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5、碧海作戦
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私は北京へ向かうことになった。織田信長の中国侵略を中国政府主導の下に行うために。
長らく私の保護者だった山鹿翁は、私の中国行きを好意的に理解してくれたようだ。
「中国を獲れ!」と、私を激励した。
山鹿翁は羽織袴姿で私を空港にまで見送りに来てくれた。しかもカーキ色のお揃いの服に身を包んだ一団を率いてだ。空港のロビーではマスコミが待ち構えており、沢山のカメラのフラッシュを浴びた。山鹿翁とカーキ色の軍団は、万歳三唱で私を送り出し、まるで出征兵士のような私の姿をメディアは伝えた。
私は中国政府の首脳たちと会談し、彼らはこの歴史介入作戦の命名を私に求めてきた。私は「碧海」と命名した。私が焦がれてやまない十六世紀の碧い海を作戦名に選んだのだ。
「碧海作戦」の発動が宣言された。
要するに中国側は、この作戦には日本人が大きくかかわっており、どんな結果になっても日本人も納得ずくのことなのだぞ、ということを大きくアピールしておきたかったらしい。
日本政府はひたすら恐縮していた。
「このたびは、貴国に侵略までさせていただきますこと、まことにいたみいります。ご迷惑がかからなければよいのですが、なにぶん歴史上の人物がしでかすことでございますから、何かありましても貴国のほうでご処分願えれば、こちらとしても異存はございません。」
と、いうわけだ。
北京では歴史介入実験チームが結成されていた。歴史学者だけでなく、物理学、化学、経済学、社会学の新進気鋭の研究者が勢ぞろいしていた。彼らは例外なく早口の中国語をまくし立てている。
無口なのは、人民解放軍の関係者のようだ。日本人は私一人である。一応、オブザーバー的立場なのだが、誰もが私に敬意をもって接してくれる。無口な奴らが私に敬礼してくれるので、思わず敬礼のお返しをしてしまった。
平均年齢はかなり若い。私がいちばん齢を食っているかもしれない。チームのリーダーは近世中国史研究の若きホープ、陳杭博士。三十台半ばの好男子だ。うれしいことに、李紅艶博士も私の通訳を兼ねてチームの一員となっていた。
私たちの最初の仕事は、碧海作戦の宣伝であった。要するにこの作戦が東アジアの諸国に理解され支持されるように世論操作をすることだ。
中国に大衆など存在しないと言い切った李紅艶博士の手並みは鮮やかなものだった。彼女は私へのインタヴューを企画し、その様子を撮影させた。
しまった、と思った時には既に遅し。編集された映像のなかの私は、中国は東アジアの盟主であり、日本もまた中華帝国の一部であるというようなことを言っていた。私は日本の政権のいくつかが中国に朝貢していた事実を語ったにすぎない。これが編集されると少しだけ意味が違ってくる。
この「少し」が実は問題なのだ。歴史認識の違いとは、いつも「少し」の掛け違いのようなものである。だが、この作戦に参加する以上、小異を捨てて大同につく覚悟がなければやっていられないのも事実だ。
私は日本から来た歴史学の大家だと言うことになっていた。その大家が日本は中国の属国だと言っているのだ。中国人にしてみれば、気分のいいことこの上無かったであろう。
彼らは織田信長が何者であるかさえ知らなかった。ネットに流れていた情報でも、織田信長は日本の将軍で、中華皇帝を助けて西欧列強と戦うことになるだろう、という都合のいい解釈になっていた。
研究室には碧海作戦のドキュメンタリーを撮るという名目でカメラが据えつけられていた。カメラマンは中国人民解放軍広報部の諸君だ。なるほど、宇宙船のブリッジのようにかっこいい研究室も宣伝効果を考えてのことだろう。正面にはちょっとした映画館並みのモニターが取り付けられ、壁面には意味不明の計測器機のようなものが並んでいた。偉大な作戦はこういうかっこいい場所で遂行されねばならんという中国政府のこころにくい配慮だ。
メイン・モニター、オープン!
