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第498回。テキヤさんのたいやき。
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いまキッドさんの地元では納涼夏祭りが開催されている。
地元民のあいだでは単純に「夜店(よみせ)」とも言われているこの行事。
雨は多いがイベントの少ない6月の週末にだけ、決まった場所に夕方から21時ぐらいまで露店がズラリと並ぶのだ。
まあそれだけなんだけど、そこはそれ。
子供は屋台を見るだけでテンション上がるし、中学生から大学生ぐらいまではとにかくこの手のイベントは
ジッタリンジン
が脳内ディスコでガンガン流れ、脳内FMパーソナリティー(ナビゲーターでも可)が甘酸っぱい理想とクソみてえな現実を巧みに言いくるめ、夢見てトキメキ、鏡見て叩き割り。
盛りが付いて血眼のティーンエージャーがソワソワソワソワし出すのだ。
大人になると子供を連れてって、その子供がまた屋台を見てテンションを上げ、中学に上がって血眼、というわけで。
戦後の我が町で毎年続く恒例行事なのである。
会場は移り変わっているものの、やっぱ蒸し暑いけど雨は降らないでくれた折角の週末に。
ちょいと雰囲気だけでも味わいに人込みにまかれて、繋いだ手と手が一瞬離れて。指先を辿れば君のひんやりとした肌触りにドキっ。
ぬえんてな体験がありゃココでこんなもん書いてるわきゃねえだろバァカ!
ふざっけんな!
大体な、かつてこの納涼なんちゃらを仕切ってたのは私の曽祖父なんだぞ!
これは本当で、私自身も最初は年寄りの与太話だと思ってたんだけど、よく思い出すと小さいころ、母や祖父母に連れられていった先の屋台にはまだ昔を知っている人が数人残っていて、そういう人は私に売り物のフランクフルトや焼きそばなんかをタダでくれたことがあった。
流石に今はそんなことないし、多分運営も変わって健全化してる(と思う)けど、20数年前まではそういうこともあったのだ。
うちは曽祖父が市会議員と興行師だったので、まあそういうイベントごとには色んなかかわりがあったそうで。そういえば力道山時代の日本プロレスも呼んだらしいよ!
力道山と曽祖父の写真がどっかに残っているらしいけど、残念ながら今日まで発見されていない。
愛知県のオールドマニアの皆さん、情報求ム…!
故・ジャイアント馬場さんの本に、豊橋市のデパートで展示してたトロフィーが紛失してその日の試合に届かなかったって話があるけど…コレもどっかに残ってねえかなあ。
元子さんも亡くなってしまわれたし、いま私が見つけたところでどうしようって感じだけど…。
私なんかはるかにしのぐ松山勘十郎座長に差し上げようかな?
事務所に置き場が無いか…。
閑話休題。曽祖父の居たその昔を知ってる人々のなかの一人がキッドさんのお父さんこと佐藤輝之さんこと輝さんと、輝さんのご両親だった。
というか佐藤さん一家も長年テキヤさんをやってたのでその辺の事は私よりよっぽど詳しかった。
輝さんのご両親は露店が出るたびにたい焼き屋さんをやっていて、美味しいと評判だった。
毎回必ず、わざわざ屋台を探し出してここのたい焼きを買いに行く人が居たぐらいだ。
うちの母や祖父母もそうだった。ここのたい焼きじゃないと、なんて言ってた。
輝さんのご両親の屋台はこの納涼うんにゃらもんにゃらだけじゃなく、地元の色んなお祭りに出ていて、いつも人気だった。
一方の輝さんは、なんの屋台でも器用にこなす、屋台の何でも屋さんだった。
焼きそば、タコ焼き、りんご飴、焼き鳥、串焼き、クレープ、綿菓子から射的までホントになんでもやっていた。いま地元で30歳ぐらいの人は、一度は輝さんの屋台にお立ち寄り頂いていると思う。そのぐらい毎年毎年、なんでもやってた。
だから、家族でBBQなんかすると輝さんの昔取った杵柄が炸裂して、参加してくれたケンちゃんやダンディ山田君とかが輝さんの作った焼きそばを食べて
「なんか夜店で食べた味みたいだ」
と言っていたけれど、それは大正解なのである。だって本当に夜店で作って売ってたんだもんこの人は。
その後、セブンイレブンで働き始めた輝さん。
売り物のオデンが美味しくない!と激怒。
自分でコンロと鍋とタネを買ってきて持ち込んでレジ前で煮込んで売ろうとしているところを母が店長に密告(チク)り事なきを得た。元は京都で料理人の修行をみっちりやった人なので味付けにはうるさかった。ちなみに止めた母いわく
「オデンだけで済むわけねえだろ、そのうちフランクフルトから唐揚げから焼き鳥までやり始めて、店先に屋台を出しかねないから早めに芽を摘んだんだ」
だってさ。
私もそう思う。
この流浪の元料理人テルさんは私たちや仲間に料理を振舞い、美味しい!と言われれば言われるほど調子に乗って次々と料理をこしらえてしまうので、きっと店でも
おっ、今日のオデンは美味しいねえ
などと言われた日には、本当に昼は店内でバイトして、夜になったら駐車場にリヤカーか軽トラの屋台でも引いて来たに違いない。
さっきもチラっと書いたけど、今じゃ屋台も健全化で、それはもちろん良いことなんだけど、やっぱ昔ながらの胡散臭さとか、ちょっとおっかないムードを持っている人にも屋台に立っててほしいなっていうノスタルジックを抱えている。
なので、是非輝さんは長生きしてジジイになったら、また屋台でたい焼きを売ってくれないかなと思う。
私も手伝うから。売り子さんとか。
地元民のあいだでは単純に「夜店(よみせ)」とも言われているこの行事。
雨は多いがイベントの少ない6月の週末にだけ、決まった場所に夕方から21時ぐらいまで露店がズラリと並ぶのだ。
まあそれだけなんだけど、そこはそれ。
子供は屋台を見るだけでテンション上がるし、中学生から大学生ぐらいまではとにかくこの手のイベントは
ジッタリンジン
が脳内ディスコでガンガン流れ、脳内FMパーソナリティー(ナビゲーターでも可)が甘酸っぱい理想とクソみてえな現実を巧みに言いくるめ、夢見てトキメキ、鏡見て叩き割り。
盛りが付いて血眼のティーンエージャーがソワソワソワソワし出すのだ。
大人になると子供を連れてって、その子供がまた屋台を見てテンションを上げ、中学に上がって血眼、というわけで。
戦後の我が町で毎年続く恒例行事なのである。
会場は移り変わっているものの、やっぱ蒸し暑いけど雨は降らないでくれた折角の週末に。
ちょいと雰囲気だけでも味わいに人込みにまかれて、繋いだ手と手が一瞬離れて。指先を辿れば君のひんやりとした肌触りにドキっ。
ぬえんてな体験がありゃココでこんなもん書いてるわきゃねえだろバァカ!
ふざっけんな!
大体な、かつてこの納涼なんちゃらを仕切ってたのは私の曽祖父なんだぞ!
これは本当で、私自身も最初は年寄りの与太話だと思ってたんだけど、よく思い出すと小さいころ、母や祖父母に連れられていった先の屋台にはまだ昔を知っている人が数人残っていて、そういう人は私に売り物のフランクフルトや焼きそばなんかをタダでくれたことがあった。
流石に今はそんなことないし、多分運営も変わって健全化してる(と思う)けど、20数年前まではそういうこともあったのだ。
うちは曽祖父が市会議員と興行師だったので、まあそういうイベントごとには色んなかかわりがあったそうで。そういえば力道山時代の日本プロレスも呼んだらしいよ!
力道山と曽祖父の写真がどっかに残っているらしいけど、残念ながら今日まで発見されていない。
愛知県のオールドマニアの皆さん、情報求ム…!
故・ジャイアント馬場さんの本に、豊橋市のデパートで展示してたトロフィーが紛失してその日の試合に届かなかったって話があるけど…コレもどっかに残ってねえかなあ。
元子さんも亡くなってしまわれたし、いま私が見つけたところでどうしようって感じだけど…。
私なんかはるかにしのぐ松山勘十郎座長に差し上げようかな?
事務所に置き場が無いか…。
閑話休題。曽祖父の居たその昔を知ってる人々のなかの一人がキッドさんのお父さんこと佐藤輝之さんこと輝さんと、輝さんのご両親だった。
というか佐藤さん一家も長年テキヤさんをやってたのでその辺の事は私よりよっぽど詳しかった。
輝さんのご両親は露店が出るたびにたい焼き屋さんをやっていて、美味しいと評判だった。
毎回必ず、わざわざ屋台を探し出してここのたい焼きを買いに行く人が居たぐらいだ。
うちの母や祖父母もそうだった。ここのたい焼きじゃないと、なんて言ってた。
輝さんのご両親の屋台はこの納涼うんにゃらもんにゃらだけじゃなく、地元の色んなお祭りに出ていて、いつも人気だった。
一方の輝さんは、なんの屋台でも器用にこなす、屋台の何でも屋さんだった。
焼きそば、タコ焼き、りんご飴、焼き鳥、串焼き、クレープ、綿菓子から射的までホントになんでもやっていた。いま地元で30歳ぐらいの人は、一度は輝さんの屋台にお立ち寄り頂いていると思う。そのぐらい毎年毎年、なんでもやってた。
だから、家族でBBQなんかすると輝さんの昔取った杵柄が炸裂して、参加してくれたケンちゃんやダンディ山田君とかが輝さんの作った焼きそばを食べて
「なんか夜店で食べた味みたいだ」
と言っていたけれど、それは大正解なのである。だって本当に夜店で作って売ってたんだもんこの人は。
その後、セブンイレブンで働き始めた輝さん。
売り物のオデンが美味しくない!と激怒。
自分でコンロと鍋とタネを買ってきて持ち込んでレジ前で煮込んで売ろうとしているところを母が店長に密告(チク)り事なきを得た。元は京都で料理人の修行をみっちりやった人なので味付けにはうるさかった。ちなみに止めた母いわく
「オデンだけで済むわけねえだろ、そのうちフランクフルトから唐揚げから焼き鳥までやり始めて、店先に屋台を出しかねないから早めに芽を摘んだんだ」
だってさ。
私もそう思う。
この流浪の元料理人テルさんは私たちや仲間に料理を振舞い、美味しい!と言われれば言われるほど調子に乗って次々と料理をこしらえてしまうので、きっと店でも
おっ、今日のオデンは美味しいねえ
などと言われた日には、本当に昼は店内でバイトして、夜になったら駐車場にリヤカーか軽トラの屋台でも引いて来たに違いない。
さっきもチラっと書いたけど、今じゃ屋台も健全化で、それはもちろん良いことなんだけど、やっぱ昔ながらの胡散臭さとか、ちょっとおっかないムードを持っている人にも屋台に立っててほしいなっていうノスタルジックを抱えている。
なので、是非輝さんは長生きしてジジイになったら、また屋台でたい焼きを売ってくれないかなと思う。
私も手伝うから。売り子さんとか。
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