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第680回。おじいちゃん'sと屋上遊園地
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私が子供のころ、ギリギリ残ってたもの。
今でもどこぞにあるんだろうけど、あまり見かけなくなってしまったもの。
百貨店の屋上の遊園地。
そもそも百貨店というものがどんどん減っているし、我が豊橋も西武百貨店がなくなり、ダイエーのデカいビルもなくなり、名豊百貨店というのもなくなった今は、名古屋の丸栄から独立し地域色を強く打ち出した「ほの国百貨店」ですら2020年3月で閉店してしまった。
下手すると郊外のイオンとかでも今じゃなくなってもおかしくないというのに、駅前のあんな土地ばっか高くて人の歩いていないとこで長年営業してるのはホント凄かったと思う。
地下街のクレープ屋さんが美味しかったな。
そうじゃなくても多くの場合は駐車場にすることが多い。
でもそれは郊外型のショッピングモールで、街ん中にあるようなお店は背が高いうえに古いし狭いので駐車場が難儀する。その電鉄会社のバスと電車に乗ってお出かけしてくるのを想定しているからか、駐車場との連携は非常に悪かったイメージも根強い。
名豊百貨店はバスターミナルも併設していたのだが、このバスターミナルにアスベストが使用されているとかで中にあった小さな売店、喫茶店ごと閉鎖されてしまった。
バスターミナルで降りてそのまま百貨店に入ることも出来たし、通路に寄り添うように区切られた喫茶室カルディのおばちゃんとうちの祖母が仲良くて、よく連れて行ってもらったっけな。
西武百貨店には、屋上遊園地が残っていた。
本当に名残だけ。
私がおじいちゃんによく連れてってもらってたときには、もう100円入れるとゴウンゴウンって動く乗り物が幾つかと、8の字のレールを走る小さな汽車ポッポと、何かの窓口兼軽食・ドリンク販売ブースの廃墟があるだけだった。
ぽっかーん、と晴れた屋上の空。小春日和の陽射しの下でその小さな汽車ポッポにまたがっておじいちゃんに手を振っている記憶がかすかに残っている。
おじいちゃんはすっかり色褪せた青いプラスチックのベンチに腰掛けて、缶コーヒーを飲みながらヨボヨボのおじいちゃんと何か話していた。
このヨボヨボのおじいちゃんは、ここのたった一人の係員だった。いつ行っても居た気がする。そしていつ行ってもお客さんは殆ど居なかった。
だからまあ、あのおじいちゃんでも務まっていたのだろう。
西武百貨店にも地下街があって、そこのたこ焼きが美味しいと評判だった。
A館とB館に分かれていて3階と5階に連絡通路があって、あの空中を歩く廊下が好きだったな。
地下街でたこ焼きを買って、確か映画館もあるB館の屋上が遊園地になってたんでそこまでエレベーターで行って、たこ焼きを食べると係員のおじいちゃんが汽車ポッポを動かしてくれた。
小さな8の字コースを2周もしたらオシマイでただそれだけのものだったが、私はコレが大変お気に入りで今でも記憶に残っているのは汽車ポッポが止まっちゃったときと、止まらなくなったとき。
止まっちゃったときは8の字コースのど真ん中で急にピタッと動かなくなって、ウンともスンとも言わなくなってその場で降りた。係員のおじいちゃんは申し訳なさそうに何度も謝っていたが、むしろミニチュアとはいえ線路を歩くなどという経験をしたことが小さな鉄道マニアだった私には凄く恐ろしいことだったというか、足元がむずむずしたのを覚えている。
止まらなくなった方は、まあゆっくり走ってるものだし4週目ぐらいまではラッキーと思って乗っていた。そのうちに異変に気付いたおじいちゃん'sが駆け寄ってきたけど、どうやって降りたんだっけか。
故・立川談志さんがやってた「寝床」のなかに
「山手線の運転手はどうした?」
「ブレーキが壊れて今36週目だ」
ってのがあるけど、あんな感じだ。とにかく止め方がわからないんでどうにか降りたんだと思う。
この屋上に居た係員のおじいちゃんは、どうも我が家とは昔からのお付き合いのようだった。
私の曽祖父は方や興行師、方や市会議員ということで当時はあちこちで何かと繋がりがあったのだろうが、私の代には影も形もない。うちのおじいちゃんは数年前に亡くなったし、係員のおじいちゃんに至ってはその後の消息を聞いた覚えもない…。
確かこの百貨店が出来るときに作業員をしていたのだとウチのおじいちゃんが言っていた。
詳しくはわからないけど、何かその時に縁があったのだろう。
ウチのおじいちゃんは晩年殆ど友達付き合いや親戚づきあいをしなくなってしまっていたことを考えても、よっぽど仲の良い、大切な友達だったんだと思う。
子供のころの私が低い柵の向こうで、小さな線路を走る汽車ポッポにまたがって見上げた屋上の空は、もうなくなってしまった。西武百貨店は取り壊されて、B館の屋上があったあたりは高層ビルのフロアになっているから。
街並みも、駅ビルも変わった。
あのぼんやりした白い昼間の光のなかでヨタヨタ歩いて汽車ポッポを動かしてくれた、ヨレヨレの制服を着たおじいちゃんが今も懐かしい。
意外とみんなが無邪気に未来を夢見て、期待していられたのは昭和の終わりごろまでで。
平成も終わりが近づく今になって懐かしいのは、あの頃の未来なのかもしれない。
