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第945回。#リプで来たものについて語る 夏休みが終わる頃に…
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#リプで来たものについて語る 夏休みが終わる頃に…
夏休み期間が終わっちゃう前に書かねば!
エッセイになる前に夏休みが終わっちまうぞ!
と私の脳内でミニサイズのハートマン軍曹が百人ぐらい穴という穴からワラワラワラワラ出てきては私の心の奥にある紫クリスタルタワーのてっぺんに向かってトランジスタメガホン片手に怒鳴り続けているので(それは長い長い夏休みの始まりなんじゃないのかキッドくんよ)早速本題に参ります。
夏休みが終わる頃に。
ちょうど今ぐらいの、さしもの夏休みにも終わりが見えてきた時期。小学校2年生ぐらいまではちょっと憂鬱で、宿題やってなくて、休みが終わるのと宿題間に合わないのとで…こう、学校燃えねえかなあ、なんて思ったりする。そんな時期ですね。
3年と4年は両親が離婚して、週末とか連休は出てったほうの暴力クソバカの家に泊まりに行かされていたので、まあ人身御供みたいなもんで。夏休みなんかあったらホントに長居させられるんで憂鬱通り越して文字通り死にかかっていた。暴力とかで。延々と腰やら肩やら揉まされてね。5年6年になると流石に暴力じゃ敵わないと見るや、ああいう奴等っていうのは本当に底意地が悪くて変なところだけ知恵が回るというか生まれ持ってのクズってのはそういう風に立ち回るからクズなんだな、と思ったんだけど、私の祖父母と伯父、つまりあのクソは自分の肉親に矛先を向けたんだ。あと私の妹にも。どんどん力の弱い相手を選んで自分の思い通りにさせていく。本当に顔を見るだけで、今でも思い出すと吐きそうになる。
で実際に血反吐も吐いたし自分で自分の頭髪をブチブチ抜いてでっかいハゲ玉を幾つも拵えたのが小学校5年のとき。んで、そっからキッドさんの長い長い夏休みが始まった。小学校6年の卒業式までロクすっぽ学校になんか行かなくなった。
夏も冬も関係ない。最初は母親が朝早くに仕事に行っちゃうんで家にいたおばあちゃんに仮病で連絡してもらい、それが通じなくなると学校に行くと見せかけて手提げかばん(ランドセルは自主的にやめてた)に漫画やらゲームを入れて近所に住んでた方の祖父母(暴力を浴びてた方でもある)の家に行って電話をしてもらって一日そこで過ごして夕方それっぽい時間になったら帰ってた。
それすらも通り越すと、今度は学校行かずにチャリで遠くまで行ってた。学校から連絡があろうが、他の家族に何と言われようがもうお構いなしだった。
それでも週末になれば殴られ家事をさせられに行かされてたし、向こうもやましかったのかもしれない。
当時あのクソが住処にしてたのは田舎の豊橋でもそのまた田舎な、のどかでいいところだった。今は区画整理でだいぶ様子が変わったので、多分今なら近づいても大丈夫だろう。高校生ぐらいまでは、近寄ると具合が悪くなるぐらい当時の面影を残していた。
二階建てのアパートの角部屋で、近所の用水池のウシガエルがガーコガーコのんきに鳴いていた。緑の多い場所だった。たまにカブトムシが網戸にかかった。
が、ムシカゴの中にいるのはむしろコッチだという気分だった。
とうとう学校に行かなくちゃならなくなった6年生のある日からは、学校には行くものの教室には入らず、そのまま屋上に続く階段を上って、カギのかかったプールのドアの前で一日過ごしていた。江戸川乱歩とかシャーロックホームズとかを読み漁ったのはこの頃だった。家にあった椎名誠とかどくとるマンボウシリーズとかもひたすら読んでた。プロレスの週刊誌も買うようになってそれも貪り読んでた。
階段の窓はハンドルを回すと開くやつで、要するに落っこちないようになってたんだけど四階より上の窓からよっこいしょ、とやるとどうにか落ちそうだった。
何度か迷ったけど、まあ今はこうしてコレを書いている。
夏休みも冬休みも繋がって、終わりも無ければ宿題もなかった。
いやあったんだろうけどボイコットし続けてた。
最初は些細な、本当にちっぽけな事だったと思う。だけどそれがどんどん取り返しのつかないところまでいってしまって、自分でも、もうどうしようもなくて。
やっとこ夏休みが終わったと思ったら、中学生になってた。
新しい友達が出来て、柔道を初めて、気が付いたらまた人並みに宿題の終わらない夏休みになってた。
そっちの方が幾分かマシだったけど、まあ宿題は結局ロクすっぽ提出しなかったな。自由研究とか読書感想文なんかはわりと出してたんだけどな、これでも。
そういうのだけは得意だったから今でも文章を書いていられるし、あの頃ひたすら読んでた本の影響が今でも随所に現れている。映画やゲーム、深夜テレビ、深夜ラジオ、終わらない夏休みの友達が今でも私の心の中で、あの日の痛みや血の味がする涙や悔しくて情けなくて、もうどこにも身の置き場がなくてどこまでもどこまでもチャリ漕いでた太もものぼわんと熱くなった鈍い感触も、全部そこで封印してくれている気がする。たまにガス抜きしに様子を見に行くけど、たぶんまだ扉は完全に開かないと思う。全部開ける必要もきっと無いし、許すとか父と子の絆とかそういうのは未だに大嫌いだし見るのも嫌だ。ウソだと思う。
あれー、まだ夏休み終わってねえなこれ、さては…?
