不定期エッセイ キッドさんといっしょ。

ダイナマイト・キッド

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書き下ろしエッセイ。ドキュメント大告白・キッド イン 中3の夏

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 中学2年の時にクラス替えで一緒になった石黒てっちゃんとは小学校からの友達だった。私は小5から小6にかけて学校に行かなくなり、その当時仲が良かったと私は思ってたみんなとも話をしなくなってた。だけど、てっちゃんをはじめ何人かの友達は中学に入ってしがらみが無くなると、また前と同じように接してくれた。
 そんなてっちゃんと同じ弓道部だったMさんという女の子が、仲の良かったてっちゃんと話をするために我が2年1組までしばしばやってくるようになった。

 Mさんは透き通るような白い肌につやつやした黒い髪をポニーテールかツインテールにし、太くて濃くて凛々しい眉毛に知念里奈にちょっと似てる感じの、大変な美人さんでした。しかも綺麗なだけじゃなく勉学もめちゃ出来て、あの当時すでに公文式で高校生の問題をやっていた。らしい。一方私はその後高校生になっても公文式で中学生の問題をやり直していた。
 才色兼備を地で行くどころか片側5車線のアウトバーンを爆走するMさんとは若干14歳にしてエライ差がついていたけど、無謀にも私はそんなMさんが好きで好きでたまらなくなっていった。

 大体、2時間目と3時間目の間の長めの放課になると彼女がやって来て、てっちゃんと四方山話に興じていることが多かった。私はそこに混じって、何かと彼女のことを聞きだしたり、話を聞いているふりをして彼女の首筋や髪の毛先がとてもきれいだなと思っていた。透き通るような声と、センスあふれるユーモア。言葉選び一つとっても他の女子とは違って、賢さが嫌味なくにじみ出ている気がして聞き逃せなかった。今聞いたら、いわゆる中二とかなんとか言って十把一絡げにされてしまうのかもしれないけど。思い出補正も効かないぐらい遠い話なので、何とも言えないな。でも、彼女と話してて楽しかったから、今でも女性を好きになる時は話をしていて面白かったり、頭の回転の速い子が多い気がする。Mさんは、その最たるものだった。何を話しても反応が良くて、会話が弾んだ。時間はあっという間に過ぎ去って、また彼女も自分の教室へ去って行ってしまう。また次の長い放課や、給食の後の昼休みが待ち遠しかった。彼女は常にココへ来るわけじゃなかったから、同じ部活のてっちゃんがうらやましくて仕方がなかった。部活の練習で膝を怪我したときなんて、それを言い訳に弓道部へ移籍しようかと思ったくらいだった。
 そうそう、膝の怪我で生まれて初めて松葉杖を使ってね。不便だけど楽しくて、というかMさんに反応してほしくて、ひょっこひょっこ近づいてって話しかけた。会話の内容は忘れてしまったけど、近くに居た誰かを杖でどつこうとして杖を振り上げた。もちろん本気でブッ叩くつもりはないから、そして足元も覚束ないから、ゆっくり振っただけだ。そしたらその柄の部分がくるりと回って、ゆっくりゆっくり杖の先端がMさんの側頭部を捉えた。どつこうと思ったバカは得意げな顔をして大袈裟に避けた。そのせいで、私はMさんに、あろうことか凶器攻撃を仕掛けてしまった。こっつん、と杖の先端がMさんのこめかみに触れた。慌てふためく私、きょとんとするMさん。あの時、どう思っていたのだろう。今となっては知る由もないし、あまり覚えていない。それほどショックで、そのあと根性を入れ直してリハビリをしたもんだった。

