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第581回。ココストアでゲームボーイを買った
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と、死ぬ寸前までおばあちゃんは思っていた。
私が小学校1年ぐらいの頃、とにかくものすげえ小さいころ。
祖父母の家のすぐ近くにココストアがあった。このお店は祖父母と開店当時からの付き合いで、元は小さな酒屋さんだっただけあって地域密着型のコンビニだった。
ご近所の森さんとこの初孫ってことで、この初孫ことキッドさんも随分可愛がっていただいた。
ただそんなアットホームなバックボーンとは裏腹に、当時のココストアは品揃えがなんつーかちょっとうらびれていたというか、やさぐれていた。
お店の片隅に細長いラックがあって、そこにはどぎついパッケージとタイトルのエロビデオがビッチリ。
アダルトビデオとかセクシービデオなんて生易しい呼び方は似つかわしくないぐらいの
ザ・エロビデオ!
コッテリ&ガッツリのそれは、もろにオッサン向け商品で、ちびっこだった私には直視出来ないほどのものだった。エロ本も結構えげつないのが揃っていたし、お酒とツマミも充実していたので本当にターゲットが絞られていたのではないかと思われる。
んなわけで、子供向けの商品はそこまでじゃなかったココストア近江屋さん。
祖父母は普通に近江屋、と呼んでいたので、元々の屋号が近江屋だったのだろう。ココストアってそうで、ココストアそのべ酒店、ココストア〇〇屋、みたいなのがウチの近所には結構あった。
だいたい私もこまっしゃくれたガキでさ、ココストアでお菓子買わずにさきいか買ってもらったりアーモンドとかピーナッツばっかり食ってたからお店のおばちゃんもおっちゃんも面白がってくれてさ。
その頃からさきいか大好きで、おかげで顎と歯は丈夫になっただろうなあ。
そんなオッサン向けコンビニことココストアであったが、一応お菓子もあったしジュースもあったし…酒屋さんだから飲み物に関しては結構品ぞろえも良かったと思う。
でね、そんなお店にもちょっとばかりおもちゃとか置いてあるんよ。申し訳程度に。
でも当時トイザらスもないし、おもちゃ屋さんとかデパートのおもちゃ売り場には中々行かないしで、そんな中キッドさんが見つけたココストアで埃をかぶっていたおもちゃ。
それが、今じゃ名前もわからない、ゲームボーイもどきの単純極まりない代物のゲーム。
ゲームボーイっぽい形なだけで遊べるゲームは一つだけ。
ゲームウォッチに近い、ドット絵と記号で表現された戦車が丘の向こうから来るんでそれをこっちから機関銃とかバズーカで迎え撃つ、というもの。ただそれだけ。
テッテッテートットットー
ピコピコ
ダダダッ、ドーーン
テッテッテートットットー
ピコピコ
ダダダッ、ドーーン
この繰り返し。ボタンは二つ。十字キーっぽいボタンが左手側に。AボタンとBボタンが右手側に。
スタートボタンもあったかな…?
最初はこれをゲームボーイだと思って買ってもらった。2000円ぐらいした気もするし、980円ぐらいだったような気もする。どちらにせよ今にして思えば随分高い買い物をしてくれたものだ。
このおもちゃの良いところはゲームボーイより断然薄くて軽いことだが、悪いところはゲームボーイではないこと。ただそれでも子供というのは大したもので、コレはゲームボーイみたいなもんだ!と強く念じることで、しばらくは遊べるんだよね。ひたすら。
テッテッテートットットー
テッテッテートットットー
日がな一日やっていたら、この単純な電子音に周囲の祖父母と伯父が耐えられなくなってギブアップされたぐらいだ。来る日も来る日も遊び続けていた。よく飽きなかったなと思うけど、それしかなかったからだと思う。
やがて祖父母の家にもスーファミを置くことが解禁され、私は夜中まで延々とシムシティをやったりマザー2でおうじゃのつるぎが出るまで粘ったりスーパーマリオワールドのスペシャルステージで死にまくったり出来るようになった。間違いなく私がテレビゲームについて一家言持つようになったのはこの時期の蓄積が元になっている。それから延々とゲームをやる、という習慣とか概念が出来た。トルネコとか特に。
そして気が付くと、あの戦車のゲームで遊ばなくなっていた。小学2年の時にゲームボーイブロスの黒色とスーパーマリオ6つの金貨を買ってもらって、星のカービィ2も買ってもらって、充実したテレビゲームライフを送っていた。
ある日、何気なく戸棚を開けたらそこに戦車のゲームがぽつんと置かれていた。
すっかり埃をかぶって、液晶画面はしんと黙り込んでいた。
電源を入れると電池を交換することも出来ない代物は、鈍くゆがんだ音をたてながらそれでもゲームを開始した。
テッッッテッッットーーーーーー…
ダ、ダッ
それだけ鳴らすとふっと画面が消えてそれっきりだった。
ああ、壊れちゃった。
その時はそう思ってそのままだった。捨てるのもめんどくさくて、戸棚に戻して3分ぐらいしたらもう忘れてた。
私の人生のピーク、間違いなく毎日心の底から笑って楽しく生きていた最後の時期が小学2年だった。そこから4年ぐらいして第一期どん底シーズンの佳境をこえようかという時期に、またそれを見つけた。
もうウンともスンとも言わなかったけど、その時は無性に懐かしくて、電源を入れたけど、やっぱりもう動かなかった。
あれからどうしたっけな、あのゲーム。
私が小学校1年ぐらいの頃、とにかくものすげえ小さいころ。
祖父母の家のすぐ近くにココストアがあった。このお店は祖父母と開店当時からの付き合いで、元は小さな酒屋さんだっただけあって地域密着型のコンビニだった。
ご近所の森さんとこの初孫ってことで、この初孫ことキッドさんも随分可愛がっていただいた。
ただそんなアットホームなバックボーンとは裏腹に、当時のココストアは品揃えがなんつーかちょっとうらびれていたというか、やさぐれていた。
お店の片隅に細長いラックがあって、そこにはどぎついパッケージとタイトルのエロビデオがビッチリ。
アダルトビデオとかセクシービデオなんて生易しい呼び方は似つかわしくないぐらいの
ザ・エロビデオ!
コッテリ&ガッツリのそれは、もろにオッサン向け商品で、ちびっこだった私には直視出来ないほどのものだった。エロ本も結構えげつないのが揃っていたし、お酒とツマミも充実していたので本当にターゲットが絞られていたのではないかと思われる。
んなわけで、子供向けの商品はそこまでじゃなかったココストア近江屋さん。
祖父母は普通に近江屋、と呼んでいたので、元々の屋号が近江屋だったのだろう。ココストアってそうで、ココストアそのべ酒店、ココストア〇〇屋、みたいなのがウチの近所には結構あった。
だいたい私もこまっしゃくれたガキでさ、ココストアでお菓子買わずにさきいか買ってもらったりアーモンドとかピーナッツばっかり食ってたからお店のおばちゃんもおっちゃんも面白がってくれてさ。
その頃からさきいか大好きで、おかげで顎と歯は丈夫になっただろうなあ。
そんなオッサン向けコンビニことココストアであったが、一応お菓子もあったしジュースもあったし…酒屋さんだから飲み物に関しては結構品ぞろえも良かったと思う。
でね、そんなお店にもちょっとばかりおもちゃとか置いてあるんよ。申し訳程度に。
でも当時トイザらスもないし、おもちゃ屋さんとかデパートのおもちゃ売り場には中々行かないしで、そんな中キッドさんが見つけたココストアで埃をかぶっていたおもちゃ。
それが、今じゃ名前もわからない、ゲームボーイもどきの単純極まりない代物のゲーム。
ゲームボーイっぽい形なだけで遊べるゲームは一つだけ。
ゲームウォッチに近い、ドット絵と記号で表現された戦車が丘の向こうから来るんでそれをこっちから機関銃とかバズーカで迎え撃つ、というもの。ただそれだけ。
テッテッテートットットー
ピコピコ
ダダダッ、ドーーン
テッテッテートットットー
ピコピコ
ダダダッ、ドーーン
この繰り返し。ボタンは二つ。十字キーっぽいボタンが左手側に。AボタンとBボタンが右手側に。
スタートボタンもあったかな…?
最初はこれをゲームボーイだと思って買ってもらった。2000円ぐらいした気もするし、980円ぐらいだったような気もする。どちらにせよ今にして思えば随分高い買い物をしてくれたものだ。
このおもちゃの良いところはゲームボーイより断然薄くて軽いことだが、悪いところはゲームボーイではないこと。ただそれでも子供というのは大したもので、コレはゲームボーイみたいなもんだ!と強く念じることで、しばらくは遊べるんだよね。ひたすら。
テッテッテートットットー
テッテッテートットットー
日がな一日やっていたら、この単純な電子音に周囲の祖父母と伯父が耐えられなくなってギブアップされたぐらいだ。来る日も来る日も遊び続けていた。よく飽きなかったなと思うけど、それしかなかったからだと思う。
やがて祖父母の家にもスーファミを置くことが解禁され、私は夜中まで延々とシムシティをやったりマザー2でおうじゃのつるぎが出るまで粘ったりスーパーマリオワールドのスペシャルステージで死にまくったり出来るようになった。間違いなく私がテレビゲームについて一家言持つようになったのはこの時期の蓄積が元になっている。それから延々とゲームをやる、という習慣とか概念が出来た。トルネコとか特に。
そして気が付くと、あの戦車のゲームで遊ばなくなっていた。小学2年の時にゲームボーイブロスの黒色とスーパーマリオ6つの金貨を買ってもらって、星のカービィ2も買ってもらって、充実したテレビゲームライフを送っていた。
ある日、何気なく戸棚を開けたらそこに戦車のゲームがぽつんと置かれていた。
すっかり埃をかぶって、液晶画面はしんと黙り込んでいた。
電源を入れると電池を交換することも出来ない代物は、鈍くゆがんだ音をたてながらそれでもゲームを開始した。
テッッッテッッットーーーーーー…
ダ、ダッ
それだけ鳴らすとふっと画面が消えてそれっきりだった。
ああ、壊れちゃった。
その時はそう思ってそのままだった。捨てるのもめんどくさくて、戸棚に戻して3分ぐらいしたらもう忘れてた。
私の人生のピーク、間違いなく毎日心の底から笑って楽しく生きていた最後の時期が小学2年だった。そこから4年ぐらいして第一期どん底シーズンの佳境をこえようかという時期に、またそれを見つけた。
もうウンともスンとも言わなかったけど、その時は無性に懐かしくて、電源を入れたけど、やっぱりもう動かなかった。
あれからどうしたっけな、あのゲーム。
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