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第659回。1986年の佐野和哉
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皆さんこんばんは!!
ダイナマイト・キッドです。本名をタイトルに思いっきり書いてます!
佐野さんです、どうも。
今日のタイトル、あれだよ、なんか流行ってるんだか微妙なプロレスの本みてえにしてみた。
その前は
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか、
とか、
棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか
とかそーゆータイトルがよくついていた。
どっちも読んだけど、どっちも面白いよ。
前者、木村政彦さんの方は柔道側の人間が、プロレス側の人間と同じく過剰な思い入れによってあの力道山VS木村政彦を検証し、また木村政彦という男の伝記がわりにもなるような重厚な一冊を書き上げた。
木村政彦のみならず牛島辰熊さんの話も詳しく載っていて、柔道経験もあって格闘技だけじゃなく歴史や社会科の授業が好きな私にはとても読み応えのある本だった。私は数学は大の苦手で大嫌いだけど、数学の歴史や成り立ち、数学者とか呼ばれる昔の偉い人の話は好きだりするし、何でも歴史や人物の生い立ちなんかを知るのが好きらしい。
どこの誰だかわからない、数秒前まで他人だった人とつながりが産まれると、その人のルーツやこれまでの人生、現住所、氏名年齢などなど色んなことが関係してくる。それらの土壌の上に立って話したり笑ったりお酒を飲んだりしている、その瞬間が何とも言えない。
そう言う感覚に近いのかも知れない。
棚橋弘至さんの本も良かった。
何しろこちとら2000年代最低最悪の大暗黒時代をリアルタイムで浴びている身。
新日本プロレスだけじゃない、本当にどこもかしこも沈みっぱなし。
西原理恵子先生っぽく言えば
底って割れるのね
とか
ケツが割れるほど
とかとにかく色んなものが割れて割れて。
団体が割れて選手同士が割れて…ファンの意見が真っ二つに割れて激論を戦わせることで活性化だの、賛否両論の嵐を巻き起こし一寸先は闇なのが猪木イズムだの甘い汁吸わせてもらえる連中だけが好き勝手に良いような解釈して持ち上げて、高いお金を払って見に行くファンや地方のファンは置いてけぼりどころか公然と搾取されていた時代。
バブルやその前のことを思い出して
あの頃は良かった、
なんて言える連中が羨ましいよ。
2000年代のプロレスなんかその良かった頃の遺産を食いつぶしてばかりだったと思う。
それは時に関係者やマスコミ、ファン、選手や元選手まで。みんなして生きるのに必死だった。それは今も昔も変わらないんだけど、こう、悪い意味で血眼だったというべきか。
あのみんなが散々苦労しているときにノコノコ出てきて
このリングには戦いがない!
とか死ぬ寸前のうわ言にしちゃふざけてるようなことぬかした新間寿なんか恨んだもの。今でも根に持ってる。どいつもこいつも我田引水が過ぎていたし、そうでもしないと誰がいつ食い詰めても不思議は無い。そのぐらいホントに酷かった。メジャーからインディー、女子に至るまで日本のプロレスは殆ど死に体だった。
戦いがないったって、なくしたのお前らだろう!と。
お前らのやり方が間違ってて、それ以外のやり方を認めないように認めないように既得権益だけ吸ってきて何言ってやがる!と。
で、だ。
その暗黒時代を耐え、新日本プロレスを支え続けた棚橋弘至選手の本。外から見てただけのファンにだって伝わってくるぐらいヤバかった新日本プロレス。
現役バリバリ、選手として一番いい時期をそこで過ごした棚橋弘至選手。
ご本人もかつては刃物沙汰があったりもして、その時新日本プロレスに救われたという。
そんな彼を救った新日本プロレスを、彼が救う物語…いや戦いの歴史が詰まった一冊だ。
不入り続きだったのはテレビ放映を見てても明らかで、専門誌の写真だと盛り上がって見えるけどいざ放送を見ると全然だったりする。
経営者が二転三転したり、選手の入れ替わりがスッキリしないまま起こったり、しまいにはビッグマッチの試合まで急に変更されたりする。それらに対する問題提起や公然とした批判が殆ど行われず、むしろ
これが醍醐味
みてえな言われ方をしてて、冗談じゃねえや、と思っていた。そう思う人が大多数だったからこその不入り続きで、そうなると誰も責任を取ろうとせずにまた安全で小さな場所を作ってそこで好き勝手言っていた。
1970年代のアントニオ猪木はカッコよかっただろうし、実際に試合の映像を見るだけでもそれは十分に伝わって来る。この人は本当に別格で、何もかも規格外、カリスマそのものだ。
だけど、それが時代も世相も変わった2000年ぐらいになって全く同じに通じるわけがないんだし、恐らくそれをよくわかっていたのはアントニオ猪木本人だったと思う。だけど、周囲の過剰な思い入れや業界の流れがそれを正さなかったし、本人も別にそれに逆らってまで何かする気はなかったんじゃないだろうか。それがまあ結局あの時代をしっちゃかめっちゃかにしたわけだが、今やそれも昔話。
あの頃ひどかったなあ、と簡単に語られるその裏側で起きていた壮絶な戦いの本だ。
だけど明るく、楽しめる文章で書かれているところが棚橋弘至選手の男らしくたくましい、それこそ暗黒時代の泥沼で鍛えられた強さなのだろう。
ホントに何も書くことがなかったのでタイトルだけ思いついて書き始めたら案の定プロレスの話になったな。
ダイナマイト・キッドです。本名をタイトルに思いっきり書いてます!
