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第675回。昭和とバブルの忘れ物
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ダイナマイト・キッド。
32ちゃい。
私が子供のころはバブル、昭和、国営企業がギリギリ残っていた。
今にして思えば郵便局もJRもNTTも国営だったんだなあ。
私が子供のころは、もうJRとNTTが出来てたんだけど…まあこっちは置いといて。
そんなイイ時代の名残の上を慣性ですーっと滑っていったような時代が90年代だったと思う。
そこかしこに昭和の遺産が残っていて、田舎のさびれた観光地なんかはフジカラーの割れたベンチにサビた古い自販機、100円入れるとゴウンゴウンと死にそうな音を立てて動く乗り物がぞんざいに置きっぱなしになっていた。
んで、そういうさびれた観光地や景気が良すぎたころを通り越してしまったけどまだ改装には至ってない遊園地、動物園、博物館や色んなハコもんに付き物なのがレストラン。
建物のどっか、敷地のどっかに併設されていて、まあそういうところのメニューはどこも似たり寄ったり。
今みたいに名産品や特産品を使ったものや、地元でとれた野菜・果物・肉や魚を使った料理、伝統のお菓子やそれにひと工夫したスイーツ、ご当地グルメなんぞありゃしない。
ラーメン、カレー、スパゲッティ。
ピラフに玉子乗せてケチャップかけたらオムライスだろ。
うっすいコーヒー。
今日びコンビニのコーヒーやお菓子ですらプレミアムだの何ンドセレクション金賞だの謳う時代。
それがまあ、改装前の昭和を駆け抜けた設備に紋切り型のメニューに愛想のないレジとホールのババアときて、絶妙なハーモニーを醸し出していた。決していい方に醸し出していたわけじゃないが、私は今こうしたものがまた決して嫌いでもない。
手放しで称賛するには至らないが、糾弾したいとも思わない。今は昔、もう懐かしい話だからだろうか。
私は祖父母に可愛がられて育ったので、そういう地方のさびれた観光地によく連れてってもらっていた。ホントにもう記憶も曖昧だけど温泉地に近い、もしくは通り道の山や海がそばにあるところ。遊園地ではなく、お年寄りやオッサンが来るところに申し訳程度に設置された子供向け要素は、おぼろげな記憶として脳のインデックスの片隅に残っている。
大体さ、5歳とか6歳くらいのころの私なんかラーメンがあればなーんも文句なかったもん。どこへ行っても、近所のイトーヨーカドーだろうが観光地のさびれストランだろうと同じような味とトッピングと麺の入った醬油ラーメン。あれでじゅうぶん。
米粉や醤油に国産品を使用!とデカデカ謳ってる商品の肝心のところが中国産、とかそんなレベルじゃなく。どこの何を使っていようがいまいがカンケー無い。
ラーメンが食えればそれで良かったのだ。
そのうえバニラアイスやパフェがあれば重畳。こういうソフトクリームやパフェも工夫のない品物だったな。大量のコーンフレークにバニラアイスと生クリームとチョコと八分割して円グラフの「その他の回答」みてえになったゴーフルなんかが必ず乗っていた。あとポッキー。
そういうのが今になって無性に懐かしいなーと思ってさ。
あれだよ、お祭りの屋台や露店も小綺麗で洒落ちゃってさ。
市民プールの帰りに夏だけ出てるテキトーなテントで油吸ってるアメリカンドッグとか、氷水を張ったクーラーボックスとかに入ってるちょっと高い缶ジュースやラムネ。
ラムネなんかさ、こんなときしか飲まねえじゃん。んでその場でポン!て開けて半分ぐらい泡になって吹いちゃったのを有難く飲んでさ。ビー玉取れねえかな、なんて。ビー玉なんて取ってどうするんだか。ガトリングアーマーにでも入れてたのかな。ビーダマンの。
あんのアメリカンドッグなんて、アレなんなのかな。
本国アメリカではコーンドッグって呼ばれてるんだってさ。故カート・コバーンの大好物で、コレばっか食っててものすげえ不健康だった、ってモノの本に書いてあったな。
甘いんだかなんなんだかで、今じゃ滅多に食わないどころか別に欲しくもなくなってしまった。さみしいな。
今ホント減ったというか、世の中が良くなったのか変わったのか。
ああいう店、淘汰されちゃったんだろうな。
レストランだけじゃなく、古い百貨店の地下の食品コーナーの、テナントじゃなくその百貨店に直接雇われてるババアの愛想のないことったらなかったぞ。同じフロアの繁盛してるクレープ屋さんとかたこ焼き屋さんとかパン屋さんとかは行列出来ててハキハキ接客しててみんなそこ目当てに来てるのに、地獄の底で釜茹での刑をかき回してるような顔してるババアいたもんな。
そういうのが良いとは言わないが、しかしそういうのが残っている余力があったんだろうな。あとは情報があまりに早く回るうえにみんなが嫌な思いしたり、改善しようと考えるんで自然と変わっていったと。
万物流転、いつまでも同じものは残らない。変わるべくして変わったものたちを懐かしむことはとても楽しいことだけれど、それが今はダメだとかオレのころは良かったとか言い出すのはダッセエのでやめておこう。少なくとも、こういうところで
良かったなあ
と思うくらいが、まあ関の山だろ。関の山ドライブウェイのお土産コーナーに併設された軽食コーナーでアメリカンドッグと真っ青のソーダ水でも飲もうか。
