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第一章 北の埋み火なり

13、皇帝、織田信光

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 皇帝・織田信光は壇上の玉座に座り、居並ぶ臣下の者どもを見下ろした。紅い煌びやかな衣装には金色の龍の刺繍がある。頭上には皇帝の冠が輝いている。
 玉座に登る階段の下には黒い漢服を着た宰相・大河内信綱と評議衆筆頭の黄宗義が、それぞれ尺を持って静かに立っていた。
 評議衆の面々が並ぶ謁見の間の中央を長曾我部元光が進んでいく。
 元光は、右の拳を左の手のひらで包み込む拱手の礼をとり、片膝を折って跪いた。
 「皇帝陛下にはうるわしゅうあられること、臣・元光、心よりお慶び申し上げます。この度、謁見の栄誉に浴し、陛下の恩情に感謝申し上げまする。臣・元光、陛下のためならば、この身が地獄の業火にやかれましょうとも・・・」
 「もうよい、元光。そちは朕に頼みごとがあるのであろう。」
 皇帝に言葉を遮られた元光は恐縮して三河屋光三郎を謁見の間に招き入れた。

 三河屋光三郎は裃に袴姿である。頭はきれいに剃り上げられ、髷を結っている。すべて日本人旧来の装束である。
 光三郎は謁見の間の中央で履物を脱いで正座をした。床に両手をついて深々と頭を下げたのである。
 「ほう、日本式の礼じゃな。」
 皇帝の言葉に光三郎は答えた。
 「この三河屋、日ノ本の誇りを忘れぬようにと、このような出立ちを常にしております。商人風情が、陛下にお目通りするは非礼であると思召されましょうが、下賤の商人のすることとて平にご容赦下さいませ。」
 まるで歌舞伎役者のような口上だ。だが、この出立ちと口上で、信光の心を関心を引いたようだ。
 「三河屋とやら、何なりと申せ。」
 「かたじけのうございます。礼儀などわきまえませぬ下賤の身なれど、伏して陛下に申し上げます。」
 光三郎はアイヌの反乱を「謀反」と呼んだ。クンヌイの戦いから松前城包囲までの経緯を要点を押さえながら語ったのだ。
 ただ、真田がアイヌに加勢していることはしゃべらなかった。真田信繁の台湾の役での活躍は講談や歌舞伎になっており伝説となっていたからだ。台湾の役において先住民たちの救出に心を砕いた真田信繁の心根が庶民の涙を誘った。その信繁の一族が蝦夷地においてアイヌに与しているという事実は不都合なのだ。

 光三郎の言葉に対する皇帝の反応は冷たかった。
 「謀反と申したな。アイヌごときの反乱が謀反などとは笑止じゃ。松前高広も小心者じゃのう。一揆ごときに城を包囲されるなど、あり得んことじゃ。太祖・信長公ならばこう言われたじゃろう。『このまま滅びよ』とな。」
 光三郎は冷静である。
 「陛下、松前様が責めを負うのは必定にございます。なれど、アイヌどもの反乱は帝国への謀反にございます。傷つけられたるは帝国の威信、陛下のお膝元で乱を起こすなど見過ごすことはできぬはず。何卒、陛下のご威光を以って征伐の兵をお出しくださいませ。」
 光三郎は懐から一枚の板を取り出し、皇帝に差し出した。
 「あれは何なりか?」
 タブレットだ。こんなものを十七世紀に持ち込んだのは日本教団しか考えられない。
 お小姓がタブレットを受け取り、大河内信綱が皇帝の玉座に届けた。
 タブレットを覗き込む皇帝の表情が変わっていく。
 タブレットの画面には松前城攻略戦の映像が映っていたのだ。
 「三河屋、これは何じゃ?」
 「『たーぶろっと』と申しますオロシャ国の絵巻物に御座います。蝦夷地の様子をその板に描かせましてございます。」
 タブレットの画面には攻城戦の動画が写っていた。動く絵など、この時代の人々の知らないテクノロジーである。皇帝は平静を装った。皇帝は何物にも動じてはならないと教育されてきたからだ。遠い異国の地では絵が動くこともあろうと皇帝は自らを納得させることができた。
 だが、初めて目にする戦場の光景が信光の血をたぎらせた。皇帝は命令一つで戦いの決着をつけることができる。皇帝は、その力を使ってみたいと思った。
 「潰してやろう。」
 信光の眼光がギラりと光った。