巨大モニターには私の大アップが映っていた。
私がカメラのまえでおどけてみせると、人民解放軍の諸君は露骨に嫌な顔をした。私は彼らの機嫌をとろうと、諸手をあげてにこやかに「万歳!」と言った。
中国メディアが私を紹介するときには必ずこの映像が使われた。中国人民は私に「万歳先生」の称号を贈った。
この様子は日本でも報道された。大衆は複雑な思いであっただろう。
ナショナリストたちは私が恥を忍んで中国人たちを篭絡し、日本人による中国侵略を成し遂げようとしているのだと、まことに都合のいい解釈をしてくれた。
自称良識派は眉をひそめた。私のやろうとしていることは侵略であり、そのために多くの民衆が犠牲になると言うのだ。人道主義や民族主義が十六世紀には存在しない概念であることが彼らは理解できないようだった。彼らが守ろうとしたのは十六世紀の無名の民衆の命ではない。彼らが唯一の拠り所とする戦後民主主義という歴史的にも地理的にもローカルな価値観である。彼らはそこに普遍性があると信じて疑わない。
しかしだ、普遍性というならば中華文明のほうがよっぽど普遍的なのだ。民主的でなかろうが人道的でなかろうが、何千年にもわたって広大な版図を統治してきた中華文明を、たかだか百年足らずの歴史しか持たない戦後民主主義の尺度を以って計ろうとしているのだからお笑いだ。
そんな日本の世論操作に一石を投じたのが陳杭博士である。私と陳杭博士の対談が日本のメディアで取り上げられたとき、陳杭博士が注目を集めた。ものすごいイケメンなのだ。時々見せる憂いを含んだような表情が日本の女子高生からおばちゃんまで、広範な女性層の心をわし掴みにしてしまった。陳杭博士は「憂いの貴公子」として、アイドル並みの扱いを受けることになる。
某テレビ局の美人アナウンサー朝倉奈美などは「陳杭博士、すてき!」とか「陳杭博士、大好き!」という不用意な発言を繰り返し、それは日本の不幸な男子たちの心をわし掴みにした。
陳杭という名前は中国語の発音ではチェン・ハンである。中国人名の日本語読みは、場合によっては不適切であるというのが私の個人的な見解である。
女性を味方につけてしまえば世論など恐るるに足らんということだ。私は日本の大衆に一言だけ言ってやりたかった。
この愚民ども、と。
韓国だけは、そうはいかなかった。反日・反中・反碧海をスローガンとするデモが日々巻き起こっていた。それはそうだろう。気持ちは分かる。もうひとつの歴史とはいえ、朝鮮半島の国々が滅亡してしまうのだから。だが許せ、日本も同時に消え去るのだ。東アジア全体の利益のために。
東南アジアの諸国は警戒心をあらわにしていた。インドははっきりと敵対的な態度をとった。西と東から同時に侵略を受ければたまったものではない。植民地支配を経験した国なら当然の反応と言わざるを得ない。
西欧諸国は静観しているかに見えたが、SPQR作戦失敗のこともあってか、内心はらわたが煮えくり返っていただろう。「自国を侵略させて喜ぶ中国人」とか「日本人は最悪の侵略民族」とかいった西欧メディアの報道がそれを如術に表していた。
特に腹立たしかったのはSPQR作戦実行チームの一人であったイギリスの歴史学者ジョン・メイヤー博士の黄色人種に対する差別的な発言だった。黄色いサルどもに何ができるかと、メイヤー博士はご丁寧にサルの物まねまでして私たちを苛つかせた。
私は聞き逃さなかった。自慢じゃないが英語の成績は人一倍悪かった私だが、その言葉はよく知っている。
チ○だと、ジャ○プだと、えー根性しとるやないか。
我が中華帝国は必ずやヨーロッパ文明に仇なすであろう。
ジョン・メイヤー博士の発言は逆に東アジアを、いやアジア全域をひとつにまとめあげた。朝鮮半島のデモは反西欧・反人種差別に切り替わり、東南アジア諸国やインドまでもが、条件付ではあるが碧海作戦に対して同意を示したのだ。その条件とは、
「西欧諸国に目にもの見せてやれ。」
ということだった。
ここで中国人の悪癖が出た。中国政府は碧海作戦のテーマ・ソングを発表したのだ。
「GO GO 碧海!」のシャウトで締めくくる勇壮なメロディーは、日本の伝説的テレビ・アニメーション「碧きポセイドン」の主題歌に酷似していたことが問題となり、世界中の嘲笑を浴びた。
