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第三部 最後の聖戦なり
10、太陽の沈まぬ国
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三成は十六世紀に起こったキリスト教の宗教改革については既に知識を得ている。カトリック教会の発行した免罪符に対してマルティン・ルターが批判したことに始まり、ローマ教皇権の世俗化や聖職者の堕落に対する改革運動である。ただ三成の頭の中で新旧両勢力の対立は日本における仏教の宗門対立程度にしか理解されていない。
イギリスとオランダ訪問を終えた三成が導き出した結論は、宗教の不合理を無視したシンプルなものである。西欧では旧教国が力を失い始めていて、新教国が勃興しつつある。特に科学技術においては新教国がリードしている。三成の思考はここでストップしている。
「これは難しい問題なのだ。あたしたちにしてもキリスト教は分からないなり。」
キリスト教だけではない。日本人は、いや東アジアの文明には一神教そのものが理解できないのだ。
「一神教なりか。ユダヤ教、キリスト教。イスラム教の三大一神教なりね。」
この三つの宗教は同じ神様を戴いている。ユダヤ教徒は唯一の神をヤハウェと呼び、キリスト教徒は英語でゴッドと呼ぶ。イスラムではアッラーだ。ちなみに十六世紀にキリスト教を日本に伝たポルトガル語ではゼウスなので、日本のキリシタンたちは「でうす」と呼ぶのだ。
「それぞれ神様の解釈が違うなりね。」
そうだ。ただ宗教というのは歴史と深く結びついていて社会そのものを型造る重要な要素なのだと言うことを忘れてはいけない。
再びドーバーを超えた艦隊は、ポルトガの首都リスボンに寄港した。
西欧の覇権国家へのあいさつだ。三成はスペインが既に最盛期を過ぎつつあることを見抜いている。
この頃のポルトガルはスペインに併合されスペイン・ハプスブルク王朝の支配を受けていた。三成は西欧の覇権国家であるスペインの王に使者を送ることにした。選ばれたのは大河内信綱である。改変前の歴史の歴史では、徳川幕府の老中となった松平伊豆守である。信綱の父、久綱は徳川家康に仕えていたが、ヌルハチとの戦闘に敗れた家康に置き去りにされ、そのまま織田家に仕えることになった。これが久綱にとっての幸いであった。家康に従い日本に帰っていれば、関が原で敗れ大河内の家も滅んでいただろう。お小姓衆として宮廷に上がった信綱は三成にその才知を認められ、愛新覚羅ヘカンと並んで三成の秘蔵っ子となっていた。大河内信綱、まだ二十歳を過ぎたばかりの若者である。
「知恵伊豆なりね。信綱君、大役頑張るのだ!」
信綱一行の馬車はスペインの首都マドリードを目指した。若者には初めて見るヨーロッパの何もかが新鮮で刺激的に映った。
この時代のスペインは世界の覇権国家のひとつである。アメリカ大陸に広大な植民地を持ち「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる。政略結婚を繰り返してきたオーストリアのハプスブルグ家はカール五世の代にスペイン王権を手に入れる。ハプスブルグ家は西欧において広大な版図を手に入れ、カール五世の死後はオーストリア・ハプスブルグ家とスペインハプスブルグ家に分割された。
信綱を謁見したのはカール五世の子、フェリペ二世である。スペイン帝国の最盛期を築いた偉大な王は、利発な信綱を大いに気に入り。東の帝国についていくつもの質問をした。
「東の帝国は我がスペインよりも強大か?」と。
「同じくらいでございましょうか。」
と信綱は応えた。この答えには、もしかしたらスペインよりも強いかも知れないというニュアンスが含まれている。
「訊くところによると、イギリスの艦隊を打ち破ったとか?」
「さようでございます。イギリスは帝国の海域を荒らしましたゆえ打ち払ったにすぎませぬ。」
フェリペ二世が苦虫を嚙み潰したような表情になった。しかし東の帝国と手を組めば世界を支配することも夢ではないという思惑もある。
「そなたらが乘ってきたという巨大な船だが、あのような船が一体何隻あるのか?」
「それは国王陛下といえども申し上げられません。ただ、巨大船は交易のための船にございます。大き過ぎて戦闘には向きません。」
フェリペ二世はほっとしたようだ。信綱は巨大船が搭載する諸葛砲については黙っていたのだ。諸葛砲は非常時以外は使ってはならぬと三成から固く言い渡されていたからだ。諸葛砲の椎の実弾を見られたら、西欧諸国は模倣し同じ兵器を作り上げてしまうだろう。
「では、我がスペインでも大いに交易していかれよ!」
フェリペ二世は満足した様子だ。
信綱はマドリードでの逗留を勧められたが、艦隊との合流しなければならない。信綱は陸路でフランスを視察した後ローマへ向かい、艦隊と合流する予定なのである。
信綱もまた、スペイン王国が徐々に勢力を失いつつあることに気づいた。この国には新教国のような新しい物を生み出そうという覇気が感じられないのだ。百年後、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれるのはイギリスなのである
東の帝国から来た大艦隊の噂は、西欧の港町にはいちはやく伝えられ、商人たちの知るところとなっていた。巨大船には絹や陶磁器、茶などが大量に積まれている。この当時のヨーロッパ人は絹が蚕の繭から作られることすら知らない。
フェリペ二世の交易許可を待って三成は商人たちとの取引を開始した。大蔵卿、小西行長の腕の見せ所だ。次々に荷下ろしされていく品物は飛ぶように売れ、代わりに船には大量の銀が積み込まれた。スペインが新大陸アメリカから略奪した大量の銀を三成は海帝国に持ち帰ることになる。大艦隊が去った後、貨幣が不足したヨーロッパの経済は停滞することになった。
