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永遠の破壊王、俺たちの橋本真也
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橋本真也さんが亡くなって15年が経った
2005年7月11日
その突然の訃報は海を渡ってメキシコにも届いた
私は橋本さんの訃報を、メヒコにあるナウカルパンの寮で聞いた
今30歳から40歳ぐらいまでで、プロレスラーに憧れた人ならば誰もが一度は感銘を受ける橋本真也さん。試合も、突拍子もない生き方も、全部大好きだった橋本さんの急逝
マジで最初は、誰か別の橋本さんて方が亡くなられたのか、とすら思った
そのぐらい、あの破壊王がこんなに早く、呆気なく、亡くなってしまうなんて誰も思っていなかった
私がプロレスに興味を持ち、プロレスに対して物心が付いたとき
破壊王・橋本真也という男はプロレスラーとしての重大な岐路に立たされていた。近所にある行きつけの床屋さんがプロレス大好きで、いつも散髪のたびに
最近の注目は
こないだの、あの試合は
とプロレス談議に花を咲かせていた。そして、お店の小さなテレビデオにセットされた、ワールドプロレスリングを毎週録画しているビデオカセットが映し出したのは
暴走王・小川直也さんに蹂躙される橋本さんの姿だった
後に1.4事変と呼ばれる、このプロレス史に残る一大事に私も床屋のおじさんも言葉を失ってしまった。でも、橋本なら次は勝てるよね!そう行って床屋さんを後にした無邪気なプロレス小僧の私だったが、結果は皆さんもご存じの通りで…橋本さんはさらなる激動のプロレス人生を歩むことになった
そうして紆余曲折のちに旗揚げされた橋本真也さんのプロレス団体
プロレスリング ZERO-ONE
は数々の波乱と激闘を日本マット界にもたらし、やがてその豊橋巡業が行われることになった。欠かさずチェックしていた週刊ゴングで知ったのか、街角のポスターで見たのか忘れてしまったけれど、すかさず私は近所のスポーツ用品店で最前列のチケットを買った
今も豊橋の広小路商店街にあるスポーツ堂さんというお店で、ここは古くから豊橋でのプロレス巡業のチケット販売をしているお店だった
私の家から徒歩5分なうえ、こちらではチケット購入者にポスターをプレゼントしてくれるのが恒例になっていたため、よく買っていた
今でもその時にもらったポスターが部屋の中に貼られている。そして、その中でも私の家宝でありご本尊ともいえるポスターが
橋本真也さんサイン入り、ゼロワン豊橋大会ポスター
である。これは、スポーツ堂のおじさん曰く
「滅多にサインをしないとされている橋本さんだが、自身の団体での初の豊橋大会ということで」
とお願いして、ポスターにサインを入れてもらったもの。そのうちの一枚なのだという
少なくとも、あの日、豊橋市総合体育館サブアリーナでゼロワンを見たお客さんの中に、私と同じポスターを持っている人が何人か居るはずである
居たら是非、FacebookかTwitterでご一報いただきたい
お互い、良い酒が飲めるんじゃないでしょうか(笑)
ゼロワン初の豊橋大会は大熱狂のちに幕を閉じた
体育館の屋根がすっ飛びそうな大・大・大橋本コールと爆勝宣言
私も群がるファンをかき分けて、橋本さんのガウンに手を伸ばした
ツルッツルのすべっすべの、凄く肌触りのいい生地だった
そして橋本さんの体は、岩みたいに分厚く固かった
橋本さんが亡くなったのは、それから僅か数年後だった
私はプロレスラーに憧れメキシコに渡り、そこで訃報を聞いた
そしてそれとはカンケーなく挫折し、帰国した私に母が新聞の切り抜きを作っておいてくれた。橋本さんの死を伝える見出し、記事、写真
どれもこれも信じがたいものだったが、やっぱり事実だった。認めざるを得なかった
選手生活晩年には、私が敬愛してやまないボスこと冬木弘道さんと抗争を展開。電流爆破デスマッチで対決する予定だったが冬木さんが急逝。当日、冬木さんの代わりにリングに上がった金村さんの前には、約束通り橋本真也さんが立っていた
ゴングが鳴ると橋本さんは叫んだ
「スイッチ入れろ!」
そして冬木さんの遺骨を抱いて、おっしゃあ!と叫び有刺鉄線に飛び込んで電流爆破を浴びた橋本さん。そして金村さんに遺骨を渡して、金村さんも有刺鉄線へ…
私はあの時、なんてことするんだこの人たち!と思い驚き、そして感謝の念を抱くとともに
実に橋本真也らしいお別れと、約束の果たし方だな。粋なことするなあ
と思っていた。それなのに
結果として、冬木さんも橋本さんも、続けざまに世を去ってしまった
私自身としては、あまりこういった言い回しは好きではないのだけれど
「俺たちの破壊王」
橋本さんほど、このような「おれたち」と呼びたくなるプロレスラーは珍しいのではないだろうか
俺たちの破壊王、俺たちの橋本、って
熱くて、いつも目が離せない。橋本さんの試合があったから頑張れたってことが、何度もあった。あの爆勝宣言ってテーマ曲と、橋本さんの豪快なイメージが重なって
今でも色褪せることなく残っている
そういえばハッスルで、レイザーラモンRGさんが良いことを言っていた
橋本さんの恰好をして出てきたRGさんに高田総統が
「お前、橋本と何もカンケーないだろ!バチ当たるぞ」
と一喝すると、RGさんは
「ファンという大関係がありますよ!僕たちはみんな橋本さんの試合を見て大人になったんですよ!!」
