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第790回。ディスコ行ったことある?
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私は、一度だけある。
この豊橋の田舎町にもむかーーーーし、私が小学1年生ぐらいの時までディスコが残ってた。たった一軒だけ
それより昔に何軒あったのかはわからない。
KING&QUEEN
って名前のお店で、豊橋のドン・キホーテがある辺りにあった。今はスロット屋さんとかケンタッキー・フライド・チキンがある区画かな。
なぜそんなところに小学生の、しかも肥満児の分際で行ったことなんかがあるのか。
いま肥満児はカンケーねえだろ!?
誰だ言ったの!!!
ああ私だ。じゃあいいや。
私の同級生のMちゃんという女の子が幼馴染で、その当時けっこう仲良くしてくれていた。
妹もMちゃんの妹と同級生で友達だったので、よくお互いの家や公園なんかで一緒に遊んでいた。
そこに近所に住んでた仲良しのカツヒロ君とヨシノリ君の兄弟も加わって、みんなでMちゃんのお誕生日会をやることになった。
それが多分、私が小学校1年生ぐらいのころ。
Mちゃんの家は会社をやってて、家も広くて綺麗だった。
平成アーバンって感じの、洒落てて四角くてお庭が広い、あの当時で今風のお屋敷って感じ。
一度その家に遊びに行ったら当時流行ってたピコってテレビゲームみたいなおもちゃみたいな、テレビに繋いで遊ぶのが置いてあった。私はそれで遊びたくて仕方がなかったけど、とうとう
一回やらせて
って言えないまま、ピコで遊ぶことはなかった。
まあ今でも
一回やらせて
なんてセリフが中々言い出せず中にも出せず、違うところがピコピコしたまま往生してるんだけどね
コレがホントの立ち往生!なんてね!!!
お前は死ね、キッド!!!!!!!
えーーーと、そんで、そのMちゃんのお父さんだったかお母さんだったかが、当時豊橋にも残ってたディスコを昼間だけ借りてくれて(たぶん18時以降は子供が入れなかったのか、元々入れないのを営業時間外で借りてくれたんだと思う)そこでお誕生日会をやることになったんだった。
いま書いてて思ったけど、どういう経緯でディスコになったんだろうな。
あの当時もうディスコは流行ってなくて、私も存在というか概念みたいなものは知ってたけど、じゃあディスコに行きたいかと言われたら…子供だったのもあって別にそんな憧れたりはしてなかった。
その辺は女の子の方がマセてるもんなのか、Mちゃんがおマセさんだったのか。
何しろ派手なお誕生日会だった。
ディスコに行くと、Lenny Kravitzかウィリー・ウィリアムスみたいなドレッドヘアにおヒゲでピアスの多いお兄さんがいて、この人が音楽を流したり照明を操作したりしてくれていた。
たまにスモークも焚いてくれたのを、ガキなんかバカだからわーーーって浴びに行ったりしてね。なんか良いにおいがしたよ。ディスコのスモーク。
何度もスモークやって!って頼むもんだから、件のレニー・ウィリアムスお兄さん(混ざってるじゃねえか)に呆れられちゃったな。
夕方、お店を出るときにお兄さんが
大人になったら、また来てね!
と言ってくれた。けど、私が大人になる前にそのディスコもなくなってしまった。
その後すぐにパチンコだかスロットのお店になって久しい。
敷地には今はドン・キホーテ、それに映画館とボウリングとセガのアミューズメント(ゲーセン、ではない)が入ったビルがあって。まあ私が絶対近寄らない区画になっている。近寄って足を踏み入れてもロクなことがない。
ゴジラVSビオランテで使った、踏むと電子レンジみたいになって蒸発しちゃう機械が敷き詰められてるよりおっかない。なにか地雷めいた光景やセリフを浴びちゃっただけでこっちが蒸発するだけで別にそっちが何か悪いってんじゃないけど。
最近はベッド・インさんを始めディスコ、バブル、80年代のケーハク文化を再評価したり自分なりの解釈で活動する人達もいて。
また建築様式とか廃れた遊園地、観光地なんかにも目を向ける人がいる。
それはそれで賛否両論あるだろうけど、私としては面白いと思うし、あの頃まだ子供でわかんなかったこと、あの頃の大人が考えてたこと、そして今の世の中とあの頃思い描いた未来なんてものに思いを馳せるのもいいじゃないか。
まあ、もっと世の中には脳内ディスコどころかジャンボリーが開催されてミニ森田童子が切々と
僕たちの失敗
たとえば僕が死んだら
さよなら僕のともだち
なんかを歌っている人もいるかもしれないけど。
少なくとも私の頭の中で今もクルクルミラーボールが回って、その下でLenny Kravitzふうのお兄さんがDJブースでデッカイ卓のツマミを上げたり下げたりしているのが、私にとってのディスコであり、あの頃まだ子供だったとはいえ足を踏み入れたことがあるってだけでも貴重な経験をさせて頂いたなと今更ながら変なところで感謝している次第です。Mちゃんは元気かな。さぞかし美人になっているだろうね。
そんなイッツ・マイ・ディスコでセクシーグルーヴなお話でした。
この豊橋の田舎町にもむかーーーーし、私が小学1年生ぐらいの時までディスコが残ってた。たった一軒だけ
それより昔に何軒あったのかはわからない。
KING&QUEEN
って名前のお店で、豊橋のドン・キホーテがある辺りにあった。今はスロット屋さんとかケンタッキー・フライド・チキンがある区画かな。
なぜそんなところに小学生の、しかも肥満児の分際で行ったことなんかがあるのか。
いま肥満児はカンケーねえだろ!?
