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#人生を変えたゲーム MOTHER2
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という事でMOTHER2の話をします。
1994年発売、スーパーファミコン用ソフトのRPGで、初代ファミコンことファミリーコンピュータで発売されたMOTHERの続編。リメイクとも言える。
ファミコンからスーファミになったことで表現の幅が広がり、シリーズ随一の評判を持つ作品です。
糸井重里さんが生みの親として知られ、随所にイトイ節、糸井ワールドが広がっているのも特徴。それはすっとぼけたキャラ、味わい深いセリフ、トラウマ級のイベントや街、敵などなど多岐にわたり、遊べば遊ぶほど楽しいソフトです。
飽きの来ないゲームで、ホントに細かいところまでセリフが用意してあったり、回復アイテムとして登場する食べ物のメニューが豊富だったり。
ドラクエやファイナルファンタジーといった正統派に飽きたら、または馴染めなかったら、今からでも遊んで損はないと思います。
私は子供の頃、母が初代MOTHERで遊んでいるのを後ろで見ていて。音楽はカッコいいし敵はモンスターや宇宙人、ロボットだけでなく普通の「おにいさん」「おじさん」「ハエ」「クマ」なんかも出てくるしで、面白いなーと思ってた。
あとタイトル画面と、そこで流れるBGMが妙に物悲しくて、そこがとても印象的だった。あの当時、フツーにゲームの電源を入れたら、もっと楽しそうで勇ましい曲が流れるか、無音のモノもあったくらいで。
何となく、他と違うってことが心地よかったのかも知れない。
それからスーパーファミコンが世に出て、MOTHER2が発売された時には小学校2年か3年だった。
私の母はマリオの最初のクリボーすら踏めないくらいのゲームオンチだったのだがそれはアクションやシューティングゲームに限った話で、RPGやシムシティ、信長の野望みたいのは延々夜通し遊んでいて、どうも得意分野はコッチだったらしく。
MOTHER2も早速、近所のおもちゃ屋さんで買ってきて遊び始めた。
私が小学校の頃は、町中に小さなおもちゃ屋さんとか、ゲームショップが幾つもあった。
マツシタエンゼルで買ったのか、ファミコンランドか、しみず、オカダ電器、もしかすると、もうマジカルがあったかもしれない。懐かしいな
映画のようなオープニングから始まり、真っ赤なタイトル。そしてワイワイガヤガヤしている中で主人公やメインキャラに4文字以内で名前を付ける。それだけでなく、ペットの犬の名前、好きな献立、カッコいいと思うもの、も6文字以内で決められる。
こういうのが斬新でよかったね。
自分で初めて遊んだ時は、序盤のヤマでもあるドコドコ砂漠のモグラで躓いた。ボスのモグラも強いが、あの穴んなかに出てくるザコのヘビとかアリが強いんだよ。
それで暫くほったらかしにしてしまった。
私の人生を変えてくれたゲームの魅力と奥深さに、その時まだ私は気付いていなかったのだ。そこまで付いていけないくらい、幼かったと言うべきかもしれない。
家庭も学校も色んな事があって、それからの数年間は人生で最も暗く、辛い時期だった。
家にも学校にも居場所がなくなって、近所の団地にあった祖父母の家に入り浸るようになった。
家を出る時は学校に行くと言って、祖父から学校に電話してもらって、それで夕方まで祖父母と一緒に居た。小さな、和室が二つと台所と、あとお風呂(やたら深くて狭い湯船の横にボイラーみたいのがあって、それで沸かす古いやつ)とトイレ……夏は壁掛け式のエアコンの冷気、冬は石油ストーブの匂いが懐かしい。部屋は5階にあったので、春と秋は風通しが良く窓と玄関を開けておくと快適だった。
