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第一章 北の埋み火なり

15、鄭成功の一撃

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 白銀の大地を一匹の白い犬が駆けている。忍犬・鬼丸である。
 メイン・モニターは鬼丸の姿を追った。

 川面を走る鬼丸が、その鋭い爪でシャケを捕まえた。シャケはまるまると太り銀色に輝いている。
 メイン・モニターは鬼丸の誇らしげな表情を捉えた。

 鬼丸が三匹の子犬とじゃれあっている。鬼丸の子どもだろうか。メインモミニターがズームになって鬼丸の優し気な表情を映し出した。

 戸部典子君、さっきからメイン・モニターが鬼丸だらけだぞ。
 「鬼丸を見ていると癒されるのだー。」
 戸部典子は目を細めてにまにましている。
 「あたしはワンちゃんが大好きなのだ。小さい頃から犬が飼いたかったけど、家は食べ物を扱う商売をしていたから、お母さんが絶対許してくれなかったなり。」
 それでメイン・モニターを私物化しているのか?
 「あたしだけじゃないなり。システムのスタッフ達にも鬼丸ファンが多いなりよ。」
 ここのところ血なまぐさい戦いや、醜い政治の裏舞台ばかり見てきたからな。鬼丸が一服の清涼剤になっているなら、それも良しとするか。


 「李博士から映像来ました。メイン・モニターに転送します。」
 オペレーターは松前城を包囲するアイヌ勢の映像をメイン・モニターに映し出した。
 峻険な山の頂に築城された松前城は、アイヌの反乱に備えて堅牢な城郭を供えていた。二千程度の兵で簡単に落とせるような城ではない。
 アイヌ勢の陣地には鄭成功の船団が運んできた食料や武器が次々に運び込まれていた。常に補給を頭において戦うのが真田の流儀なのだ。
 アイヌ勢は城の守りが薄くなった場所から鉄砲を射かけ、鄭成功が運んできたフランキー砲で城を攻撃した。しかし、銃弾や砲弾が城まで到達することはなく、城郭の片隅に着弾するに留まっていた。
 
 「戦況は膠着状態なりね。シャクシャイン君は何を待ってるなりか?」
 シャクシャインは松前高広が講和の意思を見せるのを待っていたのだ。シャクシャインの選択肢は城を落とすか講和、さもなくば撤退しかないのだ。最も現実的なのが講和だ。
 攻城戦の開始から既にひと月が経とうとしていたが、松前藩からは講和の意思さえ覗えなかった。
 帝国があくまで北に無関心なら、時間をかけて兵糧攻めも可能である。だが、松前藩も必死である。松前藩が何らかの宮廷工作を行うと考えたほうが現実的なのだ。
 帝国は奥州探題をアイヌ討伐に向かわせることを既に決定している。決定はしたが実際に援軍が動くには時がかかる。帝国の中枢である上海は蝦夷地から遠く離れている。この距離が稼ぐ時間は尽きようとしていた。
 講和が選択肢から消えた以上、攻撃か撤退か、シャクシャインは悩み続けた。

 真田幸村が率いる三十騎の赤備え部隊はあくまで遊撃軍である。会戦となれば機動力と攻撃性をフルに発揮することができる。が、城攻めには向かない。
 幸村も歯噛みするような思いだっただろう。

 「兄者!」
 幸村は鄭成功を兄者と呼ぶ。
 「兄者、真田湊は援軍を送るつもりはないのか?」
 「真田の父上の事じゃ、必ず策を講じておられるはずじゃ。幸村よ、ここは辛抱が肝心じゃ。」
 「それは分かっており申す。じゃが、じりじりするのじゃ。」
 幸村の表情は焦りの色を浮かべている。十七歳の血気盛んな若者にとって、この状況は辛抱の限界を超えていたのが。

 「佐助か。」
 「幸村様、幸昌様からの使いで参りました。」
 「待っておったわ。して、父上は何と?」
 「はっ、まずは上海でございます。皇帝陛下は松前藩から特許状を返上させること、また奥州探題を援軍に向かわせることを決定しましてございます。」
 「伊達殿が援軍じゃと!」
 「幸昌様は、伊達殿にはゆるゆる戦支度をするようにと仰せになりました。松前城陥落の直後に蝦夷地に到着するようにと・・・」
 「松前城陥落じゃと、父上はこの状況を何も分かっておられぬ。そう簡単に落ちるような城ではないわ。」
 「その儀、幸昌様もご承知。既に真田丸がこの地に向かっております。」
 「真田丸じゃと!」
 鄭成功の表情が驚きに変わった。
 「真田の父上は、真田丸をこの戦に投入なさるのか?」
 「はっ、真田丸は鄭芝龍様が指揮を執っておられます。」
 「親父殿かぁー。」
 鄭成功が露骨に嫌な顔した。
 「兄者、これで松前城は落ちまするぞ! 佐助、ご苦労であった。」
 「さらに幸昌様からの伝言にございます。松前高広殿を決して害してはならんと申し付けよと。」
 「あい分かった!」
 幸村の顔は満面の笑みだった。

