本の中には、諦めの悪い奴等が揃っている。そして一つ一つのオハナシは別々だけれど、デヴィッド・リンチのマルホランド・ドライヴに散りばめられた現実と妄想を繋ぐキーアイテムのように、ちょっとずつ繋がっている。名前、容姿、道具、仕組み、ちょっとした共通点がこの世界を緩く、強く引っ張られなければ気付かないくらいの感触で繋げているように思える。
私も学校で上手く行かなくなって、教室に火を点けようとしたり(理科室からマッチをガメてきて教室のゴミ箱に着火した)暴れたり、気に入らない奴の教室に授業中に乗り込んだりと狼藉をはたらいたことがあるので、なんとなくわかる気がする気持ちがある。
自分の凡庸さに辟易しつつも、頂に君臨する天才や鳥人を見上げては、性懲りもなく追いかけているのは今もそうだ。
仕事はイヤだが、しかし全くいかないのも気が引ける。かといって好きかと言われれば別に…私は2019年の秋以来、転職に失敗して転々とした末に今の仕事をしているけど、いい人たちばかりだしいい会社だけど、自分のやりたい仕事、向いてる仕事かと言われたら全然そんなことはない。むしろ、今まで向いてないのがわかってて避けてた部類の仕事だ。
だからって、何もせず、国からもらうだけもらって生きられるか、と言われたらわからない。この本の中に広がる世界でそれぞれの主人公たちにダブっているのは
生き方の見せ方、決め方
なのかもしれない。
欲しいものは多い。行きたい場所も会いたい人も乗りたい鉄道もいっぱいある。
それに稼ぎも暇も追いつかず、鬱屈として過ごしている。
それでも、自分がどう生きるか、どうなら生きられるか。そんなことを、ちょっと考えてしまう。
大怪我をして動けなくなりたい、120%向こうが悪い、誰かのせいでしばらく動けなくなってしまいたいと思う事がある。何度もあったし、今もある。いざとなると、埠頭で叩き込んでもらったブレーキングでもって、飛び出して来たバカの玩具(クルマ)を見た瞬間にスコーン!と急ブレーキを踏んで、それから
ああ、当たってやればよかった
と思う。まともに働いてもクルマを買い替えることはおろか、毎週のガソリン代にまで事欠いているというのに。
だけどイザ手厚くケアされて、さらに全身をサイバネティクスで覆い尽くし、最先端の技術で最底辺の現場に復帰したとしても、要するに言ってしまえば高卒の履歴書があれば潜り込めるようなところで働いても、結局は満たされなかったりズレを感じ続けたりで、望みどおりには生きられない。
どう生きるか、を自分で決めたつもりでも、どう生きて来たか、を振り返ればキリがない。
夕子の描いた贋作の絵も、またひとつ繋がりを緩く結ぶアイテムだった。
瞳、贋作の絵画、謎の建造物、人の居なくなった社会
少しずつアルカディアが近づいてきている気がする。
死んでもいいからバイクに乗りたいという男が出て来る。私の親戚にも一人いる。あまりにオートバイが好きで学校も仕事も全部ほっぽりだしてオートバイ屋さんになり、70を超えてもスッ転ぶまでアクセルを回してしまう名物男が。彼の心情を描く一文が素晴らしかった。
「天国の門は一方通行で、気付いた時にはそこに居て、やっぱり地獄がよかったなどと言ってみたって、もう戻れない」
戻れないけど、道を選んで逸脱して、自分なりに生きることは出来る。彼女がそうしているように。全裸でバイクにまたがっても、死にかけた世界で一人浸っても、それを一顧だにせず通り過ぎてゆく奴が居るだけ。
この本は、やっぱり
どう生きるか、どう生きたか、それをどう決めたか
を、一つ一つの物語の根底に敷いて進んでいるような気がする。アルカディアマンションの歩みと共に。
そして、どう死んだか、を描き切って、彼の人生に幕が引かれる。まるで自分の死に際のように淡々と、思うがままに描かれた最後の一瞬がひどく鮮やかで、だけど色合いに乏しく、アタマの中に思い浮かぶ風景が、ああ死ぬんだなという色をしている。
世界は終末に向かって突き進んでゆく。Dis Machineとなった最後の主人公と、彼と戦う者との奇妙な邂逅。そして杞憂。全部、無駄だった。全部、無用の長物だった。
つまるところ、危機なんか備えた以上のものが勝手に訪れて、そして人類は勝手に生き延びた。それだけのことだった。だけど、そのために、それを描き出すために、この濃密極まりない激しいイメージが必要だったし、それを読んで味わうことは私にとって物凄く大事な時間だった。上手く言えないけど、めちゃくちゃ面白いしビッチリ書き込まれた世界が何処か知らない国の摩天楼か、外国の「2次元みたいで素敵すぎる図書館」ぐらい聳え立っていて。だけどその結論は空虚で、杞憂で、所詮マッチポンプの革命ごっこ。森田童子や中島みゆきの歌みたいに、結局は青春の燃えカスでしかなかった、という感じ。
熱いアツい描写と、何処までも冷たく冷え切った心と無情な結末とが繰り返し寄せては返す終末の砂浜で、最後は愛しい人を思って死ぬ。
遺伝子の欠片が巡り巡って、最後の最後に出会ったことを、なんとなく想像しながら。
読み終わるのが惜しくて、実は数日、手が停まっていました。そのせいで少しアルカディアの世界から離れてしまったけど、我慢できずに読み終わり、その勢いで書いてます。
あと何度か読み返して、しっかりした感想が持てたら、これを読んだ人と話してみたい。そんな本です。
江波さんは硬派で程よく色気のある作品を書いているなあ、という印象と、健啖家で洒落の分かる人なんだな、という二つの要素でとても尊敬できる作家さんだと思いました。私の好きな世界、私も書きたい、書いているつもりの、荒廃した未来の社会や世界と、そこに生きる人々。一握りのドラマ、ちっぽけな物語が連綿と積み重なって、また別の誰かのちっぽけな物語と紡がれあって広がりを見せてゆく、その何処か一部を描く。それって凄く楽しくて、豊かで、でもセンス居るし、書いてるだけなのと、描いているということの差を、如実に感じる思いでした。
久しぶりに、ああ好きだな、と思えるオトナに出会えた。そんな感じです。いやもう好きですホント江波さん。他の本も、もっと読んでみたいと思うし、急に買って読んで急に感想を呟いてタグ付けちゃうんだもう…!
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