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第一章 北の埋み火なり

25、ささやかな正月

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 真田幸村が蝦夷地に戻ったのは、蝉の鳴き声も勢いを失った夏の終わりである。
 函館にある伊達の商館を訪れた幸村は伊達光宗に面会を求めた。
 光宗には先客があり、客はシャクシャインであった。
 テーブルの上に置かれた茶碗からはコーヒーの香ばしい匂いが漂っている。帝国では茶道に使う茶碗でコーヒーを飲むのが流行していたのである。
 「コーヒーでござるか。」
 椅子に腰かけた幸村は一杯所望し、両手で茶碗を抱えて旨そうに飲んだ。
 「幸村殿、松前城以来であったな。」
 伊達光宗は幸村に親し気に語りかけた。
 松前城では大名と一介の商人の立場であったため、光宗は幸村を平伏させた。ここは伊達の商館であり、そのような気遣いは無用である。
 テーブルの上には蝦夷地の地図が乗っている。地図には渡島半島をはじめ蝦夷地の南半分は詳細に描かれているものの、北半分は海岸線のみである。
 光宗は蝦夷地の探査を開始するにあたり、蝦夷地に詳しいアイヌのシャクシャインに意見を求めたのだ。
 幸村もシャクシャインの話を興味深げに聞いている。

 アイヌ各部族は交易によってつながっている。そのネットワークは千島列島から樺太、遠く山丹の地に至る。
 シャクシャインの話は蝦夷地の中央に位置するチュプペトとあたりに、多くの和人が住み着いている集落があるとの情報だった。チュプペトとは今日の旭川であり、そこは広大な盆地である。沿岸部の港を交易の拠点にしてきた伊達や真田にとって、そこは未知の世界だったのだ。
 「シャクシャイン殿、和人たちはそこで何をしておるのか?」
 伊達光宗の質問にシャクシャインが答えた。言葉はアイヌ語であり、光宗も幸村もアイヌ語を解する。私たちは自動翻訳装置で意味を理解することが出来た。
 「私もチュプペトに行ったのは子どもの頃です。最近の情報は人伝えに聞いております。和人たちは麦を育てております。それからジャガタラの芋です。」
 ジャガタラの芋とはじゃがいもの事である。南米を原産地とするじゃがいもはスペイン人たちの手で西欧に持ち帰られ、それがジャワのジャガタラにもたらされ、帝国の版図でも栽培されるようになっていたのである。
 「ならば百姓でござるか?」
 今度は幸村が聞いた。
 「身なりは百姓ですが、どうも武装しているらしいのです。耕作地を柵で囲い、柵の中には砦のようなものもあると聞いております。チュプペトのアイヌも近寄らぬようにしていると・・・」
 幸村の脳裏には「徳川」の文字があった。これを光宗に知らせることが幸村が幸昌から言付かった役目である。
 幸村は光宗に父・幸昌からの伝言を伝えた。
 「徳川じゃと!」
 光宗が驚きの声を発した。
 「敵の大将は徳川家光、蝦夷地の覇権をかけて伊達様と争う腹積もりと、父・幸昌よりの伝言でございます。」
 光宗は腕を組んでうなった。
 「うーん、三河屋とは徳川であったのか。松前藩に傭兵を送り込んでおったのが徳川だとすれば、このチュプペトにおる和人どもも傭兵ということか。」
 「そういえば、留萌の港から浪人どもが多数上陸したとのうわさも聞いております。」
 「数はどれほどじゃ?」
 「分かりませぬ、浪人どもは奥地へ向かったとのみ・・・」
 「このまま放置すれば、どんどん数が増えるぞ。幸村殿、ここは早急に兵を出し、早いうちに叩き潰してしまわぬとのう。」
 「御意にございます。この幸村も兵にお加え下さい。」
 「心強いぞ、幸村殿。赤備えの働き、存分に見せてもらいたいものじゃ。それとシャクシャイン殿、我らは奥地には不案内じゃ、アイヌの衆に道案内を願いたい。」
 シャクシャインは光宗の言葉に答えた。
 「わかりました。アイヌ兵三百を率いて、このシャクシャインも同道しましょう。」
 「ありがたい。この光宗、礼を申すぞ。」
 伊達光宗はシャクシャインに頭を下げたのである。

