792 / 1,300
小橋建太さんの話
しおりを挟む小橋建太はカッコいい──
おっ?プロレスラー美男子列伝???
私は横綱審議委員会で朝青龍さんを目の敵にする内館牧子は大嫌いだったが、週刊プロレスで連載されていたプロレスラー美男子列伝の作者・内館牧子さんは大好きだ
そして実際に、プロレスラー小橋建太さんは比類なきカッコよさをムンムン漂わせていた。切れ長の目、筋骨隆々を通り越して筋肉が歩いているような鋼の肉体、不屈の闘志、強烈な得意技の数々……そしてリングを降りたら爽やかで朗らかな笑顔。このギャップもたまらない。本当に強い人は、心の優しい人なんだ。プロレスラーは気が優しくて力持ち、を体現している選手の一人だと思う
今もプロレス関連のイベント、メディア出演に病気についての啓発活動など精力的な活動を見せている小橋建太さん。度重なる負傷、大手術からのカムバックは勿論のこと
腎臓がんからの復帰という大偉業も成し遂げた姿をリアルタイムで追いかけていた身としては…もう、何というか朝起きてTwitterや何かしらのメディアで小橋さんが登場するだけで
「ああ、今日も小橋さんは元気だな!」
と安心して、嬉しくなってしまう
それは小橋建太さんご本人のこれまでの活躍、激闘と栄光を見つめて来たからというだけではなく……早くに世を去ってしまった冬木弘道ボス、橋本真也さん、ジャンボ鶴田さん、ジャイアント馬場さん、ハヤブサさん……そして三沢光晴さん。みんなの熱い追憶が残っているからというのもある。小橋さんだけに限らず、ラーメン屋さんとしてボヤきながらも日々新たなアイデアをひねり出しお店に立つ川田さんや逆に現役として試合をし続けているグレート小鹿さんもそうで、今も元気で頑張ってくれていることだけでも私たちには十分すぎるほど勇気を与えてくれるのだ
小橋建太さんは、不屈の人だったと思う。あの時期の、あの全日本プロレスに入団し頭角を現し遂に三冠王者にも輝いた。それがどれほどの偉業なのか。実はプロレスファン、特に当時の全日本プロレスを長く見続けている人の方が、わからなくなってしまっていたかもしれない。勿論、当時から小橋さんの大ファンだった人や、全日本プロレス箱推しの人、プロレスというジャンルそのものを愛している人には「そもそものリスペクト」があるから、決して個人や王座、団体を軽んじることなんてないんだけれども
だからこそ、あの集団であの王座を手中に収めた小橋さんは凄まじかった。と思えてならない。だってよく考えてみれば、まだスタン・ハンセンもテリー・ゴディもスティーブ・ウィリアムスもダニー・スパイビーもバリバリやってて
ジャンボ鶴田さんが居て、田上明さんが居て、三沢光晴さん、川田利明さん、とエース格の選手だけでもご贈答品のバウムクーヘンみたいな層の厚さ
しかもしかも、大ベテランであり未だ衰え知らずだったハンセンは元よりフットボール、レスリング、大相撲、柔道、様々なスポーツの実績を引っ提げて入団し活躍する選手に囲まれていたのだ
小橋さんにもスポーツ経験はあったにせよ、鳴り物入りではなく新弟子として執念の入団を果たしたのだからそこで差が付けられて当然だった……けど、それを文字通り腕っぷし一つでこじ開けた。まさに剛腕である
どうせ自分なんか、家柄も良くなきゃエリートコースも歩めない、勉強もスポーツも大したことない。出来は悪い。そんな人たちにとって小橋建太さんは憧れの人だったんだ
決して小橋さんがそういう育ちの人、とか、そういう育ちの人がダメだ、って言ってるんじゃなくて。なんつーかこう、つい自分で自分を何かと卑下しがちな人ほど小橋さんは眩しく見えたと思う
という話でさ
