598 / 1,300
第596回。可能な限りメキシコの街並みを思い出してみよう、の巻。
しおりを挟む
私がお世話になっていたメキシコの寮は、首都メキシコシティからバスでしばらく走った先にあるメキシコ州ナウカルパン市ハルディンというところにあった。
Jardinと書いてハルディンと読む。お庭とか庭園とかそんな意味だ。
ずいぶんと乱雑なところで、賑やかだけど物騒だという話。
銃撃戦を目撃した先輩もいれば、実際に拳銃強盗にあった先輩もいた。
絶対に、夜ひとりで出歩くな!とキツく言われていたし、練習生だけで外出することもしばらくは出来なかったぐらいだ。
そんな寮の目の前には車がすれ違えるぐらいの幅の道路があって、歩道があって、向かいの建物は立派なフェンスとお庭があった。病院か何かだったと思う。その横の歩道では本屋さんが出ていた。
書店ではない。
その立派なフェンスに勝手に雑誌を色々ぶら下げたり引っ掛けたりして陳列して売っている。多分そこの建物とは何の関係もない。
そういう露天商だった。そこでよくボクシ・イ・ルチャというメキシコではポピュラーなボクシングとプロレスの週刊誌を買った。
寮の隣がアレナ・ナウカルパンというルチャリブレ専用会場。アレナとはアリーナのこと。
ナウカルパン体育館ってことだ。ちなみにジムはヒムナシオ(ジムナジアム)という。
毎週木曜日と日曜日が定期戦の日で、お土産のマスクやタコスの屋台が出た。
試合中は入場曲とか、ドドーって歓声が聞こえて来たっけな。
寮の道路を渡ってはす向かいにメルカドの入り口があった。
アメ横みたいな商店街で、メルカドとはつまりマーケットのスペイン語だ。
平屋の屋根付き商店街で、天井は低かったし規模もささやかなものだった。
だけど八百屋さんもお肉屋さんも雑貨屋さんも床屋さんもなんでもあった。
たまに伊集院光さんがラジオで、昔はお肉屋さんと鶏肉屋さんと卵屋さんが別だった、というけどアレは本当で、あのメルカドもそうだった。鶏肉を扱っているお肉屋さんと、それ以外のお肉を買うお肉屋さんがそれぞれあった。卵は雑貨屋さんで買った。
八百屋の若い衆はペドロ君と言って、笑顔の可愛い人懐っこい青年だった。
ある日、私が八百屋の店先で人参を手に悩んでいた。単語帳からメモ帳に、食材に使う野菜や果物、お肉などのスペイン語を書き写してあったのだが人参を忘れていた。スペイン語でなんて言うかわからない。困った私が人参を指さしてエステ!(これ!)と言うとペドロ君がカタコトで
「ニンジンネ」
と言った。彼は長年日本人相手に商売をしているので野菜や果物だったら日本語がわかったのだ。それが面白かったので、ずっと人参だけは
ニンジンネ
と言って買っていたら、結局スペイン語で人参をなんていうか覚えないままだった。
メルカドは二か所あって、もう一か所の方で部屋で飼ってたハムスターのボナンザのエサを買ったな。そっちは寮からちょっと歩いた先、ボデガ・ヒガンテの向こうにあった。
ボデガ・ヒガンテは日本でいえばスーパーマーケットで、スペル・メルカドと看板にも書いてあった。
SUPER MERCADO
って書く。
衣料品やちょっとしたものなら何でもそろった。よく映画で見るピラミッド型に積み上げた缶詰もあった。
そうそう、寮の前を右に出てすぐの角が大きな公園だった。私たちが着くちょっと前から工事が始まって、噴水のある綺麗な公園になったのだという。おそらくこれがハルディンという地名の由来なのかもしれない。
公園の近くに先輩のお気に入りのピッツェリアがあった。ピザ屋さんってことらしい。私は行かずじまいだった。
公園はそこそこデカくて、いつもマリアッチや靴磨きの人が居た。
アレナ・ナウカルパンの反対側の隣が床屋さんで、私はココで髪の毛を切ってもらった。
太ったオバチャンの胸の谷間から結構濃い目の胸毛が見えた。
そのさらに角を曲がったところにはアイスクリーム屋さんがあった。交差点を挟んで対角線上の歩道にはトルタスやちょっとした軽食のワゴン車が来ていた。ここで松山勘十郎さんや他の先輩にごちそうになったことがある。勘十郎さんとでっかーいトルタス(30センチぐらいあった)を一つずつ注文して食べていたら校長の赤い車が寮の前に停まったのが見えた。そしたら
「もうちょっとゆっくり食べようぜ!」なんて(笑)
そうそう、アレナ・ナウカルパンの前をさらにずーっと歩くと教会があった。メキシコはカトリックの人が多い。バスの運転席なんかにもマリア様の絵や人形が飾られていることがあった。交通安全のお守りだろうか。教会を通り越して大通りに出る。路線バスも通ってる道路は片側3車線のバイパスで、どの車もソッコーで名古屋か尾張小牧ナンバーを交付できるレベルでかっ飛ばしていた。ごっつい歩道橋もあった。映画ブルースブラザーズのレイ・チャールズが歌うシーンで市民の皆さんが踊ってたようなあんなんだ。
ここからバスに乗って駅やメガマートに向かう。
まあ暑い。じりじりしながらバスを待っている間に、道端のお店でお肉を焼く匂いが漂ってくる。それが排気ガスと生ごみとアンモニアっぽいにおいに混じって陽射しの中で陽炎になって揺れてた。
私はそんな街にいた。
Jardinと書いてハルディンと読む。お庭とか庭園とかそんな意味だ。
ずいぶんと乱雑なところで、賑やかだけど物騒だという話。
銃撃戦を目撃した先輩もいれば、実際に拳銃強盗にあった先輩もいた。
