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第720回。プロレス生き字引烈伝
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私、フェイスブック大嫌いなんだけどただ一つだけ便利と言うか有難いところがあってギリギリたまーに使っている。
それはウルトラマンとかプロレスとか、マニアックな分野でその道の大先輩と話が出来ること。
自分で書いた記事のリンクと、ご挨拶の文章を添えて投稿すると有難いことに暖かい反応を頂くことがあって。例えば古い怪獣の話をしていると、毎週楽しみにしていたのでその日も本放送をリアルタイムで見た、とか。こんなプロレスラーがいた、こんなプロレス団体が好きだ、と言えば、伝説の試合を生観戦したりその選手のサイン入りのツーショット写真をアップしてくれたり。
それって飲み屋さんとかで隣に座った人と意気投合して、そういえば…って懐から取り出した写真を見せてもらってるのと一緒じゃん!すごいよな。有難い限りだと思います。奇跡だよな、この広い世の中でたまたまその日そのリンクを見てくれて、しかもその人が物凄い貴重なエピソードを持っていて、それを教えてもらえるっていう。
プロレスというのはともかく幅広くて、コレこそが正統のプロレスなり、なんてものがそもそもない。定義といっても非常に曖昧で、これまではどちらかというとプロパガンダに近いような言説がまかり通ってきた。ファンに選択の余地がなかったのだ。
それが一気に多様化し、今じゃとてもじゃないけど追いきれないぐらい選手も団体も数多く存在する。
だからこそ、選択の余地のなかった時代は伝説になるし、その時代を体感した人が私は素直に羨ましい。初代タイガーマスクのデビュー戦を見た、田園コロシアムのハンセンVSアンドレを見た、ジャイアント馬場さんの試合を見たことがある、ミル・マスカラスのオーバーマスクを持っている、リック・フレアーやロード・ウォーリアーズ、ハーリー・レイス、アブドーラ・ザ・ブッチャーを見た…私が通ってた少林寺拳法の道院には入場して来たブロディの鎖が側頭部を直撃したというサイコーのエピソードを持っている人が居たっけな。そういう話を聞くと思わず身を乗り出してしまう私だ。
ただ、だからといって、いわゆる
マウントを取られる
のは癪に障るので、そういう奴にはキッチリ切り返してやらねばならない。
大体、長いこと見てはいるけど最近の流れに着いていけなくなるところまではいいんだ。そこで大人しく昭和は昭和として楽しんでいればいいし、昭和からのマニアであっても平成の現在まで存分にプロレスを楽しんでいる人だっていっぱいいる。それなのに、自分がついていけなくなったのを周囲や団体、果ては自分以外の最近プロレスを好きになったファンの人たちのせいにしてたりする。そんなものは論外だ。
俺はお前よりマニアで詳しい、とか思ってる奴に限ってホントは全然大して知らないし、自分の考えに固執してとらわれているだけだったりする。偏見を屁理屈でこねくり回した結果凝り固まったもの、は断じて一端の見識などではないのだ。
何も知らない癖に、ガチだのシュートだの言うのもそうだし、ちょっと前なら選手同士の信頼関係や仲の良さを
業界の終わり
などと言い出す奴もそうだ。
月日に勝るものは経験だ。
といってもごくごく限られた経験ではあるけど、選手同士が切磋琢磨し、少なくとも同じ釜の飯を食った者同士にしかわからない関係性が存在しているであろうことは、こんな私にでも感じられる。
であるならば、素直にフツーにリング上では激しくやりあっても、普段は仲のいい選手同士であるといった風にとらえた方が自然だし疲れないと思うんだけど…。でも、そうやってねじくれた考えを持つ人の中には、これまで散々裏切られて来たり、信じてきた選手や団体がアッパラパーなことになっちゃったって人ももしかしたらいるかもしれない。
90年代のプロレス、格闘技はそんなのばっかりだったとも言える。群雄割拠とか戦国時代とか言えば言葉は良いけど、我田引水の末に先細りでしかなかったあの不毛な時代と、そのツケがきっちり氷河期になって押し寄せた2000年代。あれを乗り越えるために自分を誤魔化して誤魔化して、理屈をこねてこねて、結果いびつな評論家気取りの自称業界通が産まれてしまった、と。
自分はそうなりたくねえな、と素直に思うので、他山の石とせねばなるまい。
有難いことに最近プロレスを好きになったという人が、佐野君ならどう思う?と聞いてくれることもあったりする。そういう時に自分の意見を押し付けたり、これこれこうあるべき!みたいなことを言うと絶対にそれ以上は好きになってもらえないんじゃないかと思う。
プロレスは追いかけてもいいし、掘り下げても面白い。
過去で言えば私だって新日本プロレスのG1クライマックス両国国技館に渕正信さんが乗り込んで来たとき砂かぶり席で見てたし、WJプロレスの地方興行を生観戦したし、故ハヤブサさんの試合も見た。安比高原での地雷デスマッチで背中の肉が吹っ飛んだ直後のザ・グレート・サスケさんの試合も見た。
WJプロレスの地方興行なんか貴重だったと思うよ?