懐かしい未来、この心地よいパラドックスをもっと言葉にして伝えたい。
今でもどこぞにあるんだろうけど、あまり見かけなくなってしまったもの。
百貨店の屋上の遊園地。
そもそも百貨店というものがどんどん減っているし、我が豊橋も西武百貨店がなくなり、ダイエーのデカいビルもなくなり、名豊百貨店というのもなくなった今は、名古屋の丸栄から独立し地域色を強く打ち出した「ほの国百貨店」ですら2020年3月で閉店してしまった。
下手すると郊外のイオンとかでも今じゃなくなってもおかしくないというのに、駅前のあんな土地ばっか高くて人の歩いていないとこで長年営業してるのはホント凄かったと思う。
地下街のクレープ屋さんが美味しかったな。
そうじゃなくても多くの場合は駐車場にすることが多い。
でもそれは郊外型のショッピングモールで、街ん中にあるようなお店は背が高いうえに古いし狭いので駐車場が難儀する。その電鉄会社のバスと電車に乗ってお出かけしてくるのを想定しているからか、駐車場との連携は非常に悪かったイメージも根強い。
名豊百貨店はバスターミナルも併設していたのだが、このバスターミナルにアスベストが使用されているとかで中にあった小さな売店、喫茶店ごと閉鎖されてしまった。
バスターミナルで降りてそのまま百貨店に入ることも出来たし、通路に寄り添うように区切られた喫茶室カルディのおばちゃんとうちの祖母が仲良くて、よく連れて行ってもらったっけな。
西武百貨店には、屋上遊園地が残っていた。
本当に名残だけ。
私がおじいちゃんによく連れてってもらってたときには、もう100円入れるとゴウンゴウンって動く乗り物が幾つかと、8の字のレールを走る小さな汽車ポッポと、何かの窓口兼軽食・ドリンク販売ブースの廃墟があるだけだった。
ぽっかーん、と晴れた屋上の空。小春日和の陽射しの下でその小さな汽車ポッポにまたがっておじいちゃんに手を振っている記憶がかすかに残っている。
おじいちゃんはすっかり色褪せた青いプラスチックのベンチに腰掛けて、缶コーヒーを飲みながらヨボヨボのおじいちゃんと何か話していた。
このヨボヨボのおじいちゃんは、ここのたった一人の係員だった。いつ行っても居た気がする。そしていつ行ってもお客さんは殆ど居なかった。
だからまあ、あのおじいちゃんでも務まっていたのだろう。
西武百貨店にも地下街があって、そこのたこ焼きが美味しいと評判だった。
A館とB館に分かれていて3階と5階に連絡通路があって、あの空中を歩く廊下が好きだったな。
地下街でたこ焼きを買って、確か映画館もあるB館の屋上が遊園地になってたんでそこまでエレベーターで行って、たこ焼きを食べると係員のおじいちゃんが汽車ポッポを動かしてくれた。
小さな8の字コースを2周もしたらオシマイでただそれだけのものだったが、私はコレが大変お気に入りで今でも記憶に残っているのは汽車ポッポが止まっちゃったときと、止まらなくなったとき。
止まっちゃったときは8の字コースのど真ん中で急にピタッと動かなくなって、ウンともスンとも言わなくなってその場で降りた。係員のおじいちゃんは申し訳なさそうに何度も謝っていたが、むしろミニチュアとはいえ線路を歩くなどという経験をしたことが小さな鉄道マニアだった私には凄く恐ろしいことだったというか、足元がむずむずしたのを覚えている。
止まらなくなった方は、まあゆっくり走ってるものだし4週目ぐらいまではラッキーと思って乗っていた。そのうちに異変に気付いたおじいちゃん'sが駆け寄ってきたけど、どうやって降りたんだっけか。
故・立川談志さんがやってた「寝床」のなかに
「山手線の運転手はどうした?」
「ブレーキが壊れて今36週目だ」
ってのがあるけど、あんな感じだ。とにかく止め方がわからないんでどうにか降りたんだと思う。
この屋上に居た係員のおじいちゃんは、どうも我が家とは昔からのお付き合いのようだった。
私の曽祖父は方や興行師、方や市会議員ということで当時はあちこちで何かと繋がりがあったのだろうが、私の代には影も形もない。うちのおじいちゃんは数年前に亡くなったし、係員のおじいちゃんに至ってはその後の消息を聞いた覚えもない…。
確かこの百貨店が出来るときに作業員をしていたのだとウチのおじいちゃんが言っていた。
詳しくはわからないけど、何かその時に縁があったのだろう。
ウチのおじいちゃんは晩年殆ど友達付き合いや親戚づきあいをしなくなってしまっていたことを考えても、よっぽど仲の良い、大切な友達だったんだと思う。
子供のころの私が低い柵の向こうで、小さな線路を走る汽車ポッポにまたがって見上げた屋上の空は、もうなくなってしまった。西武百貨店は取り壊されて、B館の屋上があったあたりは高層ビルのフロアになっているから。
街並みも、駅ビルも変わった。
あのぼんやりした白い昼間の光のなかでヨタヨタ歩いて汽車ポッポを動かしてくれた、ヨレヨレの制服を着たおじいちゃんが今も懐かしい。
意外とみんなが無邪気に未来を夢見て、期待していられたのは昭和の終わりごろまでで。
平成も終わりが近づく今になって懐かしいのは、あの頃の未来なのかもしれない。
懐かしい未来、この心地よいパラドックスをもっと言葉にして伝えたい。
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