絶対に、夜ひとりで出歩くな!とキツく言われていたし、練習生だけで外出することもしばらくは出来なかったぐらいだ。
そんな寮の目の前には車がすれ違えるぐらいの幅の道路があって、歩道があって、向かいの建物は立派なフェンスとお庭があった。病院か何かだったと思う。その横の歩道では本屋さんが出ていた。
書店ではない。
その立派なフェンスに勝手に雑誌を色々ぶら下げたり引っ掛けたりして陳列して売っている。多分そこの建物とは何の関係もない。
そういう露天商だった。そこでよくボクシ・イ・ルチャというメキシコではポピュラーなボクシングとプロレスの週刊誌を買った。
寮の隣がアレナ・ナウカルパンというルチャリブレ専用会場。アレナとはアリーナのこと。
ナウカルパン体育館ってことだ。ちなみにジムはヒムナシオ(ジムナジアム)という。
毎週木曜日と日曜日が定期戦の日で、お土産のマスクやタコスの屋台が出た。
試合中は入場曲とか、ドドーって歓声が聞こえて来たっけな。
寮の道路を渡ってはす向かいにメルカドの入り口があった。
アメ横みたいな商店街で、メルカドとはつまりマーケットのスペイン語だ。
平屋の屋根付き商店街で、天井は低かったし規模もささやかなものだった。
だけど八百屋さんもお肉屋さんも雑貨屋さんも床屋さんもなんでもあった。
たまに伊集院光さんがラジオで、昔はお肉屋さんと鶏肉屋さんと卵屋さんが別だった、というけどアレは本当で、あのメルカドもそうだった。鶏肉を扱っているお肉屋さんと、それ以外のお肉を買うお肉屋さんがそれぞれあった。卵は雑貨屋さんで買った。
八百屋の若い衆はペドロ君と言って、笑顔の可愛い人懐っこい青年だった。
ある日、私が八百屋の店先で人参を手に悩んでいた。単語帳からメモ帳に、食材に使う野菜や果物、お肉などのスペイン語を書き写してあったのだが人参を忘れていた。スペイン語でなんて言うかわからない。困った私が人参を指さしてエステ!(これ!)と言うとペドロ君がカタコトで
「ニンジンネ」
と言った。彼は長年日本人相手に商売をしているので野菜や果物だったら日本語がわかったのだ。それが面白かったので、ずっと人参だけは
ニンジンネ
と言って買っていたら、結局スペイン語で人参をなんていうか覚えないままだった。
メルカドは二か所あって、もう一か所の方で部屋で飼ってたハムスターのボナンザのエサを買ったな。そっちは寮からちょっと歩いた先、ボデガ・ヒガンテの向こうにあった。
ボデガ・ヒガンテは日本でいえばスーパーマーケットで、スペル・メルカドと看板にも書いてあった。
SUPER MERCADO
って書く。
衣料品やちょっとしたものなら何でもそろった。よく映画で見るピラミッド型に積み上げた缶詰もあった。
そうそう、寮の前を右に出てすぐの角が大きな公園だった。私たちが着くちょっと前から工事が始まって、噴水のある綺麗な公園になったのだという。おそらくこれがハルディンという地名の由来なのかもしれない。
公園の近くに先輩のお気に入りのピッツェリアがあった。ピザ屋さんってことらしい。私は行かずじまいだった。
公園はそこそこデカくて、いつもマリアッチや靴磨きの人が居た。
アレナ・ナウカルパンの反対側の隣が床屋さんで、私はココで髪の毛を切ってもらった。
太ったオバチャンの胸の谷間から結構濃い目の胸毛が見えた。
そのさらに角を曲がったところにはアイスクリーム屋さんがあった。交差点を挟んで対角線上の歩道にはトルタスやちょっとした軽食のワゴン車が来ていた。ここで松山勘十郎さんや他の先輩にごちそうになったことがある。勘十郎さんとでっかーいトルタス(30センチぐらいあった)を一つずつ注文して食べていたら校長の赤い車が寮の前に停まったのが見えた。そしたら
「もうちょっとゆっくり食べようぜ!」なんて(笑)
そうそう、アレナ・ナウカルパンの前をさらにずーっと歩くと教会があった。メキシコはカトリックの人が多い。バスの運転席なんかにもマリア様の絵や人形が飾られていることがあった。交通安全のお守りだろうか。教会を通り越して大通りに出る。路線バスも通ってる道路は片側3車線のバイパスで、どの車もソッコーで名古屋か尾張小牧ナンバーを交付できるレベルでかっ飛ばしていた。ごっつい歩道橋もあった。映画ブルースブラザーズのレイ・チャールズが歌うシーンで市民の皆さんが踊ってたようなあんなんだ。
ここからバスに乗って駅やメガマートに向かう。
まあ暑い。じりじりしながらバスを待っている間に、道端のお店でお肉を焼く匂いが漂ってくる。それが排気ガスと生ごみとアンモニアっぽいにおいに混じって陽射しの中で陽炎になって揺れてた。
私はそんな街にいた。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
後悔と快感の中で
なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私
快感に溺れてしまってる私
なつきの体験談かも知れないです
もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう
もっと後悔して
もっと溺れてしまうかも
※感想を聞かせてもらえたらうれしいです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる