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番外編 戸部典子展へ、おこしやすなり
1、戸部典子からの招待状
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聞いてはいたが、京都の夏は猛烈に暑い。私は寒さには強いが、暑さにはとても弱いのだ。それは私が十一月生まれなのと関係しているかも知れない。
大学も夏休みに入り、私の研究室も静かになった。こんな時は、冷房の効いた研究室で本を読むのがなによりだ。
その日、私の元に配達されてきた郵便物の中に戸部典子からのものがあった。何だろうと思って開封すると招待状だった。
「戸部典子所蔵物展、碧海作戦の夢 八月三日より開催」
なんじゃこりゃ。
そういえば前に言っていたな。戸部典子が戦国武将たちから、当然の対価として譲り受けたり、当然じゃない行為によって略奪したお宝の展覧会をやるとか、やらないとか。
どこかの小さなギャラリーでも借りると言っていたが、会場は京都歴史博物館ではないか。主催は京都府文化委員会になっている。
なるほど、文化委員会が歴史博物館の八月のスケジュールに苦慮した挙句、戸部典子の企画に目を付けたわけか。小役人の考えそうなことだ。
これはチャリティーである。戸部典子はインドの小学校を支援している。それもアウト・カースト、すなわち不可触民といわれるカースト制度のさらに下に身分を置かれた子どもたちの通う学校だ。前に、インド人のディップという若者を紹介されたことがある。ディップはビハール州のブッダ・ガヤで学校を運営している。ブッダ・ガヤは釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたという仏跡の地である。
戸部典子が学生時代に女の子三人でインドを旅行した際、ブッダ・ガヤに立ち寄った。
鉄道が三時間ほど遅れたため街に着いた時には、夕刻になっていたのだという
ブッダ・ガヤは柿色の僧衣をまとったラマ僧であふれていた。ダライ・ラマがやって来るとの噂が流れていたからだ。
ホテルはラマ僧に占領されていた。ホテルが無い! 戸部典子たちはパニックに落ちった。その時、現れたのがインド人のディップと名乗る男性である。ディップは日本語を話した。それも奇妙な関西弁である。
「今日はホテル、イッパイやでー。うちに泊まりーな。」
最初は怪しげなインド人の登場に後ずさりしたそうだが、彼の後ろから小さな女の子を連れた日本人と思われる女性が現れた。ディップの奥さん実咲さんだった。
すっかり安心した戸部典子たちは一晩彼の家に泊まり、アウト・カーストの子どもたちが通う学校を見学した。
子どもたちが真剣な目をして授業を聴いている。誰一人としてさぼっているものはいない。
教師が号令を発すると、子どもたちが「イエッサー」と答える。
「凄いなり。日本はいつか、インドに負けるなりよ。」
戸部典子は彼らに共感を覚えたらしい。就職してからは何かにつけ彼らに仕送りしているのだ。彼女の仕送りは主に給食代になる。
アウト・カーストの子どもたちを学校に来させるためには給食が必要である。親たちとって子どもは労働力である。学校に行って何の得があるかと思う。そこで給食だ。親は一食浮いたと思う。貧しさ故、普段は食べさせてやれないものを学校は食べさせてくれる。子どもたちにしても給食が目当てで学校に通う。戸部典子は、それでいいのだと言う。「結果オーライ」が彼女の数ある座右の銘のひとつだ。
ディップが戸部典子に相談したのは生徒が増えてきたため新しい校舎を新築したいということだった。戸部典子はチャリティーを企画したのだ。
しかし、大ごとになったものだ。京都歴史博物館とは。
あれあれ、封筒の中にもう一枚入ってるぞ。
「八月二日、戸部典子所蔵物展 お披露目会 招待状」
戸部典子の手書きの文字で「来てね!」と書いてある。この手書きのハート・マークも不気味だ。
お披露目会には招待客がたくさん来るのだろう。私にも相手をさせようという魂胆が透けて見える。
しかしだ、インドの子どもたちのためでもある。ここは一肌脱ごうではないか。
暑い日が続く。
朝から猛暑という日だった。私は京都歴史博物館に足を運んだ。三条烏丸にあるレンガ造りの建物である。明治時代の銀行の建物を再利用しているが、内部はコンクリートで、まるでホテルのような造りになっている。まだ、展覧会はオープン前だが、戸部典子を激励してやろう。
