続・歴史改変戦記「北のまほろば」

高木一優

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第一章 北の埋み火なり

17、天国が降ってくるなり

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 京都はもうすっかり秋だ。
 青く澄んだ秋空の下を、私は大学へと急いだ。
 大学の長い夏休みが終わり、私の担当するゼミと講義が始まったのだ。
 戸部典子が京都学院大学と交渉してくれたおかげで、私がまほろば作戦に参加することが了承された。京都ブロードキャストのネット放送による十七世紀の映像が世間の耳目を集めており、歴史改変のエキスパートとして私も再び注目されていたのだ。
 大学側としては、注目の人材を教授陣に抱えておくことは大学の価値を高めると考えたのだろう。大学当局は私の出勤日を火曜日と木曜日の午前中に絞って、私のまほろば作戦への出仕に配慮してくれた。
 まほろば作戦は、伊波政権や日本教団の方針に水差すような側面があったが、京都学院大学は反骨の精神を貫いて独立の気風が旺盛なのである。京都の大学の面目躍如というところか。
 「力に屈せず、知に従う」
 それが京都学院大学の建学の精神なのだ。
 
 その日のゼミでは学生たちと熱い討論を戦わせた。テーマはもちろんまほろば作戦から題材を取り、和人とアイヌに関する考察である。
 学生たちの中には「日本は単一民族国家である」と言い切る学生もいたのだが、議論を重ねるうちに、日本人のアイデンティティーがどんどんあやふやになって行くのだ。学生たちは自分たちが交わしている議論にも関わらず、知性の神様に導かれるようにある疑問に達するのである。
 民族って何? 国家って何?
 これが学ぶことの真相に他ならない。

 ゼミが終わった後、ゼミ生の岩田愛華君が質問にやってきた。
 「先生、伊達光宗君は大丈夫なんでしょうか?」
 岩田君は戸部典子と同じ目をしていた。歴女の目だ。
 「今、対策を考えているところだ。今から作戦本部へ行くところだ。」
 「先生、頑張ってください。伊達光宗君を助けてください!」
 岩田君は右のこぶしを私の前に突き出した。
 やれやれ、これも戸部典子のマネだ。


 伏見城まではタクシーである。大学がタクシー・チケットを大量にくれたからだ。
 作戦本部に入ると、戸部典子がそこらじゅうをうろうろ歩き回っている。
 「朝からずっとあの調子です。」
 キム博士が耳打ちで教えてくれた。
 おそらく、伊達光宗の救援策で頭を悩ませているのだろう。
 「いくら考えても、いい手が見つからないなり。先生、何か思いつかないなりか。」
 そうやって歩きまわててもいい考えが浮かぶわけではない。少し気晴らしをしたほうがいいかも知れんぞ。
 「それはナイス・アイディアなり。気晴らしに街へ出るなり。」

    *    *    *    *    *

 それで思いつた気晴らしがこれか?
 「そうなり。お腹がすくと、いい考えが浮かばないなり。」
 私たちは伏見稲荷の近くにある天下統一ラーメンの店内にいた。京阪電車に乗ってラーメンを食べに来たのだ。
 メニューは「こってりラーメン」と「あっさりラーメン」の二種類しかない。
 私が「あっさりラーメン」を注文すると、戸部典子の顔色に疑問符が点灯した。
 「天下統一ラーメンで『あっさり』を注文した人を初めて見たなり。」
 この店は「こってりラーメン」が有名なのか。
 「知らなかったなりか? 京都人の常識なりよ。先生も『こってり』にするなり。」
 戸部典子は私の注文をキャンセルして、「こってり」を二つ注文した。
 なんだ、この液体なのか個体なのか判然としないスープは。だが旨い。「こってりラーメン」にハマってしまいそうだ。

 「今から正一位伏見稲荷大権現様のお知恵を拝借するなり。」
 なるほど、神仏に頼るのもいい気晴らしになる。
 しかしだ、戸部典子の伏見稲荷詣は「お山をする」のだそうだ。つまり、伏見稲荷の御神体である稲荷山を一周するのだ。標高二百三十三メートルである。これでは山登りではないか。
 「観光客は千本鳥居を見て帰ってしまうけど、『お山をする』のが本来のお参りの仕方なりよ。」
 私たちは本殿にお参りした後、千本鳥居をくぐって山を登った。どこまでも続く朱色の鳥居が私たちを異界へ誘うかのようである。
 戸部典子はぴょんぴょん飛び跳ねながら軽快に石段を登っていく。私は息を切らしながらついていく。
 ようやく辿り着いた山頂は一ノ峰である。私と戸部典子は並んで参拝を済ませた。そして、石段の山道をつたって二ノ峰、三ノ峰である。
 さすがに疲れた。
 戸部典子君、いいアイディアは思いついたか?
 「全然浮かばないなり! 次に行くのだ。清水寺でアテルイ君とモレ君のお墓参りをして蝦夷《エミシ》の知恵を借りるなり。」
 まだ行くのか・・・

