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むちむち腋毛ボクッ娘と新宿でセックスした話
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無情にも赤信号が青ざめて、苛立ちながら停まった空きタクシーや黒いミニバンの代わりに、細く見えるだけのスーツに着られた年いったホストや、何者かになりたくて何者にもなれなさそうなハンパもんがクチャクチャと通り過ぎてゆく。そんなどうしようもない人生の交差点を今、僕は憧れだった真子ちゃんと一緒に渡っている。
レンガの建物の地下1階に向かう階段を、真子ちゃんの後にくっ付いて降りてゆく。お揃いのようで少しずつ色合いの違う、所々で欠けたりズレたりしたレンガの段差をリズミカルに、高いヒールで降りてゆく。そのふわんふわんと踊る黒髪から、汗と何か華やいだ香りがふわんふわんと漂ってくる。
階段を下り切って、真っすぐ伸びた廊下を突きあたって右側のドアが目当てのお店だった。薄暗い廊下の古臭い明かりの下で、真子ちゃんの目が輝いている。
天井近くに据え付けられた、真四角で年季の入って色褪せた看板には、赤っぽいバックに白く抜かれた文字で
スナック深志
と書かれていた。これまた昭和の匂いがムンと漂ってきそうな、一見さんと無粋な酔っ払いを寄せ付け無さそうな、不愛想で時代錯誤のサイン。ずっとこのまま変わらずに、変えずに営業して来たのだろう。
華美な装飾の施された、これまた年季が入ってすり減った細長いドアの取っ手に手をかけた真子ちゃんが僕の方を見て少し笑った。彼女もドキドキしているのかも知れない。そして、次の瞬間には彼女の右手がドアを軽く引いていた。
「こんばんわぁ」
ちりん、と店側のドアの上部にぶら下げてある小さなベルが上品な音を立てて揺れた。
「いらっしゃいませーこんばんはー」
ドアの横に立っていたのは二十代半ばと思しき、白いドレスを着た女性だった。髪の毛は真っすぐな黒いセミロングで、身なりもメイクもアクセサリーに至るまで上品な感じだ。
「ママ居るぅ?」
「あ、真子ちゃん!」
「雪菜ちゃん!」
「おつかれさまー! あ、ママねー、いま同伴で来るからもうすぐだと思うよ。お友達?」
雪菜ちゃんと呼ばれた女性が気ぜわしく答えながら、最後に僕の方にも目と話題を向けた。
「うん、ボクの友達!」
「そうなんだ。いらっしゃい、雪菜です。狭いお店でごめんなさいね、ゆっくりなさってね」
雪菜ちゃんが慣れた仕草で店の奥にある小さなボックス席に案内してくれて、腰かけると素早くオシボリを出してくれた。どうぞ、と手のひらに乗せて渡してくれる時に、ドレスの胸元から大きくてやわらかそうな谷間がぐいと覗く。
「またおっきくなったねぇ」
「うん、もうすぐGだよ」
「ほぉ、ほおー」
真子ちゃんの手が雪菜ちゃんの胸元に伸びて、そっと優しく撫でるように手で包み込んで、その柔らかな丸い谷間に指先が滑り込んで、スローモーションで揉むように動いた。
「でも真子ちゃんのがおっきいもんね」
「ボクのはIカップあるよぉ」
「そんなにあったっけ」
「年中無休の成長期だからねぇ、ボクは」
雪菜ちゃんの胸元から引き抜いた手で、そのまま雪菜ちゃんの手を掴んで、自分の胸元にぐいと寄せた。雪菜ちゃんも雪菜ちゃんで、躊躇うことなく真子ちゃんの胸を鷲掴みにしてモミモミと指を手のひらを食いこませたり、手の中で弾ませたりして笑った。
「すっごーい、いつ揉んでも気持ちいい!」
「ふっふーん、いつでも揉んでいいんだよぉ」
女の子だけね、と付け加えて、僕の方を見て妖艶な笑みを浮かべながら煙草を咥えて、マッチを擦って火を点けた。ふぅっ、と吐き出した煙の向こうで再び玄関のドアが開いて、入って来たのが
「あらあらあら、まあまあまあ。真子ちゃんじゃなあい」
目を見張るような美人だった。
