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第871回。三沢光晴さんの思い出。
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6月13日は三沢光晴さんの御命日ですね。当時からのファンには忘れることのできない日になりました。もう何年になるだろう。
まだ全日本プロレス中継が深夜に放送されていたころ、三沢光晴さんと川田利明さんの三冠ヘビー級選手権(試合序盤に腕を骨折した川田さんが三冠パワーボムというとんでもない技で勝利を掴んだ試合)を見たのが最初で、当時から団体を問わずプロレスさえ見てれば幸せだった私は三沢光晴さんにも注目していくようになりました。おりしもジャイアント馬場さんが亡くなり、全日本プロレスは分裂。
プロレスリング・ノアが誕生し勢いを増している時期に会場で初観戦を果たしたのは忘れもしない2002年4月7日の有明コロシアム大会。
この日の最大のお目当ては冬木弘道ボスでした。私は大の冬木ファンで、この日のシングルマッチを高校の入学祝と言う名目でチケットを買ってもらって観戦することが出来たのです。他にお目当ての選手はビッグバン・ベイダーや斎藤彰俊選手、その日は新日本プロレスからも選手が参戦するなど大変に盛り上がった試合でした。
初めて見る三沢光晴さんは非常にスマートで、試合中はギャーギャーと騒がしい冬木ボスのペースに飲まれることなくリードしてゆきます。椅子攻撃や金的を受けつつも落ち着いた試合運びを見せるのはくぐった修羅場のなせる業でしょう。方や海外から日本のインディープロレスを渡り歩いた冬木さんの、方や王道プロレスを継承し伝説に残る死闘を繰り広げてきた三沢さんのプロレスの根幹がぶつかる非常に興味深い試合でもあったと思います。
三沢さんお得意のエルボー・スイシーダや金村キンタローさんのテーブルクラッシュまで飛び出す盛りだくさんの試合(ちなみに椅子攻撃からテーブルの準備まで一連の手際が非常によく、金村さんの職人ぶりも如実に表れておりました)で、最後は必殺のエルボーバットが決まって三沢さんの勝利。
友情と因縁のシングルマッチは幕を閉じました。そしてこの直後に冬木さんも…三沢さんの友情もこれで終わらず、最後までレスラーとして、戦友として冬木さんをリングから送り出してくれました。
急遽開催された冬木さんの引退試合を埋め尽くす、イメージカラーである黄色の紙テープ。ボスのファン、冬木信者としても嬉しかったのを覚えています。
その後に、そして私が最後に三沢さんの試合を生観戦したのはそれからわずか3年後のことでした。地元・豊橋市の小さな体育館のそのまた隣にあるサブ・アリーナで行われたプロレスリング・ノアの地方大会は、あの有明コロシアムが嘘か幻だったんじゃないかと思うくらいの、盛り上がらないことこの上ない試合でした。
正直に言えば三沢さんの動きも相当悪く、今思えばもうあの時点で限界はとっくに超えていたのでしょう。しかしそれでも地元・愛知出身の斎藤選手や青柳館長らが張り切って蹴りまくれば、丸藤選手が不知火を披露してくれたり菊池毅選手のファンサービスが非常に丁寧で感動したり良いところも沢山ありました。
ただ、やっぱりテンションが上がりきらないまま終わってしまったことは事実で、このことは長らく心の中に残っていました。
そしてそのモヤモヤが晴れないまま、運命の日を迎えてしまいました。
その日の夜、私の母が血相を変えて
「ねえ、アンタの好きな三沢さんが事故だって!」
と教えてくれて、テレビを点けるとまさにその状況でした。
私の母は私が相当のプロレスマニアだということは知っているくらいでプロレスについては詳しくないのですが、それでも三沢光晴というプロレスラーのことは知っていました。
ニュースに、字幕で入る情報に釘付けになりながら、それでもまだ
嘘だろ…
と思っていました。状況も状態もわからないまま、時間だけが過ぎていきました。だんだんと経過は判明したものの遂に帰らぬ人となってしまったあとも中々それが信じられずにいました。
他のどんな選手、いや誰であっても、いなくなったことが受け止められないまま世の中はそういうことにして回っていく。良くも悪くもそれで慣れていくんだと思います。ボスも、三沢さんも、橋本真也さんもいなくなってしまったけれど、私は今でもこの3人が大好きだし、プロレスのことも大好きです。
いつまでも思い出を語り継いで、いつか歴史になり、伝説になる。
三沢光晴というプロレスラーは、そういう人だと思います。
その時代、試合を体感できたことはこの上ない幸せでした。
今もプロレスリング・ノアはロゴや顔ぶれこそ変わっても人気を集め、日夜戦っています。私は新日本プロレスも全日本プロレスも好きでしたし、今もプロレスであれば基本的に何でも好きです。
でも、日本のプロレスリングの基本となったアメリカンスタイルが引き算のプロレスだとするならば、あの頃の四天王プロレスは「あまり」が許されない極限の割り算だったと思います。だから先鋭化しすぎて、割り切れない部分や人々が出てきた。
それだけが心残りというか、もっとうまく着地していれば…と今でもちょっと思います。
私個人の意見はともかく、今も多くの人々の思い出に残る三沢さんの残した団体、そして今も世界で愛されるプロレスを明日も楽しめる幸せをもっと大切にしなくちゃいけないな。と思います。
まだ全日本プロレス中継が深夜に放送されていたころ、三沢光晴さんと川田利明さんの三冠ヘビー級選手権(試合序盤に腕を骨折した川田さんが三冠パワーボムというとんでもない技で勝利を掴んだ試合)を見たのが最初で、当時から団体を問わずプロレスさえ見てれば幸せだった私は三沢光晴さんにも注目していくようになりました。おりしもジャイアント馬場さんが亡くなり、全日本プロレスは分裂。
プロレスリング・ノアが誕生し勢いを増している時期に会場で初観戦を果たしたのは忘れもしない2002年4月7日の有明コロシアム大会。
この日の最大のお目当ては冬木弘道ボスでした。私は大の冬木ファンで、この日のシングルマッチを高校の入学祝と言う名目でチケットを買ってもらって観戦することが出来たのです。他にお目当ての選手はビッグバン・ベイダーや斎藤彰俊選手、その日は新日本プロレスからも選手が参戦するなど大変に盛り上がった試合でした。
初めて見る三沢光晴さんは非常にスマートで、試合中はギャーギャーと騒がしい冬木ボスのペースに飲まれることなくリードしてゆきます。椅子攻撃や金的を受けつつも落ち着いた試合運びを見せるのはくぐった修羅場のなせる業でしょう。方や海外から日本のインディープロレスを渡り歩いた冬木さんの、方や王道プロレスを継承し伝説に残る死闘を繰り広げてきた三沢さんのプロレスの根幹がぶつかる非常に興味深い試合でもあったと思います。
三沢さんお得意のエルボー・スイシーダや金村キンタローさんのテーブルクラッシュまで飛び出す盛りだくさんの試合(ちなみに椅子攻撃からテーブルの準備まで一連の手際が非常によく、金村さんの職人ぶりも如実に表れておりました)で、最後は必殺のエルボーバットが決まって三沢さんの勝利。
友情と因縁のシングルマッチは幕を閉じました。そしてこの直後に冬木さんも…三沢さんの友情もこれで終わらず、最後までレスラーとして、戦友として冬木さんをリングから送り出してくれました。
急遽開催された冬木さんの引退試合を埋め尽くす、イメージカラーである黄色の紙テープ。ボスのファン、冬木信者としても嬉しかったのを覚えています。
その後に、そして私が最後に三沢さんの試合を生観戦したのはそれからわずか3年後のことでした。地元・豊橋市の小さな体育館のそのまた隣にあるサブ・アリーナで行われたプロレスリング・ノアの地方大会は、あの有明コロシアムが嘘か幻だったんじゃないかと思うくらいの、盛り上がらないことこの上ない試合でした。
正直に言えば三沢さんの動きも相当悪く、今思えばもうあの時点で限界はとっくに超えていたのでしょう。しかしそれでも地元・愛知出身の斎藤選手や青柳館長らが張り切って蹴りまくれば、丸藤選手が不知火を披露してくれたり菊池毅選手のファンサービスが非常に丁寧で感動したり良いところも沢山ありました。
ただ、やっぱりテンションが上がりきらないまま終わってしまったことは事実で、このことは長らく心の中に残っていました。
そしてそのモヤモヤが晴れないまま、運命の日を迎えてしまいました。
その日の夜、私の母が血相を変えて
「ねえ、アンタの好きな三沢さんが事故だって!」
と教えてくれて、テレビを点けるとまさにその状況でした。
私の母は私が相当のプロレスマニアだということは知っているくらいでプロレスについては詳しくないのですが、それでも三沢光晴というプロレスラーのことは知っていました。
ニュースに、字幕で入る情報に釘付けになりながら、それでもまだ
嘘だろ…
と思っていました。状況も状態もわからないまま、時間だけが過ぎていきました。だんだんと経過は判明したものの遂に帰らぬ人となってしまったあとも中々それが信じられずにいました。
他のどんな選手、いや誰であっても、いなくなったことが受け止められないまま世の中はそういうことにして回っていく。良くも悪くもそれで慣れていくんだと思います。ボスも、三沢さんも、橋本真也さんもいなくなってしまったけれど、私は今でもこの3人が大好きだし、プロレスのことも大好きです。
いつまでも思い出を語り継いで、いつか歴史になり、伝説になる。
三沢光晴というプロレスラーは、そういう人だと思います。
その時代、試合を体感できたことはこの上ない幸せでした。
今もプロレスリング・ノアはロゴや顔ぶれこそ変わっても人気を集め、日夜戦っています。私は新日本プロレスも全日本プロレスも好きでしたし、今もプロレスであれば基本的に何でも好きです。
でも、日本のプロレスリングの基本となったアメリカンスタイルが引き算のプロレスだとするならば、あの頃の四天王プロレスは「あまり」が許されない極限の割り算だったと思います。だから先鋭化しすぎて、割り切れない部分や人々が出てきた。
それだけが心残りというか、もっとうまく着地していれば…と今でもちょっと思います。
私個人の意見はともかく、今も多くの人々の思い出に残る三沢さんの残した団体、そして今も世界で愛されるプロレスを明日も楽しめる幸せをもっと大切にしなくちゃいけないな。と思います。
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