 中学2年は、そんなふうにMさんのことばかり考えて終わった。他にもいろんな出来事があった(Mさんに惚れ込む前に付き合ってた女の子と別れたり、初体験を果たしたり)けど、彼女が好きだ! と自覚してからは明けても暮れてもそのことばかり考えていた。彼女は3組で弓道部。私は1組で柔道部。とにかく話がしたいけど中々そんな機会も無かった。頼みのてっちゃんが休み時間に他の男子と話しててMさんも他の女子を見つけて話し出してしまうと、何の関係も無いのに山本ジュンキ君が嫌いになったりしていた。山本くんごめん。君のお母さんには今でも街で会うと声をかけて頂いています。よろしくお伝えください。私信。
 でね。そんな風に何とかつながりを保っていた中2も終わり、中3になると私は6組でMさんは…また3組だったか4組だったか。そうなると3年生のクラスは校舎の2階と3階で分かれてしまうため猶更希薄になることが懸念された。私に。
 そこでなんとか望みをつないだのが、近所にあった公文式の教室だった。私は小学2年からここに通っていて、Mさんも来ていた。小学校が違うからそれまでは話したこともなかったけど、中学で話すようになったので公文でも時間があれば話をした。というか彼女はいつも遅くまで勉強していたので、最後まで残っていれば話をする時間ぐらいは作れた。私はとっくにプリントを終えて、板垣先生が勧めてくれた
 色んな本を読んでいた。あの頃、家に帰ってもあまり心が落ち着くことが無かった私はこうして公文式に居る時間が結構ありがたくて、お陰で歴史や動植物にちょっと詳しくなれた。教室は21時だか22時までなのだけれど、その時間まで残っている生徒は勉強熱心なMさんと、そのMさんに熱心な私だけだった。教室の机を拭いて椅子を片付けて、勉強にキリのついたMさんと雑談しながら居残りをしている時間は幸せだった。元気な子供が裸足で踏み続けたモスグリーンの絨毯のにおい、文房具や紙のにおい、教室に置かれているデカい花瓶の花のにおい。そしてすれ違うたびに胸の奥まで染み渡るMさんの髪の毛のにおい。今でもハッキリと、教室の隅っこで見た光景とその時のにおいを思い出す。

 やがて彼女の勉強も片付いて教室が閉まる時間になる。各教科の先生も帰っちゃって、ここの教室を開いてる板垣先生も3階の自宅へ上がってっちゃう。Mさんはお父さんが車で迎えに来るので、それまでの間また話した。幾らでも馬鹿な話が出来たし、出てくるそばから笑ってくれるMさんはすぐそばの国道を走り抜けるヘッドライトに照らされてまた美人に見えた。
「オレ、林先生(当時の担任の英語教師。美人だった)のやさしさが心にしみたよ」
 話の脈絡は忘れたけど、このひとことが彼女のツボにはまり、顔を真っ赤にしてよだれが垂れるほど大爆笑してくれたのを覚えている。教室を出てすぐの角っこにいつもMさんのお父さんの車が停まってて、その近くでずっと話し込んでた。ひとしきり話して、ふう、と会話が途切れてしまうと帰っちゃうから矢継ぎ早に馬鹿な話を繰り出した。今思えばその場その場でおかしなことを言うのに必死でどんな話だったのかはよく覚えてもいない。そんな下らない時間だけが楽しみだった。

 Mさんは当時出来たばかりの佐鳴学院(まだ佐鳴予備校って名前じゃなかった気がする)にも通ってて、学習塾の掛け持ちをしていた。私は柔道と少林寺拳法のチャンポンだったからやっぱりえらい違いだ。今頃どんな秀才ライフを送っているやら。私はネットの片隅で柔道も少林寺拳法もカンケーない馬鹿文学ライフを送っているけれど。
 ねえ文学バカって言うとまだカッコつくけど、バカ文学っていうともうどうしようもねーな。オレこっちで行くわ。

