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第117回。少林寺拳法のはなし。
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掲載日2017年 06月01日 01時00分
千葉真一さんやリー・リンジェ氏の映画ではない。
いま日本で、世界でもあちこちで広く親しまれている少林寺拳法は、戦後の日本において
初代・宗道臣(そうどうしん)先生
が創られたものだ。
これは幼いころより武術の心得があった(おじいちゃんが武家の末裔だったんだっけな)宗先生が戦前に中国にわたり、義和団事件後の動乱期にあって存亡の危機を迎えていた幾つもの流派から色んな中国拳法を習い、それらに日本に定着していた唐手や古流柔術などをミックスして出来たもの。
武術のミクスチャーだと思えばわかりやすいか?そうでもないか。
早い話がいいとこどりである。
私は小学2年からコレを習っていた。
私が習いだした当時は、空手や柔道はちょっと…という親御さんや、そこまで気の強くないお子様向けの簡単なエクササイズといった感じで、みんな小学校を卒業するとやめちゃっていたようだった。
キッドさんはというとコレが短気で乱暴、しかもちょっとばかし力が強いとあって
「コイツに空手なんか習わせたってロクな事にならない」
という母ミワコの判断によって少林寺拳法を習う事になった。
習ってみるとコレが中々面白い…ガンガン練習してぐんぐん強くなった、と言いたい所だがそうでもなかった。
基本練習はかったるいし、周りにいるのは貧弱なモヤシっこばかりで私の突きや蹴りがちょっと当たっただけで泣いたりビビったりしていた。
当時の私は同じ小学校の連中になら年上にだって負けないくらいの腕っぷしがあった。つもりだった。
というか頭に来たら暴れてやればいい、くらいに思っていた。
でこの道院(少林寺拳法では道場のことをそう呼んでいた)でも同じようにした。
なんだとコノヤロウ!ボコー
といった感じで。
結果、ここでも危うく友達をなくしかけた。
二枚目でスタイルもいい、ジャニーズ系の美少年だが性格の悪い先輩には、それをネチネチ言われたりもした。
「あー、そうやって暴れればいいと思ってるんだ?」
「お前みたいな奴といっしょに練習したくねえんだよなー」
みたいな。実にごもっともだが顔が良い分憎たらしかったな。
で、もう一人の先輩の仙田さんには黙って〆られた。
仙田さんは兄弟で習ってて、弟が私と同級生だった。
この仙田君は可愛い顔をしていて、お兄ちゃんには全く歯が立たない気弱な子だった。
お兄ちゃん=仙田さんはいかにもアニキって感じで、メガネに痩せマッチョでいつも冷静に弟を〆ていたが実は冗談が好きで面倒見も良かった。なのでイヤミな先輩と違って高校生になっても暫くは道院に顔を出していた。あとで聞いたら仙田君と私が初段の試験を受けるんで、その為に指導に来てくれてたそうな。
でね。
この仙田さんは当時小学6年で80キロ近くあった私より体は細いが、そこは流石に高校生。
筋力も体力も段違い。
あっという間に難しい固め技で仕留められた。
ホントにこれ以降、基本練習をトイレでさぼったり、少なくとも道院のなかでは暴れたりもしなくなった。単純な話で恥ずかしいけど、世の中には化け物みたいに強い人ばかりいるんだと思い知らされたのだ。
そのへんの事は、当コーナーの第10回にも書いているのでご参照あれ。
http://ncode.syosetu.com/n0823du/10/
でね、この少林寺拳法は実は宗教法人で。
今は事業仕分けとかいうバカげたママゴトのせいでどうなったか定かじゃないけど、あの頃はそうだった。
これも実は戦後のGHQが武術・武道に対しては規制をかけていたので、それを逃れるためであるとも言われている。
戦後、日本の若者にただ説法をしたり格闘技を教えるだけではだめだと。
文武両道、両方きちんと習って立派になってほしいと思った宗先生はどうしたか。