艶やかな赤と金の着物に、アップにした髪の毛。ハッキリしているが濃すぎないメイクで目元はパッチリ、鼻筋はスッキリ、唇はパッカリと主張し合い、整った顔たちがそれぞれに魅力を放っていた。
「深志さぁん!」
真子ちゃんの顔がパっと明るくなり、そのあと少し甘えるような眼差しを向けた。
「いらっしゃい。お休みの日なのに、嬉しいわあ」
「友達つれてきた!」
「いらっしゃい、真子ちゃんのお友達なのね。深志です、このお店のママなの。小さなお店だけどね」
「どうも、真子ちゃんからお話はかねがね……」
「そうなんですの? あらやだぁ、恥ずかしいじゃないもう」
前半は僕に、後半は真子ちゃんに向かって身振りを交えて深志ママが照れた仕草を見せる。
「今日まだ早いから、このあとお客さん増えてくると思うよぉ」
「そっか。じゃあ、さっと乾杯して、さっと頂こうか」
「お飲み物なんにします?」
いそいそとカウンターに向かった深志ママに代わって、雪菜ちゃんがやって来てオーダーを取りに来た。ママは同伴して来たお客と何やら談笑している。笑った横顔におくれ毛がはらりと揺れて、白い首筋やおとがいに触れているそれがまた抜群に艶っぽく、確かに真子ちゃんが惚れ抜いているだけのことはあると思った。
「真子ちゃんとも久しぶりに会うし、何かいいのあるかな?」
「んんー、ボクはあんまり甘くないのがいいかなあ」
「お酒あんまりわからなくって。雪菜ちゃんと真子ちゃんで、なんかいいのあれば見繕ってくれない?」
「真子ちゃん、今日さっき酒屋さん来たから何でもあるよ。真子ちゃんの好きなやつも」
「ほんとぉ? じゃあそれー」
なんだかよくわからないがハナシがまとまったようで、雪菜ちゃんがカウンターからシャンパングラスと、何やら高そうなお酒を持ってきた。
グラスのなかで銀色の小さなあぶくが、薄く色づいたお酒の中でぷかり、ぷかりと浮かんではじける。ほんのりとフルーティーな、だけどしっかりアルコールの混じった香気を少し吸い込んで、真子ちゃんの方を見た。
「今日、ありがとぉ。かんぱーい」
「かんぱーい!」
「かんぱーい」
真子ちゃんの合図で、僕と真子ちゃんと雪菜ちゃんはそれぞれにグラスをカチリと小さく合わせて、あぶくごとそのお酒を飲みほした。ボトルの中身はお酒に強い二人や、ママにも飲んでもらおう。僕はグラス一杯だけ飲み干したら早くもツムジの上空5センチぐらいのところで早速くらくらと渦を巻き始めている。
雪菜ちゃんと真子ちゃんが何やらお店関連の話で盛り上がっているのを、僕はお店の中を見渡したり、飲み切れなかったグラスの中身をくるくるしたりしながら聞いていた。
迷惑な客や、客ですらない(お金を落とさない)くせにうるさい奴と言うのは何処にでも居るもので、いま雪菜ちゃんに粘着しているアカウントも相当なもんだった。
「すみません、お構い出来なくって」
いそいそとママがやって来て、僕の隣にすっと腰かけた。タバコと、香水と、その他に何かもっと心の奥底をくすぐるような、いい匂いがした。
「こちらこそ、先月はお誕生日だったそうで……おめでとうございました」
「あらあらあら、ありがとうございました」
過去形のあいさつを交わし合って、くすくす笑うママのオトガイに沿えた指先がまた艶やかで、僕は思わずぐっと見惚れてしまった。
「じゃあ、お祝いに何か一杯……」
「あらあらあら、いいんですの? じゃあ頂きますわね」
ひらひらと踊るようにカウンターに向かって、手早くお酒を作っているママに、同伴して来た男性客が声をかける。長身瘦躯の、中々の男前だ。うるさく騒ぐでもなく、下品なことを言うでもない。むしろさっきから、ママのことを褒めてばかりいる。
「お待たせ、ごめんなさいね。あの人いっつもこうなのよ」
ママが目配せした同伴客は新宿西口辺りでタクシー運転手をしているらしく、ウッカリ目が合った僕にグラスを持ち上げて目礼をした。僕もおずおずと会釈をして、ママの方に向き直る。
「ココのお客さんは、みんな優しいのよぉ」