案内に沿って展覧会場に行くと、戸部典子が椅子の上に乗ってNPO法人日印友好協会のボランティアたちに何か説明しているようだ。ボランティアたちは学生が多いみたいだな。みんなインドの子どもたちを救おうと目をキラキラさせた爽やかな若者たちだ。。
「いいなりかー、今日はお披露目だから政治家とか財界人とかお金持ちがいっぱい来るなり。がっぽり寄付してもらうなりよ。募金箱の投入口は百万円の札束でも入るように大きめにしてあるのだ。待ってるだけじゃダメなりよー。募金箱を持って会場を回るのだ。お金持ちそうな人が千円、二千円入れようとしたら拒否するのだ。あなたはもっと出すべきですって言うなりよ。ここはインド式で行くなり。」
そうなのだ。私もインドに行った時、実に驚いた。インドで日本人が千円くらいの寄付をしようものなら相手が怒り出すのだ。日本人は金持ちだからもっと出せというのだ。
これは文化の違いである。日本ではたとえ一円でも寄付は寄付である。インドでは富める者が貧しい者に施しをするのは半ば義務のように考えられている。お金持ちは寄付をすることで功徳を積むと考えられている。宗教に基づく道徳観念なのである。
「今日の売上目標は三百万なりよー。」
ぜったい何かと勘違いしている。これではチャリティーというより悪徳商法ではないか。
ボランティアたちに発破をかけ終わった戸部典子がこっちへやってくる。
「先生、ありがとなり。来てくれたなりね。」
来てやったぞ。まあ、学術関係の招待客は私が引き受けよう。しかし、この展覧会は学術と言えるかどうかが問題だ。
伊達政宗の眼帯、真田信繁の脇差、島津豊久の陣羽織などはいいが、黒田如水の髪の毛一本とか石田三成の小袖の袖だけ、なんてのもある。各武将から無理矢理もらった扇のコレクションもあるが、趣味が偏り過ぎていないか。
展示品がそんなに多くないので、戸部典子が碧海作戦で十六世紀や十七世紀に行ったときの写真がパネル展示してある。
奥の方には今回の目的であるインドの学校の紹介コーナーも設置して、チャリティーの目的を説明できるようにしているのだ。
紹介コーナーにはディップがいる。この日のために来日していたのだ。私が手を振ると、ディップも手を振り返した。
さて、オープンだ。どんな招待客が来るのか楽しみでもある。
大学も夏休みに入り、私の研究室も静かになった。こんな時は、冷房の効いた研究室で本を読むのがなによりだ。
その日、私の元に配達されてきた郵便物の中に戸部典子からのものがあった。何だろうと思って開封すると招待状だった。
「戸部典子所蔵物展、碧海作戦の夢 八月三日より開催」
なんじゃこりゃ。
そういえば前に言っていたな。戸部典子が戦国武将たちから、当然の対価として譲り受けたり、当然じゃない行為によって略奪したお宝の展覧会をやるとか、やらないとか。
どこかの小さなギャラリーでも借りると言っていたが、会場は京都歴史博物館ではないか。主催は京都府文化委員会になっている。
なるほど、文化委員会が歴史博物館の八月のスケジュールに苦慮した挙句、戸部典子の企画に目を付けたわけか。小役人の考えそうなことだ。
これはチャリティーである。戸部典子はインドの小学校を支援している。それもアウト・カースト、すなわち不可触民といわれるカースト制度のさらに下に身分を置かれた子どもたちの通う学校だ。前に、インド人のディップという若者を紹介されたことがある。ディップはビハール州のブッダ・ガヤで学校を運営している。ブッダ・ガヤは釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたという仏跡の地である。
戸部典子が学生時代に女の子三人でインドを旅行した際、ブッダ・ガヤに立ち寄った。
鉄道が三時間ほど遅れたため街に着いた時には、夕刻になっていたのだという
ブッダ・ガヤは柿色の僧衣をまとったラマ僧であふれていた。ダライ・ラマがやって来るとの噂が流れていたからだ。
ホテルはラマ僧に占領されていた。ホテルが無い! 戸部典子たちはパニックに落ちった。その時、現れたのがインド人のディップと名乗る男性である。ディップは日本語を話した。それも奇妙な関西弁である。
「今日はホテル、イッパイやでー。うちに泊まりーな。」