往来で荒れてる若者を片っ端からとっちめては
「お前元気がいいな、よし中国拳法の奥義を教えちゃる!」
とスカウトし、集まってひとしきり汗を流したところで
「いいか、よく聞けよ。お釈迦様の教えにはこんなことがあるんだ…」
と言って聞かせたっていうんだな。
そんなことばかりしてて付いたあだ名が喧嘩坊主こと宗先生の、そんなざっくばらんなところが私はとても好きだった。武術のトップなんてもっと難しくてややこしい話ばかりするかと思いきや、(子供にも読みやすくしてくれてたんだろうけど)当時の私でも読めるぐらいくだけた話が多かった。そんな宗先生の講話が載っている少林寺拳法の機関紙を読むのが楽しみだったなあ。1980年に亡くなられた宗先生の、数あるお話の中から抜粋したものが毎号載ってて、これが子供にもわかりやすくとてもためになった。
それから、少林寺拳法の理念であるところの「人、人、人。すべては人の質である」という文言は今でも忘れられない。
政治も戦争も格闘技も会社も、全てはそれにかかわる人の質の問題なのだ、と。
良い人が行えば政治も格闘技も会社も上手くいく。
ひとたびろくでもない連中にそれが渡ると良い事なんか何もない。
そういうことだ。
民主党政権時、イヤってほど痛感したがアレで少林寺拳法が仕分けられてたのは何かの皮肉か…。
私は高校3年まで10年近く少林寺拳法の修行を続けた。
今でも体にはそれが染みついているし、最初に私を少林寺に誘ってくれた整体師でもある稲垣先生のもとに治療に行くと、先生方の近況を聞く事もある。
赤鬼のように強かった岩瀬先生(文字通り岩みたいな拳をした、おっかないけど優しい先生だった)もさすがに寄る年波にはかなわない、なんてな話を聞くと、ちょっと寂しいような気もする。
その後色んな格闘技に興味を持ち、また道院でも稲垣先生の息子さんが極真空手や空道・大道塾を習いに行っては乱取りげいこをしていて、それに混ぜてもらったりもしていた。
世の中に出れば普通の人なのに、ホントはこんなに強いんだ!っていうのは新鮮な驚きだった。
あの当時は、強ければみんな格闘技の大会とかに出て有名になるもんだとばかり思っていた。
つまり、力や欲に囚われた状態だったというわけだな。
それが悪い事、良くない状態だとは思わない。
正義のない力は暴力だが、力のない正義は無力だ、とよく道院長の鈴木先生が言っていた。
力は必要だ、だがあとは使い道次第だ、と。
人の質という理念ともつながる。
結局はせっかくある力なのだから上手く使えと言う事なのだけれど、まあそう上手くもいかないわけで。
今でも短気を起こすこともあれば、落ち込んだり腹立ったり苛々したりする。
気に喰わない奴も居るし、納得いかないこともある。
でも、イチイチ突っかかってねじ伏せようとは思わないし、そんな疲れる真似はもう出来ない。
というか30にもなってそんな事してたら危ないわ。
頑張って小拳士弐段を取得したので、実は道院があれば少年部の指導までは出来る。
私は教えるのも好きだし、考えていることが好きなので、いつか子供たちに色々教えてあげるのも面白いかな、と思う事もある。
それまでに少林寺拳法が少林寺拳法として残っているかなんてわからないけど、それならそうで、宗先生だって途絶える運命にあった古武術を習って蘇らせたのだから、小さいながらも同じように出来たらやっぱり痛快なんじゃないかな。不遜かしらね。
一生懸命、痛い思いもして習い覚えた所作の数々と、私の中で息づく理念。
私は物凄く強くはなれなかったけど、いい経験をさせて頂いた。
物事は何でも関連付けて考えると言い、という教えから、なんでもたとえ話にしてみたり、一つの事柄から色んな想像をしてみたり。これがマイナス方向にスイッチ入ると大変だけど…。
好きな女の子の苗字と同じ漢字を一文字見ただけでブルーになったりとかさ。
でも、そういう逆境(というか失恋?)を跳ね返す、もしくはネタにしてココに書いたりするための昇華にも、実は少林寺拳法時代の修行が活かされているのかもしれない。
