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第831回。私立探偵ジャッカル「夢魔の巻」
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「ひどい夢を見たんです。子供が事故に遭う夢で、水浸しで、顔は無残に潰れて血まみれで、腫れ上がって青紫色に」
「悪夢を、ね。まあ落ち着いてください。それでどうなさいました」
「私は腰まで水に浸かって必死で子供の名を呼び、叫び続けていました。名前を呼ぶと、青紫だった顔色がスーッと戻るんです。で、ニッコリ笑ってまた青紫。それを何度も繰り返しました。何処とも知れない異国の人々は言葉も通じず、ただ子供を引き摺って行きました」
古ぼけた革張りのソファに浅く腰掛けたこの男性は、ひどく痩せていた。髪の毛は白くなりかけてパサパサと力無く揺れ、やつれた頬に疎らな無精ひげが生えている。肌は青白く生気が無いうえ、身体も干上がったように痩せ細っている。彼は深く俯き、両肘を膝の上に乗せて枯れ枝のような指先を組んだり解いたりしながら話を続けた。
「そうして、とうとう自分の叫び声で目を覚ましたのです、そこは私の実家の、見慣れた景色の中でした。ああ驚いた、と思って顔を洗いに行ったんです。洗面所に向かうと階下の台所で子供と、私の母がはしゃぐ声が聞こえてきまして。ああやっぱり夢だったんだと思った矢先に」
「矢先に?」
男性の絡めた指がぎゅっと締まり、小刻みに震えだした。
「どん! と腸まで響くようなイヤーな音がしまして、次いでガシャン!という音と凄まじい悲鳴。母が私の息子を必死で呼んでおりました」
「ほう」
先生は対面の安楽椅子に腰かけ、節くれ立ってごつごつした指をじっと組んで痩せこけた男性客の話を興味深そうに聞いている。長い金髪を顔の前に垂らしていると上背がある為に、ソファに挟んだ低い机の上にぬっと伸し掛かるような格好になっている。
「私は慌てて階段を降りまして。台所を目指して玄関を通り過ぎると息子の声がしました。そしてドタドタと耳慣れた足音がしまして、ぬっと現れた息子は……息子は、あの、またも無残な姿になっておりました。全身が黒焦げで、焼け爛れた皮膚が体中からぶら下がっておりました。私は泣き叫びました。漸く醒めた悪夢の次に待っていたのがまた悪夢だったなんて」
「ふうむ」
「私は再び叫び、泣き喚きながら息子に縋りつきました。気の毒に額からは血が噴き出して、焼けた皮膚は変色して黄色や緑色、紫色になって猛烈な匂いを放っておりました。ですが不思議な事に、息子はケロッとしておりまして。焼けた髪の毛をいじくりまわしながら言うのです。お父ちゃん、お台所がどかーんしたよ! と。そうして無邪気に笑いながら縮れた髪の毛をぐいと引くと、頭皮がずるんと剥げてしまったのです!」
「ああ! と私が再び叫ぶのを見て、息子は一層喜びました。喜んで、自ら身体中の皮を次々に剥ぐのです。私の見ている前で!」
男性は勢い良く顔を上げて、テーブルにぬっと突き出した先生の顔の目の前に迫って語りかけた。血走った眼玉が今にも飛び出しそうなほどぎょろりと力を込めて震えている。
「私はあらん限りに声を振り絞って叫びだしましたが、もう声も出なく虚しくかすれた音を漏らすだけでした。息子は私の顔に引っぺがした皮膚をぺたっとくっ付けて笑っています。堪らずに目を閉じて、そっと目を覚ますと……今度こそ自宅でした」
「ふむふむ」
「その日は、それで済んだのです。随分と寝坊をしていましたが何事もなく、妻も子供も無事です。ただ」
「あなたが、ご無事ではないようにお見受けしますが」
「はい」
「それで」
「はい」
「今は、どんな夢をご覧になっているのですか」
「いっ、今は、今は」
今にもヒキツケを起こしそうな男性が、ぐびりと唾を飲み、深呼吸をし、咳払い。目鼻を擦り襟元を正し数秒の沈黙ののち。手元の少し冷めたコーヒーを一口啜った。余程話すに耐えられない内容なのだろう。
「実は、同じなのです」
「ほお。同じ」
「ええ、ただ」
「ただ?」
「増えるのです」
窓越しに眩しい夏の日差しが二人の姿を白く包み込み、逆光で影だけを浮かび上がらせている。怯えながら話す痩せぎすの影と、それを興味深そうに聞く背の高い影。
「増える?」
「はい。増えます。悪夢が」
「ほう」
「眠りにつきますと、まず事故の夢。そして黒焦げの夢を見て目を覚ましますと自宅の布団の上でした。ああまただ、嫌な夢を見たと思って起き上がると妻子が居ません。ああ買い物に行ったんだと思って窓の外をふっと見るとちょうど彼女らが帰るところが見えました。私に向かって手を振る息子と、それを見て微笑む妻」
【後書き】
と、ここまで書いて何年も放置してしまいました。ごめんよジャッカル。
私立探偵ジャッカル、というのは私の考えたキャラクターで、そのジャッカルを使ったお話も幾つか考えてありました。が、何しろ探偵ものなんて難しくって…。
アクション主体の、スペースコブラみたいなお話にしたかったのですが。