そこにも私が遊びに来た時のためにスーファミやソフトが買ってくれてあって、日がな一日ずっとそれで遊んでいた。学校の事も家の事も考えたくなくて、料理上手な祖父が昼飯にワンタンやチャーハンを作ってくれるのが嬉しかった。祖母は近所のスーパーやお惣菜屋さんで、私の好きなおかずを買ってきてくれた。
まあそんな逃避行生活も、学期末の通信簿に出欠が乗るんで全部バレるんだけどね。
祖父母の家に行くのも気が引ける時は、自転車でどこまでも走っていた。幸いなことに補導されるとか、子供が何をしてるんだ、などと言われることは無かった。
豊橋市内は元より、近隣のあまり人のいない山とか海とか川の方へどんどん走った。
どうしても学校に行かなきゃならないときは、教室に入らず靴を下駄箱に入れずに手で持って、誰にも見つからないように階段を登って、屋上に出るドアの前で一日過ごしていた。家や図書室から持ち出した本を延々と読んでいた。
でMOTHER2だ。
こんだけ現実世界に居場所を失くしても、私はどっかで割り切れないガキだった。というか、ガキだからこそ割り切れなかった。
家や学校のストレスは、ここで練習して汗をかいて発散すればいい、と言ってくれた少林寺拳法の先生にも
「ここで練習が終われば、また帰らなきゃならないじゃないか」
と言って困らせたりもしていた。鈴木先生ごめんなさい。
つまりそういうことだった。
MOTHER2で遊んで「じぶんだけのばしょ」に入り浸っても、いつか電源を切って、自分の要らない場所、居たくない場所に帰らなくちゃならない。それが辛くて、いつも休みの前から休みの終わりの事を考えちゃうタイプ。コレは今でもそうで、なんとも損な性分だと思う。
MOTHER2は祖父母の家に置いてあって、対外的にはたまにしか行ってない事になっている(実際は週3とか週4で通ってるのが後でバレるのだが)祖父母の家に週末泊まりに行くと、夜通しゲームをしていても怒られなかった。だから、そこで延々と遊んでいた。
夜中にテレビゲームをしているか、時間になったらワールドプロレスリングやギルガメッシュないとを見ていた。
そんな子供だからっていい話になると思うなよ、キッチリ地上波で流れてたお尻やおっぱいの恩恵は受けていたんだからな。ふふふ(◆だれにはなしているのだ)
真夜中に遊ぶMOTHER2は格別で、とてもとても心地よい時間だった。
音楽もセリフも好きだし、何よりそこに広がる世界を隅々まで歩き回れるのがいい。砂漠も街も谷も地底大陸も、飽きるまで歩き続けることが出来る。
そしてそこには、名物や伝統食など色んな食べ物が売られていて。
ハンバーガーやサンドイッチ、パスタみたいな身近なものから、何の肉かわからない串焼き(アイテムの説明文にホントにそう書いてある)、モロヘイヤスープ、アーモンドもなか、他にもなんだかよくわからないものまで色々ある。
明け方まで遊んで、眠気が限界に来たら寝る。昼前に起きてご飯食べて、ゴロゴロしてると帰る時間になる。
すぐ近所だから、トボトボと歩いて帰る。そんな私を、窓からずーっと祖母が見送ってくれていた。
中学生になって環境が変わって、私は多少、明るくなった。新しく友達も出来た。付き合ってくれる女の子も居た。部活も楽しかった。
学校生活、教室の中では相変わらずケツの座りが悪かったけど、視野が広がって行動範囲も広がって、あの時に出来なかった遊びや楽しみも取り返せたものもあった。
家庭生活も変化があって、どん底でもありつつ助けてくれる人も居た。
この辺は詳しく書くと長いし誰も楽しくないので割愛するけど。
結局、自分の居場所のないとこで流行ってたり好かれてたりするものにソッポ向くようになって、いい具合にMOTHER2は難を逃れた。私がアイツらと同じものを好きになると、私ごとそれがケナされたり、アイツらは当然のような顔して平気で
ボクたちアタシたちと同じものを好きになるな
とか言うけど、それも無く。
ドラクエやファイナルファンタジーがイケ好かないのもあるけど、あれが好きであれに熱中していることを、ことさらに強調する奴が余計にイケ好かない。ジョジョも。
そういう意味でも、MOTHER2は私にとっては「じぶんだけのばしょ」であり続けてくれた。それが作品にとって幸福かどうかはさておき、私にとっては僥倖だった。
人と違ってていい、自分の好きなものを、好きだと言えばいい。好きでい続ければいい。そんな風に思えるようになってたから、なおさらのめり込んでいったのかも知れない。
そんなMOTHER2も中学生にもなれば楽勝で全クリ出来るようになり、世の中には高性能のゲーム機がバンバン出て、私もアレコレ買って遊ぶことが多かった。でも、MOTHER2は何度も何度も遊んでいる。それは今でもそうで、数年にいっぺんは遊びたくなる。
他にも名作ゲーム、思い入れのあるゲームは幾つもあるけど、MOTHER2だけは別格で。最初、自分より少し年上だったネスやポーラが子供になり、フランクさまも、下手するとネスやポーラのパパママと同じぐらいの年齢になってから遊ぶと、また違った味わいがあって。
単にクリアするだけじゃなく、効率や強さ、便利さだけじゃなく。その辺に売ってる食べ物や、一見ムダに見えるアイテムを買うとか、クリアした街のホテルに泊まるとか、遊びの幅がぐんと広がった。
そしていつか、なんとなく、あの頃の自分もゲームの中の世界に隠れているような気がして。
名前も無いモブキャラが広いマップのあちこちに散らばって、好き勝手なことを言っている。あの隅々まで回って話しかけた筈の世界の何処かに、見覚えのない奴が居て。でもそいつが、どこか他人に思えなくって。
それがあの頃の自分だったとして。今の私は、彼に話しかけることが出来るだろうか。
どんな話をするのだろうか。何を言ってくれるのか。
戦闘になったりしてな。
MOTHER2は優しかったし、面白かったし、自分の人生の一番つらくて暗い時期を過ごした場所の一つでもあるから、今でもとても大事な作品です。
1994年発売、スーパーファミコン用ソフトのRPGで、初代ファミコンことファミリーコンピュータで発売されたMOTHERの続編。リメイクとも言える。
ファミコンからスーファミになったことで表現の幅が広がり、シリーズ随一の評判を持つ作品です。
糸井重里さんが生みの親として知られ、随所にイトイ節、糸井ワールドが広がっているのも特徴。それはすっとぼけたキャラ、味わい深いセリフ、トラウマ級のイベントや街、敵などなど多岐にわたり、遊べば遊ぶほど楽しいソフトです。
飽きの来ないゲームで、ホントに細かいところまでセリフが用意してあったり、回復アイテムとして登場する食べ物のメニューが豊富だったり。
ドラクエやファイナルファンタジーといった正統派に飽きたら、または馴染めなかったら、今からでも遊んで損はないと思います。
私は子供の頃、母が初代MOTHERで遊んでいるのを後ろで見ていて。音楽はカッコいいし敵はモンスターや宇宙人、ロボットだけでなく普通の「おにいさん」「おじさん」「ハエ」「クマ」なんかも出てくるしで、面白いなーと思ってた。
あとタイトル画面と、そこで流れるBGMが妙に物悲しくて、そこがとても印象的だった。あの当時、フツーにゲームの電源を入れたら、もっと楽しそうで勇ましい曲が流れるか、無音のモノもあったくらいで。
何となく、他と違うってことが心地よかったのかも知れない。
それからスーパーファミコンが世に出て、MOTHER2が発売された時には小学校2年か3年だった。
私の母はマリオの最初のクリボーすら踏めないくらいのゲームオンチだったのだがそれはアクションやシューティングゲームに限った話で、RPGやシムシティ、信長の野望みたいのは延々夜通し遊んでいて、どうも得意分野はコッチだったらしく。
MOTHER2も早速、近所のおもちゃ屋さんで買ってきて遊び始めた。
私が小学校の頃は、町中に小さなおもちゃ屋さんとか、ゲームショップが幾つもあった。
マツシタエンゼルで買ったのか、ファミコンランドか、しみず、オカダ電器、もしかすると、もうマジカルがあったかもしれない。懐かしいな
映画のようなオープニングから始まり、真っ赤なタイトル。そしてワイワイガヤガヤしている中で主人公やメインキャラに4文字以内で名前を付ける。それだけでなく、ペットの犬の名前、好きな献立、カッコいいと思うもの、も6文字以内で決められる。
こういうのが斬新でよかったね。
自分で初めて遊んだ時は、序盤のヤマでもあるドコドコ砂漠のモグラで躓いた。ボスのモグラも強いが、あの穴んなかに出てくるザコのヘビとかアリが強いんだよ。
それで暫くほったらかしにしてしまった。
私の人生を変えてくれたゲームの魅力と奥深さに、その時まだ私は気付いていなかったのだ。そこまで付いていけないくらい、幼かったと言うべきかもしれない。
家庭も学校も色んな事があって、それからの数年間は人生で最も暗く、辛い時期だった。
家にも学校にも居場所がなくなって、近所の団地にあった祖父母の家に入り浸るようになった。
家を出る時は学校に行くと言って、祖父から学校に電話してもらって、それで夕方まで祖父母と一緒に居た。小さな、和室が二つと台所と、あとお風呂(やたら深くて狭い湯船の横にボイラーみたいのがあって、それで沸かす古いやつ)とトイレ……夏は壁掛け式のエアコンの冷気、冬は石油ストーブの匂いが懐かしい。部屋は5階にあったので、春と秋は風通しが良く窓と玄関を開けておくと快適だった。
そこにも私が遊びに来た時のためにスーファミやソフトが買ってくれてあって、日がな一日ずっとそれで遊んでいた。学校の事も家の事も考えたくなくて、料理上手な祖父が昼飯にワンタンやチャーハンを作ってくれるのが嬉しかった。祖母は近所のスーパーやお惣菜屋さんで、私の好きなおかずを買ってきてくれた。
まあそんな逃避行生活も、学期末の通信簿に出欠が乗るんで全部バレるんだけどね。
祖父母の家に行くのも気が引ける時は、自転車でどこまでも走っていた。幸いなことに補導されるとか、子供が何をしてるんだ、などと言われることは無かった。
豊橋市内は元より、近隣のあまり人のいない山とか海とか川の方へどんどん走った。
どうしても学校に行かなきゃならないときは、教室に入らず靴を下駄箱に入れずに手で持って、誰にも見つからないように階段を登って、屋上に出るドアの前で一日過ごしていた。家や図書室から持ち出した本を延々と読んでいた。
でMOTHER2だ。
こんだけ現実世界に居場所を失くしても、私はどっかで割り切れないガキだった。というか、ガキだからこそ割り切れなかった。
家や学校のストレスは、ここで練習して汗をかいて発散すればいい、と言ってくれた少林寺拳法の先生にも
「ここで練習が終われば、また帰らなきゃならないじゃないか」
と言って困らせたりもしていた。鈴木先生ごめんなさい。
つまりそういうことだった。
MOTHER2で遊んで「じぶんだけのばしょ」に入り浸っても、いつか電源を切って、自分の要らない場所、居たくない場所に帰らなくちゃならない。それが辛くて、いつも休みの前から休みの終わりの事を考えちゃうタイプ。コレは今でもそうで、なんとも損な性分だと思う。
MOTHER2は祖父母の家に置いてあって、対外的にはたまにしか行ってない事になっている(実際は週3とか週4で通ってるのが後でバレるのだが)祖父母の家に週末泊まりに行くと、夜通しゲームをしていても怒られなかった。だから、そこで延々と遊んでいた。
夜中にテレビゲームをしているか、時間になったらワールドプロレスリングやギルガメッシュないとを見ていた。
そんな子供だからっていい話になると思うなよ、キッチリ地上波で流れてたお尻やおっぱいの恩恵は受けていたんだからな。ふふふ(◆だれにはなしているのだ)