宗先生が喧嘩坊主なら私は喧嘩豚骨ということで、これからも色んな物事を自分なりに捉えて写し出して行けたらイイと思っている。
合掌。
千葉真一さんやリー・リンジェ氏の映画ではない。
いま日本で、世界でもあちこちで広く親しまれている少林寺拳法は、戦後の日本において
初代・宗道臣(そうどうしん)先生
が創られたものだ。
これは幼いころより武術の心得があった(おじいちゃんが武家の末裔だったんだっけな)宗先生が戦前に中国にわたり、義和団事件後の動乱期にあって存亡の危機を迎えていた幾つもの流派から色んな中国拳法を習い、それらに日本に定着していた唐手や古流柔術などをミックスして出来たもの。
武術のミクスチャーだと思えばわかりやすいか?そうでもないか。
早い話がいいとこどりである。
私は小学2年からコレを習っていた。
私が習いだした当時は、空手や柔道はちょっと…という親御さんや、そこまで気の強くないお子様向けの簡単なエクササイズといった感じで、みんな小学校を卒業するとやめちゃっていたようだった。
キッドさんはというとコレが短気で乱暴、しかもちょっとばかし力が強いとあって
「コイツに空手なんか習わせたってロクな事にならない」
という母ミワコの判断によって少林寺拳法を習う事になった。
習ってみるとコレが中々面白い…ガンガン練習してぐんぐん強くなった、と言いたい所だがそうでもなかった。
基本練習はかったるいし、周りにいるのは貧弱なモヤシっこばかりで私の突きや蹴りがちょっと当たっただけで泣いたりビビったりしていた。
当時の私は同じ小学校の連中になら年上にだって負けないくらいの腕っぷしがあった。つもりだった。
というか頭に来たら暴れてやればいい、くらいに思っていた。
でこの道院(少林寺拳法では道場のことをそう呼んでいた)でも同じようにした。
なんだとコノヤロウ!ボコー
といった感じで。
結果、ここでも危うく友達をなくしかけた。
二枚目でスタイルもいい、ジャニーズ系の美少年だが性格の悪い先輩には、それをネチネチ言われたりもした。
「あー、そうやって暴れればいいと思ってるんだ?」
「お前みたいな奴といっしょに練習したくねえんだよなー」
みたいな。実にごもっともだが顔が良い分憎たらしかったな。
で、もう一人の先輩の仙田さんには黙って〆られた。
仙田さんは兄弟で習ってて、弟が私と同級生だった。
この仙田君は可愛い顔をしていて、お兄ちゃんには全く歯が立たない気弱な子だった。
お兄ちゃん=仙田さんはいかにもアニキって感じで、メガネに痩せマッチョでいつも冷静に弟を〆ていたが実は冗談が好きで面倒見も良かった。なのでイヤミな先輩と違って高校生になっても暫くは道院に顔を出していた。あとで聞いたら仙田君と私が初段の試験を受けるんで、その為に指導に来てくれてたそうな。
でね。
この仙田さんは当時小学6年で80キロ近くあった私より体は細いが、そこは流石に高校生。
筋力も体力も段違い。
あっという間に難しい固め技で仕留められた。
ホントにこれ以降、基本練習をトイレでさぼったり、少なくとも道院のなかでは暴れたりもしなくなった。単純な話で恥ずかしいけど、世の中には化け物みたいに強い人ばかりいるんだと思い知らされたのだ。
そのへんの事は、当コーナーの第10回にも書いているのでご参照あれ。
http://ncode.syosetu.com/n0823du/10/
でね、この少林寺拳法は実は宗教法人で。
今は事業仕分けとかいうバカげたママゴトのせいでどうなったか定かじゃないけど、あの頃はそうだった。
これも実は戦後のGHQが武術・武道に対しては規制をかけていたので、それを逃れるためであるとも言われている。
戦後、日本の若者にただ説法をしたり格闘技を教えるだけではだめだと。
文武両道、両方きちんと習って立派になってほしいと思った宗先生はどうしたか。
往来で荒れてる若者を片っ端からとっちめては
「お前元気がいいな、よし中国拳法の奥義を教えちゃる!」
とスカウトし、集まってひとしきり汗を流したところで
「いいか、よく聞けよ。お釈迦様の教えにはこんなことがあるんだ…」