李紅艶博士は中国政府にかわり私に陳謝したが、陳杭博士はこれをきっかけにジャパニメーションの熱烈なファンになってしまった。中国当局は碧海作戦の英雄となるべき陳杭博士が日本のオタク文化への傾倒者であることをひた隠しにしたが、その事実は一夜にして日本国民および中国人民の知るところとなった。
私がブログに書いたからだ。
長らく私の保護者だった山鹿翁は、私の中国行きを好意的に理解してくれたようだ。
「中国を獲れ!」と、私を激励した。
山鹿翁は羽織袴姿で私を空港にまで見送りに来てくれた。しかもカーキ色のお揃いの服に身を包んだ一団を率いてだ。空港のロビーではマスコミが待ち構えており、沢山のカメラのフラッシュを浴びた。山鹿翁とカーキ色の軍団は、万歳三唱で私を送り出し、まるで出征兵士のような私の姿をメディアは伝えた。
私は中国政府の首脳たちと会談し、彼らはこの歴史介入作戦の命名を私に求めてきた。私は「碧海」と命名した。私が焦がれてやまない十六世紀の碧い海を作戦名に選んだのだ。
「碧海作戦」の発動が宣言された。
要するに中国側は、この作戦には日本人が大きくかかわっており、どんな結果になっても日本人も納得ずくのことなのだぞ、ということを大きくアピールしておきたかったらしい。
日本政府はひたすら恐縮していた。
「このたびは、貴国に侵略までさせていただきますこと、まことにいたみいります。ご迷惑がかからなければよいのですが、なにぶん歴史上の人物がしでかすことでございますから、何かありましても貴国のほうでご処分願えれば、こちらとしても異存はございません。」
と、いうわけだ。
北京では歴史介入実験チームが結成されていた。歴史学者だけでなく、物理学、化学、経済学、社会学の新進気鋭の研究者が勢ぞろいしていた。彼らは例外なく早口の中国語をまくし立てている。
無口なのは、人民解放軍の関係者のようだ。日本人は私一人である。一応、オブザーバー的立場なのだが、誰もが私に敬意をもって接してくれる。無口な奴らが私に敬礼してくれるので、思わず敬礼のお返しをしてしまった。
平均年齢はかなり若い。私がいちばん齢を食っているかもしれない。チームのリーダーは近世中国史研究の若きホープ、陳杭博士。三十台半ばの好男子だ。うれしいことに、李紅艶博士も私の通訳を兼ねてチームの一員となっていた。
私たちの最初の仕事は、碧海作戦の宣伝であった。要するにこの作戦が東アジアの諸国に理解され支持されるように世論操作をすることだ。
中国に大衆など存在しないと言い切った李紅艶博士の手並みは鮮やかなものだった。彼女は私へのインタヴューを企画し、その様子を撮影させた。
しまった、と思った時には既に遅し。編集された映像のなかの私は、中国は東アジアの盟主であり、日本もまた中華帝国の一部であるというようなことを言っていた。私は日本の政権のいくつかが中国に朝貢していた事実を語ったにすぎない。これが編集されると少しだけ意味が違ってくる。
この「少し」が実は問題なのだ。歴史認識の違いとは、いつも「少し」の掛け違いのようなものである。だが、この作戦に参加する以上、小異を捨てて大同につく覚悟がなければやっていられないのも事実だ。
私は日本から来た歴史学の大家だと言うことになっていた。その大家が日本は中国の属国だと言っているのだ。中国人にしてみれば、気分のいいことこの上無かったであろう。
彼らは織田信長が何者であるかさえ知らなかった。ネットに流れていた情報でも、織田信長は日本の将軍で、中華皇帝を助けて西欧列強と戦うことになるだろう、という都合のいい解釈になっていた。
研究室には碧海作戦のドキュメンタリーを撮るという名目でカメラが据えつけられていた。カメラマンは中国人民解放軍広報部の諸君だ。なるほど、宇宙船のブリッジのようにかっこいい研究室も宣伝効果を考えてのことだろう。正面にはちょっとした映画館並みのモニターが取り付けられ、壁面には意味不明の計測器機のようなものが並んでいた。偉大な作戦はこういうかっこいい場所で遂行されねばならんという中国政府のこころにくい配慮だ。
メイン・モニター、オープン!