最初は怪しげなインド人の登場に後ずさりしたそうだが、彼の後ろから小さな女の子を連れた日本人と思われる女性が現れた。ディップの奥さん実咲さんだった。
すっかり安心した戸部典子たちは一晩彼の家に泊まり、アウト・カーストの子どもたちが通う学校を見学した。
子どもたちが真剣な目をして授業を聴いている。誰一人としてさぼっているものはいない。
教師が号令を発すると、子どもたちが「イエッサー」と答える。
「凄いなり。日本はいつか、インドに負けるなりよ。」
戸部典子は彼らに共感を覚えたらしい。就職してからは何かにつけ彼らに仕送りしているのだ。彼女の仕送りは主に給食代になる。
アウト・カーストの子どもたちを学校に来させるためには給食が必要である。親たちとって子どもは労働力である。学校に行って何の得があるかと思う。そこで給食だ。親は一食浮いたと思う。貧しさ故、普段は食べさせてやれないものを学校は食べさせてくれる。子どもたちにしても給食が目当てで学校に通う。戸部典子は、それでいいのだと言う。「結果オーライ」が彼女の数ある座右の銘のひとつだ。
ディップが戸部典子に相談したのは生徒が増えてきたため新しい校舎を新築したいということだった。戸部典子はチャリティーを企画したのだ。
しかし、大ごとになったものだ。京都歴史博物館とは。
あれあれ、封筒の中にもう一枚入ってるぞ。
「八月二日、戸部典子所蔵物展 お披露目会 招待状」
戸部典子の手書きの文字で「来てね!」と書いてある。この手書きのハート・マークも不気味だ。
お披露目会には招待客がたくさん来るのだろう。私にも相手をさせようという魂胆が透けて見える。
しかしだ、インドの子どもたちのためでもある。ここは一肌脱ごうではないか。
暑い日が続く。
朝から猛暑という日だった。私は京都歴史博物館に足を運んだ。三条烏丸にあるレンガ造りの建物である。明治時代の銀行の建物を再利用しているが、内部はコンクリートで、まるでホテルのような造りになっている。まだ、展覧会はオープン前だが、戸部典子を激励してやろう。
案内に沿って展覧会場に行くと、戸部典子が椅子の上に乗ってNPO法人日印友好協会のボランティアたちに何か説明しているようだ。ボランティアたちは学生が多いみたいだな。みんなインドの子どもたちを救おうと目をキラキラさせた爽やかな若者たちだ。。
「いいなりかー、今日はお披露目だから政治家とか財界人とかお金持ちがいっぱい来るなり。がっぽり寄付してもらうなりよ。募金箱の投入口は百万円の札束でも入るように大きめにしてあるのだ。待ってるだけじゃダメなりよー。募金箱を持って会場を回るのだ。お金持ちそうな人が千円、二千円入れようとしたら拒否するのだ。あなたはもっと出すべきですって言うなりよ。ここはインド式で行くなり。」
そうなのだ。私もインドに行った時、実に驚いた。インドで日本人が千円くらいの寄付をしようものなら相手が怒り出すのだ。日本人は金持ちだからもっと出せというのだ。
これは文化の違いである。日本ではたとえ一円でも寄付は寄付である。インドでは富める者が貧しい者に施しをするのは半ば義務のように考えられている。お金持ちは寄付をすることで功徳を積むと考えられている。宗教に基づく道徳観念なのである。
「今日の売上目標は三百万なりよー。」
ぜったい何かと勘違いしている。これではチャリティーというより悪徳商法ではないか。
ボランティアたちに発破をかけ終わった戸部典子がこっちへやってくる。
「先生、ありがとなり。来てくれたなりね。」
来てやったぞ。まあ、学術関係の招待客は私が引き受けよう。しかし、この展覧会は学術と言えるかどうかが問題だ。
伊達政宗の眼帯、真田信繁の脇差、島津豊久の陣羽織などはいいが、黒田如水の髪の毛一本とか石田三成の小袖の袖だけ、なんてのもある。各武将から無理矢理もらった扇のコレクションもあるが、趣味が偏り過ぎていないか。
展示品がそんなに多くないので、戸部典子が碧海作戦で十六世紀や十七世紀に行ったときの写真がパネル展示してある。
奥の方には今回の目的であるインドの学校の紹介コーナーも設置して、チャリティーの目的を説明できるようにしているのだ。
紹介コーナーにはディップがいる。この日のために来日していたのだ。私が手を振ると、ディップも手を振り返した。
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