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第932回。バンドやってたんだよ
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【前書き】
この記事は時空モノガタリのコンテストに応募した作品の完全版となります。
【本文】
Keep Running in The Future
二十代の初め頃、友人の丸山君とバンドを組んでいた。というかベースギターと作詞担当として入れて貰った。ちょうど丸山君が彼の兄とその友人と組んでいたバンドが解散したため自分でもやりたくなり、知人にドラムの叩ける人がいたのであとはベースだけ。お前やってみる? と言うので、やってみることにしたのだ。
子供の頃から母の趣味で家には様々なレコードが揃っていた。ヘヴィメタルから歌謡曲までずらっと並んでて、沢田研二の隣にノー・ファン・アット・オールという北欧のハードコアバンドがあったり、電気グルーヴとキャロルとキッスが同じ列に並んでたりと今考えたら頭がクラクラしそうなラインナップ。私もそんな中からアレコレ失敬して聞いて育ったので音楽には興味があった。しかしそれよりもさらに格闘技やプロレスに興味があったために柔道や少林寺拳法に熱中していて楽器の演奏経験はゼロ。オマケに生まれついての不器用で紙ヒコーキすらマトモに折れないと来ている。すっかり太く節くれだったこの指でベースギターを演奏することなど出来るのだろうか。
と、相談した当の丸山君。実は正道会館空手の愛知県チャンピオン。私よりもずっと強くずっとスリムでギターもベースも弾けた。ので、お前も問題ない! ということになった。ドラムの及部さんは私たちよりも少し年上だったが気さくなオタクと言った感じの人で、全然年上な感じがしないどころか空気は読めないわ好き勝手行動するわでむしろ一番自由だった。ドラムの方はと言えば小柄で大人しそうな眼鏡マンな見た目とは裏腹にゴリッゴリのメタラーであるためツタツタ叩く。
丸山君が当時ハマっていたジャンルはエモというやつで、他にはメロコアとかパンクとかミクスチャーなんて言葉も飛び出した。メロコアとパンクはわかったが、ミクスチャー? エモ? とわからないことも多々あった。色々聞いているつもりでも、知らないことはあるもんだ。早速、丸山君の家に集まってみんなでレコード鑑賞と洒落込んだ。ジミー・イート・ワールド、ヒドゥン・イン・プレインビュー、ウィーザー、今まで知らなかったけど凄くいいバンドが沢山あった。
自分たちの曲はと言うと、丸山君がギターで作った曲に合わせてベースを弾いた。最初はフレットを指して
「上から三番目、五番目、一番上、押さえずに、の繰り返しな」
とかそのレベルで教わってた。一弦から四弦しかないのに、どっちが一弦でどっちが四弦だかすぐわからなくなった。それでも最初はブーとかボーとかいう音が、見様見真似で弾いてみるうちにブンブンボンボンと「音」から「音色」になっていった。サウンドでありメロディになる。
練習は私と丸山君の家のすぐ近くにある貸しスタジオで行っていた。及部さんはちょっと離れたとこに住んでたので毎回チャリで来ていた。市内にいくつかのそういうスタジオがあって、どこで練習してる? なんて話を、ライブやイベントなどで仲良くなったバンドとしていたり、たまに自分らがいつも行かないスタジオで練習してるバンドのとこに遊びに行くと、色々とカラーにも違いがあって面白かった。
アンプの名前や種類も性能もよくわからなかったが、アンペグとかオレンジとかやってるうちに覚えていった。音に色がついて音色とは面白い表現だった。そしてその音色に言葉を足して歌詞にするのも私の仕事だった。丸山君の作ってきたギターの音を聞いて、通して何度も練習して弾いているうちに
(コレは遠距離恋愛失敗って感じだな)
(コレは子供の頃の辛い記憶や自分の嫌なところを吐き出すように叫んでる)