さっきも言ったけど兎に角並み居るスポーツエリートがひしめき、そうでなければ実力・実績が超一流の選手ばかりな全日本プロレスにおいて、叩き上げでのし上がることが如何に困難かというのをファンは痛感しているんだ。そして、それを見事に成し遂げてくれたのが小橋建太さんだった
私が初めて小橋さんの試合を見たのは、もう三冠王座に手が届かんとしていた頃だった。オレンジのタイツに筋肉モリモリのモリモリで、正直に言えば当時の全日本プロレス四天王の中では一番かっこよかった。当時小学生だった私には二枚目の筋肉モリモリマッチョマンは実に端的でわかりやすく
ザ・プロレスラー
って感じで、すぐファンになった。川田さんも三沢さんも田上さんも強かった。でも、四人の中でしいて誰に勝って欲しかったか、と言われたら小橋さんだった
見た目の分かりやすさ、技の豪快さ、そして幾ら攻められても立ち上がるタフさ
あまりに容赦なくボッコボコに蹴りまわすので川田さんがちょっと嫌いになったぐらいだ。その川田さんの情け容赦ない打撃、時に顔面を、時に負傷した場所を、古傷を、そしてエルボーやチョップ、ラリアット、喉輪落としなどを封じるために徹底的に腕を攻めるところもカッコいいんだけど、そこまでするか!と
それは当時の四天王の誰であっても、試合を見ていると思ってた。断崖絶壁喉輪落としとかエメラルドフロウジョン、91年式タイガードライバー、走り込んでのフロントハイキック……あれを食らって黙って負けちゃうような選手ならきっとこんなに熱く応援出来なかったし、実際今でも大ファンなのだから、小橋さんもバーニングハンマー、ムーンサルトプレス、剛腕ラリアットなどの得意技で応戦したからこそ今日がある……ただ、
四天王プロレス自体に関しては、私は少々否定的に解釈している
プロレスの、良くも悪くもお約束を徹底的に排除し、UWFよりむしろかなりスポーツライクなプロレスとして選手個々の競争意識や意地、誇りがぶつかり合っていた。要するに
割り切れない
ってことなんだ。文章にしてもプロレスにしても
上手い人は引き算をする、
とよく言うけれども。四天王プロレスは「余りの許されない割り算」だったと思う
先鋭化に先鋭化を重ね、どんどん精密さを増してゆくけれど、その先端はもはや鋭すぎて、誰も近寄れなくなってしまったんだ
割り切れないなら、どうするか。(意識を)断ち切るしかない
完全無欠のフォール勝ち以外が認められない、求められない世界
クリーンすぎるプロレスは、かえって免疫力の低下を招いた
こちとら同時期にノーロープ有刺鉄線電流爆破ダブル地雷ボード時限爆弾デスマッチ、とか見てるし、FMWじゃ理不尽大王・冬木弘道さんが勝とうが負けようが好き勝手やっていたのも楽しんで居たから……余計に異様に見えて、ちょっと近づきづらくなってしまった時期もあった
心配でならなかった。中学生の自分でも、こんなことしてたら今に決着のつけようがなくなっちゃうんじゃないか、と思えてさ
結局、四天王プロレスは決着を見ることなく全日本プロレスの分裂・選手の大量離脱という形で幕切れを迎えた
だが、その先のプロレスリングノアでも小橋さんのドラマは止まらなかった
絶対王者として君臨し、東京ドームでは佐々木健介さんと二人合わせて200発以上のチョップを撃ち合いラリアット、さらにムーンサルトプレスまで繰り出す歴史的な激闘を展開。あれは昭和のハンセンVSアンドレの通称・田コロ決戦に匹敵する平成の名勝負だった
男と男の筋肉バトル、あんな分かりやすく面白い、それでいて感動的な試合は中々見られるものではない。全日本時代とは、また違った魅力と試合を展開してくれたのだ
そんな小橋さんだったが、やはり数々の負傷により欠場してしまう。私がノアを観戦したのは2度だったけど、2度とも小橋さんは治療のために欠場していた
だから、小橋さんの試合を生で見られなかったんだ。これは残念でならない