もし何かの気が向いて続きが書けたらいいなーと思い折角なので載せてみました。
折角なのでばっかりだな。私はコンバット越前か。
「悪夢を、ね。まあ落ち着いてください。それでどうなさいました」
「私は腰まで水に浸かって必死で子供の名を呼び、叫び続けていました。名前を呼ぶと、青紫だった顔色がスーッと戻るんです。で、ニッコリ笑ってまた青紫。それを何度も繰り返しました。何処とも知れない異国の人々は言葉も通じず、ただ子供を引き摺って行きました」
古ぼけた革張りのソファに浅く腰掛けたこの男性は、ひどく痩せていた。髪の毛は白くなりかけてパサパサと力無く揺れ、やつれた頬に疎らな無精ひげが生えている。肌は青白く生気が無いうえ、身体も干上がったように痩せ細っている。彼は深く俯き、両肘を膝の上に乗せて枯れ枝のような指先を組んだり解いたりしながら話を続けた。
「そうして、とうとう自分の叫び声で目を覚ましたのです、そこは私の実家の、見慣れた景色の中でした。ああ驚いた、と思って顔を洗いに行ったんです。洗面所に向かうと階下の台所で子供と、私の母がはしゃぐ声が聞こえてきまして。ああやっぱり夢だったんだと思った矢先に」
「矢先に?」
男性の絡めた指がぎゅっと締まり、小刻みに震えだした。
「どん! と腸まで響くようなイヤーな音がしまして、次いでガシャン!という音と凄まじい悲鳴。母が私の息子を必死で呼んでおりました」
「ほう」
先生は対面の安楽椅子に腰かけ、節くれ立ってごつごつした指をじっと組んで痩せこけた男性客の話を興味深そうに聞いている。長い金髪を顔の前に垂らしていると上背がある為に、ソファに挟んだ低い机の上にぬっと伸し掛かるような格好になっている。
「私は慌てて階段を降りまして。台所を目指して玄関を通り過ぎると息子の声がしました。そしてドタドタと耳慣れた足音がしまして、ぬっと現れた息子は……息子は、あの、またも無残な姿になっておりました。全身が黒焦げで、焼け爛れた皮膚が体中からぶら下がっておりました。私は泣き叫びました。漸く醒めた悪夢の次に待っていたのがまた悪夢だったなんて」
「ふうむ」
「私は再び叫び、泣き喚きながら息子に縋りつきました。気の毒に額からは血が噴き出して、焼けた皮膚は変色して黄色や緑色、紫色になって猛烈な匂いを放っておりました。ですが不思議な事に、息子はケロッとしておりまして。焼けた髪の毛をいじくりまわしながら言うのです。お父ちゃん、お台所がどかーんしたよ! と。そうして無邪気に笑いながら縮れた髪の毛をぐいと引くと、頭皮がずるんと剥げてしまったのです!」
「ああ! と私が再び叫ぶのを見て、息子は一層喜びました。喜んで、自ら身体中の皮を次々に剥ぐのです。私の見ている前で!」
男性は勢い良く顔を上げて、テーブルにぬっと突き出した先生の顔の目の前に迫って語りかけた。血走った眼玉が今にも飛び出しそうなほどぎょろりと力を込めて震えている。
「私はあらん限りに声を振り絞って叫びだしましたが、もう声も出なく虚しくかすれた音を漏らすだけでした。息子は私の顔に引っぺがした皮膚をぺたっとくっ付けて笑っています。堪らずに目を閉じて、そっと目を覚ますと……今度こそ自宅でした」
「ふむふむ」
「その日は、それで済んだのです。随分と寝坊をしていましたが何事もなく、妻も子供も無事です。ただ」
「あなたが、ご無事ではないようにお見受けしますが」
「はい」
「それで」
「はい」
「今は、どんな夢をご覧になっているのですか」
「いっ、今は、今は」
今にもヒキツケを起こしそうな男性が、ぐびりと唾を飲み、深呼吸をし、咳払い。目鼻を擦り襟元を正し数秒の沈黙ののち。手元の少し冷めたコーヒーを一口啜った。余程話すに耐えられない内容なのだろう。
「実は、同じなのです」
「ほお。同じ」
「ええ、ただ」
「ただ?」
「増えるのです」
窓越しに眩しい夏の日差しが二人の姿を白く包み込み、逆光で影だけを浮かび上がらせている。怯えながら話す痩せぎすの影と、それを興味深そうに聞く背の高い影。
「増える?」
「はい。増えます。悪夢が」
「ほう」
「眠りにつきますと、まず事故の夢。そして黒焦げの夢を見て目を覚ましますと自宅の布団の上でした。ああまただ、嫌な夢を見たと思って起き上がると妻子が居ません。ああ買い物に行ったんだと思って窓の外をふっと見るとちょうど彼女らが帰るところが見えました。私に向かって手を振る息子と、それを見て微笑む妻」
【後書き】
と、ここまで書いて何年も放置してしまいました。ごめんよジャッカル。
私立探偵ジャッカル、というのは私の考えたキャラクターで、そのジャッカルを使ったお話も幾つか考えてありました。が、何しろ探偵ものなんて難しくって…。
アクション主体の、スペースコブラみたいなお話にしたかったのですが。
もし何かの気が向いて続きが書けたらいいなーと思い折角なので載せてみました。
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