三成は西欧諸国の力を削ぐために経済攻撃を仕掛けたのだ。この経済攻撃により西欧資本主義の発達は五十年遅れたと言われている。
イギリスとオランダ訪問を終えた三成が導き出した結論は、宗教の不合理を無視したシンプルなものである。西欧では旧教国が力を失い始めていて、新教国が勃興しつつある。特に科学技術においては新教国がリードしている。三成の思考はここでストップしている。
「これは難しい問題なのだ。あたしたちにしてもキリスト教は分からないなり。」
キリスト教だけではない。日本人は、いや東アジアの文明には一神教そのものが理解できないのだ。
「一神教なりか。ユダヤ教、キリスト教。イスラム教の三大一神教なりね。」
この三つの宗教は同じ神様を戴いている。ユダヤ教徒は唯一の神をヤハウェと呼び、キリスト教徒は英語でゴッドと呼ぶ。イスラムではアッラーだ。ちなみに十六世紀にキリスト教を日本に伝たポルトガル語ではゼウスなので、日本のキリシタンたちは「でうす」と呼ぶのだ。
「それぞれ神様の解釈が違うなりね。」
そうだ。ただ宗教というのは歴史と深く結びついていて社会そのものを型造る重要な要素なのだと言うことを忘れてはいけない。
再びドーバーを超えた艦隊は、ポルトガの首都リスボンに寄港した。
西欧の覇権国家へのあいさつだ。三成はスペインが既に最盛期を過ぎつつあることを見抜いている。
この頃のポルトガルはスペインに併合されスペイン・ハプスブルク王朝の支配を受けていた。三成は西欧の覇権国家であるスペインの王に使者を送ることにした。選ばれたのは大河内信綱である。改変前の歴史の歴史では、徳川幕府の老中となった松平伊豆守である。信綱の父、久綱は徳川家康に仕えていたが、ヌルハチとの戦闘に敗れた家康に置き去りにされ、そのまま織田家に仕えることになった。これが久綱にとっての幸いであった。家康に従い日本に帰っていれば、関が原で敗れ大河内の家も滅んでいただろう。お小姓衆として宮廷に上がった信綱は三成にその才知を認められ、愛新覚羅ヘカンと並んで三成の秘蔵っ子となっていた。大河内信綱、まだ二十歳を過ぎたばかりの若者である。
「知恵伊豆なりね。信綱君、大役頑張るのだ!」
信綱一行の馬車はスペインの首都マドリードを目指した。若者には初めて見るヨーロッパの何もかが新鮮で刺激的に映った。
この時代のスペインは世界の覇権国家のひとつである。アメリカ大陸に広大な植民地を持ち「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる。政略結婚を繰り返してきたオーストリアのハプスブルグ家はカール五世の代にスペイン王権を手に入れる。ハプスブルグ家は西欧において広大な版図を手に入れ、カール五世の死後はオーストリア・ハプスブルグ家とスペインハプスブルグ家に分割された。
信綱を謁見したのはカール五世の子、フェリペ二世である。スペイン帝国の最盛期を築いた偉大な王は、利発な信綱を大いに気に入り。東の帝国についていくつもの質問をした。
「東の帝国は我がスペインよりも強大か?」と。
「同じくらいでございましょうか。」
と信綱は応えた。この答えには、もしかしたらスペインよりも強いかも知れないというニュアンスが含まれている。
「訊くところによると、イギリスの艦隊を打ち破ったとか?」
「さようでございます。イギリスは帝国の海域を荒らしましたゆえ打ち払ったにすぎませぬ。」
フェリペ二世が苦虫を嚙み潰したような表情になった。しかし東の帝国と手を組めば世界を支配することも夢ではないという思惑もある。
「そなたらが乘ってきたという巨大な船だが、あのような船が一体何隻あるのか?」
「それは国王陛下といえども申し上げられません。ただ、巨大船は交易のための船にございます。大き過ぎて戦闘には向きません。」
フェリペ二世はほっとしたようだ。信綱は巨大船が搭載する諸葛砲については黙っていたのだ。諸葛砲は非常時以外は使ってはならぬと三成から固く言い渡されていたからだ。諸葛砲の椎の実弾を見られたら、西欧諸国は模倣し同じ兵器を作り上げてしまうだろう。
「では、我がスペインでも大いに交易していかれよ!」
フェリペ二世は満足した様子だ。
信綱はマドリードでの逗留を勧められたが、艦隊との合流しなければならない。信綱は陸路でフランスを視察した後ローマへ向かい、艦隊と合流する予定なのである。
信綱もまた、スペイン王国が徐々に勢力を失いつつあることに気づいた。この国には新教国のような新しい物を生み出そうという覇気が感じられないのだ。百年後、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれるのはイギリスなのである
東の帝国から来た大艦隊の噂は、西欧の港町にはいちはやく伝えられ、商人たちの知るところとなっていた。巨大船には絹や陶磁器、茶などが大量に積まれている。この当時のヨーロッパ人は絹が蚕の繭から作られることすら知らない。
フェリペ二世の交易許可を待って三成は商人たちとの取引を開始した。大蔵卿、小西行長の腕の見せ所だ。次々に荷下ろしされていく品物は飛ぶように売れ、代わりに船には大量の銀が積み込まれた。スペインが新大陸アメリカから略奪した大量の銀を三成は海帝国に持ち帰ることになる。大艦隊が去った後、貨幣が不足したヨーロッパの経済は停滞することになった。
三成は西欧諸国の力を削ぐために経済攻撃を仕掛けたのだ。この経済攻撃により西欧資本主義の発達は五十年遅れたと言われている。
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