 「真田丸なりか、懐かしい船なりね。」
 真田丸といっても三代目だぞ。二代目までは中型船だったが、三代目真田丸はガレオン船に中国特有のジャンク船の構造を取り入れた最新鋭艦だ。
 「これで海から攻撃するなりね。松前城はアイヌの反乱を想定して造られた城だから、海からの攻撃は想定外なのだ。」

 改変前の歴史では、幕末の戊辰戦争の折、榎本武明率いる幕府軍が蝦夷地に上陸している。榎本は松前城を見て海から攻めれば一発で落とせると思ったそうだ。
 「それで五稜郭ができたわけなりね。」
 海の時代を想定の外に置いたのが松前城だったんだ。
 「それなら、鄭成功君の船で攻撃すれば良かったんじゃないなりか。」
 当然、城にも大砲がある。鄭成功も海から攻略することを考えたはずだが、十隻に満たない鄭成功の船団では撃ち負けしてしまう。それに鄭成功が乗ってきたのは輸送船だ。大砲は最小限しか積んでいない。
 「今度は、真田丸が大船団を率いて海からの攻城戦をやるなりね。」
 そういうことだろう。幸昌の最後の一手というわけだ。城が落ちてしまったところに奥州探題・伊達光宗が押っ取り刀で到着して、戦いを講和に持っていくという筋書きだ。
 「幸昌君は策士なりね。」 
 まぁ、幸昌は苦労人だからな。

 ところが、松前城の沖に現れたのは僚艦一隻のみを伴った真田丸だったのだ。
 「幸昌君、何を考えてるなりか?」
 心配するな戸部典子君、きっと幸昌には戦略があるはずだ。
 
 蝦夷地の遅い春が、ようやく日本海にきらめきを与え、海が静けさを取り戻している。
 晴れ渡った空の下、鄭成功の船団が真田丸に合流していく。白い帆が春の海に眩しい。
 鄭成功は真田丸に乗り移り、父・芝龍に再会した。
 「成功、お前には砲撃を任す! 一発じゃ、一発で仕留めよ!」
 いきなりの父の命令に鄭成功は面食らった。
 「やれやれ、父上はいつもこうじゃ。」
 鄭芝龍は、息子・鄭成功にいつも無茶振りするのだ。

 「可愛かった鄭芝龍君が髭面のおっさんになってるのだ。」
 あれから二十年くらい経ってるから当たり前だ。
 

 真田丸が白い波頭を立てて松前城に接近していく。僚艦と鄭成功の船団は沖に留まったままである。
 「真田丸一隻で攻撃なりか。鄭芝龍君と鄭成功君でも無茶なのだ!」
 戸部典子はそう言いながらも、拳を握りしめている。真田丸の勝利を祈っているのだ。
 
 「成功、城を左舷に捉えたところで砲撃開始じゃ。任したぞ。」
 「おう! 任された!」
 真田丸が滑るようにゆっくりと右に舵を切った。一寸のブレも無いみごとな操船である。
 「撃てぇ!」
 鄭芝龍の叫び声と同時に真田丸が火を噴いた。 
 ゴォゥン!
 海上に鈍い轟音が響く。
 砲弾は松前城に直撃し天守閣を木っ端微塵に砕いたのである。
 
 諸葛砲か!
 かつて諸葛超明を名乗る天才科学者が開発した帝国の秘密兵器である。
 台湾の役において宰相・石田三成が放った一発を除いて九州大乱以外の戦場で使用されたことはなかった。諸葛砲の放つ椎の実状の砲弾は、射程距離が長く真っすぐに飛ぶのだ。そして、その破壊力もフランキー砲の比ではない。
 九州大乱の折、砲兵部隊を率いた真田幸昌は諸葛砲の構造や性能を知っていたのだ。幸昌は真田湊において実験を繰り返し、帝国の秘密兵器を再現することに成功していた。真田艦隊の旗艦である真田丸だけが六門の諸葛砲を装備している。

 鄭成功の一撃で、天守閣ががらがらと崩れ落ちていく。場内の兵たちはパニックである。
 「わーっ、はははは!」
 鄭成功が豪胆に笑い、鄭芝龍もにやりとした。
 「親父殿、一発で当てましたぞ!」
 「成功、まだまだじゃ、一気に殲滅じゃ。」
 鄭成功は、さらに諸葛砲の砲撃を続けた。左舷三門の諸葛砲が次々に火を噴き、松前城に降り注いだのだ。

 「あかねちゃんが伊達光宗の前で地面に書いた三文字は『諸葛砲』だったなりね。」
 木場あかね君からは諸葛砲の事は何も報告がなかったぞ。
 「あたしたちへのサプライズにしてたなりね。」
 軍隊主導でやった碧海作戦に比べると、規律が守られていないという事か。
 「まほろば作戦では個人の判断を大事にすることになってるなり。」

 松前城から立ち上る幾筋もの黒煙を目の当たりした真田幸村は、赤備え部隊に檄をを飛ばした。
 「これより松前城を落とす! 者ども、この赤備えに恥じぬ戦いをせよ!」
 赤備え部隊が「おう!」と檄に答える。
 幸村は馬上の人となり、軍配を振り上げて叫んだ。
 「出陣!」
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