とか、いろんなイメージが音色の中に見えてくるような気がしてきた。それをそのまま書いて、文章としての形を整えていく。でも歌うのは基本的に丸山君なので歌いにくいところはまた直した。この作業が難しいけど結構面白かった。
こうして出来上がった五曲を携えて、毎年六月の各週末に行われる納涼祭で開催される無料ライブにエントリーした。機材トラックを使って拵えた簡易ステージで歌うのだ。
が、当日はあいにくの空模様で雨とカミナリでお客さんはまばらだった。それでもデビューの晴れ舞台だ。しかも納涼祭最後の週の最後のステージ。大トリである。ウルトラマンレオではない。出番としては北島サブちゃんクラスということになる。鼻の穴に軟球を詰め込むヒマもなく出番が近づいてきた。雨が止み、遠雷がピカピカ光るなかでステージに躍り出た私たちの最初の曲のタイトルは
「Rain」
と名付けた曲だった。作詞とタイトルは私だ。そして最後の曲は丸山君の自信作。
「Keep Running in The Future」
タイトルも彼がつけたものらしい。私が加入する前からあった曲で、未来を走り続けろ、という意味がこめられている。その名の通り疾走感のある明るいパンクだった。
バンド活動はその後も数年間続いていた。途中で及部さんが抜けて新しいドラマーが加入したり、丸山君と及部さんが別でやってたバンドのメンバーが合流して五人編成になったりして、小さなドラマが未来に向かって走り続けていた。
みんな忙しくなってしまって、活動が本格的になるにつれて時間がとれなくなってしまい自然消滅に近い形で停まってしまったのが残念だ。私は営業も兼ねていたのでよくあちこちに顔を出しては、今度出してくださいよ~なんてやっていた。その時も、新しい出演依頼が来たばかりだったので落胆もしたけど、まだ終わってないなっていう気もちょっとだけしている。
丸山君は愛知県を離れて、いまどこぞのスーパーマーケットで店長さんだかマネージャーさんだかをやっているので、今度急に訪ねてバナナの売り場と値段でも聞くふりをして、スタジオにでも誘って見ようと思う。
またアイツの音を聞けば、アイツも音を出せば。
新しい未来に向かって走り出すことが出来るかもしれないから。
この記事は時空モノガタリのコンテストに応募した作品の完全版となります。
【本文】
Keep Running in The Future
二十代の初め頃、友人の丸山君とバンドを組んでいた。というかベースギターと作詞担当として入れて貰った。ちょうど丸山君が彼の兄とその友人と組んでいたバンドが解散したため自分でもやりたくなり、知人にドラムの叩ける人がいたのであとはベースだけ。お前やってみる? と言うので、やってみることにしたのだ。
子供の頃から母の趣味で家には様々なレコードが揃っていた。ヘヴィメタルから歌謡曲までずらっと並んでて、沢田研二の隣にノー・ファン・アット・オールという北欧のハードコアバンドがあったり、電気グルーヴとキャロルとキッスが同じ列に並んでたりと今考えたら頭がクラクラしそうなラインナップ。私もそんな中からアレコレ失敬して聞いて育ったので音楽には興味があった。しかしそれよりもさらに格闘技やプロレスに興味があったために柔道や少林寺拳法に熱中していて楽器の演奏経験はゼロ。オマケに生まれついての不器用で紙ヒコーキすらマトモに折れないと来ている。すっかり太く節くれだったこの指でベースギターを演奏することなど出来るのだろうか。
と、相談した当の丸山君。実は正道会館空手の愛知県チャンピオン。私よりもずっと強くずっとスリムでギターもベースも弾けた。ので、お前も問題ない! ということになった。ドラムの及部さんは私たちよりも少し年上だったが気さくなオタクと言った感じの人で、全然年上な感じがしないどころか空気は読めないわ好き勝手行動するわでむしろ一番自由だった。ドラムの方はと言えば小柄で大人しそうな眼鏡マンな見た目とは裏腹にゴリッゴリのメタラーであるためツタツタ叩く。