だけど、それでも今でも忘れられない出来事があった
2002年の4月28日有明コロシアム
私は、この日に行われる三沢光晴さんと冬木弘道さんのシングルマッチを見るためにはるばる愛知県豊橋市から観戦にやってきた
その日は新日本プロレスとの対抗戦もマッチアップされていて、ジュニアヘビー級もヘビー級も、それはそれは盛り上がった。セミファイナルの中西学さん・吉江豊さんとワイルドⅡ(森嶋猛さん、力皇猛さん)のタッグ選手権は私も生涯ベストバウトの一つに入れたいぐらいの名勝負だった
ただそれ以上にノアファンの声援が凄まじかったのはジュニアヘビー級の方で、ノア陣営の熱狂的ファンのお姉さま方がリングサイドにズラーっと並んでた
そして試合中はヒートアップするあまり新日本プロレスの選手を散々罵倒して、しまいにはセコンドとして帯同したエル・サムライさんにまで
「サムライ!テメー帰れ!」
「お前もやっちまうぞ!!」
と罵詈雑言を浴びせる始末。勿論、新日本プロレスのファンの皆様も黙っちゃいない。負けじと大声援で後押しをする
有明コロシアムを二分した激闘で、観客席が地鳴りに包まれていた
大袈裟じゃなくパイプ椅子が震えるんだ、ビリビリーって振動を起こしてるんだよ。これは超満員で大熱狂の試合を見た人なら分かってくれると思う。そのぐらい凄まじい熱をはらんでいて、両団体のファンも一緒になって戦っていたんだ
だけど。休憩明けに欠場中の小橋さんが挨拶をしにリングに上がって来た
場内にGRANDSWORDが鳴り響くと同時に有明コロシアムの天井をブチ破らんばかりの
大・大・大小橋コールが巻き起こった
私も、あの憧れの
こっばっし!こっばっし!
が叫べるとあってコーフンして、隣の席の見知らぬプロレスマニアのオジサンと意気投合。お互いに肩を組んで腕を振り回し、即席バーニングを結成して小橋コールをした
あの時だけは新日本もノアも無かった。みんな小橋さんが大好きだったんだ
私もあの瞬間に立ち会えたことを、今でも大切な思い出として残している。というより、脳裏に刻み込まれて消そうったって消えそうもない
善悪や遺恨の絡む試合、物語ではなく。選手個々の人生や戦う姿をそのままぶつけた四天王プロレスにおいて、小橋建太さんというアイコンで表現された人柄をみんな愛している。そんな気がする
ひたむきで、努力を欠かさない、泥臭くて愚直な男・プロレスラー小橋建太
そのでっかい背中をみんなで追いかけた。あの幸せな時間
私は小橋さんのファンで良かったと心から思うし、チャンピオンカーニバルや三冠戦、世界タッグ、GHC、その数々の激闘をこれからも勇気が欲しい時のカンフル剤やプロレスを広めたいときの切り札として残していきたいと思う
GRANDSWORDには本当に何度も救われた。爆勝宣言やWILDTHINGもいいけれど、やっぱりGRANDSWORDが流れると思い浮かぶ、小橋さんのひたむきな姿。それが自分たちファンの心も奮い立たせてくれていたのだと思う
今はご自身の会社
株式会社 Fortune KK
を設立しジムの運営やイベント、プロレスの興行も行う小橋さんの動向からは今後も目が離せない。病気やトレーニングの事は勿論、貴重なエピソードも沢山あって
是非とも元気に、激動の時代の生き証人としても過ごして頂きたいなと思っております
小橋建太さんは、その生命ある限り永遠の青春であり、いつだって熱い握りこぶしを作って生きていくのだ
と、私は信じている
だって自分がそうありたいから、今でも憧れの人であります
よーーし、今日も明日も頑張って生きよう
行くぞーーーーー!(握りこぶし)
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる