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第一章 北の埋み火なり

21、大いなる力

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 征夷大将軍に任ぜられた伊達光宗は大艦隊を率いて函館の港に上陸した。アイヌの反乱の後始末をするためである。
 反乱に加わったアイヌ衆も自分たちが生まれ育った故郷へと戻り、再び仕事に精を出していた。もはや松前藩のような圧制者はいない。アイヌたちに平穏な時間が訪れたのである。
 帝国は松前藩の改易を決定した。つまりはお取り潰しである。征夷大将軍の任務は松前藩の処分であった。
 伊達光宗は松前城に進駐し、松前藩士に改易を告げた。松前藩士は泣き崩れ、その身は浪人となった。
 光宗には浪人となった松前藩士を伊達藩で召し抱えるつもりは微塵もなかった。アイヌたちを奴隷のようにこき使ってきた松前藩士を心底軽蔑していたからだ。
 しかし、シャクシャインからアイヌに優しかった松前藩士がいたことを聞き、思い直したようだ。シャクシャインが推薦した松前藩士を何人か伊達家に仕官させた。彼らは己が良心に照らして松前藩の方針に逆らい続けた藩士である。松前藩が彼らの言葉に耳を傾けていれば、あるいは改易は無かったかも知れない。組織にとって批判は常に必要なのだと光宗は肝に命じた。
 
 多くの松前藩士が知行を失い、松前城下を離れて行った。彼らが行き着く先は蝦夷地の荒野である。路頭に迷う松前浪士の間にある噂が広がっていった。渡島半島のさらに北に仕官の口があるというのである。彼らは海岸沿いに北上し留萌の港に到着した。
 留萌の港は三河屋の商船で埋め尽くされていた。商船からは続々と傭兵が降りてくるのである。松前藩の浪人たちも傭兵の列に加わったのだ。
 
 「徳川家光、まだいたなりね。」
 松前藩を潰したからといって戦いが終わったわけではない。本当の戦いはこれからだ。
 「徳川の陰謀は完全に潰したはずなのに、性懲りもないなり。」
 三河屋の狙いは全てはずされてしまった。伊達と真田を争わせ漁夫の利を得る作戦は真田幸昌によって阻まれ、伊達潰しの陰謀は戸部典乃介によって砕かれてしまった。
 ただ、伊達光宗が征夷大将軍に任ぜられたことは、帝国は蝦夷地に手を出さないという事でもあるのだ。征夷大将軍がいるのだから、北のことは北でやってくれ、という意思表示に近い。そして、今回の動乱で顕わになったのは、大義さえあれば帝国は大名である伊達を潰したがっているという事実だ。
 つまり、徳川が伊達を潰すことができれば、力を持った徳川が蝦夷地を支配することになる可能性もあるということだ。帝国にとって、東北に居座る大名よりも、蝦夷地に帝国の冊封を受ける属国があるほうが望ましい。
 徳川はこの情勢に鑑みて、大勝負を仕掛けるつもりなのかも知れない。もちろん、こうした大勝負には宮廷工作が必要だということを徳川は十分心得ている。
 「家光は相当キレるみたいなりね。」
 そうだな、陰謀で徳川に敵う戦国武将がいるかね?
 「黒田如水君くらいなりね。その如水君ももう居ないなり。」

 それよりも、現代の情勢も動き始めている。
 碧海時空の映像を既存のマスコミは流さないが、京都ブロードキャストのネット放送を媒介にしてどんどん広まっている。
 「見せ場も多いからなりね。真田幸村君の登場、鄭成功の諸葛砲、伊達光宗の大歌舞伎。これで萌えないようじゃ日本人じゃないなり。」
 そう言う戸部典子にキム博士が口をはさんだ。
 「韓国でも大人気ですよ。真田幸村のお母さんがチェ・ミョンギルの孫娘だという事がわかって、韓国人も熱狂してます。韓国ではテレビで碧海時空のニュースが流れてますから、日本より認知度は高いですよ。」
 日本は韓国よりも報道の自由が守られない国になっていることを私は認識せざるを得なかった。
 私が子どもの頃、韓国は軍事政権の統率化にあり、民主化宣言をしたのは一九八七年のことだ。いまや立場が逆転しつつある。
 「ネットがあるのがせめてもの救いなりね。でも、ネットを見る層は限定されてるなり。」
 お年寄りはやっぱりテレビだし、スマホしか触らない奴らはインスタとSNSに夢中で碧海時空の映像など見ない。テレビで流されるということは、国民の多くが否応でも見るという事なのだ。そのテレビを伊波政権は握っているのだ。
 「軍部がクーデターを起こす場合は、真っ先にテレビ局を抑えるなりね。情報を遮断して、自分たちに都合のいい放送をすれば人心はコントロールできるなり。」
 要するに、この日本は静かなクーデターに襲われているということだ。