と言って聞かせたっていうんだな。
そんなことばかりしてて付いたあだ名が喧嘩坊主こと宗先生の、そんなざっくばらんなところが私はとても好きだった。武術のトップなんてもっと難しくてややこしい話ばかりするかと思いきや、(子供にも読みやすくしてくれてたんだろうけど)当時の私でも読めるぐらいくだけた話が多かった。そんな宗先生の講話が載っている少林寺拳法の機関紙を読むのが楽しみだったなあ。1980年に亡くなられた宗先生の、数あるお話の中から抜粋したものが毎号載ってて、これが子供にもわかりやすくとてもためになった。
それから、少林寺拳法の理念であるところの「人、人、人。すべては人の質である」という文言は今でも忘れられない。
政治も戦争も格闘技も会社も、全てはそれにかかわる人の質の問題なのだ、と。
良い人が行えば政治も格闘技も会社も上手くいく。
ひとたびろくでもない連中にそれが渡ると良い事なんか何もない。
そういうことだ。
民主党政権時、イヤってほど痛感したがアレで少林寺拳法が仕分けられてたのは何かの皮肉か…。
私は高校3年まで10年近く少林寺拳法の修行を続けた。
今でも体にはそれが染みついているし、最初に私を少林寺に誘ってくれた整体師でもある稲垣先生のもとに治療に行くと、先生方の近況を聞く事もある。
赤鬼のように強かった岩瀬先生(文字通り岩みたいな拳をした、おっかないけど優しい先生だった)もさすがに寄る年波にはかなわない、なんてな話を聞くと、ちょっと寂しいような気もする。
その後色んな格闘技に興味を持ち、また道院でも稲垣先生の息子さんが極真空手や空道・大道塾を習いに行っては乱取りげいこをしていて、それに混ぜてもらったりもしていた。
世の中に出れば普通の人なのに、ホントはこんなに強いんだ!っていうのは新鮮な驚きだった。
あの当時は、強ければみんな格闘技の大会とかに出て有名になるもんだとばかり思っていた。
つまり、力や欲に囚われた状態だったというわけだな。
それが悪い事、良くない状態だとは思わない。
正義のない力は暴力だが、力のない正義は無力だ、とよく道院長の鈴木先生が言っていた。
力は必要だ、だがあとは使い道次第だ、と。
人の質という理念ともつながる。
結局はせっかくある力なのだから上手く使えと言う事なのだけれど、まあそう上手くもいかないわけで。
今でも短気を起こすこともあれば、落ち込んだり腹立ったり苛々したりする。
気に喰わない奴も居るし、納得いかないこともある。
でも、イチイチ突っかかってねじ伏せようとは思わないし、そんな疲れる真似はもう出来ない。
というか30にもなってそんな事してたら危ないわ。
頑張って小拳士弐段を取得したので、実は道院があれば少年部の指導までは出来る。
私は教えるのも好きだし、考えていることが好きなので、いつか子供たちに色々教えてあげるのも面白いかな、と思う事もある。
それまでに少林寺拳法が少林寺拳法として残っているかなんてわからないけど、それならそうで、宗先生だって途絶える運命にあった古武術を習って蘇らせたのだから、小さいながらも同じように出来たらやっぱり痛快なんじゃないかな。不遜かしらね。
一生懸命、痛い思いもして習い覚えた所作の数々と、私の中で息づく理念。
私は物凄く強くはなれなかったけど、いい経験をさせて頂いた。
物事は何でも関連付けて考えると言い、という教えから、なんでもたとえ話にしてみたり、一つの事柄から色んな想像をしてみたり。これがマイナス方向にスイッチ入ると大変だけど…。
好きな女の子の苗字と同じ漢字を一文字見ただけでブルーになったりとかさ。
でも、そういう逆境(というか失恋?)を跳ね返す、もしくはネタにしてココに書いたりするための昇華にも、実は少林寺拳法時代の修行が活かされているのかもしれない。
宗先生が喧嘩坊主なら私は喧嘩豚骨ということで、これからも色んな物事を自分なりに捉えて写し出して行けたらイイと思っている。
合掌。
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