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第三部 最後の聖戦なり
26、京都の休日
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私の大学時代の同級生が、京都学院大学で教鞭と取っている。岡田という男で、体重百十キロの巨漢である。岡田准教授からは、私の講演会を開きたいとメールを何度かもらっていった。中国政府の後押しもあり、ここは京都の休日としゃれこむか! もちろん、これも碧海作戦の宣伝活動、立派な仕事だ。
「京都なりか。あたしも行くなり。」
なんでお前が来るんだ。私の講演会だ。
「あたしの実家は京都なりよ。案内するのだ。」
えっ、お前、京女だったのか。
「嵯峨野なり。実家は料理旅館だから、うちに泊まればいいのだ。」
嵯峨野の料理旅館か、それはいいな。ビジネス・ホテルなんかに泊まるよりよっぽどいい。
休暇願を出したのか、出張にしたのか、そのあたりは不明だが戸部典子は私に付いてきた。
関西国際空港である。大坂かぁ、食道楽の街だ。なんか旨い物でも食べていきたいな。
「大阪に旨い物は無いなり。実は京都のほうが美味しいのだ。」
戸部典子の説によると、大阪は埋立地が多く、水が不味いそうだ。井戸から涌く水も塩分を含んでいたため、江戸時代には「水売り」が水を売って回っていたそうだ。
「水の不味いところに洗練した食文化は生まれないなり。」
これに対して、京都は地下水が豊富である。京都盆地の地下には琵琶湖と同じ規模の水源が眠っているのだそうだ。
「大阪の食い倒れ、なんていうけど、安くてまあまあ美味しい物があるだけなり。」
さすが、京都人の大阪攻撃は辛らつだ。大阪人は京都人を「腹黒い」とか言ってるから、お相子だけどな。
だが、私は鶴橋のコリア・タウンで焼き肉が食べたいぞ。
「それはいいアイディアなりね。」
いざ行かん、鶴橋へ!
鶴橋の駅に着いた私たちを出迎えたのは、スピーカーからがなり立てられるヘイト・スピーチだった。
「韓国、朝鮮人は日本から出ていけ!」
まだこんな事をやってる奴らが日本にはいるのだ。恥ずかしいとは思わないのだろうか。
戸部典子は意に介さず、ヘイト・スピーチのなかをトロリー・バッグをコロコロと引きずって歩いていく。ニュー・ヨークでLGBTプライドに参加した時とは正反対の、暗澹たる思いなのだろう。
だが、焼き肉は旨かった。ホルモンも最高だった。
私たちは電車で京都へ向かった。
嵯峨野は広沢の池のほとりに、戸部典子の実家、料理旅館「広沢亭」はある。小さな木の看板があるだけで、知らない人には料理旅館だと分からない。こんなんで大丈夫なのか? と訊くと、
「うちは、いちげんさんお断りなりよ。」
という答えが返ってきた。じゃ、だいぶお高いのではないのでしょうか?
「大丈夫なり、勘定は中国政府に回すなり。」
安心した。
「おこしやす。」
女将さんが出てきた。戸部典子の母親だ。若女将は兄嫁だという。お兄さんは小説家志望でちっとも仕事をしないらしい。老舗旅館の「極楽とんぼ」なのだそうだ。妹もいるらしいが最近は仕事が忙しいらしい。お父さんは戸部典子が大学の時に亡くなったという。映画俳優志望で、太秦の撮影所に出入りしていたそうだ。戸部家の男たちは、気楽で羨ましい。戸部典子の映画好きは父親の影響なのだろう。
広沢亭、なめてはいけない。女将の話によると「去年、フランスのタイヤ屋はんが、ガイドブックに、うちのお店を載せたい言うて来はったんどす。」
それってミシュランだろ!
「お断りしましたけどな。」
マジか!