佐野さんです、どうも。
今日のタイトル、あれだよ、なんか流行ってるんだか微妙なプロレスの本みてえにしてみた。
その前は
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか、
とか、
棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか
とかそーゆータイトルがよくついていた。
どっちも読んだけど、どっちも面白いよ。
前者、木村政彦さんの方は柔道側の人間が、プロレス側の人間と同じく過剰な思い入れによってあの力道山VS木村政彦を検証し、また木村政彦という男の伝記がわりにもなるような重厚な一冊を書き上げた。
木村政彦のみならず牛島辰熊さんの話も詳しく載っていて、柔道経験もあって格闘技だけじゃなく歴史や社会科の授業が好きな私にはとても読み応えのある本だった。私は数学は大の苦手で大嫌いだけど、数学の歴史や成り立ち、数学者とか呼ばれる昔の偉い人の話は好きだりするし、何でも歴史や人物の生い立ちなんかを知るのが好きらしい。
どこの誰だかわからない、数秒前まで他人だった人とつながりが産まれると、その人のルーツやこれまでの人生、現住所、氏名年齢などなど色んなことが関係してくる。それらの土壌の上に立って話したり笑ったりお酒を飲んだりしている、その瞬間が何とも言えない。
そう言う感覚に近いのかも知れない。
棚橋弘至さんの本も良かった。
何しろこちとら2000年代最低最悪の大暗黒時代をリアルタイムで浴びている身。
新日本プロレスだけじゃない、本当にどこもかしこも沈みっぱなし。
西原理恵子先生っぽく言えば
底って割れるのね
とか
ケツが割れるほど
とかとにかく色んなものが割れて割れて。
団体が割れて選手同士が割れて…ファンの意見が真っ二つに割れて激論を戦わせることで活性化だの、賛否両論の嵐を巻き起こし一寸先は闇なのが猪木イズムだの甘い汁吸わせてもらえる連中だけが好き勝手に良いような解釈して持ち上げて、高いお金を払って見に行くファンや地方のファンは置いてけぼりどころか公然と搾取されていた時代。
バブルやその前のことを思い出して
あの頃は良かった、
なんて言える連中が羨ましいよ。
2000年代のプロレスなんかその良かった頃の遺産を食いつぶしてばかりだったと思う。
それは時に関係者やマスコミ、ファン、選手や元選手まで。みんなして生きるのに必死だった。それは今も昔も変わらないんだけど、こう、悪い意味で血眼だったというべきか。
あのみんなが散々苦労しているときにノコノコ出てきて
このリングには戦いがない!
とか死ぬ寸前のうわ言にしちゃふざけてるようなことぬかした新間寿なんか恨んだもの。今でも根に持ってる。どいつもこいつも我田引水が過ぎていたし、そうでもしないと誰がいつ食い詰めても不思議は無い。そのぐらいホントに酷かった。メジャーからインディー、女子に至るまで日本のプロレスは殆ど死に体だった。
戦いがないったって、なくしたのお前らだろう!と。
お前らのやり方が間違ってて、それ以外のやり方を認めないように認めないように既得権益だけ吸ってきて何言ってやがる!と。
で、だ。
その暗黒時代を耐え、新日本プロレスを支え続けた棚橋弘至選手の本。外から見てただけのファンにだって伝わってくるぐらいヤバかった新日本プロレス。
現役バリバリ、選手として一番いい時期をそこで過ごした棚橋弘至選手。
ご本人もかつては刃物沙汰があったりもして、その時新日本プロレスに救われたという。
そんな彼を救った新日本プロレスを、彼が救う物語…いや戦いの歴史が詰まった一冊だ。
不入り続きだったのはテレビ放映を見てても明らかで、専門誌の写真だと盛り上がって見えるけどいざ放送を見ると全然だったりする。
経営者が二転三転したり、選手の入れ替わりがスッキリしないまま起こったり、しまいにはビッグマッチの試合まで急に変更されたりする。それらに対する問題提起や公然とした批判が殆ど行われず、むしろ
これが醍醐味
みてえな言われ方をしてて、冗談じゃねえや、と思っていた。そう思う人が大多数だったからこその不入り続きで、そうなると誰も責任を取ろうとせずにまた安全で小さな場所を作ってそこで好き勝手言っていた。
1970年代のアントニオ猪木はカッコよかっただろうし、実際に試合の映像を見るだけでもそれは十分に伝わって来る。この人は本当に別格で、何もかも規格外、カリスマそのものだ。
だけど、それが時代も世相も変わった2000年ぐらいになって全く同じに通じるわけがないんだし、恐らくそれをよくわかっていたのはアントニオ猪木本人だったと思う。だけど、周囲の過剰な思い入れや業界の流れがそれを正さなかったし、本人も別にそれに逆らってまで何かする気はなかったんじゃないだろうか。それがまあ結局あの時代をしっちゃかめっちゃかにしたわけだが、今やそれも昔話。
あの頃ひどかったなあ、と簡単に語られるその裏側で起きていた壮絶な戦いの本だ。
だけど明るく、楽しめる文章で書かれているところが棚橋弘至選手の男らしくたくましい、それこそ暗黒時代の泥沼で鍛えられた強さなのだろう。
ホントに何も書くことがなかったのでタイトルだけ思いついて書き始めたら案の定プロレスの話になったな。
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