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第一部 信長様の大陸侵攻なり
24、売国奴
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密かに、碧海作戦に中止命令が下った。
中国政府の指導者たちが織田信長に不快感を示しているという。確かに織田信長はやり過ぎたきらいがある。中国政府の予測も期待も裏切り続けているのかもしれない。
「虎を野に放ってしまった」、との思いが中国政府の首脳たちの認識なのだ。この場合の「野」とは、彼ら中国の庭先というわけだ。
彼らは信長の暗殺さえ考えているというのだ。
齢六十を過ぎた信長を今さら暗殺してどうしようというのだ。
歴史を遡って、朝鮮半島を侵略するまえの信長を暗殺するという。
馬鹿も休み休み言え。遡って暗殺すれば、そこから別の歴史が枝分かれするだけだ。一度創ってしまった歴史は変えようがないのだ。
もし中国政府が碧海作戦の失敗を宣言し、その歴史を隠蔽しようとしても無駄なことだ。他国、特に西欧諸国は「失敗した歴史」を追跡し世界中に公表し笑いものにするだろう。面子を重んじる中国人には耐え難い屈辱である。現に今だって、我々が創っている歴史を世界中が監視しているはずだ。
中国政府には碧海作戦の失敗を宣言することは不可能なのだ。
これが歴史の罠というものなのだ。
私はたかをくくっていた。その当時、私はアメリカ政府からオファー受けており、中国がダメなら、アメリカに乗り換えれば済むことだった。東アジア史の研究者である私をアメリカが招聘していったい何をやらせようとしているかは不明だったが、信長の鉄砲隊の映像を見たアメリカ人たちは織田信長に熱狂していて、これをプロデュースした私はちょっとした時の人になっていたわけだ。
だが、失敗が宣言されなくとも中止になれば、誰かが責任をとらねばならないのだ。おそらく陳博士や李博士たちが責任をとるのだろう。学会を追放されるくらいならまだいいが、罪に問われる事だってありうる。私は最悪の場合を考えた。
そうだ、この国はそういう国なのだ。私は民主的でないだとか、ヒューマニズムに反するだとかいうことで、この国の文明や文化を否定することを避けてきた。民主主義もヒューマニズムも近代西欧の生んだ思想であり、それが絶対的な正義を担保するとは言い切れないからだ。
でも、この国はそういう国なのだ。私は密かに中国共産党は中華王朝のひとつであると考えていた。皇帝がいて、官僚がいて、物言わぬ民がいる。支配するものと、支配されるものがいる。昔も、今も。
歴史学者の矜持にかけて、それを悪だとは言わない。歴史学者は常に相対的な場所に自らをおく覚悟が必要なのだ。
しかし、私はその場所を一時放棄することにした。
陳博士も李博士も、今では私のよき理解者だ。これほどの理解者を得たことはかつて無かった。
私は研究室を抜け出し、走り出した。
私の異変にただひとり気づいたのは戸部典子だった。
「先生。行っちゃダメなり。」
戸部典子が通せんぼをしている。
止めてくれるな戸部典子、義理と人情を秤にかけりゃ、人情が重てぇ私の世界なのだ。
「先生、問題になるなりよ。そんなことをしたら、もうここには居られなくなるなるかもしれないなりよ。」
それでも行かなくてはならない。島津義弘だって危険を冒しても伊達政宗に合力したではないか。
「それを言われると弱いなり。でもあたしもここを追われるかもしれないなり。」
追われるだけないいではないか。陳博士や李博士はそれで済まないかもしれないのだ。
「あたしの楽しい職場を取り上げないでほしいなり。」
それが本音か。
申し訳ないが、ここは行かせてくれ。
「じゃ、あたしも一緒に行くなり。」
おまえに来てもらっても・・・
「先生、中国語できないでしょ。」
そのとおり、通訳がいないとなにもできない。
私と戸部典子は猛然と走り出した。
政府首脳に会見を申し込んだが、門前払いをくわされた。
今度はテレビ局に出向き出演交渉をした。碧海作戦の中止命令はまだ公になっておらず、万歳先生がテレビに出たいならそれを拒む理由は無い。
私はその夜のニュースショーに出演し、碧海作戦がいかに英雄的であるか、中華帝国がいかに偉大であるかを熱弁した。
私は何度も繰り返した「我が中華帝国」と。
最後はおきまりの万歳だ!
ワンセー、ワンセー、ワンワンセー!
ワンセー、ワンセー、ワンワンセー!