板前さんは四人。板長の長澤さんは六十を超えて引退の準備中。四十代の立花さんを跡継ぎにしようと猛特訓中なのだ。
夕食まで時間がある。嵯峨野を散歩するか。
嵯峨野と言っても広沢の池あたりは観光客もいない。低い山々が尾根を並べ、見渡す限りの畑である。さすが京都だ、こんなひなびた風景にも田舎臭さが感じられない。戸部典子が私の前をぽくぽくと歩いている。広沢の池は静かである。こういう街で教鞭をとるのも悪くないな。碧海作戦が終ったら同期の岡田准教授に就職を頼んでみるか。
夕食はさすがに旨かった。鮒ずしにはびっくりしたけどな。最初は匂いに怯んでしまったが、食べると案外いけるのだ。日本酒によく合う。
戸部典子は鮒ずしを漬けこんだ発酵したごはんをお茶漬けにして食べていたけど、あれは勘弁してほしい。
私は日本酒を常温で飲むのが常だ。女将さんがアテにと小鉢を持ってきてくれた。なんか黒い砂利みたいなものが盛り付けてある。これは何だ?
「ナマズのへそなり。」
これがお前が以前言っていたナマズにへそか。
「いやどすわ、広沢の池で捕れたタニシの煮つけどす。」
なんだ、ナマズのへそなんて言うから身構えてしまったぞ。
「この娘は子どもの頃、泥抜きしてへんタニシを食べて吐き出してしもたんですよ。」
「あれは板長が間違えて調理してしてしまったものなり。捨てるつもりだったのをつまみ食いしてしまったのだ。」
タニシに関わらず池で捕れたものは数日水につけて泥抜きをする。これをしないと泥臭くて食べられないのだ。
私と戸部典子は、タニシの煮つけをつまみながらお猪口を傾けた。池にくちばしを立ててタニシをつつく鶴になった気分である。それにナマズのへその謎がようやく解けた。
障子を開けると池の上に月があった。月は満月である。山の端が月の光を浴びて輝いている。
翌朝、目覚めると窓の障子に赤い回転灯の光がぐるぐると写っていった。障子を開けると広沢の池の周りにパトカーが何台も止まっているではないか。私が階下に降りると、戸部典子は平然とした顔で言った。
「殺人事件なりよ。」
殺人事件だと! いったい誰が殺されたっていうのだ。私は野次馬となって外に飛び出した。
あっ、カメラがある。テレビのサスペンスドラマの撮影ではないか。
「広沢の池は撮影のメッカなり。時代劇にもよく出てくるなりよ。」
なんかこの風景、見覚えがあると思ったら、そういうことだったのか。
「京都は日本でいちばん殺人事件が起こるところなり。」
そうだな、京都を舞台にしたサスペンスは多いからな。
おっ、あそこに見えるのは、女優の片倉ななみさんではないか。
私は大ファンなのだ。二時間ドラマの葬儀屋探偵シリーズも京都ミステリーシリーズも全部見ている。コミカルな演技が可愛いのだ。
戸部典子が撮影隊のなかに入っていく。片倉ななみさんが戸部典子に手を振っているぞ。そういえば、こいつ、戦国武将評論家の時にテレビに出まくってたよな。だから知り合いなんだ。私は戸部典子に紹介して貰って、ななみさんと写真を撮った。ブログにのせるのだ。
午前中に、京都学院大学に顔を出して岡田准教授に会いに行った。会ってしまえば、大学時代同様に「岡田君」と呼んでいた。あいかわらず巨体で椅子が悲鳴をあげている。岡田君は。「碧海作戦が終ったらうちの大学においでよ」と言ってくれた。とても嬉しい。
それから、昼飯をご馳走してくれるというのでついていくと、学食だった。私はトンカツ定食にした。三百八十円だ。岡田君はかつ丼ときつねうどんを注文した。
「専門店の肉の分厚いトンカツもいいが、こういう薄い肉のトンカツもいいでしょ。」