ママは既に薄く桃色がかった飲み物の半分以上を飲み干して、ほう、と息をつきながら独り言ちた。
「真子ちゃんも言ってました。ここで拾われてなかったらどうなってたかわからない、って。それほど他のお店のお客が酷かったのかと思ったんですが、コチラのお客さんがみんな素敵な方なんですね」
「あらあらあら、そうなのぉ。真子ちゃんはねえ、いい子なんだけど情けをかけ過ぎちゃうのかしらね。だから男が腐ってしまうし、依存症ていうのかしら。虜になっちゃうのね。それって……お酒も、賭け事も、みんな同じじゃない」
「そうですねえ……」
「自分がどんなに大事にしても腐らせてしまう、その罪悪感や不安から抜け出せなくて、あの子もきっと怖がっているんだわ。私には、そんな気がするの」
深志ママはそう言ってグラスの残りを飲み干すと
「お兄さんは優しそうね、真子ちゃんと仲良くね」
と囁いて、またタクシー運転手の元へ戻っていった。ふわりと耳の辺りから漂った吐息が少しも苦くなくて、つくづく本当に同じ人間なのかと思うくらいだ。
「そろそろ行こっかぁ」
真子ちゃんがグラスに入った濃いお酒をツイーっと飲み干して、唇のピアスに雫を光らせたまま問いかけた。
「たくさん飲んだ?」
「んーーまだ飲めるけどぉ、退屈だったかなって」
「そんなことないよ。ママにもよくしてもらったし、雪菜ちゃんも可愛いし」
「ボクは?」
「エル・ヌメロ・ウノだよ」
「何それナメクジ?」
酔いが回ったのか白い素肌をほんのり赤らめた雪菜ちゃんが茶々を入れる。
「スペイン語でイチバンって意味だよ」
「ふふふん、いちばーん」
上機嫌な真子ちゃんに手を取られて席を立つと、すでに足元が少しふらつく。真子ちゃんが両手の人差し指で小さなバツを作って雪菜ちゃんに合図する。雪菜ちゃんが深志ママに目配せをして、やがて古式ゆかしき手書きの伝票を年季の入ったバインダーに挟んで持ってきた。浮世離れしたような美しさのママが、急に俗っぽく思えて、僕は勝手にちょっと寂しい気持ちでお財布を出した。
雪菜ちゃんに見送られて店のドアを出て、何度も振り向いてバイバイしながら廊下を歩いて階段を上がって、また地獄みたいな街角に出た。僕たちは今からこの三途の川みたいな明治通りを手を繋いで渡って、ネットで借りておいた小部屋に向かう。
「ラブホ、いっぱいだったねぇ」
「土曜日だもんね……ホテル取っといて良かったね」
土曜の夜に酔った脚で新宿をさまよい歩くような真似は避けたかったし、ちょうどポイントも貯まってたし、うまい具合に喫煙のダブルルーム(それもワイドダブルだ)が空いてたしで、飲み会と旅行の計画は早めに立てて早めに決めちゃうに限る。
いつでもすぐに連絡が付いて、返事が早くて明瞭な人ってステキ。
しかして帽子の派手な美人社長が経営する大手ビジネスホテルチェーンのフロントには最新型の自動精算機が列をなし、会員カードを差し込みつつ事前清算を済ませるその様は結局どっちに泊まってもチェックインの仕草は変わらないのだなと思わせた。あとはチェックインには寝顔を見せるだけの川沿いリバーサイドホテルでもあれば違うのだろうが……酔った頭でそんなことを考えながらエレベーターに乗り込む。
部屋は2階だ。
「意外と低いとこだったね」
「タバコ吸うからじゃなぁい?」
なるほど喫煙者側の立場になればそうかも知れない。
エレベーターは呆気なくドアを開けて、僕たちは手を繋いで薄暗い廊下に出た。部屋番号のパネルがパカパカ光ったり、うっすらムーディーな謎の有線放送が流れたりしないかわりに、明るく消火器の場所から避難口までハッキリ見渡せるLEDが煌々と輝き、優雅なクラシック音楽が流れ、僕たちの部屋である208号室は廊下の曲がり角にあってわかりやすかった。
ドアノブの下にカードを差し込み、ドアを開けた左手の壁にあるソケットにカードを入れると部屋に電気が点く。狭くはないが必要を満たすくらいの広さにベッド、化粧台、冷蔵庫にクローゼット。これが今夜僕たちが滑り込んだ、この暗い世の中の明るい部屋、大きな逃げ場。クズ社会の片隅で。あなたが好きだから、あなたが欲しいから。