 それから戸部典子君、ようやく日本教団はおまえが敵対する側に回ったことに気付き始めたみたいだぞ。
 「日本教は始めからあたしの敵なり。日本教をぶっ潰すのがの願いであり、まほろば作戦の目的なりよ。」 
 おまえが蹴飛ばしたじっちゃんか。
 「あの時はほんとうに腹がたったのだ。でもじっちゃんは可哀そうな人なり。」
 そうかも知れない。岩見獣太郎は時代が生んだ怪物だったのかも知れない。

 日本教は、今の時点で戸部典子を正面切って批判する愚を避けた。まほろば作戦を指揮する戸部典子の背後には真田幸村や伊達光宗がいるのである。日本人は戦国ヒーローに熱狂してアイヌの反乱を応援している。戸部典子の愛国者としての地位は戦国武将によって支えられているのだ。

 日本教団は愛国アイドルのオーディションを開始した。つまりは、戸部典子の後釜を探そうとしているのだ。愛国アイドルが人気を得たのち、緩やかに戸部典子の批判に回る作戦のようだ。
 こうして、愛国アイドル・ユニット、AIK88の選考が始まった。
 「日本教団は物量作戦で来るなりね。あたしの魅力で叩き潰してやるなり。」
 戸部典子は「がはは」と笑ってAIK88を一蹴した。

 こうしてAIK88はデビューし、デビュー曲の発表に駆け付けた伊波総理は彼女たちひとりひとりと握手したのだ。この様子は当然のように国営放送のゴールデン・タイムで放送された。
 AIK88が舞台に登場すると、会場から拍手が巻き起こった。
 デビュー曲は、「君たち、日本人」だ。

  ♪ 君が好き! ニッポンが好き! ニッポン人が好き!
  ♪ 偏差値なんか関係ない!
  ♪ 知能指数も関係ない!
  ♪ 君もニッポン人、わたしもニッポン人
  ♪ ニッポン人は素晴らしい、ニッポン人ならすべてOK
  ♪ ニッポンは世界でいちばん素晴らしい
  ♪ 凄いぞニッポン、強いぞニッポン、
 
 なんちゅう歌だ。この馬鹿さ加減は怒りを通り越して哀しくなってくる。
 「所詮この程度なりね。それに歌唱力が無いから微妙に音程がずれてるなりよ。」
 この歌詞は日本教の教主・堂本大旺が書いたみたいだぞ。
 「ニッポンを繰り返してるだけで、語彙力が全く無いなり。」
 これではとてもおまえの代わりは勤まりそうにないな。
 「あたりまえなり。あたしの代わりは何人《なんぴと》にも勤まらないなり。」
 確かにそうだ。おまえみたいな変な奴は世界中どこを探してもいない。
 「変な奴は失礼なりよ!」
 怒るな、誉めてるんだ。
 「そういえば、この間のテレビで整形外科医のじじいがあたしの悪口を言ってたなり。」
 知ってる。高津伸也だ。「イエス! 高津! またつまらぬ物を切ってしまった」のテレビのCMでお馴染みの医者だな。こいつも伊波俊三の取り巻きの一人だ。おまえが伊波政権の思うようにならない事に腹を立ててるようだったな。
 「イエス高津は、自分こそが正しい愛国者だって言いたかったみたいだったなり。あたしが愛国者って呼ばれることが悔しいなりね。」
 私たちは医者や学者と言えば成功者だと思ってしまうが、その内面を覗いてみるとコンプレックスのかたまりだったりする。私も大学勤めだから、なんとなく分かるぞ。
 「そうなりね。どんなに金持ちになっても、高津伸也はイエス高津としか呼ばれないなり。」
 こういう奴に限って、自分はもっと尊敬されるべきだなどと思ってるいる。
 「こういうのを俗物っていうなりね。」 
 憐れなものだよ、こういう俗物は。 

     *    *    *    *    *

 まほろば時空がつかの間の平穏を取り戻し、日本教団のアイドル作戦が不発に終わろうとしていた頃、私たちは伏見城にひとりの客を迎えた。
 岩見獣太郎氏の家宰を務めていた中川清吉老人だった。
 私と戸部典子は、中川老人を小天守にある応接室に通した。
 中川氏は黒いスーツを着て、首からは骨壺の入った箱を吊り下げていた。