岡田君の言葉に私は激しく同意した。こういう味は学生時代を思い出させてくれる。
三日後に迫った講演会の打ち合わせをして、京都学院大学を後にした。衣笠山から竜安寺、御室の仁和寺まで歩いた。紅葉のシーズンにはまだ早いが、季節は秋である。寺々には観光客が押し寄せている。
この街は東京とも大阪とも違う。観光都市であり大学の街である。街自体が歴史と教養に磨き抜かれている。
あー、碧海作戦、早く終わらないかなー、なんて思ってしまうのだよ。
「京都なりか。あたしも行くなり。」
なんでお前が来るんだ。私の講演会だ。
「あたしの実家は京都なりよ。案内するのだ。」
えっ、お前、京女だったのか。
「嵯峨野なり。実家は料理旅館だから、うちに泊まればいいのだ。」
嵯峨野の料理旅館か、それはいいな。ビジネス・ホテルなんかに泊まるよりよっぽどいい。
休暇願を出したのか、出張にしたのか、そのあたりは不明だが戸部典子は私に付いてきた。
関西国際空港である。大坂かぁ、食道楽の街だ。なんか旨い物でも食べていきたいな。
「大阪に旨い物は無いなり。実は京都のほうが美味しいのだ。」
戸部典子の説によると、大阪は埋立地が多く、水が不味いそうだ。井戸から涌く水も塩分を含んでいたため、江戸時代には「水売り」が水を売って回っていたそうだ。
「水の不味いところに洗練した食文化は生まれないなり。」
これに対して、京都は地下水が豊富である。京都盆地の地下には琵琶湖と同じ規模の水源が眠っているのだそうだ。
「大阪の食い倒れ、なんていうけど、安くてまあまあ美味しい物があるだけなり。」
さすが、京都人の大阪攻撃は辛らつだ。大阪人は京都人を「腹黒い」とか言ってるから、お相子だけどな。
だが、私は鶴橋のコリア・タウンで焼き肉が食べたいぞ。
「それはいいアイディアなりね。」
いざ行かん、鶴橋へ!
鶴橋の駅に着いた私たちを出迎えたのは、スピーカーからがなり立てられるヘイト・スピーチだった。
「韓国、朝鮮人は日本から出ていけ!」
まだこんな事をやってる奴らが日本にはいるのだ。恥ずかしいとは思わないのだろうか。
戸部典子は意に介さず、ヘイト・スピーチのなかをトロリー・バッグをコロコロと引きずって歩いていく。ニュー・ヨークでLGBTプライドに参加した時とは正反対の、暗澹たる思いなのだろう。
だが、焼き肉は旨かった。ホルモンも最高だった。
私たちは電車で京都へ向かった。
嵯峨野は広沢の池のほとりに、戸部典子の実家、料理旅館「広沢亭」はある。小さな木の看板があるだけで、知らない人には料理旅館だと分からない。こんなんで大丈夫なのか? と訊くと、
「うちは、いちげんさんお断りなりよ。」
という答えが返ってきた。じゃ、だいぶお高いのではないのでしょうか?
「大丈夫なり、勘定は中国政府に回すなり。」
安心した。
「おこしやす。」
女将さんが出てきた。戸部典子の母親だ。若女将は兄嫁だという。お兄さんは小説家志望でちっとも仕事をしないらしい。老舗旅館の「極楽とんぼ」なのだそうだ。妹もいるらしいが最近は仕事が忙しいらしい。お父さんは戸部典子が大学の時に亡くなったという。映画俳優志望で、太秦の撮影所に出入りしていたそうだ。戸部家の男たちは、気楽で羨ましい。戸部典子の映画好きは父親の影響なのだろう。
広沢亭、なめてはいけない。女将の話によると「去年、フランスのタイヤ屋はんが、ガイドブックに、うちのお店を載せたい言うて来はったんどす。」
それってミシュランだろ!
「お断りしましたけどな。」
マジか!