 皇帝は黄宗義に問いかけた。
 「黄先生、この三河屋とやらの話、どう聞かれました。」
 黄宗義はうやうやしく尺を掲げながら皇帝に意見を述べた。
 「陛下のお言葉どおり、これは松前高広の失態にございます。アイヌの討伐は当然のことでございますが、アイヌにはアイヌの言い分もございましょう。何卒、寛大なご処置をお願いしとうございます。ここで重要なのは松前藩の処置でございます。やはり松前殿に特許状は重かったと判断せざるを得ません。アイヌの鎮定と引き換えに、松前藩には特許状の返上を申し付けてはいかがかと存じます。」
 「デ・アルカ。」
 織田信光は信長の再来を辞任する皇帝である。「デ・アルカ」の一言が言いたくて仕方がないのだ。黄宗義は発言は「デ・アルカ」のタイミングを計って出した見事なキラー・パスなのだ。
 上機嫌の皇帝は、速やかに決定を下した。
 「松前には援軍と引き換えに特許状の返上を命じよ。援軍には・・・ そうじゃな奥州探題でよかろう。」
 「陛下、アイヌごときに奥州探題とは、陛下の御威光を損ねますぞ!」
 黄宗義が皇帝の翻意を促したのだが、皇帝はこれを退けた。
 「一匹のネズミを殺すにも全力をもってあたるのが織田の伝統じゃ。黄先生と言えども皇帝の言葉を変えることは出来ん。皇帝が命ずる。奥州探題・伊達光宗を蝦夷地討伐に向かわせよ!」
 皇帝がタブレットを抱えたまま玉座を立ち、悠々と奥へ消えていくのを臣下たちは頭を下げながら見送るしかなかった。
 ざわめきの中で、三河屋光三郎が含み笑いをしている。


 「大変なことになったのだ。このままじゃ真田と伊達が戦うことになってしまうなり。」
 まずいな。しかし、これが三河屋光三郎と日本教団の罠なのだ。
 真田と伊達が戦えば、お互いに力を削ぎ合うことになる。両者が勢力を失えば、そこに漁夫の利がある。徳川はまだその力を見せていない。勢力を温存しているのだろう。
 日本教団もそうだ。十七世紀に潜入したまま姿を現さず、タブレットなど近代機器を持ち込んで三河屋を影で操っているに違いない。
 真田と伊達がいなくなったあと、蝦夷地を徳川の支配下に、そして日本復活というシナリオか。
 「このままでは敵の思うつぼなりよ。」
 いや、大丈夫だ。
 真田も伊達も、これまでは北方交易でお互いの利益を犯さないように勢力を広げてきたのだ。当然、両家の間には何らかの密約、目くばせがあったはずだ。
 伊達光宗は馬鹿ではない。それどころか相当のキレ者だ。
 そして真田湊には真田幸昌が健在だ。幸昌は苦労人だからな。気一本の若い頃とは打って変わって、祖父の昌幸にも劣らない策士になっている。
 「真田と伊達を戦わそうなんて魂胆が気に入らないのだ。信繁君の孫と政宗君の孫が殺し合うなんて死んでも嫌なのだ。徳川と日本教団はあたしが潰すなり!」
 特に日本教のやりかたは陰険だからな。影に隠れでこそこそと。
 「こっちも影に隠れてやるなりよ。」
 だが、時空監視システムは起動したばかりで、歴史改変の準備はまだできていないだろう。人民解放軍も碧海作戦の終了後は碧海時空へ派遣する人員を削減してしまった。今では監視業務だけで手いっぱいだ。
 だが、戸部典子は最低限の手を打っていたのだ。
 「李博士に頼んで、中国のタイム・マシンで『草』を十七世紀に忍ばせてるなり。」
 草?
 「忍びの者なりよ。」

 三河屋の謁見が終わった後、真田幸信は庭に出て従者に命じた。
 「佐助、真田湊の父上にこの書状を届けよ。そこで父上の命を待て。」
 どこからともなく現れた佐助が、幸信から書状を受け取り瞬く間に消えた。

 早かったからよく見えなかったが、佐助は自衛隊ドローン部隊の木場あかね君に似ていたな。
 「似ているも何も、あかねちゃん本人なり。」
 ええ!
 「それにもう自衛隊員じゃないなりよ。」
 そうか、田中隊長に付いてきてたみたいだしな。
 「今ではファクトリーの一員なり。」
 ファクトリー?
 「けもの財団の秘密実行部隊を『ファクトリー』と言うなり。ちなみに『システム』と呼ばれるのが情報を分析するシンク・タンクなり。この作戦本部のスタッフもシステムに所属しているなり。憶えておくなりよ。」 
 「システム」と「ファクトリー」か。まるでスパイ映画みたいだな。
 「そしてあたしが司令官コマンダーなり。」
 おまえが司令官だと。おケツのあたりが痒くなったぞ。
 「きっと痔なりよ。」
 失礼なことを言うな!

 木場あかね君、いや佐助は、人民解放軍の碧海時空監視基地に預けてあった大型ドローンのシートをまくった。
 輸送用ドローンを人が乗れるように改良したもののようだ。
 「改良じゃないなり。人間がコクピットに乗って操縦するドローンとして設計されたものなり。アキハバラ・エレクトロニクス社が開発した『流星号』なりよ!」
 流星号、アキバ臭いネーミングだ。
 そういえばアキハバラ・エレクトロニクスも岩見獣太郎のビースト・コンツェルンの傘下にあったっけ。

 流星号でひとっ飛び、翌日の夜に真田湊に到着していた佐助は、幸昌に書状を届けった。
 「佐助、ご苦労であった。何か褒美を遣わそう。」
 真田幸昌は書状に目を通しながら、佐助をねぎらった。
 「あかねちゃん。幸昌君の羽織をもらうのだ。六連銭の紋が付いてるやつなりよ。」
 自分が欲しいからといって、また勝手な事ばかり言ってやがる。

 真田幸昌。齢、五十六である。
 この男の戦いを再び目にすることになろうとは思わなかった。

 「伊達殿か・・・」
 幸昌はひとり呟いて宙を見上げた。
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