ドタキャンもダブルブッキングでもない、ちゃんと開催されたこじんまりとしたいい興行だった。東京でやってるインディープロレスをそのまま持ってきたような盛り上がりで、実はかなり楽しかったもん。
未来を追いかけていくのも、もちろん私はこの先もずっとプロレスを応援していくし、
わが生涯の黄金カード
「オカダカズチカVS松山勘十郎」
を見るまでは死ねない。
で、もしも実現して観戦したらしたで、その続きがまた見たくてきっとまた生きようと思うはずだ。
私に楽しく喜んで色んなことを教えてくれた生き字引の皆さんにならって、これからもプロレスと生きていたい。
それはウルトラマンとかプロレスとか、マニアックな分野でその道の大先輩と話が出来ること。
自分で書いた記事のリンクと、ご挨拶の文章を添えて投稿すると有難いことに暖かい反応を頂くことがあって。例えば古い怪獣の話をしていると、毎週楽しみにしていたのでその日も本放送をリアルタイムで見た、とか。こんなプロレスラーがいた、こんなプロレス団体が好きだ、と言えば、伝説の試合を生観戦したりその選手のサイン入りのツーショット写真をアップしてくれたり。
それって飲み屋さんとかで隣に座った人と意気投合して、そういえば…って懐から取り出した写真を見せてもらってるのと一緒じゃん!すごいよな。有難い限りだと思います。奇跡だよな、この広い世の中でたまたまその日そのリンクを見てくれて、しかもその人が物凄い貴重なエピソードを持っていて、それを教えてもらえるっていう。
プロレスというのはともかく幅広くて、コレこそが正統のプロレスなり、なんてものがそもそもない。定義といっても非常に曖昧で、これまではどちらかというとプロパガンダに近いような言説がまかり通ってきた。ファンに選択の余地がなかったのだ。
それが一気に多様化し、今じゃとてもじゃないけど追いきれないぐらい選手も団体も数多く存在する。
だからこそ、選択の余地のなかった時代は伝説になるし、その時代を体感した人が私は素直に羨ましい。初代タイガーマスクのデビュー戦を見た、田園コロシアムのハンセンVSアンドレを見た、ジャイアント馬場さんの試合を見たことがある、ミル・マスカラスのオーバーマスクを持っている、リック・フレアーやロード・ウォーリアーズ、ハーリー・レイス、アブドーラ・ザ・ブッチャーを見た…私が通ってた少林寺拳法の道院には入場して来たブロディの鎖が側頭部を直撃したというサイコーのエピソードを持っている人が居たっけな。そういう話を聞くと思わず身を乗り出してしまう私だ。
ただ、だからといって、いわゆる
マウントを取られる
のは癪に障るので、そういう奴にはキッチリ切り返してやらねばならない。
大体、長いこと見てはいるけど最近の流れに着いていけなくなるところまではいいんだ。そこで大人しく昭和は昭和として楽しんでいればいいし、昭和からのマニアであっても平成の現在まで存分にプロレスを楽しんでいる人だっていっぱいいる。それなのに、自分がついていけなくなったのを周囲や団体、果ては自分以外の最近プロレスを好きになったファンの人たちのせいにしてたりする。そんなものは論外だ。
俺はお前よりマニアで詳しい、とか思ってる奴に限ってホントは全然大して知らないし、自分の考えに固執してとらわれているだけだったりする。偏見を屁理屈でこねくり回した結果凝り固まったもの、は断じて一端の見識などではないのだ。
何も知らない癖に、ガチだのシュートだの言うのもそうだし、ちょっと前なら選手同士の信頼関係や仲の良さを
業界の終わり
などと言い出す奴もそうだ。
月日に勝るものは経験だ。
といってもごくごく限られた経験ではあるけど、選手同士が切磋琢磨し、少なくとも同じ釜の飯を食った者同士にしかわからない関係性が存在しているであろうことは、こんな私にでも感じられる。
であるならば、素直にフツーにリング上では激しくやりあっても、普段は仲のいい選手同士であるといった風にとらえた方が自然だし疲れないと思うんだけど…。でも、そうやってねじくれた考えを持つ人の中には、これまで散々裏切られて来たり、信じてきた選手や団体がアッパラパーなことになっちゃったって人ももしかしたらいるかもしれない。
90年代のプロレス、格闘技はそんなのばっかりだったとも言える。群雄割拠とか戦国時代とか言えば言葉は良いけど、我田引水の末に先細りでしかなかったあの不毛な時代と、そのツケがきっちり氷河期になって押し寄せた2000年代。あれを乗り越えるために自分を誤魔化して誤魔化して、理屈をこねてこねて、結果いびつな評論家気取りの自称業界通が産まれてしまった、と。
自分はそうなりたくねえな、と素直に思うので、他山の石とせねばなるまい。
有難いことに最近プロレスを好きになったという人が、佐野君ならどう思う?と聞いてくれることもあったりする。そういう時に自分の意見を押し付けたり、これこれこうあるべき!みたいなことを言うと絶対にそれ以上は好きになってもらえないんじゃないかと思う。
プロレスは追いかけてもいいし、掘り下げても面白い。
過去で言えば私だって新日本プロレスのG1クライマックス両国国技館に渕正信さんが乗り込んで来たとき砂かぶり席で見てたし、WJプロレスの地方興行を生観戦したし、故ハヤブサさんの試合も見た。安比高原での地雷デスマッチで背中の肉が吹っ飛んだ直後のザ・グレート・サスケさんの試合も見た。
WJプロレスの地方興行なんか貴重だったと思うよ?
ドタキャンもダブルブッキングでもない、ちゃんと開催されたこじんまりとしたいい興行だった。東京でやってるインディープロレスをそのまま持ってきたような盛り上がりで、実はかなり楽しかったもん。
未来を追いかけていくのも、もちろん私はこの先もずっとプロレスを応援していくし、
わが生涯の黄金カード
「オカダカズチカVS松山勘十郎」
を見るまでは死ねない。
で、もしも実現して観戦したらしたで、その続きがまた見たくてきっとまた生きようと思うはずだ。
私に楽しく喜んで色んなことを教えてくれた生き字引の皆さんにならって、これからもプロレスと生きていたい。
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