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第三章 ICレコーダー 2

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 風間慶一は東都大学の二年生で、今年四月に二十歳になったばかりであった。大企業のご子息として、生まれた時から将来は約束されていた。この辺りは、間仲有佳里と同様であった。子供の頃から父・源蔵から帝王学を叩きこまれていた。他人を見下し、自分に従うことを当然のように思っていた。思い通りにならないことは、なにひとつとしてなかった。無論、例外者はいて、鼻持ちならない存在として、敬して遠ざけるような人物もいた。しかし、最終的にはすべての例外者は、例外なく慶一に従わさせられた。表面上はどうであれ、慶一のことを声高に悪くいう者はいなかった。大学の中にすら、慶一に取り入ろうとする教授や准教授、助教授、講師がいた。それは、末期的状態といえた。
 慶一は金の価値を知っていた。そして、なかんずく、情報の価値を高く評価していた。風間一族はもともと忍者の末裔であることもあって、情報網は広く全国を網羅していた。探偵業を生業とする面々には、風間一族の息のかかっている事務所が多かった。間仲有佳里が『四季』に依頼してきたのも、風間一族と関わりのない探偵事務所であったからである、とは、おそらくカナタが先に指摘したとおりであろう。
 学生としての慶一は、決して模範生ではなかった。どちらかといえば、問題児の部類に入るほうであった。虎の威を借る、は正確な評価ではない。慶一もまた虎であった。身分を笠に着て、金をちらつかせては、単位を取得していた。もっと平たくいえば、単位を金で買っていたのである。
「単位を金で買う、か。信じたくはないが、そんなことが本当にまかり通るのか」
 ゲンイチロウが不服そうに眉をひそませた。
「噂にすぎない、あくまでも」
 ナオトは話を続けた。
 風間慶一には、金にまつわる黒い噂が尽きない。だが、単位を金で買わなければならないほど試験テストの結果は悪くはなかった。勉強ができるということは、単純に馬鹿ではない。頭は悪くはなかったのである。問題は、出席日数にある。だがそれさえも、金で買えないこともなかった。こうなれば、もう、なんでもありである。
「風間慶一は馬鹿ではないようだ。裏金を掴ませて買収したり、脅迫したり、法に触れるようなことはしないだろう」
 ナオトが語った風間慶一の金にまつわる黒い噂は、前提として、「あくまでも」噂の域を出ていないのである。
「つまり、風間慶一とは、恐ろしく計算高く、人一倍用心深い、というわけかい」
 キョウジの見解に、ナオトは大きくうなずいた。
 例えば、金にあかせて好き勝手したとする。買収された相手にとっては、自らの破滅をもたらす弱みを握られたことになる。だから、告白することが出来ない、という論理ロジックではない。自らの破滅と同時に、慶一と共倒れに持ち込むことが可能なので、それは弱みを握られることになり、危うい、という論理なのである。風間慶一は馬鹿ではない。弱みを握られるような博打に出たり、失態ヘマを犯したりはしないのである。恐ろしく、切れる相手であった。
「少々、厄介な相手のようだな」
 ゲンイチロウは控えめに、慶一のことを、そう評価した。
「それに、この容姿だ。黙っていても女性が寄ってくるか」
 全くこの世は不公平であった。天はある人物に二物も三物も与えることが本当にあるのだと、ゲンイチロウは今更ながらに思い知らされた気分であった。
「それにもうひとつ、気になることがある」
 そういいながら、ナオトは一枚の写真を胸ポケットから取り出すと、それをホワイト・ボードの慶一の側に貼り付けた。
「こいつは、都筑彰男つづきあきおという」
 風間慶一には、この都筑彰男という同い年の従者のような男が常に側に控えていた。慶一にもっと深く切り込むには、彰男をどうにかしなければならなかった。なにか餌をばらまいて注意をそらせる、とかして。
「おれがマスターに電話したのは、都筑彰男と目があったからなんだ」
 それは一瞬のことではない。なにくれとなくあらぬ方を見てごまかして、もう一度視線を向けると、彰男は疑わしそうにナオトを見ていた。ここで目をそらせると余計に怪しまれる。ナオトは平静を装いながら、ハンカチで汗を拭ったのである。そしてハンカチを落としてからのことを話した。そして呆れたようにつけ加えた。