とやり返した。勿論そのあとボッコボコにされるわけだけど、あの時のRGさんはカッコ良かったな。俺たちみんな、破壊王に育ててもらった、と
そんな風に言えたらいいよな…
2005年7月11日
その突然の訃報は海を渡ってメキシコにも届いた
私は橋本さんの訃報を、メヒコにあるナウカルパンの寮で聞いた
今30歳から40歳ぐらいまでで、プロレスラーに憧れた人ならば誰もが一度は感銘を受ける橋本真也さん。試合も、突拍子もない生き方も、全部大好きだった橋本さんの急逝
マジで最初は、誰か別の橋本さんて方が亡くなられたのか、とすら思った
そのぐらい、あの破壊王がこんなに早く、呆気なく、亡くなってしまうなんて誰も思っていなかった
私がプロレスに興味を持ち、プロレスに対して物心が付いたとき
破壊王・橋本真也という男はプロレスラーとしての重大な岐路に立たされていた。近所にある行きつけの床屋さんがプロレス大好きで、いつも散髪のたびに
最近の注目は
こないだの、あの試合は
とプロレス談議に花を咲かせていた。そして、お店の小さなテレビデオにセットされた、ワールドプロレスリングを毎週録画しているビデオカセットが映し出したのは
暴走王・小川直也さんに蹂躙される橋本さんの姿だった
後に1.4事変と呼ばれる、このプロレス史に残る一大事に私も床屋のおじさんも言葉を失ってしまった。でも、橋本なら次は勝てるよね!そう行って床屋さんを後にした無邪気なプロレス小僧の私だったが、結果は皆さんもご存じの通りで…橋本さんはさらなる激動のプロレス人生を歩むことになった
そうして紆余曲折のちに旗揚げされた橋本真也さんのプロレス団体
プロレスリング ZERO-ONE
は数々の波乱と激闘を日本マット界にもたらし、やがてその豊橋巡業が行われることになった。欠かさずチェックしていた週刊ゴングで知ったのか、街角のポスターで見たのか忘れてしまったけれど、すかさず私は近所のスポーツ用品店で最前列のチケットを買った
今も豊橋の広小路商店街にあるスポーツ堂さんというお店で、ここは古くから豊橋でのプロレス巡業のチケット販売をしているお店だった
私の家から徒歩5分なうえ、こちらではチケット購入者にポスターをプレゼントしてくれるのが恒例になっていたため、よく買っていた
今でもその時にもらったポスターが部屋の中に貼られている。そして、その中でも私の家宝でありご本尊ともいえるポスターが
橋本真也さんサイン入り、ゼロワン豊橋大会ポスター
である。これは、スポーツ堂のおじさん曰く
「滅多にサインをしないとされている橋本さんだが、自身の団体での初の豊橋大会ということで」
とお願いして、ポスターにサインを入れてもらったもの。そのうちの一枚なのだという
少なくとも、あの日、豊橋市総合体育館サブアリーナでゼロワンを見たお客さんの中に、私と同じポスターを持っている人が何人か居るはずである
居たら是非、FacebookかTwitterでご一報いただきたい
お互い、良い酒が飲めるんじゃないでしょうか(笑)
ゼロワン初の豊橋大会は大熱狂のちに幕を閉じた
体育館の屋根がすっ飛びそうな大・大・大橋本コールと爆勝宣言
私も群がるファンをかき分けて、橋本さんのガウンに手を伸ばした
ツルッツルのすべっすべの、凄く肌触りのいい生地だった
そして橋本さんの体は、岩みたいに分厚く固かった
橋本さんが亡くなったのは、それから僅か数年後だった
私はプロレスラーに憧れメキシコに渡り、そこで訃報を聞いた
そしてそれとはカンケーなく挫折し、帰国した私に母が新聞の切り抜きを作っておいてくれた。橋本さんの死を伝える見出し、記事、写真
どれもこれも信じがたいものだったが、やっぱり事実だった。認めざるを得なかった
選手生活晩年には、私が敬愛してやまないボスこと冬木弘道さんと抗争を展開。電流爆破デスマッチで対決する予定だったが冬木さんが急逝。当日、冬木さんの代わりにリングに上がった金村さんの前には、約束通り橋本真也さんが立っていた
ゴングが鳴ると橋本さんは叫んだ
「スイッチ入れろ!」
そして冬木さんの遺骨を抱いて、おっしゃあ!と叫び有刺鉄線に飛び込んで電流爆破を浴びた橋本さん。そして金村さんに遺骨を渡して、金村さんも有刺鉄線へ…
私はあの時、なんてことするんだこの人たち!と思い驚き、そして感謝の念を抱くとともに
実に橋本真也らしいお別れと、約束の果たし方だな。粋なことするなあ
と思っていた。それなのに
結果として、冬木さんも橋本さんも、続けざまに世を去ってしまった
私自身としては、あまりこういった言い回しは好きではないのだけれど
「俺たちの破壊王」
橋本さんほど、このような「おれたち」と呼びたくなるプロレスラーは珍しいのではないだろうか
俺たちの破壊王、俺たちの橋本、って
熱くて、いつも目が離せない。橋本さんの試合があったから頑張れたってことが、何度もあった。あの爆勝宣言ってテーマ曲と、橋本さんの豪快なイメージが重なって
今でも色褪せることなく残っている
そういえばハッスルで、レイザーラモンRGさんが良いことを言っていた
橋本さんの恰好をして出てきたRGさんに高田総統が
「お前、橋本と何もカンケーないだろ!バチ当たるぞ」
と一喝すると、RGさんは
「ファンという大関係がありますよ!僕たちはみんな橋本さんの試合を見て大人になったんですよ!!」
とやり返した。勿論そのあとボッコボコにされるわけだけど、あの時のRGさんはカッコ良かったな。俺たちみんな、破壊王に育ててもらった、と
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