夏休み期間が終わっちゃう前に書かねば!
エッセイになる前に夏休みが終わっちまうぞ!
と私の脳内でミニサイズのハートマン軍曹が百人ぐらい穴という穴からワラワラワラワラ出てきては私の心の奥にある紫クリスタルタワーのてっぺんに向かってトランジスタメガホン片手に怒鳴り続けているので(それは長い長い夏休みの始まりなんじゃないのかキッドくんよ)早速本題に参ります。
夏休みが終わる頃に。
ちょうど今ぐらいの、さしもの夏休みにも終わりが見えてきた時期。小学校2年生ぐらいまではちょっと憂鬱で、宿題やってなくて、休みが終わるのと宿題間に合わないのとで…こう、学校燃えねえかなあ、なんて思ったりする。そんな時期ですね。
3年と4年は両親が離婚して、週末とか連休は出てったほうの暴力クソバカの家に泊まりに行かされていたので、まあ人身御供みたいなもんで。夏休みなんかあったらホントに長居させられるんで憂鬱通り越して文字通り死にかかっていた。暴力とかで。延々と腰やら肩やら揉まされてね。5年6年になると流石に暴力じゃ敵わないと見るや、ああいう奴等っていうのは本当に底意地が悪くて変なところだけ知恵が回るというか生まれ持ってのクズってのはそういう風に立ち回るからクズなんだな、と思ったんだけど、私の祖父母と伯父、つまりあのクソは自分の肉親に矛先を向けたんだ。あと私の妹にも。どんどん力の弱い相手を選んで自分の思い通りにさせていく。本当に顔を見るだけで、今でも思い出すと吐きそうになる。
で実際に血反吐も吐いたし自分で自分の頭髪をブチブチ抜いてでっかいハゲ玉を幾つも拵えたのが小学校5年のとき。んで、そっからキッドさんの長い長い夏休みが始まった。小学校6年の卒業式までロクすっぽ学校になんか行かなくなった。
夏も冬も関係ない。最初は母親が朝早くに仕事に行っちゃうんで家にいたおばあちゃんに仮病で連絡してもらい、それが通じなくなると学校に行くと見せかけて手提げかばん(ランドセルは自主的にやめてた)に漫画やらゲームを入れて近所に住んでた方の祖父母(暴力を浴びてた方でもある)の家に行って電話をしてもらって一日そこで過ごして夕方それっぽい時間になったら帰ってた。
それすらも通り越すと、今度は学校行かずにチャリで遠くまで行ってた。学校から連絡があろうが、他の家族に何と言われようがもうお構いなしだった。
それでも週末になれば殴られ家事をさせられに行かされてたし、向こうもやましかったのかもしれない。
当時あのクソが住処にしてたのは田舎の豊橋でもそのまた田舎な、のどかでいいところだった。今は区画整理でだいぶ様子が変わったので、多分今なら近づいても大丈夫だろう。高校生ぐらいまでは、近寄ると具合が悪くなるぐらい当時の面影を残していた。
二階建てのアパートの角部屋で、近所の用水池のウシガエルがガーコガーコのんきに鳴いていた。緑の多い場所だった。たまにカブトムシが網戸にかかった。
が、ムシカゴの中にいるのはむしろコッチだという気分だった。
とうとう学校に行かなくちゃならなくなった6年生のある日からは、学校には行くものの教室には入らず、そのまま屋上に続く階段を上って、カギのかかったプールのドアの前で一日過ごしていた。江戸川乱歩とかシャーロックホームズとかを読み漁ったのはこの頃だった。家にあった椎名誠とかどくとるマンボウシリーズとかもひたすら読んでた。プロレスの週刊誌も買うようになってそれも貪り読んでた。
階段の窓はハンドルを回すと開くやつで、要するに落っこちないようになってたんだけど四階より上の窓からよっこいしょ、とやるとどうにか落ちそうだった。
何度か迷ったけど、まあ今はこうしてコレを書いている。
夏休みも冬休みも繋がって、終わりも無ければ宿題もなかった。
いやあったんだろうけどボイコットし続けてた。
最初は些細な、本当にちっぽけな事だったと思う。だけどそれがどんどん取り返しのつかないところまでいってしまって、自分でも、もうどうしようもなくて。
やっとこ夏休みが終わったと思ったら、中学生になってた。
新しい友達が出来て、柔道を初めて、気が付いたらまた人並みに宿題の終わらない夏休みになってた。
そっちの方が幾分かマシだったけど、まあ宿題は結局ロクすっぽ提出しなかったな。自由研究とか読書感想文なんかはわりと出してたんだけどな、これでも。
そういうのだけは得意だったから今でも文章を書いていられるし、あの頃ひたすら読んでた本の影響が今でも随所に現れている。映画やゲーム、深夜テレビ、深夜ラジオ、終わらない夏休みの友達が今でも私の心の中で、あの日の痛みや血の味がする涙や悔しくて情けなくて、もうどこにも身の置き場がなくてどこまでもどこまでもチャリ漕いでた太もものぼわんと熱くなった鈍い感触も、全部そこで封印してくれている気がする。たまにガス抜きしに様子を見に行くけど、たぶんまだ扉は完全に開かないと思う。全部開ける必要もきっと無いし、許すとか父と子の絆とかそういうのは未だに大嫌いだし見るのも嫌だ。ウソだと思う。
あれー、まだ夏休み終わってねえなこれ、さては…?
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