巨大モニターには私の大アップが映っていた。
私がカメラのまえでおどけてみせると、人民解放軍の諸君は露骨に嫌な顔をした。私は彼らの機嫌をとろうと、諸手をあげてにこやかに「万歳!」と言った。
中国メディアが私を紹介するときには必ずこの映像が使われた。中国人民は私に「万歳先生」の称号を贈った。
この様子は日本でも報道された。大衆は複雑な思いであっただろう。
ナショナリストたちは私が恥を忍んで中国人たちを篭絡し、日本人による中国侵略を成し遂げようとしているのだと、まことに都合のいい解釈をしてくれた。
自称良識派は眉をひそめた。私のやろうとしていることは侵略であり、そのために多くの民衆が犠牲になると言うのだ。人道主義や民族主義が十六世紀には存在しない概念であることが彼らは理解できないようだった。彼らが守ろうとしたのは十六世紀の無名の民衆の命ではない。彼らが唯一の拠り所とする戦後民主主義という歴史的にも地理的にもローカルな価値観である。彼らはそこに普遍性があると信じて疑わない。
しかしだ、普遍性というならば中華文明のほうがよっぽど普遍的なのだ。民主的でなかろうが人道的でなかろうが、何千年にもわたって広大な版図を統治してきた中華文明を、たかだか百年足らずの歴史しか持たない戦後民主主義の尺度を以って計ろうとしているのだからお笑いだ。
そんな日本の世論操作に一石を投じたのが陳杭博士である。私と陳杭博士の対談が日本のメディアで取り上げられたとき、陳杭博士が注目を集めた。ものすごいイケメンなのだ。時々見せる憂いを含んだような表情が日本の女子高生からおばちゃんまで、広範な女性層の心をわし掴みにしてしまった。陳杭博士は「憂いの貴公子」として、アイドル並みの扱いを受けることになる。
某テレビ局の美人アナウンサー朝倉奈美などは「陳杭博士、すてき!」とか「陳杭博士、大好き!」という不用意な発言を繰り返し、それは日本の不幸な男子たちの心をわし掴みにした。
陳杭という名前は中国語の発音ではチェン・ハンである。中国人名の日本語読みは、場合によっては不適切であるというのが私の個人的な見解である。
女性を味方につけてしまえば世論など恐るるに足らんということだ。私は日本の大衆に一言だけ言ってやりたかった。
この愚民ども、と。
韓国だけは、そうはいかなかった。反日・反中・反碧海をスローガンとするデモが日々巻き起こっていた。それはそうだろう。気持ちは分かる。もうひとつの歴史とはいえ、朝鮮半島の国々が滅亡してしまうのだから。だが許せ、日本も同時に消え去るのだ。東アジア全体の利益のために。
東南アジアの諸国は警戒心をあらわにしていた。インドははっきりと敵対的な態度をとった。西と東から同時に侵略を受ければたまったものではない。植民地支配を経験した国なら当然の反応と言わざるを得ない。
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特に腹立たしかったのはSPQR作戦実行チームの一人であったイギリスの歴史学者ジョン・メイヤー博士の黄色人種に対する差別的な発言だった。黄色いサルどもに何ができるかと、メイヤー博士はご丁寧にサルの物まねまでして私たちを苛つかせた。
私は聞き逃さなかった。自慢じゃないが英語の成績は人一倍悪かった私だが、その言葉はよく知っている。
チ○だと、ジャ○プだと、えー根性しとるやないか。
我が中華帝国は必ずやヨーロッパ文明に仇なすであろう。
ジョン・メイヤー博士の発言は逆に東アジアを、いやアジア全域をひとつにまとめあげた。朝鮮半島のデモは反西欧・反人種差別に切り替わり、東南アジア諸国やインドまでもが、条件付ではあるが碧海作戦に対して同意を示したのだ。その条件とは、
「西欧諸国に目にもの見せてやれ。」
ということだった。
ここで中国人の悪癖が出た。中国政府は碧海作戦のテーマ・ソングを発表したのだ。
「GO GO 碧海!」のシャウトで締めくくる勇壮なメロディーは、日本の伝説的テレビ・アニメーション「碧きポセイドン」の主題歌に酷似していたことが問題となり、世界中の嘲笑を浴びた。
李紅艶博士は中国政府にかわり私に陳謝したが、陳杭博士はこれをきっかけにジャパニメーションの熱烈なファンになってしまった。中国当局は碧海作戦の英雄となるべき陳杭博士が日本のオタク文化への傾倒者であることをひた隠しにしたが、その事実は一夜にして日本国民および中国人民の知るところとなった。
私がブログに書いたからだ。
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