 「光宗君は案外腰が低いなりね。」
 この時代の武将は、商売を兼ねているから自然とそうなる。
 「外に出る時だけお殿様になるわけなりね。」
 光宗は、そのへんの使い分けの達人のようだな。
 「これで徳川包囲網が敷かれていくなりね。」
 私たちも安心して正月が迎えられるな。
 「先生は正月はどうするなりか?」
 うーん、京都の正月風景を楽しみたい。
 「それなら家へ来るといいのだ。」
 広沢亭か?
 「そうなりよ。京都らしーいお正月が堪能できるなり。」
 じゃあ、お邪魔するか。

     *     *    *    *    *

 大晦日は、大学に行って研究室の大掃除を済ませた後、広沢亭に向かった。
 大晦日の広沢亭は八つある客室がすべて埋まっていて、戸部典子の母親である女将と兄嫁である若女将は大忙しである。
 跡取り息子である戸部典子の兄・貴志君もこの日ばかりは雑用を言いつけられて庭掃除やら正月飾りの取り付けに大わらわだ。小説家である貴志君は普段はグータラしてるから、忙しくなるとこき使われるのだ。
 妹さんの戸部京子君が私を玄関まで迎えてくれた。見た目はお姉さんにそっくりだが、気立てはいたって優しい。京子君は高校を出てからOLをしていたのだが。ひょんな事から回転寿司チェーンを運営する会社の社長になってしまった。そして、京都学院大学の社会人入試に合格し、今は女子大生社長なのだ。
 京子君に案内された居間では、胡坐をかいた戸部典子は既にビールを飲んでいた。いつも黒いスーツの戸部典子が、どてらを羽織って掘りごたつに座っているのである。
 「先生、一杯やるなり。」
 おうおう、グラスだな。おっとっとっと、泡がこぼれるじゃないか。
 ビールは旨い。掘りごたつにテレビ、こたつの上にはミカンが乗っている。昭和の正月だ。
 八時を回ったくらいに、ようやく仕事から解放された兄の貴志君が居間へ現れた。
 「先生、来てはったんですか。去年の大晦日に続いて二年連続やね。」
 そういえば去年の大晦日は、ここで戸部典子の歌手デビューを見守ったんだっけ。
 私が、「あの歌は酷かったな」というと、戸部典子はテレビの下からマイクを取り出したのだ。
 もういい、もういい、私が悪かったからやめてくれ。

 テレビでは赤白歌合戦が始まったのだが、誰も観ていない。年越しそばを食べた後は、テレビをBGMにして私たちはおしゃべりしたり、オセロ・ゲームをしたりして、その年最後の時間を過ごした。
 「今年はひさしぶりに兄弟そろっての年越なのだね。」
 京子君がそう言うと、貴志君がちゃちゃを入れた。
 「去年、典子はテレビん中やったからな。」
 私は貴志君の口調に笑ってしまったのだが、戸部典子がにまにま笑いだした。
 「今年もテレビに出るなりよ!」
 その言葉で、兄妹三人とも居間から消えてしまった。
 再び現れた時には外出着に着替えていたのだ。そして、戸部典子は赤備えの鎧兜に身を包んでいる。
 カチャ・カチャと音を立てる戸部典子の後を、私たち三人は着いていき、そのままバス停からバスに乗った。大晦日、京都のバスは深夜まで走り続ける。
 バスを降りたのは北野天満宮である。参道には屋台が並び、初詣の人が押しかけている。すごい人込みだ。
 除夜の鐘が、京都の夜空に静かにしみわたり、私たちの煩悩のひとつひとつを消していく。