無情にも赤信号が青ざめて、苛立ちながら停まった空きタクシーや黒いミニバンの代わりに、細く見えるだけのスーツに着られた年いったホストや、何者かになりたくて何者にもなれなさそうなハンパもんがクチャクチャと通り過ぎてゆく。そんなどうしようもない人生の交差点を今、僕は憧れだった真子ちゃんと一緒に渡っている。
レンガの建物の地下1階に向かう階段を、真子ちゃんの後にくっ付いて降りてゆく。お揃いのようで少しずつ色合いの違う、所々で欠けたりズレたりしたレンガの段差をリズミカルに、高いヒールで降りてゆく。そのふわんふわんと踊る黒髪から、汗と何か華やいだ香りがふわんふわんと漂ってくる。
階段を下り切って、真っすぐ伸びた廊下を突きあたって右側のドアが目当てのお店だった。薄暗い廊下の古臭い明かりの下で、真子ちゃんの目が輝いている。
天井近くに据え付けられた、真四角で年季の入って色褪せた看板には、赤っぽいバックに白く抜かれた文字で
スナック深志
と書かれていた。これまた昭和の匂いがムンと漂ってきそうな、一見さんと無粋な酔っ払いを寄せ付け無さそうな、不愛想で時代錯誤のサイン。ずっとこのまま変わらずに、変えずに営業して来たのだろう。
華美な装飾の施された、これまた年季が入ってすり減った細長いドアの取っ手に手をかけた真子ちゃんが僕の方を見て少し笑った。彼女もドキドキしているのかも知れない。そして、次の瞬間には彼女の右手がドアを軽く引いていた。
「こんばんわぁ」
ちりん、と店側のドアの上部にぶら下げてある小さなベルが上品な音を立てて揺れた。
「いらっしゃいませーこんばんはー」
ドアの横に立っていたのは二十代半ばと思しき、白いドレスを着た女性だった。髪の毛は真っすぐな黒いセミロングで、身なりもメイクもアクセサリーに至るまで上品な感じだ。
「ママ居るぅ?」
「あ、真子ちゃん!」
「雪菜ちゃん!」
「おつかれさまー! あ、ママねー、いま同伴で来るからもうすぐだと思うよ。お友達?」
雪菜ちゃんと呼ばれた女性が気ぜわしく答えながら、最後に僕の方にも目と話題を向けた。
「うん、ボクの友達!」
「そうなんだ。いらっしゃい、雪菜です。狭いお店でごめんなさいね、ゆっくりなさってね」
雪菜ちゃんが慣れた仕草で店の奥にある小さなボックス席に案内してくれて、腰かけると素早くオシボリを出してくれた。どうぞ、と手のひらに乗せて渡してくれる時に、ドレスの胸元から大きくてやわらかそうな谷間がぐいと覗く。
「またおっきくなったねぇ」
「うん、もうすぐGだよ」
「ほぉ、ほおー」
真子ちゃんの手が雪菜ちゃんの胸元に伸びて、そっと優しく撫でるように手で包み込んで、その柔らかな丸い谷間に指先が滑り込んで、スローモーションで揉むように動いた。
「でも真子ちゃんのがおっきいもんね」
「ボクのはIカップあるよぉ」
「そんなにあったっけ」
「年中無休の成長期だからねぇ、ボクは」
雪菜ちゃんの胸元から引き抜いた手で、そのまま雪菜ちゃんの手を掴んで、自分の胸元にぐいと寄せた。雪菜ちゃんも雪菜ちゃんで、躊躇うことなく真子ちゃんの胸を鷲掴みにしてモミモミと指を手のひらを食いこませたり、手の中で弾ませたりして笑った。
「すっごーい、いつ揉んでも気持ちいい!」
「ふっふーん、いつでも揉んでいいんだよぉ」
女の子だけね、と付け加えて、僕の方を見て妖艶な笑みを浮かべながら煙草を咥えて、マッチを擦って火を点けた。ふぅっ、と吐き出した煙の向こうで再び玄関のドアが開いて、入って来たのが
「あらあらあら、まあまあまあ。真子ちゃんじゃなあい」
目を見張るような美人だった。
艶やかな赤と金の着物に、アップにした髪の毛。ハッキリしているが濃すぎないメイクで目元はパッチリ、鼻筋はスッキリ、唇はパッカリと主張し合い、整った顔たちがそれぞれに魅力を放っていた。
「深志さぁん!」
真子ちゃんの顔がパっと明るくなり、そのあと少し甘えるような眼差しを向けた。