丸山君が当時ハマっていたジャンルはエモというやつで、他にはメロコアとかパンクとかミクスチャーなんて言葉も飛び出した。メロコアとパンクはわかったが、ミクスチャー? エモ? とわからないことも多々あった。色々聞いているつもりでも、知らないことはあるもんだ。早速、丸山君の家に集まってみんなでレコード鑑賞と洒落込んだ。ジミー・イート・ワールド、ヒドゥン・イン・プレインビュー、ウィーザー、今まで知らなかったけど凄くいいバンドが沢山あった。
自分たちの曲はと言うと、丸山君がギターで作った曲に合わせてベースを弾いた。最初はフレットを指して
「上から三番目、五番目、一番上、押さえずに、の繰り返しな」
とかそのレベルで教わってた。一弦から四弦しかないのに、どっちが一弦でどっちが四弦だかすぐわからなくなった。それでも最初はブーとかボーとかいう音が、見様見真似で弾いてみるうちにブンブンボンボンと「音」から「音色」になっていった。サウンドでありメロディになる。
練習は私と丸山君の家のすぐ近くにある貸しスタジオで行っていた。及部さんはちょっと離れたとこに住んでたので毎回チャリで来ていた。市内にいくつかのそういうスタジオがあって、どこで練習してる? なんて話を、ライブやイベントなどで仲良くなったバンドとしていたり、たまに自分らがいつも行かないスタジオで練習してるバンドのとこに遊びに行くと、色々とカラーにも違いがあって面白かった。
アンプの名前や種類も性能もよくわからなかったが、アンペグとかオレンジとかやってるうちに覚えていった。音に色がついて音色とは面白い表現だった。そしてその音色に言葉を足して歌詞にするのも私の仕事だった。丸山君の作ってきたギターの音を聞いて、通して何度も練習して弾いているうちに
(コレは遠距離恋愛失敗って感じだな)
(コレは子供の頃の辛い記憶や自分の嫌なところを吐き出すように叫んでる)
とか、いろんなイメージが音色の中に見えてくるような気がしてきた。それをそのまま書いて、文章としての形を整えていく。でも歌うのは基本的に丸山君なので歌いにくいところはまた直した。この作業が難しいけど結構面白かった。
こうして出来上がった五曲を携えて、毎年六月の各週末に行われる納涼祭で開催される無料ライブにエントリーした。機材トラックを使って拵えた簡易ステージで歌うのだ。
が、当日はあいにくの空模様で雨とカミナリでお客さんはまばらだった。それでもデビューの晴れ舞台だ。しかも納涼祭最後の週の最後のステージ。大トリである。ウルトラマンレオではない。出番としては北島サブちゃんクラスということになる。鼻の穴に軟球を詰め込むヒマもなく出番が近づいてきた。雨が止み、遠雷がピカピカ光るなかでステージに躍り出た私たちの最初の曲のタイトルは
「Rain」
と名付けた曲だった。作詞とタイトルは私だ。そして最後の曲は丸山君の自信作。
「Keep Running in The Future」
タイトルも彼がつけたものらしい。私が加入する前からあった曲で、未来を走り続けろ、という意味がこめられている。その名の通り疾走感のある明るいパンクだった。
バンド活動はその後も数年間続いていた。途中で及部さんが抜けて新しいドラマーが加入したり、丸山君と及部さんが別でやってたバンドのメンバーが合流して五人編成になったりして、小さなドラマが未来に向かって走り続けていた。
みんな忙しくなってしまって、活動が本格的になるにつれて時間がとれなくなってしまい自然消滅に近い形で停まってしまったのが残念だ。私は営業も兼ねていたのでよくあちこちに顔を出しては、今度出してくださいよ~なんてやっていた。その時も、新しい出演依頼が来たばかりだったので落胆もしたけど、まだ終わってないなっていう気もちょっとだけしている。
丸山君は愛知県を離れて、いまどこぞのスーパーマーケットで店長さんだかマネージャーさんだかをやっているので、今度急に訪ねてバナナの売り場と値段でも聞くふりをして、スタジオにでも誘って見ようと思う。
またアイツの音を聞けば、アイツも音を出せば。
新しい未来に向かって走り出すことが出来るかもしれないから。
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