 「あっ、戸部典子さんだ!」
 参拝客が赤備えの戸部典子に気付いたようだ。こんな派手な格好だからすぐに見つかってしまうのだ。有名人だという意識がまるで無いから困る。
 ここで貴志君が機転をきかせた。
 「はいはいはい、そこ退いて、これから撮影があるから。はいはい、皆さん道を空けてください。」
 まるで芸能人のマネジャーだ。
 戸部典子は貴志君の先導で人込みをかき分けていく。

 北野天満宮の門前にはテレビカメラがあり、カメラの前ではレポーターがマイクを構えている。なるほど「来た年、行く年」の中継だな。

 レポーターはカメラに向かって話しかけている。
 「この北野天満宮には今年もたくさんの方がお参りにおしかけています。ここは学問の神様であり、受験生の皆さんが真剣な面持ちで願をかけています。」
 そのレポーターの背後を、赤い鎧兜の戸部典子がうろちょろしている。実に緊張感のない映像になっているではないか。兜の下からにまにま顔がこぼれてピース・サインだ。
 去年は赤白歌合戦の大舞台で、今年はこれか。
 まぁ、これも戸部典子らしいと言ってしまえば、らしいのだ。

 正月三が日も私は広沢亭に入り浸り、京都伝統のお節料理をアテに酒浸りの日々を送った。
 広沢亭のお節はごまめにかしら芋、棒鱈、数の子、黒豆、きんとんなど昔ながらの盛り付けである。一流の料理人が調理した美味しいお節なのだが、デパートやレストランが売っているお節のような高級食材は全く入っていない。私たちはこれをささやかだと思うのだが、五十年くらい前の人々にすれば、これはご馳走だったのだ。広沢亭の宿泊客も、このささやかなお節が目当てで来るのだという。
 腹ごなしに、戸部三兄妹と散歩に出た。三が日は晴天に恵まれて、気分も爽快である。嵐山はすごい人込みで、竹街道も写真を撮る人々であふれかえっていた。私たちは大覚寺から北の嵯峨野の小道を歩いた。嵯峨野の低い山々には古代の天皇の陵墓が多く、その参道を登ったり降りたりした。
 嵯峨野は田舎である。一面が畑で、大根が道端に放り出してある。けれど、田舎臭さが全くないのは、古今・新古今の雅に磨き抜かれたせいだろうか。
 戸部三兄妹は、この嵯峨野の地で育った。彼ら彼女らの遊び場は、この雅な田舎だったことを思うと、これほどの贅沢はないだろう。
 嵯峨野で過ごす正月は、何気ない、そしてささやかな正月だった。いい正月とは、こういう正月をいうのだ。


    *    *    *    *    *

 正月明けにまほろば作戦の作戦本部に顔を出した。
 十七世紀の情勢にはほとんど変化がない。
 伊達光宗は出陣の準備に忙しく、真田幸村も真田湊から送られた百の兵を編成している。
 もう一週間もすれば、伊達軍は函館を後にするだろう。
 戸部典子は、三が日の飲酒で二日酔い気味だ。ウコンのドリンクを腰に手を当てながら飲み干している。

 「上海の李博士から入電です。」
 オペレータが李博士からの通信をサブ・モニターに切り替えた。
 「先生、大変なことが分りましたの。北の共和国のタイム・マシンが昨年末から何度も稼働していたことが判明しましたわ。」
 北のタイム・マシンは現代と碧海時空を十数回往復していたのである。
 「日本教団が十七世紀に乗り込んだとみて間違いないなり。」
 戸部典子は拳を握りしめた。
 「キム博士、ニルヴァーナはまだなりか?」
 「東シナ海です。明日の未明には対馬海峡を越える予定です。舞鶴港に到着するのは明後日です。」
 私たちにも戦いの時が迫ろうとしていたのだ。
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