「いらっしゃい。お休みの日なのに、嬉しいわあ」
「友達つれてきた!」
「いらっしゃい、真子ちゃんのお友達なのね。深志です、このお店のママなの。小さなお店だけどね」
「どうも、真子ちゃんからお話はかねがね……」
「そうなんですの? あらやだぁ、恥ずかしいじゃないもう」
前半は僕に、後半は真子ちゃんに向かって身振りを交えて深志ママが照れた仕草を見せる。
「今日まだ早いから、このあとお客さん増えてくると思うよぉ」
「そっか。じゃあ、さっと乾杯して、さっと頂こうか」
「お飲み物なんにします?」
いそいそとカウンターに向かった深志ママに代わって、雪菜ちゃんがやって来てオーダーを取りに来た。ママは同伴して来たお客と何やら談笑している。笑った横顔におくれ毛がはらりと揺れて、白い首筋やおとがいに触れているそれがまた抜群に艶っぽく、確かに真子ちゃんが惚れ抜いているだけのことはあると思った。
「真子ちゃんとも久しぶりに会うし、何かいいのあるかな?」
「んんー、ボクはあんまり甘くないのがいいかなあ」
「お酒あんまりわからなくって。雪菜ちゃんと真子ちゃんで、なんかいいのあれば見繕ってくれない?」
「真子ちゃん、今日さっき酒屋さん来たから何でもあるよ。真子ちゃんの好きなやつも」
「ほんとぉ? じゃあそれー」
なんだかよくわからないがハナシがまとまったようで、雪菜ちゃんがカウンターからシャンパングラスと、何やら高そうなお酒を持ってきた。
グラスのなかで銀色の小さなあぶくが、薄く色づいたお酒の中でぷかり、ぷかりと浮かんではじける。ほんのりとフルーティーな、だけどしっかりアルコールの混じった香気を少し吸い込んで、真子ちゃんの方を見た。
「今日、ありがとぉ。かんぱーい」
「かんぱーい!」
「かんぱーい」
真子ちゃんの合図で、僕と真子ちゃんと雪菜ちゃんはそれぞれにグラスをカチリと小さく合わせて、あぶくごとそのお酒を飲みほした。ボトルの中身はお酒に強い二人や、ママにも飲んでもらおう。僕はグラス一杯だけ飲み干したら早くもツムジの上空5センチぐらいのところで早速くらくらと渦を巻き始めている。
雪菜ちゃんと真子ちゃんが何やらお店関連の話で盛り上がっているのを、僕はお店の中を見渡したり、飲み切れなかったグラスの中身をくるくるしたりしながら聞いていた。
迷惑な客や、客ですらない(お金を落とさない)くせにうるさい奴と言うのは何処にでも居るもので、いま雪菜ちゃんに粘着しているアカウントも相当なもんだった。
「すみません、お構い出来なくって」
いそいそとママがやって来て、僕の隣にすっと腰かけた。タバコと、香水と、その他に何かもっと心の奥底をくすぐるような、いい匂いがした。
「こちらこそ、先月はお誕生日だったそうで……おめでとうございました」
「あらあらあら、ありがとうございました」
過去形のあいさつを交わし合って、くすくす笑うママのオトガイに沿えた指先がまた艶やかで、僕は思わずぐっと見惚れてしまった。
「じゃあ、お祝いに何か一杯……」
「あらあらあら、いいんですの? じゃあ頂きますわね」
ひらひらと踊るようにカウンターに向かって、手早くお酒を作っているママに、同伴して来た男性客が声をかける。長身瘦躯の、中々の男前だ。うるさく騒ぐでもなく、下品なことを言うでもない。むしろさっきから、ママのことを褒めてばかりいる。
「お待たせ、ごめんなさいね。あの人いっつもこうなのよ」
ママが目配せした同伴客は新宿西口辺りでタクシー運転手をしているらしく、ウッカリ目が合った僕にグラスを持ち上げて目礼をした。僕もおずおずと会釈をして、ママの方に向き直る。
「ココのお客さんは、みんな優しいのよぉ」
ママは既に薄く桃色がかった飲み物の半分以上を飲み干して、ほう、と息をつきながら独り言ちた。
「真子ちゃんも言ってました。ここで拾われてなかったらどうなってたかわからない、って。それほど他のお店のお客が酷かったのかと思ったんですが、コチラのお客さんがみんな素敵な方なんですね」