「と、まあ、気に食わない色男だな。あくまでも、個人的見解だが」
 ナオトは、意外ときつい口調でそう述べると、眉根を寄せた。そんなナオトを見て、キョウジが失笑した。
「ふっ、用心深いナオトにしては、えらく大胆なことをしたもんだね。ハンカチを落としたのは、わざとなんだろう?」
 ナオトは驚いたように目を瞬かせた。
「よく、わかったな」
「伊達に年はくってはいないよ。戦うにはな、己の戦力を正確に把握しなければならないのさ。負けたくはないんでね。こいつは、喧嘩のイロハだね」
 キョウジの表現に、ナオトは思わず笑ってしまった。それから、ゲンイチロウに目を向けた。
「マスター、もう少し慶一に接近してもいいかな?」
「お前がそうしたいのであればそうすればいい。情報さえ取れれば手段は自由だ。だが、決して気取られるな。それと、収支を考えることを忘れるなよ。金を掴ませて情報を取るにしても、限度があるからな」
 ゲンイチロウは、すべてをナオトに任せると明言した。現場の判断を尊重したのである。そして、ナオトの手腕を信じてもいたのであった。出費に関することに目をつぶれば、ではあったが。
「なにか必要な物があればいってください」
 カナタが作業を止めずにいった。
「そうだな、ICレコーダーが、それも、極小のものであればあるほど良い」
 ナオトが注文すると、カナタは手を止めて工作をやめると、奥の部屋に入って、しばらくすると戻ってきた。ナオトがいる近くのテーブルの上にある物を置いた。それは、ピンバッヂであった。
「これが、ICレコーダーか?」
 ナオトの質問に、カナタは、小さくうなずいてみせた。それから席につくと、すぐに作業を再開した。
「さすがは天才少年だな。こんな小さなピンバッジで録音までできるのか」
 ナオトは、ピンバッジ型のICレコーダーを手にとった。
「こいつの使い方は?」
「ボタンが有るでしょう? それを押すと録音が始まります。止めるには、もう一度ボタンを押してください」
「なるほどね」
 ナオトは、感心したようにうなずいた後で、ひとつ質問した。
「これ以上は小さくはできないのか?」
「メモリ・カードとバッテリーの問題があるので、今のところはそれで精一杯です。独立した、録音を主体としたICレコーダーですからね。それ以上小さくするには、少々工夫が必要ですね」
「なる、ほど」
 ナオトはもう一度、感心したようにうなずいてみせた。単純に音声を電波で飛ばすことは簡単である。盗聴器の類がそれに当たる。しかし、電波を受信するために盗聴器に近づかなければならないという欠点がある。当然、ICレコーダーでも対象に近づかなければ用をなさないが、ボタン大の集音マイクと組み合わせることで、疑われずに相手の発言を録音できるというのは、魅力的であり、効果的に思えた。
 それにしても、ここまで小さく、相手に疑われないように利用できるというのは便利である。更に、より小さくできるというのには、素直に脱帽してしまうナオトであった。
「今のところは、ということは、いつかはできる、ということか?」
「ええ、気が向いたら、ですけれどね」
 ナオトが感心したように二度ほどうなずくと、今まで黙って話を聞いていたシオリが、ナオトに近づいて尋ねてきた。
「あたしにも、なにか手伝えることないかな?」
 ナオトは屈託のない笑顔を見せて、シオリの頭を優しく撫でた。
「シオリは可愛いから、風間慶一が放ってはおかないだろう。さっきもいったろう、慶一も彰男も気に食わない色男だと。おれやキョウジを信じて待っていてくれればいいよ」
「ハニー・トラップを仕掛けてみるのも手ではあるがね」
 キョウジがとんでもないことを口にした。女性としての武器を使うのは、正直、ナオトの性格からして考えられなかったし、絶対に認められなかった。ナオトはキョウジに、冷たい目を向けた。
「そんな危険なことをシオリにさせるわけにはいかない」
「冗談だよ、冗談。なんでもかんでも真に受けるなよ。だからお前さんは、堅物といわれるのさ」
 キョウジは、呆れたようなナオトの表情を見て、楽しそうに笑った。潔癖なナオトには、少々刺激的な発言であったようである。
「それよりも、だ。ひとつ、お前さんに忠告しておきたいことがある」
「なんだ? あらたまって」
「都筑彰男、といったっけ。そいつには気をつけろよ。お前さんの話を聞いていて気になるのは、唯一、そいつのことだね」