 「岩見獣太郎様が、お亡くなりになりました。」
 中川氏は骨壺の入った箱をテーブルの上に載せ、ソファーの隅に座った。
 怪物の死か・・・
 戸部典子の口がわなわなと震えている。
 「もしかして、あたしが蹴飛ばしたせいなりか?」
 「いえいえ、そうではございません。旦那様は長く癌を患っておられまして、余命いくばくもないとご存じでした。戸部典子様のひと蹴りを旦那様は大変お喜びになりました。あのひと蹴りは、特攻隊で死んでいった仲間や、旦那様が商売のために殺してしまった者たちの無念の一撃だったと申されまして、これで安らかに地獄へ行けると安堵しておられました。」
 安らかな地獄か、岩見獣太郎には相応しい。
 戸部典子は胸を撫で下ろしたようだ。
 「大丈夫なり。じっちゃんの願いはあたしが叶えるなり。」
 骨壺に向かって合唱した戸部典子は、決意を新たにした。

 「旦那様のご遺言がございます。」
 中川氏は、カバンの中から書類をいくつか取り出しテーブルに置いた。
 「戸部典子様に、ビースト・コンツェルンの株すべてを相続していだたき、岩見獣太郎記念財団の総裁の椅子をご用意せよとのことにございいました。」
 これには私も驚いた。多国籍企業ビースト・コンツェルンは小国の国家予算を上回る資産を保有している。世界各地に支社を持ち百以上の企業を傘下に収めている。ビースト・コンツェルンの影響力は計り知れないのだ。さらに「けもの財団」は多くの国に経済援助や開発資金を提供していて、その総裁の力は大国の首脳でさえ無視できないと言われている。
 戸部典子君、これがどういう事なのか分かっているのか?
 「分かってるなり。貰えるものは貰うなり。」
 分かってないだろ! これはおまえも怪物になるということだ。
 「これは人類の貴重な資産なりよ。有効に使うのだ。」
 そうか、覚悟はできてるんだな。
 中川氏は立ち上がり、戸部典子に深々と頭を下げた。
 「ありがとうございます、お嬢様。旦那様も草葉の陰で喜んでおられます。」
 お嬢様、だと!
 「はい、旦那様が戸部典子様をお嬢様とお呼びするようにと・・・」
 笑える!
 「なんだかおへそのあたりがムズムズするなり。他の呼び方じゃダメなりか?」
 「例えば何と?」
 「戸部指令じゃダメなりか?」
 「ダメでございます。」
 「御屋形様とか、殿というのはどうなりか?」
 「却下でございます。お嬢様とお呼びいたします。」
 「仕方がないなりね。あたしは中川さんのことを何と呼べばいいなりか?」
 「はい、中川と、そうお呼びください。」
 「では中川、作戦本部へ参るぞ!」
 「お嬢様の仰せのままに・・・」

 黒いパンツ・スーツの戸部典子の後ろを、黒いスーツの中川氏がついていく。私は後ろでこの奇妙な主従を見守った。
 作戦本部に入った戸部典子は、キム博士やオペレーターたちに報告した。

 「岩見獣太郎氏の資産をあたしが引き継ぐことになったなり。ビースト・コンツェルンとけもの財団は、今後あたしの指揮下に入るなり。これは大いなる力なり。大いなる力を世界のために役立てるなり。みんな! ついてきて欲しいなり。これから世界を変えるのだ!」
 オペレーターたちが一斉に拍手した。誰もがこれから起こることに胸を躍らせている。戸部典子なら世界を変えられると信じているのだ。
 拍手のこだまする作戦本部の中央に進み出たキム博士が声を上げた。
 「大いなる力には、大いなる責任が伴う。そうですね戸部指令!」
 戸部典子はキム博士に敬礼し、キム博士とオペレーターたちは戸部典子に敬礼を捧げた。
 まるで軍隊のようなのは気に入らないが、みんなの気持ちをひとつにするには相応しい儀式だったのかも知れない。
 私はキム博士に声をかけた。
 さっきのセリフ、素晴らしかった。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。いい言葉だ。感動した。
 私の誉め言葉にもかかわらず、キム博士は平然として答えたのだった。
 「感動して当然です。スパイダーマンのセリフですから・・・」
 これだからオタクは好きになれんのだ。
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