 でね。
 Mさんは佐鳴の方の都合かなにかで公文に来るときと来ないときがあった。公文は週に2日だったからどっちかで会えればラッキー。話せれば最高ってなもんで。長話なんかできた日には家までの道のりだって少しは足取りが軽かった。あの当時ホントに家の中はぐっちゃぐちゃで、柔道や少林寺の練習にもガンガン支障をきたしていた。無力な立場を呪ったり、歯向かって返り討ちに遭ったりしてたな。少年法が効くうちに何とかしておけば良かったと今でも悔やんでいるけれど、そうなってたらMさんとお話も出来なかったわけで…。辛い日々だったけどそうやって楽しみにしていることがあったから生きてた。
 Mさんは中3になっていよいよ受験に本腰を入れ始めた。私も最後の大会に向けて練習を重ねた。夏休みも朝から夕方まで、何だったらその当時すでにプロレスに狂っていたので、家に帰っても選手のテーマ曲CDをヘッドフォンで聞きながらトレーニングしていた。カム・アウト・アンド・プレイやシャープ・ドレッセド・マンが物凄く下手なカヴァーでガッカリしたなあ。それでもガンガン聞いてたので部活の練習中でもしんどいときは脳内で色んな曲を再生して頑張っていた。私は寝技も投げ技も特に強くは無いので、同級生でも早くに黒帯を取ったコンちゃんや体重120キロのクマさんといった面々には中々勝てず、この時期ついに後輩の飯野君にも負けてしまうことがあった。そんな逆境にもめげずに脳内後楽園ホールで鳴り響く各選手の入場曲を思い出し再生していた。そこへ。
 窓の外をMさんが、すーっと小走りに通り過ぎていった。真夏の少し白っぽくさえある陽光のもとを、なんだかとっても楽しそうな笑顔で。脳内音楽がスーッと消えて行って、一瞬目の前が真っ白になった。その白い光の中で彼女の長い黒髪だけが風になびいて揺れていた。

 その夜も公文の日だった。私は疲れた体を引きずって教室に入り、涼しいのと静かなのでウッカリ寝そうになりながら勉強をしていた。夢うつつの頭の中では、昼間のMさんの眩しい姿が繰り返し映し出された。可愛かったな…綺麗だったな。ウットリしている私の目の前の席にMさんが座った。あっ!と思ったら、彼女は振り向いて
「シャーシンカシテ」
 と言った。えっ?と薄らボンヤリした返答をすると、もっとハッキリゆっくりと
「シャー芯、貸して!」
 と言った。どうやら切らしてしまっていたらしい。
「え、あ、いいよ!うん!はい、これ!!」
 しどろもどろでシャー芯のケースごと手渡したときにかすかに触れた指先が冷たくて柔らかかった。その後は前を向いて一心不乱に勉強をしていた。なるほど可愛いだけじゃなく、この集中力が彼女の秀才たる所以か。
 私はそのすぐ後にプリントが終わってしまったものの、この特等席を離れるつもりは毛頭なく。勉強するふりをしたり、時々彼女の背中を見つめたり、また勉強するふりをして彼女の息遣いを感じてドキドキしていた。どうやって時間をつぶしてたのか、その日も教室を閉める時間まで結局ずっと居た。私は机を拭いて椅子をあげて掃除機をかけてと先生の手伝いをしていた。Mさんはギリギリのギリギリまで集中して勉強をしていたが、キリがついたのかパッと顔を上げて
「先生、電話借りるね!」
 といって受話器を取ってボタンを押した。

 その後少しして教室を出た。少し蒸し暑い夜だった。目の前は広い歩道になっていて、その向こうを大きな国道が通っていて、22時近くでも結構な交通量があった。ゴーっという音と走り去るヘッドライトを浴びながら彼女と10メートルくらい歩いたら、角の脇道に緑色の車が停まっていた。どうやら彼女の迎えらしい。通学路、と書かれた道路標識の前に立った彼女の顔をヘッドライトがゴーっと照らしてゆく。
 そのまま話し込んだ。延々バカな話ばかりしていた気がしたけど、たぶん今思えば30分くらいだっただろう。不意に、その日の昼間の話になった。
「あのさ、なんであん時ガッコ居たの?」
「え、ああ。友達が家庭科室でお菓子作ったからって呼んでくれてたから食べてたんよ。でも、よく覚えてたね!」
「ま、まあねえ。あ!いる!!って思って」
「よく見つけたよねーほんと」
「いやあ、それは、まあ、俺一日一回Mさんの顔見ないと干からびちゃうんだ」
 ゴーっと音がして、彼女の白い素肌をヘッドライトが撫ぜていった。その少しあとに。短い沈黙のあとで。
「ありがと、じゃあね!」
 とだけ言って、彼女は車に乗り込んでしまった。テールランプが角を曲がって見えなくなっても、暫く茫然とその場に立っていた。