どこだよ関の山って。
32ちゃい。
私が子供のころはバブル、昭和、国営企業がギリギリ残っていた。
今にして思えば郵便局もJRもNTTも国営だったんだなあ。
私が子供のころは、もうJRとNTTが出来てたんだけど…まあこっちは置いといて。
そんなイイ時代の名残の上を慣性ですーっと滑っていったような時代が90年代だったと思う。
そこかしこに昭和の遺産が残っていて、田舎のさびれた観光地なんかはフジカラーの割れたベンチにサビた古い自販機、100円入れるとゴウンゴウンと死にそうな音を立てて動く乗り物がぞんざいに置きっぱなしになっていた。
んで、そういうさびれた観光地や景気が良すぎたころを通り越してしまったけどまだ改装には至ってない遊園地、動物園、博物館や色んなハコもんに付き物なのがレストラン。
建物のどっか、敷地のどっかに併設されていて、まあそういうところのメニューはどこも似たり寄ったり。
今みたいに名産品や特産品を使ったものや、地元でとれた野菜・果物・肉や魚を使った料理、伝統のお菓子やそれにひと工夫したスイーツ、ご当地グルメなんぞありゃしない。
ラーメン、カレー、スパゲッティ。
ピラフに玉子乗せてケチャップかけたらオムライスだろ。
うっすいコーヒー。
今日びコンビニのコーヒーやお菓子ですらプレミアムだの何ンドセレクション金賞だの謳う時代。
それがまあ、改装前の昭和を駆け抜けた設備に紋切り型のメニューに愛想のないレジとホールのババアときて、絶妙なハーモニーを醸し出していた。決していい方に醸し出していたわけじゃないが、私は今こうしたものがまた決して嫌いでもない。
手放しで称賛するには至らないが、糾弾したいとも思わない。今は昔、もう懐かしい話だからだろうか。
私は祖父母に可愛がられて育ったので、そういう地方のさびれた観光地によく連れてってもらっていた。ホントにもう記憶も曖昧だけど温泉地に近い、もしくは通り道の山や海がそばにあるところ。遊園地ではなく、お年寄りやオッサンが来るところに申し訳程度に設置された子供向け要素は、おぼろげな記憶として脳のインデックスの片隅に残っている。
大体さ、5歳とか6歳くらいのころの私なんかラーメンがあればなーんも文句なかったもん。どこへ行っても、近所のイトーヨーカドーだろうが観光地のさびれストランだろうと同じような味とトッピングと麺の入った醬油ラーメン。あれでじゅうぶん。
米粉や醤油に国産品を使用!とデカデカ謳ってる商品の肝心のところが中国産、とかそんなレベルじゃなく。どこの何を使っていようがいまいがカンケー無い。
ラーメンが食えればそれで良かったのだ。
そのうえバニラアイスやパフェがあれば重畳。こういうソフトクリームやパフェも工夫のない品物だったな。大量のコーンフレークにバニラアイスと生クリームとチョコと八分割して円グラフの「その他の回答」みてえになったゴーフルなんかが必ず乗っていた。あとポッキー。
そういうのが今になって無性に懐かしいなーと思ってさ。
あれだよ、お祭りの屋台や露店も小綺麗で洒落ちゃってさ。
市民プールの帰りに夏だけ出てるテキトーなテントで油吸ってるアメリカンドッグとか、氷水を張ったクーラーボックスとかに入ってるちょっと高い缶ジュースやラムネ。
ラムネなんかさ、こんなときしか飲まねえじゃん。んでその場でポン!て開けて半分ぐらい泡になって吹いちゃったのを有難く飲んでさ。ビー玉取れねえかな、なんて。ビー玉なんて取ってどうするんだか。ガトリングアーマーにでも入れてたのかな。ビーダマンの。
あんのアメリカンドッグなんて、アレなんなのかな。
本国アメリカではコーンドッグって呼ばれてるんだってさ。故カート・コバーンの大好物で、コレばっか食っててものすげえ不健康だった、ってモノの本に書いてあったな。
甘いんだかなんなんだかで、今じゃ滅多に食わないどころか別に欲しくもなくなってしまった。さみしいな。
今ホント減ったというか、世の中が良くなったのか変わったのか。
ああいう店、淘汰されちゃったんだろうな。
レストランだけじゃなく、古い百貨店の地下の食品コーナーの、テナントじゃなくその百貨店に直接雇われてるババアの愛想のないことったらなかったぞ。同じフロアの繁盛してるクレープ屋さんとかたこ焼き屋さんとかパン屋さんとかは行列出来ててハキハキ接客しててみんなそこ目当てに来てるのに、地獄の底で釜茹での刑をかき回してるような顔してるババアいたもんな。
そういうのが良いとは言わないが、しかしそういうのが残っている余力があったんだろうな。あとは情報があまりに早く回るうえにみんなが嫌な思いしたり、改善しようと考えるんで自然と変わっていったと。
万物流転、いつまでも同じものは残らない。変わるべくして変わったものたちを懐かしむことはとても楽しいことだけれど、それが今はダメだとかオレのころは良かったとか言い出すのはダッセエのでやめておこう。少なくとも、こういうところで
良かったなあ
と思うくらいが、まあ関の山だろ。関の山ドライブウェイのお土産コーナーに併設された軽食コーナーでアメリカンドッグと真っ青のソーダ水でも飲もうか。
どこだよ関の山って。
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