不定期エッセイ キッドさんといっしょ。

ダイナマイト・キッド

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ストロングスタイルとは何ぞや???

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なんなんでしょうね
みんなはなんだと思う?
平成も終わったってのに昭和の幻想に囚われてるのも勿体ない話だな、と思ったのがそもそもの発端だったのですが

私キッドなりのストロングスタイルという言葉、概念について考えてみました

事の発端というのを改めて書くと、とある新日本プロレスの選手のツイッターにリプライをしている人が居て。それを見て
(ああ、まだそんな考えの人がいるんだな)
と思ったことでした
色んな意見があっていいし、別にその人や意見をあげつらって批判とか誹謗中傷するつもりはないんで気を付けて書かなくちゃいけないなと思うのですが

結局いまの新日本プロレスを頑張って作ってきた選手にストロングスタイルを押し付けるのは実にナンセンスというかお門違いだと思うんですよ
だって、その言葉、そんな呪文のせいでどんだけ苦汁を舐めた人がいるのか
要らない煮え湯を余計に飲まされたかって話で。ファンも選手も煮えた苦汁をジョッキでいってた世代ですよ
1990年代から2000年代にかけて、神通力を失い始めたストロングスタイルという言葉に縋り付いてるごく一部の連中がまだそこら辺にのさばってて、そいつらの体面のために色んなものが食いつぶされ、看過され、見殺しにされ、頭打ちになり、気が付けば好き勝手言ってた連中は好き勝手に年を取っていなくなり、半ば焼け野原みたいになった世界だけが残された、と
こんな場所で育つもんも育つかよ!
って状態だったのが今また隆盛を迎えたと思ったら、ついでみたいに土の中から顔を出したミイラが何か言ってる、って感じだと

あん時あんな経験をしてもまだストロングスタイルという言葉にすがりついてるの?
あんな時代は二度とごめんだと思うどころか、まだ「あの頃」の味を占めた連中の言う
「夢とかロマンとか黄金時代なんてもの」
を信じるの?
という素朴で身も蓋もないアンチテーゼ
昭和がプロレスの黄金時代だったというのは間違いではない
でもそれは正義じゃない
そもそも今の新日本プロレスを見てお気に召さない人の言うストロングスタイルってのはじゃあ一体なんなんだ
自分のお気に召す試合を見たらそれがストロングスタイルなのか?
そんなのは人様、それもプロの現役選手に意見するレベルの話じゃねえだろ、とすら思うんですよ私は

私が考える
「ストロングスタイルという言葉が今、持っている意味」
は「UWFとかWWF時代のアティチュード路線と一緒」で、
「かつてそう言う時代があった」
そして
「今もなおその時代のプロレスを愛する人のための言葉」
になったもの、だと思う
だってそうじゃん。今の新日本プロレスには今の新日本プロレスにしかない良さ、パワー、方針があるわけで。そこに旧時代のキャッチフレーズを押し付けてもしっくり来るはずがない。今そこにストロングスタイルという言葉は必要なくなっているのだ

江戸幕府の話に織田信長をねじ込むようなもので、元をたどれば根っこは同じかもしれないが、今現在の流れは別のものだよ、そこにいる人達は今の時代に選ばれた人なんだよ、ってことじゃないかなあ

ただ面白いと言うか興味深いのは、これがツイッターだから現行勢力を支持する人が多いけど、フェイスブックのコミュニティだったら絶対逆転してたんじゃないかなって思う
みなさん!今日も一日よろしくお願いいたします!
とか誰によろしくお願いいたしてるんだかわからないけどとりあえず挨拶と、それとは特に脈絡のない昔の写真を貼るタイプの場所
そこに書いてりゃ話は違ってただろうなって思う

ふとした投稿、色んな写真や書き込みを切っ掛けにして交流をしたり、そこでいい大人がみんなして楽しんでるのって凄く微笑ましいと言うか、それを見て会話に花を咲かせて、思い出話や自分のコレクションを見せっこしたり、拾い物でも自分が撮影したものでも持ち出してきて張り合ったりとか、インターネット時代だからこそ出来るお楽しみがあるじゃん
私もたまに記事を書いたときにリンクを貼らせてもらうけど、そうすると例えば冬木さんやネグロ・ナバーロ先生のことを書くと、その試合をリアルタイムで体感した人の話とか書きこんでくれるわけだよ。こんないいことないぜ?
とてもステキなことだよな、世代も住まいも取っ払って、同じ時代にいながら話題の時間軸が過去と現在で揺らいでる状態ってのは文化として非常に豊かな証拠じゃないか

それを、なんか知らないけど急に現状批判にしちゃう人ってどこにでもいるんだよ
それに比べて今は!まるで、サーカス!のようですね!!
みたいな、絵文字とビックリマークと句読点がおかしなところに入ってる例の文章で書く人ってのがどこにでもいる。プロレスに限った話じゃないけど
そして頭の固い人は、その変わらないことしかアイデンティティがないんだと思う
変わらないことだけが良しというのであれば、それは変われなかった人の意見でもある
現に長州力さんも天龍源一郎さんも、みんな今でも新しい挑戦をしている。だからいつまでも元気で若い
何より、そのストロングスタイルとかいう言葉の権化、もっともそのキャッチフレーズを背負わされていたであろうアントニオ猪木氏ご本人が未だに元気バリバリでいるわけで

この人達がみなあなた方のお望みどおりにストロングスタイルのプロレスに執着していたら、あなた方の愛した彼らのこんな幸せそうな未来はあったのだろうか
未だに縮小再生産を繰り返す狭い世界で、ずっと同じ事をしてて欲しいんだろうか

そしてその終わりなき呪われた輪廻を新しく育った人たちにも背負わせて、一体どうやって自分の愛するジャンル・文化を守り育てていくつもりなのか
気に食わないことばかりの生活を潤すための娯楽までもが、
自分の気に食わない方に変わっていくと思うのは、自分が今気に食わない世界にいることを変えてないってことでもあるのだ
変わろうが変わるまいが勝手だけど、結果としてお気に召さないのを自分以外のせいにしちゃいけないし、そういうのを不粋っていうんじゃないかなー

あのターザン山本さんだってちょっと前に今の新日本プロレスを見た時に
もう自分はお客さんじゃない
と言ってたぐらいだ
ひと口にプロレスといっても色々ある。そのなかで賛否両論を巻き起こして常に話題と熱を産み出すことは容易ではない。ちょっとやそっとでは埋もれてしまう
今の新日本プロレスには、あの頃には無い熱や前向きな話題がある
パワーがある。批判や懐古を産み出すだけの文化的な素養、土壌があるということに他ならない。ストロングスタイルを過去の遺物としてこのまま置き去りにするのか
それとも、どっかでまた今風のものとして復活するのか

それもまた楽しみだなーと、私としては思うのである
やっぱアレだな、プロレス、サイコーだな。ウン
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