 その夜、早速てっちゃんにメールをした。こんなことを言って、こんなことを思って…矢も楯もたまらず、とはこのことで、一気に書いて送りまくった。

 それから3日経った夜のこと。
 このケータイは兄弟で共用だったので、その日は私が使える番だった。何気なくメールを開くと見覚えのないてっちゃんからのメールが。
 彼は佐鳴のほうでMさんといっしょだった。向こうで彼女から代筆を頼まれて、彼のケータイからメールが送られてきていた。
「告白したことを人に気安く話すなんて幻滅した、国語が得意だというくせに人の気持ちも考えられないのか」
 と言ったような、いま文面を思い出そうとしても嫌な汗をかくばかりで全然ぼんやりとしか思い出せないメール。生まれて初めて、殴られたり投げ飛ばされてもいないのに目が回る感覚を味わった。そしてこのメールを勝手に読んだ奴に対して猛烈な殺意と取り返しのつかない恥ずかしさがグツグツと湧き上がってきた。とにかく、なんとかしなくては!けど、どうしたら…?

 そういえばこの前日も、Mさんが好きだ好きだという内容のメールをてっちゃんに送っていた。返事は「あんたは幸せ者だね」だった。私は完全に皮肉を言われていたのだ。とにかく、いまこのメールを見たのだがどうしたらいい?と慌てて連絡をするも、いい加減辟易してしまったのか、オレは駆け込み寺じゃねえ、と言われてしまった。取り乱していたし、ひどく自分勝手な言い分だったのでてっちゃんの言っていることはもっともだ。思い出すにも頑丈な扉に厳重な鎖が巻いてあってサイコブレイクみたいな状態の心からはこれ以上出てこないのだけれど、コレだけ書くとてっちゃんが冷たく感じる人もいるかもしれない。そんなことはなくて、本当に取り乱してしつこく彼にメールをした私が悪かったのだ。

 結局、幸か不幸か夏休み中だったのですぐに顔を合わせることはなかったが、この夜を境に偶然かなんなのか受験のために彼女は佐鳴の方に集中的に通うことにしたようで、公文にもあまり顔を見せなくなった。これが自分のせいだと思うのは思い上がりな気もするし、そんなことはない!と言い切るのもなんか違う気がして。16年ぐらい前のたかだか失恋をいつまでもこうして引きずっているというわけです。はい。

 今回、こうして書き下ろしエッセイを収録するということを決めたときに、いの一番にコレを書いて載せようと思っていました。ずっと何処かに書き出してしまいたかったし、干からびちゃう宣言や、その後の取り乱しっぷりを見て
 ダッセエ!
 くらいに思って笑ってもらえればと思っていました。でもイザ書くとなると思い出すのもむず痒いような辛いような。今でもあのメールを見た瞬間の嫌な感覚をハッキリ思い出せる。そのぐらい、私には人生の一大事でした。
 私が何かしら、どーにか世に出たいと企みつづけて31歳にもなって同人活動なんかを始めたのは、あの子に、いやあの日のMさんに見つけて欲しいからなのかも知れない。

 そんな、みんなには知ったこっちゃないような日々を過ごしてきたちょっとした記憶を集めてより抜いて、チャーコさんのご協力により本にまとめることが出来ました。ありがとうございます。
 キッドさんといっしょ。本編をどうぞ。書き下ろしエッセイでした。
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