続・歴史改変戦記「北のまほろば」

高木一優

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第一章 北の埋み火なり

18、戸部典乃介の出番

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 アーモスト大学の礼拝堂を出た戸部典子は、「これから作戦本部に戻るなり」と言う。
 もう七時を回っている、明日でいいんじゃないかという私の意見は却下されてしまった。
 もう足が棒なんだ。タクシーを使おう。
 「タクシーなんかもったいないのだ。京阪電車で帰るなり。」
 タクシー・チケットがあるぞ。
 私がカバンから取り出したタクシー・チケットの束を、戸部典子はひょいと取り上げてしまった。
 「こんなものを持ってったなりか?」
 大学から支給されたんだ。
 「それなら、半分は大学と交渉したあたしのものなりね。」
 戸部典子はチケットを十枚ほどひっぺがして自分の財布に入れた。
 まあいい、無くなったら大学がまた支給してくれる。

 タクシーは祇園のあたりで渋滞に巻き込まれ、伏見城に着いたのは九時前だった。
 作戦本部にはキム博士と夜勤のオペレーターが残っていた。
 キム博士、残業、ご苦労様である。
 「いえいえ、僕はここに住んでますから。」
 キム博士はいつものように爽やかな口調である。
 この城に住んでるのか?
 「そうです、小天守閣が宿泊所になっていてホテル並みの設備なんです。従業員食堂もありますよ。」
 知らなかった。私も今度宿泊してみよう。

 戸部典子は私とキム博士の会話に割って入った。
 「キム博士、ニルヴァーナはまだなりか?」
 「今、インドの南端を回ったところです。日本到着にはひと月ほどかかりますね。」
 ニルヴァーナ、けもの財団がまほろば作戦のために造ったムガンダ王国籍のタイム・マシンである。
 「それでは間に合わないなり。オペレーター、上海の李博士を呼び出して欲しいのだ。」
 オペレーターが李博士と連絡を取り、サブ・モニターに映像が映った。
 李博士は既に帰宅しており、自宅に通信をつないだようだ。
 李博士は風呂上りのようで濡れた髪が艶やかである。李博士の風呂上り姿、オペレーターの諸君、グッジョブである。
 「李博士、中国のタイムマシンを使わせて欲しいなり。」
 「あら、どうしたの典子ちゃん。」
 戸部典子は伊達光宗の救援策を李博士に話した。
 「うふふ、戸部典乃介の出番のようね。了解しましたわ。タイムマシンを手配します。」
 「さすが李博士なのだ。上海へ飛ぶなりよ。」
 今日はもう飛行機が無いだろう。明日だ。
 「オペレーター、明日の上海行の航空便を抑えて欲しいなり。」
 航空便はすぐに手配できた。伊丹発十三時発の中国国際航空である。大阪の地震で関西空港の滑走路が破損したままであり、国際便の一部が伊丹空港になっていたのだ。

   *   *   *   *   *   *

 伊丹から四時間の空の旅で、私たちは上海国際空港に到着した。
 久しぶりの上海である。空港には李博士の部下が迎えに来てくれて碧海作戦の基地まで車で送ってくれた。李博士に会えなかったのは残念である。
 今回、上海に乗り込んだのは私と戸部典子、そしてファクトリーの田中隊長である。李博士が十七世紀へ向かう人民解放軍のタイム・マシンに三つだけ席を確保してくれたのだ。
 碧海作戦の基地に到着した私たちを、人民解放軍の諸君は敬礼で迎えてくれた。
ひさびさに万歳先生《ワンセーシュエンシェ》に戻ったような気分だ。
 「万歳先生《ワンセーシュエンシェ》に敬礼!」とういうわけだ。私も敬礼のお返しをした。

 戸部典子はさっそく若侍・戸部典乃介の衣装にお着換えである。白の小袖に紺の袴、その上には派手な陣羽織をはおっている。髪は後ろで束ねてポニー・テールのように垂らした。
 私と田中隊長は生成りの小袖に黒の袴、陣羽織も黒である。黒は強そうに見えるという戸部典子の意見で、戸部典乃介は黒い従者を従えるとういう設定になったそうだ。私が従者なのは気に入らんが、まぁ、仕方がない。
 
 タイム・マシンはあいかわらず銀色の球体である。私たちは「新星」という名前のタイム・マシンで十七世紀に向かった。
 タイム・マシンは時間の移動はできても場所の移動はできない。上海を出発したタイム・マシンは上海にしか到着できない。
 上海郊外Nポイント、現代において碧海作戦の基地があるNポイントには、十七世紀にも人民解放軍が建てた大きな倉庫があるのだ。倉庫は森に囲まれた人里離れた場所にある。私たちを乗せたタイム・マシンはこの倉庫の中に到着した。

