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第540回。キッドさんの怪奇短編シリーズ「青いシャツの友達」

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 小学校六年の夏休み、私は事情があって遠い山奥で過ごす事になった。
 事情というのはほかでもない。両親の離婚後も続いた実の父親からの暴力や束縛に祖母の病気に、のちに父親認定をする輝さんの登場で家庭は大荒れ、学校じゃ居場所がなくなり、当時の私は本当に心身共に追い詰められていた。学校での居場所が無くなったのは私にも原因が大いにあるけれど、それでもツライものは辛かった。そんな私を見かねたおじいちゃんが車で何時間もかけて連れて行ってくれたのは本当に山奥も山奥。東名高速を東へ進み、富士山が見えた辺りで降りてそこからは北へひたすら走って、辿り着いたころにはそこが何県なのかもわからないようなところだった。 
 
 濃密な緑の山道をどこどこ進んで行くと突然、ぽん! と視界が開けて、随分と下の方に里山に囲まれた集落が見えた。一旦そこまでながーい下り坂を下りて行って、そこから少しだけ道路(この集落のメインストリート)を走って、また反対側の里山を上ってお地蔵様の祠の角を左に曲がって、さらに坂道を登った先に漸く滞在先の後藤さんのお家があった。後藤さんはおじいちゃんが夜間学校の先生をやってた頃の生徒さんで、そこの家のお孫さんが私と同い年のタカヒロだった。私はひと夏、彼らと暮らすことになった。おじいちゃんは私を送り届けて少し話し込んだ後帰ってしまったが、私はといえばあのクズと荒れた家と学校から解放されてむしろはしゃいでいた。自然も虫も空も雲も大好きだったし、挨拶もそこそこにさっそくタカヒロとその辺を案内してもらいながら走り回った。
 
 山奥の夜は意外に騒がしく、動物や虫の鳴き声が濃密なざわめきになって家や集落を包み込んでいるようだった。私は興奮してタカヒロと遅くまで話し込んでしまった。
 翌日、目が覚めるとタカヒロが居なかった。縁側に出ると、後藤家から里山へ伸びる長い坂道が見えた。そのふもとから小さな点々がわらわらわらっ、と駆け上がってきたと思ったら、その先頭にタカヒロが居た。友達を連れてきてくれたらしい。
 集まったのは全部で五人。私を入れて六人全員男子だった。勉強ができるタク、のっぽのヒジリ、巨漢で力持ちのゴウ、大人しいけどみんなのまとめ役のみどり、そしてこの中で一番明るくて元気だったタカヒロ、そしてもう一人。ひときわデカいゴウの後ろに隠れるようにして青いシャツの子がそっと立っていた。
 私たちはすぐに打ち解けて、日がな一日川や山で遊び倒した。ゴウはガキ大将で相撲が強く、私も何度も転ばされた。

 楽しい夏が過ぎて行った。私は地元での様々な軋轢や葛藤を忘れて、久しぶりに羽根を伸ばしていた。
 しかしある日、いつものように起きだしてみるとタカヒロも居ないし、その日は誰もやって来なかった。ああ、やっぱり私は何処に行っても……と思っていると、坂道を一人とぼとぼ歩いてくる影があった。あの青いシャツの子だった。そういえば随分一緒にいるけれどまだ名前も聞いていなかった。 

 彼は家の前まで来るとハタと足を止めて私を待っていた。
 私が家を飛び出して彼のもとに走ると、今度はふるりと踵を返して走り出した。真夏の里山の蝉しぐれの中をパタパタと駆けてゆく青いシャツの少年。すっかり目に馴染んだ景色がびゅんびゅん遠ざかって、いつしか小さな川にかかる赤い橋のたもとに立っていた。この橋から向こうには行ったことが無かった。
 彼は私の顔を少しだけ見た。この田舎で夏だというのに透き通るように白く、黒くつやつやした髪の毛が川を渡る涼風に揺れてふわりと香った。 
 そして再び、おもむろに走り出した。橋を渡り切ろうとするところで呆然とする私を振り返り、また走って行った。 
 
 私は何故か足が動かなかった。ぼう、っとしてしまっていた。 
 ああ、行ってしまう。自分も行かなきゃ、と思うけど、なんとなく体が動かなかった。
 しゅわしゅわしゅわじーーーーーーーー、とセミの鳴き声だけが頭の中でぐるぐる回った。 
 
 暫く待っていたけど、結局彼は戻ってこなかった。
 そして二度と姿を見る事もなかった。 

 翌日、みんながやってきた。あのあと家に帰るとタカヒロが居て、学校の登校日だったのだという。夏休みどころか平日も滅多に学校に行かなくなっていた私にはすっかり忘れていた感覚だった。 
 さあ集まったし川にでも行こう!というゴウを制して
「なあ、あの子、いないの?」
 という私に、みんなは怪訝な顔をしてみせた。
「ほら、青いシャツの、色の白い」
 私も含め、みんな真っ黒に日焼けして歩くオハギみたいになっていた。そんな色の白い子は居なかった。みんな口々に言う。
 いないよ、いない。
 知らないな、うん。
 知らない。 
 今度は私が怪訝な顔をする番だった。けど、多勢に無勢。そのまま押し切られて遊びに行った。どこかで合流するかもしれないと思っていたけど、結局来なかった。

 私が地元に帰る日になっても、とうとうあの子は来なかった。前日から泊りでやってきていたおじいちゃんの車に乗り込んで、ゴウやヒジリ、みどり、タク、タカヒロともお別れだ。
 車は名残惜しそうな私たちを尻目になめらかに動き始めた。ゆっくりと坂道を下っていくと、お地蔵様の祠がある。 
 そこに、あの子が居た。青いシャツを着た、肌の白い、黒い髪のあの子。 
「おじいちゃん! 居た!! あの子も友達になってくれたじゃんね!」
 運転席越しに大きな声を出しながら指をさす先に、もうあの子の姿はなかった。

 結局、あの子の事は何もわからなかった。だけど、確かに私は一緒に遊んだし、そばに居た。あの日あの川とあの橋で、髪の毛の匂いがした。 
 声も、顔も、何も思い出せない。ただ蝉しぐれと髪の毛の匂いのする景色を、ずっと覚えているだけだった。

おしまい。
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