不定期エッセイ キッドさんといっしょ。

ダイナマイト・キッド

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第405回。立川談志ハーリーレイス説。

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ふとしたことから立川談志さんの魅力に憑りつかれている。
この人の凄まじさってのは一体何なんだ。
伊集院光さんのラジオでの対談では、トークイリュージョンについても触れていて。

面白けりゃいいじゃねえか、話が反れようが変わろうが。

要するに、小さな子供は犬も猫も馬も熊も同じに描く。
それが当たり前であり普通の状態なんだ、と。
それに区別をつけ、常識を学び、分別のある状態が異常であり無理をしている。
無理が利かなくなると壊れて元通りになる。ボケた状態だということ。

この「普通で自然な状態」に脳を持っていくにあたって、無理した常識や学習のタガを外すのは難しい。
が、あらかじめある程度作り込んでおいた単語や文章によって疑似的に持っていくことは出来る。
ただし作り置きしておくものの質、それを取り出すタイミング、組み合わせの妙などは全部センス。
そこがダメだと何やってもダメ。
とのこと。

よく伊集院光さんはバケモノだ、と思ってた。
立川談志さんは大魔王だった。
この時すでに62歳。でも、一度火が付くと止まらない。
トークイリュージョンとは、そうやって頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えする情景の連続によって引き起こされた火花がスパークする一瞬に焼き付けられた謎の幻影写真のようなものが脳裏に刻まれることなのかもしれない、と私は思った。

面白いと思ったことはストックしておく
話が反れても続けていって、どんどん面白い方に向かっていけばいい
この二つは、やってみたいと常々思うことで、実際に(個人的にではあるものの)よく陥りがちな脱線と消化不良だと思っていた。ストックしたネタをエッセイに消化出来なかったケースも多々ある。
だけど、それはそれでいいんだ。それすらも受け入れて飲み込んでそのまま流しちゃえ。
ただし、その匙加減はお前さんのセンスだよ。
そのセンスがバケモノを通り越して大魔王じみていたんだきっと。

とても面白い。
こんな凄い人と同じ時代に生きていたなんて。

そこで思い浮かんだのは、立川談志さんは往年の名レスラーでいえば
ハーリー・レイス
だということ。

ハーリー・レイスは元祖のプロレス、カーニバルのテントで行われた試合からニューヨークの大会場での試合まで時代を越えて活躍したアメリカのプロレスラー。
その時代に合わせて、若き反逆者、難攻不落の悪党チャンピオン、名物長老レスラーと姿かたちを変えて選手生活を送ったことでも知られる。幾度となく世界王座に君臨した強さを持ちつつも魅せる技も使えたし、実際に真剣勝負も何度となく経験し勝利して来た。

その実力、万能ぶり、積み重ねた経験から一滴の雫がこぼれる。
前にも書いたけど、その雫がスパークする瞬間のためにプロレスも落語も存在しているのかもしれない。

なんか、もっとこう、上手く?説明できたはずなんだけど…うーん。

トークイリュージョンで言えば、プロレスの試合も同じであると考えられる。
聞き手と受け手との関係が実に似ている。
突飛な発想とカッ飛んだトークであるようで、実はしっかりとした素地が必要で。
知識も話術も経験も不安も恐怖も自信もその日の体調も全部詰め込んで一発に賭ける。
現実にありえないことをしているようで自分の希望や願望を重ね合わせて、いつの間にか感情移入させられてしまう。
それにかかわっているすべての人が混然一体をなし、完成する形のない巨大な芸術。文化の連綿、触れたものすべてを巻き込んで昇華する黄金王(ミダス)の如き思念の集合体。それが歴史を持って紡がれてきたという圧倒的な事実。古典芸能でありながら現代の文化も吸収し、古の日本を残しながら現代日本もまたその歴史の一つに過ぎないことを示しつつ過ぎ去って行く。
当時の時事ネタも、今現在の風刺もあと30年や50年経てば同じくらいの懐かしい話、昔々のお話になってしまう。
うわあ考えたらなんかすげえ怖い!けどその一部になりてえ!!

プロレスも落語も同じようにとらえております。
特にプロレスで私は挫折して、その歴史どころか日めくりカレンダーにもなれなかったもので…。
今でもその一部になりかけてた、そのチャンスがあったという事実に対してだけでもビビってしまうことがある。

立川談志という大魔王を産み出した昭和も遠くなり、平成も終わろうという世の中で。
江戸や明治の話を語り継ぐことってとても素晴らしいことじゃなかろうか。
昭和初期の話だって、もうきっと同じような扱いになりゃしないか。
どんどん掘り下げていって、また新しい発見があるといいよな。
最近使わなくなった言葉、忘れてた事件・事実。
そういうものを語りの中に織り込んで。
昔の話は新しく、今日出来上がった話は懐かしく。
温故知新の世界で生きる大衆芸術の世界。

そうか、昨日の技は懐かしく、昔の技は新しく。
中西学選手がアルゼンチンバックブリーカーを平成の世に蘇らせたように、落語も未だに昔の話に色んな解釈がなされているんだ。
やっぱり万物は教養としてのプロレスに繋がるんだな。
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