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第249回。ミクシィやってる?

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昔さ、いま再生してる音楽をミクシィで共有するっていうか表示するやつあったよね。
なんて機能だったか忘れたけど。
アレなんだったんだろうな。

洒落たこと言いたくて普段ぜってー聞きもしない曲を再生してた奴とか居たのかな。

んな自分好みの音楽聞いてるからって
ステキ!抱いて!!!
ってなるような女の子が居たところで抱きたいっつーの。
抱きたいんかい。

今コレを書いているのは10月9日の月曜20時ちょいすぎ。
三連休でしたね。皆さんは如何お過ごしでしたか?
私は土曜、月曜とゆるく仕事してました。
休日出勤の良いところは余分にお金もらえるところと、道が空いてるところ、あと終わったらとっとと帰れるところ。

日曜はお墓参りへ。
バタバタっと祖母、祖母、祖父と亡くなった時期があって、それを思い出すとなんかすげえなって。
みんな70代だったし、出来る事なら生きてて欲しかったけど、祖母は二人とも病気がちだったので楽になってよかったな、と。祖父も、そんな祖母のところで一緒になれてよかったな、と。

死んでも生きてても、なんか変わんねえな。
いなくなるのは寂しいけど、居なきゃいけないってことはねえのかも。

時々そんなことを思うなあ。
今よりずっとやることが少なくて、要するに娯楽や食べ物が豊かでないころ、ひとつひとつの娯楽の粒が大きかったころのことを想像すると、それはそれで楽しかったのかもなあ。
映画や本、クルマに鉄道での旅行、カメラ。うちの祖父は多趣味で、それこそ自動車旅行が好きだったのでどこへでも行っていた。私が免許を取ってクルマを乗り回すようになると、何処を走るのでもアドバイスをくれた。
旧い道だけじゃなくて、ちゃんと最新版のマップルを買って虫メガネで読んでたぐらいだから新しい道路の事もよく知っていた。
新名神が開通したときは興奮してたな(笑)

同居してたのは母方の祖父母で、二人とも居なくなってしまった。
家の中が広い。
祖父は若いころは活発で多趣味だったけど、年々大人しくなっていった。
祖母が豪快な人だったので、その陰に隠れていたが実は昔はすごかった、という。
以前ココにも書いたけど、祖母は糖尿で脳梗塞も心筋梗塞もやってたのに、夜中11時とかに私に
「和哉、ラーメン食いに行こう」
っていうような人だった。よく自他ともに認める元気な(トンパチな)お年寄りの自慢話にこういうのがあるけど、うちの祖母もそうで、そのあとキッチリ脳梗塞を起こして認知症になってしまった。
ので、やはり養生が大切であると思う、のと同時に、もうああなったらまさに「余生」であり、何物にも囚われずに体は不自由だが精神は解放されている様をつぶさに見ることが出来た。
幸運にもきちんとした施設で手厚くケアして頂き、そのままそこで亡くなった。祖母の顔は穏やかな、よくいう眠っているような顔だった。
やりきった!
って感じで、スパっとケリをつけたのは彼女らしい最期だったなと思う。

最近になって私は
ポンコツジジイになりたい
と思うようになった。
近所のガキを集めてホラを吹き、あとでバレてケツを蹴られるぐらいのジジイがちょうどいいと思っている。そのために毎日スクワットを欠かさない。
うちの祖父は穏やかで物知りな人物だったが、この物知りを無駄な方に活かしたジジイになるのが目標だ。だから、すぐにボケたり寝たきりになるのはゴメンだ。
なるべくたくさんの人に会い、なるべくたくさんのモノを見て、なるべく遠くに行っておきたい。

いま私の中で2017年最高のホラ話は

ワシは昔、ソーセージをウィンナーにする仕事をしとったんじゃ。
どう違うの?
ソーセージに酢をちょっと入れたのがウィンナーじゃよ。でも酢を入れ過ぎるとソーセージが溶けちゃうからサジ加減が難しい。ワシはこの酢をチョイ足しする名人だったんじゃが、今じゃ全部機械で出来ちゃうからのう…。

っていう話。どうコレ?
全部ウソなのに妙にリアルでいいな、と自画自賛している。
ウソの職人技ってなんだよ。ビネガー師匠かよ。

今じゃ年々減ってるけど、愛知県は喫茶店が多い。
ウチの祖父母も御多分に漏れず喫茶店が好きで、二人ともコーヒー党だった。
私と母は紅茶もいけるけど、あの二人はコーヒーだったな。

我が家の親類が長年喫茶店を経営していることもあって、子供のころから身近なお店だった喫茶店。
近所の小さなお店にはたいてい祖母のコーヒーチケットがあって、私がフラっとお店に行ってコーラを飲んだりしても良かった。祖母はどこのお店でも(良くも悪くも)目立っていたようで、その孫だというんで話が早かった。
近所を歩いていると見覚えのない人から声をかけられて、話を聞いてみると祖母の喫茶店友達だったという人が結構いた。そういう人が口をそろえて
昔はおばあさまにご馳走して頂いて…
というんで、きっとイルカの絵を売る姉ちゃんも真っ青なぐらい、一日何杯のコーヒーを振舞っていたんだろうな。それこそイルカどころかヒマワリでもシャルトル大聖堂でも絵が買えたんじゃないか。まあ、花より団子を地で行く祖母らしい話だ。

私の曾祖父はこの近所では有名な人だったらしく(死んだときローカルながらテレビや新聞でちょっとニュースになったらしい)子供の頃の私は、その曾祖父と祖父母の人徳でもって可愛がってもらっていた。その頃を知る人が年々減って、私は私の暮らしを送って。
いつかジジイになったときに近所に元気でちょっとバカなお子様が居たら、彼らを可愛がってあげようと思っている。ポゥ!
いやそういう意味じゃなく。

でも、その可愛がり方が、たぶんジジイ丸出しのお菓子をあげてホラ話を聞かせることなので、あんまり喜ばれないかな。でもって急にホントのこと言ったな!と思ったら、あくる日ぽっくり死んでたいね。
そんな理想の老後のはなし。

ミクシィ?知るか
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