板前さんは四人。板長の長澤さんは六十を超えて引退の準備中。四十代の立花さんを跡継ぎにしようと猛特訓中なのだ。
夕食まで時間がある。嵯峨野を散歩するか。
嵯峨野と言っても広沢の池あたりは観光客もいない。低い山々が尾根を並べ、見渡す限りの畑である。さすが京都だ、こんなひなびた風景にも田舎臭さが感じられない。戸部典子が私の前をぽくぽくと歩いている。広沢の池は静かである。こういう街で教鞭をとるのも悪くないな。碧海作戦が終ったら同期の岡田准教授に就職を頼んでみるか。
夕食はさすがに旨かった。鮒ずしにはびっくりしたけどな。最初は匂いに怯んでしまったが、食べると案外いけるのだ。日本酒によく合う。
戸部典子は鮒ずしを漬けこんだ発酵したごはんをお茶漬けにして食べていたけど、あれは勘弁してほしい。
私は日本酒を常温で飲むのが常だ。女将さんがアテにと小鉢を持ってきてくれた。なんか黒い砂利みたいなものが盛り付けてある。これは何だ?
「ナマズのへそなり。」
これがお前が以前言っていたナマズにへそか。
「いやどすわ、広沢の池で捕れたタニシの煮つけどす。」
なんだ、ナマズのへそなんて言うから身構えてしまったぞ。
「この娘は子どもの頃、泥抜きしてへんタニシを食べて吐き出してしもたんですよ。」
「あれは板長が間違えて調理してしてしまったものなり。捨てるつもりだったのをつまみ食いしてしまったのだ。」
タニシに関わらず池で捕れたものは数日水につけて泥抜きをする。これをしないと泥臭くて食べられないのだ。
私と戸部典子は、タニシの煮つけをつまみながらお猪口を傾けた。池にくちばしを立ててタニシをつつく鶴になった気分である。それにナマズのへその謎がようやく解けた。
障子を開けると池の上に月があった。月は満月である。山の端が月の光を浴びて輝いている。
翌朝、目覚めると窓の障子に赤い回転灯の光がぐるぐると写っていった。障子を開けると広沢の池の周りにパトカーが何台も止まっているではないか。私が階下に降りると、戸部典子は平然とした顔で言った。
「殺人事件なりよ。」
殺人事件だと! いったい誰が殺されたっていうのだ。私は野次馬となって外に飛び出した。
あっ、カメラがある。テレビのサスペンスドラマの撮影ではないか。
「広沢の池は撮影のメッカなり。時代劇にもよく出てくるなりよ。」
なんかこの風景、見覚えがあると思ったら、そういうことだったのか。
「京都は日本でいちばん殺人事件が起こるところなり。」
そうだな、京都を舞台にしたサスペンスは多いからな。
おっ、あそこに見えるのは、女優の片倉ななみさんではないか。
私は大ファンなのだ。二時間ドラマの葬儀屋探偵シリーズも京都ミステリーシリーズも全部見ている。コミカルな演技が可愛いのだ。
戸部典子が撮影隊のなかに入っていく。片倉ななみさんが戸部典子に手を振っているぞ。そういえば、こいつ、戦国武将評論家の時にテレビに出まくってたよな。だから知り合いなんだ。私は戸部典子に紹介して貰って、ななみさんと写真を撮った。ブログにのせるのだ。
午前中に、京都学院大学に顔を出して岡田准教授に会いに行った。会ってしまえば、大学時代同様に「岡田君」と呼んでいた。あいかわらず巨体で椅子が悲鳴をあげている。岡田君は。「碧海作戦が終ったらうちの大学においでよ」と言ってくれた。とても嬉しい。
それから、昼飯をご馳走してくれるというのでついていくと、学食だった。私はトンカツ定食にした。三百八十円だ。岡田君はかつ丼ときつねうどんを注文した。
「専門店の肉の分厚いトンカツもいいが、こういう薄い肉のトンカツもいいでしょ。」
岡田君の言葉に私は激しく同意した。こういう味は学生時代を思い出させてくれる。
三日後に迫った講演会の打ち合わせをして、京都学院大学を後にした。衣笠山から竜安寺、御室の仁和寺まで歩いた。紅葉のシーズンにはまだ早いが、季節は秋である。寺々には観光客が押し寄せている。
この街は東京とも大阪とも違う。観光都市であり大学の街である。街自体が歴史と教養に磨き抜かれている。
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