歴史改変戦記 「信長、中国を攻めるってよ」

高木一優

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第三部 最後の聖戦なり

3、示威行動

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 驚いたことに、その翌日に戸部典子は帰ってきた。
 私は骨付きのイベリコ豚の塊から生ハムを薄く削ぎ切り、サラダボールにたっぷりの生野菜を盛り付け、某有名ホテルのレトルト・ポタージュスープを皿に移していた。高級ワインも用意した。完璧なディナーだ!
その時、玄関のチャイムが鳴ったのだ。出てみると頬がこけ、やつれ果てた戸部典子が泣き出しそうな顔をして倒れ込んできた。
 「お腹がすいたなり。何か食べさせて欲しいなり。」
 戸部典子は情けない声で哀願しているではないか。どうやら船の食事が口に合わなかったのだろう。十七世紀の船の食事はひどいものだ。保存食がほとんどだし、水が潤沢に使えるわけではない。それに新鮮な野菜などは無いに等しい。
 空腹に消化の悪い物を食べると胃によくない。待ってろ、雑炊でも作ってやる。
 私が台所で鍋に火をかけていると、知らない間に彼女は私の席に座っているではないか。皿を持ち上げてポタージュースープをぐびぐびと飲んでやがる。フォークで生ハムを何枚も突き刺して口に放り込んでいる。サラダボールのなかの胡瓜やレタス、それからトマトをがりがりと齧っているではないか。
 まて、それはわたしの分だ。いまから食べるところだったのだ。
 「飢えたる者に汝のパンを裂き与えよなり。」
 そう言って、戸部典子はグラスになみなみとワイン注ぎ、一気に飲み干した。
 「うまいなりー、生き返るなり!」
 あたりまえだ。そのワイン、いくらしたと思っているんだ! まてまて、そんなにがぶ飲みするな、私の分も残しておけ!
 ひとごこちついた戸部典子は冷蔵庫を開けた。勝手知ったる他人の家、どこに何があるのか私よりよく分かっているのだ。ハーゲンダッツのパイント・カップを取り出し、そのままスプーンを突っ込んでばくばくとアイスクリームを食いだした。そんなに食うとお腹を壊すぞ。 
 アイスクリームを食べながら、戸部典子は悲惨な航海の話をした。
「水は自由に使えないから煮炊きした食べ物なんか一日一食なり。塩漬けの肉や魚は塩辛すぎて食べられないのだ。みんな干飯を齧っていたけどあたしには食べられなかったなり。」
 当時の保存食の技術はそんなもんだ。大航海時代の冒険者たちはまずい食事と、危険をものともせず海を渡ったのだ。
 「艦隊が香港に寄港した時はほっとしたなり。」
 それで香港で下船して、タイム・マシンで帰ってきたわけか。
 三成は香港の街でも大艦隊のデモンストレーションを行った。香港には西欧諸国の商館が立ち並んでおり、西欧人たちも艦隊の威容に驚いていた。香港の人々は、爆竹とお祭り騒ぎで艦隊を歓迎し、艦隊の空砲が街々にこだました。
 「お腹がいっぱいになると眠くなってきたのだ。帰って寝るなり。」
 そうしろ、どうせ隣の部屋だ、それと、おまえ臭うぞ。
 「一週間、お風呂に入ってないなり。」
 ちゃんとシャワーくらい浴びてから寝るんだぞ!
 「もう眠いのだ。シャワーは明日にするなり。」
 戸部典子はハーゲンダッツのパイント・カップを抱え、スプーンをくわえたまま帰っていった。
  
 翌日、メイン・モニターには南シナ海を南下する帝国艦隊の姿があった。戸部典子も元気を回復したようで中華饅頭の袋を抱えて出勤した。
 「航海中、食べられなかった分を取り戻すなり。」
 そんな勢いで食べるとお腹を壊すぞ。
 「大丈夫なり、これでもセーブしているのだ。」
 「気持ちいいほどの食欲ですわね。」
 李博士がお茶を持ってきてくれたぞ。李博士にまで気を遣わすな。
 おっ、人民解放軍から連絡が入ったみたいだ。李博士が通信機に屈みこんだ。いつものように足をクロスさせているのが素敵である。
 「艦隊の進路はバタヴィアのようですわ。」
 「バタヴィア? オランダ東インド会社の本拠地なりよ。」
 バタヴィア、現在インドネシアの首都ジャカルタである。ジャワ島の西端に位置するこの港町はオランダ東インド会社が要塞化している。オランダ人たちはパンテン王国からこの地を奪い取り植民地とした。
 かつて台湾を占領した艦隊は、この港から出航している。バタヴィア要塞を築いたのはヤン・ピーテルスゾーン・クーンである。彼が台湾での戦いに敗れ、処刑されたことはオランダ人たちの記憶に新しい。
 「三成君、アジアの海域から西欧勢力を一掃するつもりなりか?」
 確かに、この大艦隊をもってすれば不可能ではない。だが、オランダ人たちとは上海や香港に来航して通商を開いている。ここでバタヴィア要塞を粉砕すれば交易をも失うことになる
 艦隊がバタヴィアに接近すると、オランダ人たちは警戒心を露にした。この大艦隊が攻めてきたならば、バタヴィアはひとたまりもないだろう。
 バタヴィア要塞の砲塔が開かれ、オランダ人たちは臨戦態勢に入った。
 艦隊は静かに港に近づいて来る。玄徳丸の砲門が開くと要塞に緊張が走った。
 玄徳丸が空砲を鳴らし、轟音が海上に響き渡った。
 この空砲にさえバタヴィア要塞は騒然となった。
大陸の東に巨大な帝国が出現したことは既に西欧に知れわたっている。その帝国が復讐にやって来たと思っても不思議ではない。
 大艦隊は砲門を開いたままバタヴィアの大砲の射程ぎりぎりまで近づいた。諸葛砲をもてすれば敵の要塞を数時間で木端微塵にできる距離である。
 「三成君、戦争をやるつもりなりか?」
 そんなことはない。これは示威行動なのだ。海帝国大艦隊の威を示すだけだ。
 「戦わすして勝つなりね。孫氏の兵法なり。」
 中華饅頭の袋を握りしめた戸部典子は、口をへの字に結んで腕組みした。まるで軍師気取りだ。
  ほんとに戦ったら三成は弱いけどな。
 「そんなことないなり!」
 戸部典子がお怒りである。石田三成は歴女さんにとても人気があるのだ。
 大艦隊は空砲を鳴らしつつ、バタヴィアの近海を整列して通り過ぎた。
 これは三成流のあいさつなのだ。交易は大いに結構、ただし海帝国に敵対すれば武力で叩き潰す。帝国には十分にその力があることを示したのだ。
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