私は涙を流していた。涙でくしゃくしゃになった顔をさらしながら叫び続けた。
その放送はどういうわけか、中国全土を感動の渦にたたきこんでしまった。何度も何度も繰り返し放送され、ネットにだってアップされ、アクセス数は一晩で八桁を超えた。
中国当局は中止命令を撤回せざるを得なかった。
私は売国奴になった。
日本のナショナリストたちは私の写真を公衆の面前で踏みつけ、焼いた。
自称良識派も私を破廉恥漢とののしった。
マスコミは私の齢老いた両親の自宅を包囲していた。
もう日本には帰れないかもしれないにゃぁ。
戸部典子に解任命令が出た。私の不祥事を防ぎきれなかったからだ。
戸部典子はトイレに立て籠って命令を拒否したが、お腹がすいて出てきたところを外務省の男性職員に取り押さえられた。
男性職員に両腕を抱えられた戸部典子は、ずりずりと引きずられながら研究室を後にした。
中国政府の指導者たちが織田信長に不快感を示しているという。確かに織田信長はやり過ぎたきらいがある。中国政府の予測も期待も裏切り続けているのかもしれない。
「虎を野に放ってしまった」、との思いが中国政府の首脳たちの認識なのだ。この場合の「野」とは、彼ら中国の庭先というわけだ。
彼らは信長の暗殺さえ考えているというのだ。
齢六十を過ぎた信長を今さら暗殺してどうしようというのだ。
歴史を遡って、朝鮮半島を侵略するまえの信長を暗殺するという。
馬鹿も休み休み言え。遡って暗殺すれば、そこから別の歴史が枝分かれするだけだ。一度創ってしまった歴史は変えようがないのだ。
もし中国政府が碧海作戦の失敗を宣言し、その歴史を隠蔽しようとしても無駄なことだ。他国、特に西欧諸国は「失敗した歴史」を追跡し世界中に公表し笑いものにするだろう。面子を重んじる中国人には耐え難い屈辱である。現に今だって、我々が創っている歴史を世界中が監視しているはずだ。
中国政府には碧海作戦の失敗を宣言することは不可能なのだ。
これが歴史の罠というものなのだ。
私はたかをくくっていた。その当時、私はアメリカ政府からオファー受けており、中国がダメなら、アメリカに乗り換えれば済むことだった。東アジア史の研究者である私をアメリカが招聘していったい何をやらせようとしているかは不明だったが、信長の鉄砲隊の映像を見たアメリカ人たちは織田信長に熱狂していて、これをプロデュースした私はちょっとした時の人になっていたわけだ。
だが、失敗が宣言されなくとも中止になれば、誰かが責任をとらねばならないのだ。おそらく陳博士や李博士たちが責任をとるのだろう。学会を追放されるくらいならまだいいが、罪に問われる事だってありうる。私は最悪の場合を考えた。
そうだ、この国はそういう国なのだ。私は民主的でないだとか、ヒューマニズムに反するだとかいうことで、この国の文明や文化を否定することを避けてきた。民主主義もヒューマニズムも近代西欧の生んだ思想であり、それが絶対的な正義を担保するとは言い切れないからだ。
でも、この国はそういう国なのだ。私は密かに中国共産党は中華王朝のひとつであると考えていた。皇帝がいて、官僚がいて、物言わぬ民がいる。支配するものと、支配されるものがいる。昔も、今も。
歴史学者の矜持にかけて、それを悪だとは言わない。歴史学者は常に相対的な場所に自らをおく覚悟が必要なのだ。
しかし、私はその場所を一時放棄することにした。
陳博士も李博士も、今では私のよき理解者だ。これほどの理解者を得たことはかつて無かった。
私は研究室を抜け出し、走り出した。
私の異変にただひとり気づいたのは戸部典子だった。
「先生。行っちゃダメなり。」
戸部典子が通せんぼをしている。
止めてくれるな戸部典子、義理と人情を秤にかけりゃ、人情が重てぇ私の世界なのだ。
「先生、問題になるなりよ。そんなことをしたら、もうここには居られなくなるなるかもしれないなりよ。」
それでも行かなくてはならない。島津義弘だって危険を冒しても伊達政宗に合力したではないか。
「それを言われると弱いなり。でもあたしもここを追われるかもしれないなり。」
追われるだけないいではないか。陳博士や李博士はそれで済まないかもしれないのだ。
「あたしの楽しい職場を取り上げないでほしいなり。」
それが本音か。
申し訳ないが、ここは行かせてくれ。
「じゃ、あたしも一緒に行くなり。」
おまえに来てもらっても・・・
「先生、中国語できないでしょ。」
そのとおり、通訳がいないとなにもできない。
私と戸部典子は猛然と走り出した。
政府首脳に会見を申し込んだが、門前払いをくわされた。
今度はテレビ局に出向き出演交渉をした。碧海作戦の中止命令はまだ公になっておらず、万歳先生がテレビに出たいならそれを拒む理由は無い。
私はその夜のニュースショーに出演し、碧海作戦がいかに英雄的であるか、中華帝国がいかに偉大であるかを熱弁した。
私は何度も繰り返した「我が中華帝国」と。
最後はおきまりの万歳だ!
ワンセー、ワンセー、ワンワンセー!
ワンセー、ワンセー、ワンワンセー!
私は涙を流していた。涙でくしゃくしゃになった顔をさらしながら叫び続けた。
その放送はどういうわけか、中国全土を感動の渦にたたきこんでしまった。何度も何度も繰り返し放送され、ネットにだってアップされ、アクセス数は一晩で八桁を超えた。
中国当局は中止命令を撤回せざるを得なかった。
私は売国奴になった。
日本のナショナリストたちは私の写真を公衆の面前で踏みつけ、焼いた。
自称良識派も私を破廉恥漢とののしった。
マスコミは私の齢老いた両親の自宅を包囲していた。
もう日本には帰れないかもしれないにゃぁ。
戸部典子に解任命令が出た。私の不祥事を防ぎきれなかったからだ。
戸部典子はトイレに立て籠って命令を拒否したが、お腹がすいて出てきたところを外務省の男性職員に取り押さえられた。
男性職員に両腕を抱えられた戸部典子は、ずりずりと引きずられながら研究室を後にした。
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