 清水坂である。また坂道を登らなくてはならない。
 清水坂は観光客でいっぱいである。私も京都に住み始めた頃には何度か清水寺へ参ったことがあるのだが、この観光客の多さには閉口した。京都には人知れず何百年もの歴史の重みに耐えてきた寺社仏閣が数多くある。そういう処を巡ったほうが楽しいのだ。
 だが久しぶりに来ると、清水の舞台からの眺めは爽快である。青く佇んだ京都の街を眼下に見下ろしながら私は一息ついた。
 アテルイとモレを討伐した坂上田村麻呂は、清水寺に深く帰依した。アテルイとモレは河内の国で処刑され、大阪府枚方市に首塚がある。清水寺にあるのは一九九四年に作られた顕彰碑である。碑には「北天の雄 阿弖流為母禮之碑」とある。
 かつて蝦夷《エミシ》は朝廷に弓引く者であり、辺境の蛮族に過ぎないと都人は思ったであろう。遷都から一二〇〇年にして、京都の人々はアテルイとモレを再評価したと言える。これも歴史学の進歩の賜物なのだ。
 
 「アテルイ君、モレ君、伊達光宗君は同じ東北の仲間なり。助ける方法を教えて欲しいなり。」
 戸部典子はアテルイとモレの碑に花を供え、屈みこんで手を合わせた。
 「何かいいアイディアは浮かんだか?」
 私を振り返った戸部典子は清水の舞台を見上げた。
 「ダメなり・・・」

 その後も、戸部典子の神仏嘆願ツアーは続いた。
 二年坂、産寧坂を辿って高台寺。さらに歩いて八坂神社である。知恩院は徳川家の寺だといってパス。本能寺で信長様にお祈りし、京都御所内にある厳島神社に詣でた頃には陽は落ちていた。
 戸部典子の脚力に関心しながら、私は棒のようになった足を抱えて御所のベンチ座り込んだ。

 「これだけ回ったけど、神様も仏様も何も答えてくれなかったなり。」
 戸部典子は肩を落として小石を蹴った。
 「神仏というのはそういうものだ。答えは己の中にある。」
 「そういう抹香臭いことを言う先生は嫌いなり。」
 「そうだな、抹香臭くないといえばイエス様にはまだ祈ってなかったな。」 
 私が適当に言った言葉に、戸部典子が反応した。
 「イエス様なりか? 近くに礼拝堂があるのだ。先生、最後に一件だけ付き合って欲しいなり。」
 分かった、これで最後だぞ。

 私は戸部典子に付いて御所の砂利道を歩いた。
 月が東山の上空に出ている。膨らみ始めた半月は、十日もすると中秋の名月となる。

 戸部典子が訪れたのはアーモスト大学のキャンパスだった。
 なるほど、ここはクリスチャン系の大学だ。
 アーモスト大学は京都学院大学と並ぶ京都の私立名門校である。
 礼拝堂は煉瓦造りの建物の中にある。この建物は明治時代に建築された歴史的遺産だなのだ。
 戸部典子は礼拝堂の扉を押した。
 礼拝堂の内部は木造りの長椅子が整然と並べられ、祭壇には十字架に架けられたイエス・キリストの像が安置されている。ステンド・グラスが月の光を浴びて鈍く輝いていた。
 戸部典子は祭壇に跪き、指を組んでイエス様に祈った。
  
 「天にまします我らが父よ、伊達光宗君をお救い下さいませなり。」
 私は深く頭を垂れて祈る戸部典子の背中を見守った。ローマ教皇をぶっ叩いた戸部典子がキリスト教にすがる姿は妙なものである。でもいいか、アーモスト大学はプロテスタントだ。

 戸部典子がいつまでっ経ってもお祈りを止めないので、退屈した私は彼女の後姿に問いかけた。
 戸部典子君、君はキリスト教徒ではないよな。
 「クリスチャンじゃないけど、クリスマスはケーキを食べてお祝いするなり。」
 戸部典子の背中が言った。
 そういえば去年のクリスマス、広沢亭に行ったら兄さんの貴志君が美味しいクリスマス・ケーキをご馳走してくれたぞ。
 「ケーニヒス・クローネのケーキなり。高島屋で売ってるなり。」
 ほう、神戸の洋菓子が京都で買えるのか。今度買ってみよう。
 「神戸の洋菓子は美味しいなり。」
 和菓子は京都が最高だな。
 「こんなどうでもいい会話をしている場合じゃないなり。真剣にお祈りするなり。」
 これは悪かったな。じっくりお祈りしろ。

 私は長椅子に腰かけて戸部典子の背中を見守った。
 そして戸部典子の頭上から光が降ってくるのを目撃した。
 いや、気のせいだ。
 私は何度も目をこすったのだが、光は戸部典子に降り注ぎ、小さな三人の天使たちが戸部典子の上をくるくると回っているのだ。厳かな光と天使は、まるで天国から降りて来たように見えた。
 戸部典子は光に向かって手を差し出している。
 「見えたなり。イエス様、ありがとなり。」
 振り向いた戸部典子の目はお星さまのように輝いていた。
 「天国が降ってきたなり!」
 おお、神の国来たりしならば、この地上に楽園をもたらさん。
 キングダム・カムである。

 戸部典子はもう一度祭壇に跪いて、十字を切った。
 「父と子と聖霊の御名おいて、アーメン。」
 それが神の御業だったのか、それとも私が見た幻覚だったのか今でも判然としない。
 だが、戸部典子は伊達光宗を救うための策を得たのだ。まるで神の啓示を受けたが如く・・・
 
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