「あらあらあら、そうなのぉ。真子ちゃんはねえ、いい子なんだけど情けをかけ過ぎちゃうのかしらね。だから男が腐ってしまうし、依存症ていうのかしら。虜になっちゃうのね。それって……お酒も、賭け事も、みんな同じじゃない」
「そうですねえ……」
「自分がどんなに大事にしても腐らせてしまう、その罪悪感や不安から抜け出せなくて、あの子もきっと怖がっているんだわ。私には、そんな気がするの」
深志ママはそう言ってグラスの残りを飲み干すと
「お兄さんは優しそうね、真子ちゃんと仲良くね」
と囁いて、またタクシー運転手の元へ戻っていった。ふわりと耳の辺りから漂った吐息が少しも苦くなくて、つくづく本当に同じ人間なのかと思うくらいだ。
「そろそろ行こっかぁ」
真子ちゃんがグラスに入った濃いお酒をツイーっと飲み干して、唇のピアスに雫を光らせたまま問いかけた。
「たくさん飲んだ?」
「んーーまだ飲めるけどぉ、退屈だったかなって」
「そんなことないよ。ママにもよくしてもらったし、雪菜ちゃんも可愛いし」
「ボクは?」
「エル・ヌメロ・ウノだよ」
「何それナメクジ?」
酔いが回ったのか白い素肌をほんのり赤らめた雪菜ちゃんが茶々を入れる。
「スペイン語でイチバンって意味だよ」
「ふふふん、いちばーん」
上機嫌な真子ちゃんに手を取られて席を立つと、すでに足元が少しふらつく。真子ちゃんが両手の人差し指で小さなバツを作って雪菜ちゃんに合図する。雪菜ちゃんが深志ママに目配せをして、やがて古式ゆかしき手書きの伝票を年季の入ったバインダーに挟んで持ってきた。浮世離れしたような美しさのママが、急に俗っぽく思えて、僕は勝手にちょっと寂しい気持ちでお財布を出した。
雪菜ちゃんに見送られて店のドアを出て、何度も振り向いてバイバイしながら廊下を歩いて階段を上がって、また地獄みたいな街角に出た。僕たちは今からこの三途の川みたいな明治通りを手を繋いで渡って、ネットで借りておいた小部屋に向かう。
「ラブホ、いっぱいだったねぇ」
「土曜日だもんね……ホテル取っといて良かったね」
土曜の夜に酔った脚で新宿をさまよい歩くような真似は避けたかったし、ちょうどポイントも貯まってたし、うまい具合に喫煙のダブルルーム(それもワイドダブルだ)が空いてたしで、飲み会と旅行の計画は早めに立てて早めに決めちゃうに限る。
いつでもすぐに連絡が付いて、返事が早くて明瞭な人ってステキ。
しかして帽子の派手な美人社長が経営する大手ビジネスホテルチェーンのフロントには最新型の自動精算機が列をなし、会員カードを差し込みつつ事前清算を済ませるその様は結局どっちに泊まってもチェックインの仕草は変わらないのだなと思わせた。あとはチェックインには寝顔を見せるだけの川沿いリバーサイドホテルでもあれば違うのだろうが……酔った頭でそんなことを考えながらエレベーターに乗り込む。
部屋は2階だ。
「意外と低いとこだったね」
「タバコ吸うからじゃなぁい?」
なるほど喫煙者側の立場になればそうかも知れない。
エレベーターは呆気なくドアを開けて、僕たちは手を繋いで薄暗い廊下に出た。部屋番号のパネルがパカパカ光ったり、うっすらムーディーな謎の有線放送が流れたりしないかわりに、明るく消火器の場所から避難口までハッキリ見渡せるLEDが煌々と輝き、優雅なクラシック音楽が流れ、僕たちの部屋である208号室は廊下の曲がり角にあってわかりやすかった。
ドアノブの下にカードを差し込み、ドアを開けた左手の壁にあるソケットにカードを入れると部屋に電気が点く。狭くはないが必要を満たすくらいの広さにベッド、化粧台、冷蔵庫にクローゼット。これが今夜僕たちが滑り込んだ、この暗い世の中の明るい部屋、大きな逃げ場。クズ社会の片隅で。あなたが好きだから、あなたが欲しいから。
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