真夜中に遊ぶMOTHER2は格別で、とてもとても心地よい時間だった。
音楽もセリフも好きだし、何よりそこに広がる世界を隅々まで歩き回れるのがいい。砂漠も街も谷も地底大陸も、飽きるまで歩き続けることが出来る。
そしてそこには、名物や伝統食など色んな食べ物が売られていて。
ハンバーガーやサンドイッチ、パスタみたいな身近なものから、何の肉かわからない串焼き(アイテムの説明文にホントにそう書いてある)、モロヘイヤスープ、アーモンドもなか、他にもなんだかよくわからないものまで色々ある。
明け方まで遊んで、眠気が限界に来たら寝る。昼前に起きてご飯食べて、ゴロゴロしてると帰る時間になる。
すぐ近所だから、トボトボと歩いて帰る。そんな私を、窓からずーっと祖母が見送ってくれていた。
中学生になって環境が変わって、私は多少、明るくなった。新しく友達も出来た。付き合ってくれる女の子も居た。部活も楽しかった。
学校生活、教室の中では相変わらずケツの座りが悪かったけど、視野が広がって行動範囲も広がって、あの時に出来なかった遊びや楽しみも取り返せたものもあった。
家庭生活も変化があって、どん底でもありつつ助けてくれる人も居た。
この辺は詳しく書くと長いし誰も楽しくないので割愛するけど。
結局、自分の居場所のないとこで流行ってたり好かれてたりするものにソッポ向くようになって、いい具合にMOTHER2は難を逃れた。私がアイツらと同じものを好きになると、私ごとそれがケナされたり、アイツらは当然のような顔して平気で
ボクたちアタシたちと同じものを好きになるな
とか言うけど、それも無く。
ドラクエやファイナルファンタジーがイケ好かないのもあるけど、あれが好きであれに熱中していることを、ことさらに強調する奴が余計にイケ好かない。ジョジョも。
そういう意味でも、MOTHER2は私にとっては「じぶんだけのばしょ」であり続けてくれた。それが作品にとって幸福かどうかはさておき、私にとっては僥倖だった。
人と違ってていい、自分の好きなものを、好きだと言えばいい。好きでい続ければいい。そんな風に思えるようになってたから、なおさらのめり込んでいったのかも知れない。
そんなMOTHER2も中学生にもなれば楽勝で全クリ出来るようになり、世の中には高性能のゲーム機がバンバン出て、私もアレコレ買って遊ぶことが多かった。でも、MOTHER2は何度も何度も遊んでいる。それは今でもそうで、数年にいっぺんは遊びたくなる。
他にも名作ゲーム、思い入れのあるゲームは幾つもあるけど、MOTHER2だけは別格で。最初、自分より少し年上だったネスやポーラが子供になり、フランクさまも、下手するとネスやポーラのパパママと同じぐらいの年齢になってから遊ぶと、また違った味わいがあって。
単にクリアするだけじゃなく、効率や強さ、便利さだけじゃなく。その辺に売ってる食べ物や、一見ムダに見えるアイテムを買うとか、クリアした街のホテルに泊まるとか、遊びの幅がぐんと広がった。
そしていつか、なんとなく、あの頃の自分もゲームの中の世界に隠れているような気がして。
名前も無いモブキャラが広いマップのあちこちに散らばって、好き勝手なことを言っている。あの隅々まで回って話しかけた筈の世界の何処かに、見覚えのない奴が居て。でもそいつが、どこか他人に思えなくって。
それがあの頃の自分だったとして。今の私は、彼に話しかけることが出来るだろうか。
どんな話をするのだろうか。何を言ってくれるのか。
戦闘になったりしてな。
MOTHER2は優しかったし、面白かったし、自分の人生の一番つらくて暗い時期を過ごした場所の一つでもあるから、今でもとても大事な作品です。
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