 十七世紀も五十年を経て、上海の街は恐ろしい規模に膨れ上がっていた。人口は八百万人を超えているという。
 黄浦江の港から、人民解放軍のガレオン船に乗って出港した私たちは、鹿児島沖を回って仙台に向かうのである。船は沖合に出るとディーゼル・エンジンを稼働させ、波を蹴立てて航行した。

 その三日後である。
 仙台城の門前には戸部典乃介と愉快な仲間たち約二名の姿があった。
 「たのもう! 拙者、戸部典乃介と申すものなり。伊達光宗公に用があって参った。城門を開かれよ。」
 いつもの場面である。いきなり大名に謁見とは無茶な話なのだが、戸部典乃介は既に伊達家の伝説となっていた。台湾の役において伊達政宗と共に戦い、キリスト教徒の反乱に対する策を伊達忠宗に説いた奇妙な若侍の話を、光宗は幼少のみぎりより聞いて育ったのだ。

 「神仏の使いじゃ。この伊達の窮地に戸部典乃介殿とは、まさに天の助けじゃ。戸部典乃介殿を丁重にお迎えせよ!」
 伊達光宗はお小姓衆に命じ、私たちは大広間に通された。
 大広間の下座にちょこんと戸部典乃介が鎮座し、私と田中隊長はその後ろに並んで座った。初夏の庭からは蝉の鳴き声が聴こえてくる。
 この時代、中国風の習慣が日本列島にも普及し始めていて、こうした畳敷きの座敷も少なくなっていたのだが、伊達光宗は日本風の座敷や書院を好んだのである。
 伊達光宗が上座に姿を現すと、私たちは平伏して光宗の言葉を待った。
 「戸部典乃介殿、この度はご足労をおかけした。伊達の窮状、お救いいただけるなら、この光宗、何なりとお望みの物を差し出しましょう。」
 戸部典乃介がにまりと笑った。
 「なれば、その伊達の家紋の入った羽織を頂戴したいなり。」
 「これでござるか、こんな物でよろしゅうござるか。」
 「できれば裏地にサインが欲しいなり。」
 「さいん、とな?」
 「署名のことでござるなりよ。できれば『戸部典乃介讃江』と書いて欲しいなり。」
 まったくもってシチュエーションを理解しない奴だ。自分の役割よりも欲望に忠実な奴だ。

 「承知つかまつった。羽織の十枚や二十枚、いや戸部殿には伊達の家紋を許しましょうぞ。」
 戸部典乃介は我が意を得たりという顔である。
 「ならば伊達殿、策をお授け申すなり。伊達政宗公はいくつもの窮地を乗り越えられてござるなり。その政宗公の知恵を拙者が受け継いでおるなり。」
 「政宗公の知恵と申されるか?」
 戸部典乃介はしばらく間をおいてから、懐の中から例の物を取り出して頭上に掲げた。
 「控えおろう! これなるは伊達政宗公から譲り受けた眼帯なり。伊達光宗、下座に控えよ!」
 また、いつものやつだ。
 しかしだ、伊達光宗の驚きは私たちの想像をはるかに超えていた。
 このにまにま顔の若侍は伊達政宗から眼帯を譲り受けたという。それはいったい何時のことだ? それに伝説の戸部典乃介は若侍の姿で現れた。今、光宗の眼前に居るのも若侍だ。不老長寿の文字が光宗の脳裏を駆け巡り、その優秀な頭脳が下した結論はこうだ。
 「神仏の使い、いや神仏そのものではないか。」
 光宗は慌てて立ち上がり、戸部典乃介に上座を譲ったのだ。
 戸部典乃介は上座にあぐらをかいて座り、脇息にもたれかかった。
 まったく横柄なやつである。
 光宗は下座に平伏した。同じく下座に座っていた私と田中隊長は、そろりと部屋の隅に移動した。光宗の後ろに座るのは居心地が悪い。

 戸部典乃介は、扇で蔵を指し示した。蔵は庭の向こうに立ち並んでいる。
 「この窮地を逃れる策は、既に城内にござるなり。」
 「城内じゃと!」
 光宗は呆けたような顔をしている。
 「政宗公は、此度の窮地を予測してござったなり。論より証拠なり。光宗、蔵の中を案内するなり。」
 「かしこまりましてございます。これ、戸部典乃介殿を蔵へ案内せい!」
 城内が騒がしくなった。私たちは家臣たちに案内され本丸御殿の外へ出た。
 城内には蔵がいくつもある。
 「いちばん古い蔵はどれなりか?」
 家臣が扉を開いたのは、伊達政宗が建てた蔵だった。
 家臣たちは蔵の中に行燈を運び入れ火を灯した。
 戸部典乃介は伊達光宗を伴って蔵の中に入り、そこに伊達政宗の遺産を発見したのだった。

 「戸部典乃介殿、やはりそなた神仏の化身でござったか?」
 「違うなり。愛と平和の使者なりよ。」

 戸部典乃介と伊達光宗が見上げる政宗の遺産は、金色に輝いていた。
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