誰だ言ったの!!!
ああ私だ。じゃあいいや。
私の同級生のMちゃんという女の子が幼馴染で、その当時けっこう仲良くしてくれていた。
妹もMちゃんの妹と同級生で友達だったので、よくお互いの家や公園なんかで一緒に遊んでいた。
そこに近所に住んでた仲良しのカツヒロ君とヨシノリ君の兄弟も加わって、みんなでMちゃんのお誕生日会をやることになった。
それが多分、私が小学校1年生ぐらいのころ。
Mちゃんの家は会社をやってて、家も広くて綺麗だった。
平成アーバンって感じの、洒落てて四角くてお庭が広い、あの当時で今風のお屋敷って感じ。
一度その家に遊びに行ったら当時流行ってたピコってテレビゲームみたいなおもちゃみたいな、テレビに繋いで遊ぶのが置いてあった。私はそれで遊びたくて仕方がなかったけど、とうとう
一回やらせて
って言えないまま、ピコで遊ぶことはなかった。
まあ今でも
一回やらせて
なんてセリフが中々言い出せず中にも出せず、違うところがピコピコしたまま往生してるんだけどね
コレがホントの立ち往生!なんてね!!!
お前は死ね、キッド!!!!!!!
えーーーと、そんで、そのMちゃんのお父さんだったかお母さんだったかが、当時豊橋にも残ってたディスコを昼間だけ借りてくれて(たぶん18時以降は子供が入れなかったのか、元々入れないのを営業時間外で借りてくれたんだと思う)そこでお誕生日会をやることになったんだった。
いま書いてて思ったけど、どういう経緯でディスコになったんだろうな。
あの当時もうディスコは流行ってなくて、私も存在というか概念みたいなものは知ってたけど、じゃあディスコに行きたいかと言われたら…子供だったのもあって別にそんな憧れたりはしてなかった。
その辺は女の子の方がマセてるもんなのか、Mちゃんがおマセさんだったのか。
何しろ派手なお誕生日会だった。
ディスコに行くと、Lenny Kravitzかウィリー・ウィリアムスみたいなドレッドヘアにおヒゲでピアスの多いお兄さんがいて、この人が音楽を流したり照明を操作したりしてくれていた。
たまにスモークも焚いてくれたのを、ガキなんかバカだからわーーーって浴びに行ったりしてね。なんか良いにおいがしたよ。ディスコのスモーク。
何度もスモークやって!って頼むもんだから、件のレニー・ウィリアムスお兄さん(混ざってるじゃねえか)に呆れられちゃったな。
夕方、お店を出るときにお兄さんが
大人になったら、また来てね!
と言ってくれた。けど、私が大人になる前にそのディスコもなくなってしまった。
その後すぐにパチンコだかスロットのお店になって久しい。
敷地には今はドン・キホーテ、それに映画館とボウリングとセガのアミューズメント(ゲーセン、ではない)が入ったビルがあって。まあ私が絶対近寄らない区画になっている。近寄って足を踏み入れてもロクなことがない。
ゴジラVSビオランテで使った、踏むと電子レンジみたいになって蒸発しちゃう機械が敷き詰められてるよりおっかない。なにか地雷めいた光景やセリフを浴びちゃっただけでこっちが蒸発するだけで別にそっちが何か悪いってんじゃないけど。
最近はベッド・インさんを始めディスコ、バブル、80年代のケーハク文化を再評価したり自分なりの解釈で活動する人達もいて。
また建築様式とか廃れた遊園地、観光地なんかにも目を向ける人がいる。
それはそれで賛否両論あるだろうけど、私としては面白いと思うし、あの頃まだ子供でわかんなかったこと、あの頃の大人が考えてたこと、そして今の世の中とあの頃思い描いた未来なんてものに思いを馳せるのもいいじゃないか。
まあ、もっと世の中には脳内ディスコどころかジャンボリーが開催されてミニ森田童子が切々と
僕たちの失敗
たとえば僕が死んだら
さよなら僕のともだち
なんかを歌っている人もいるかもしれないけど。
少なくとも私の頭の中で今もクルクルミラーボールが回って、その下でLenny Kravitzふうのお兄さんがDJブースでデッカイ卓のツマミを上げたり下げたりしているのが、私にとってのディスコであり、あの頃まだ子供だったとはいえ足を踏み入れたことがあるってだけでも貴重な経験をさせて頂いたなと今更ながら変なところで感謝している次第です。Mちゃんは元気かな。さぞかし美人になっているだろうね。
そんなイッツ・マイ・ディスコでセクシーグルーヴなお話でした。
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