 キョウジは真面目な表情でナオトを見つめた。確かに、都筑彰男には謎めいたところがあった。油断できない存在であるように思えた。なぜかはわからなかったが、一目見て、そう感じた、只者ではない、と。ナオトが彰男について話したのは、表層的な面にすぎなかった。それでも、キョウジには気になることがあるという。確かに、彰男は普通では無いようである。
「ああ、わかっている」
 冷たい汗を、ナオトは一瞬背中に感じた。どうも、慶一よりも彰男のほうが気にかかってならなかったのである。ナオトは、頭を振って懸念を払拭しようとしたが、それは叶わなかった。
「わかっている」
 目元に鋭さをきざみつけて、ナオトは同じ言葉を繰り返すしかなかった。
 ゲンイチロウが手を打った。注目するように、との合図であった。
「少々気になるが、ナオトのほうも経過は順調なようだな。間仲有佳里については、もう洗う必要はないだろう。今後は、キョウジはナオトのバックアップに回ってもらおうか」
 ゲンイチロウがキョウジに目を向けると、キョウジはいつものように人差し指を左右に振って舌を鳴らした。
「ちっちっちっ、そいつは、まだ早いだろうね」
 キョウジが疑義を申し出た。
「風間慶一との結婚を望んでいない、という確証が必要だ。クライアントがなにを求めているか、もっと正確に知る必要があるのではないかね?」
「それは、本心ではないですね」
 カナタが異論を口にした。
「おおかた、女子高生への興味本位ではないですか?」
「否定も肯定もせんよ」
 キョウジは意味ありげに笑った。それから、時計を見てからゲンイチロウに目をやった。
「おっさん、もう二十二時だ。カナちゃんはともかくシオリは仮にも高校生だ。労働基準法に抵触するぞ」
「仮にもってどういう意味よ」
 シオリは唇を尖らせてみせたが、キョウジの軽口をまともにはとりあってはいなかった。一方、カナタは作業に没頭しているのか、それとも、相手にしていないのかはわからなかったが、黙ったままであった。
 ゲンイチロウは、時計を見てからうなずいた。
「シオリ、カナタ、あがってもいいぞ」
「はーい」
 シオリはエプロンを脱いだ。
「ナオト、送ってやってくれ」
「ああ、わかった」
 ナオトはシオリとカナタに目を向けた。カナタは立ち上がったが、その足は、奥の部屋に向かっていた。
「カナタ、帰らないのか?」
「今日は、泊まりにします」
「なにを作っているのかは知らないが、そこまで根を詰めることはないだろう。休めるときには休んだほうがいい。でないと、大事なときに動けなくなるぞ」
 ナオトが気を利かせたが、カナタは自らに課した仕事をこなさないと気がすまない性格であった。ゲンイチロウが深くうなずいて、カナタの気が済むようにさせることにした。
「わかった。じゃあ、帰るよ」
 ナオトが軽く手を振ると、キョウジが目を閉じて、手を振った。
 ナオトはシオリを伴って店を出た。むっとした熱気が直ぐに全身を包み込み、肌にまとわりつくようで不快に感じた。
「この様子じゃあ今夜も熱帯夜か、五日連続だな」
「明日も暑いのかな?」
 シオリの言葉を受けて、ナオトは空を見上げた。雲ひとつ無く、月がはっきりと輝いて見えた。
「なんでも、今年一番の暑さになると、テレビではいっていたな」
「えー、もう、やだなー」
「まったく同感だな」
 しばらく、ふたりは無言で夜道を歩いた。最寄りの駅まで約五分はかかる。街灯はあるが、日中に比べると、景色が一変したように不穏めいて見えた。明らかに、女性のひとり歩きは危険であった。
 喫茶探偵『四季』は、駅前の商店街の近くにあった。駅へ真っ直ぐ向かうには、この商店街を通らなければならなかった。その商店街のアミューズメント施設の前に、高校生くらいの集団がたむろしていた。シオリを目にとめて、揶揄するような口笛を吹く者がいた。すると、シオリがナオトの腕にしがみついて、腕をからませてきた。
「どうかしたのか?」
「こうしていると、彼女に見えるでしょう? こうみえても、あたし不良に見られてるから、いい寄ってくる馬鹿が多いのよ」
 髪にメッシュを入れていることで、学校では問題視されている。街を歩けば、遊び慣れた少女と見られて誘われることも度々であったのだ。
「おれは虫除けってことか?」
 シオリが屈託のない笑みを見せた。
「あたしが相手なんだから、少しは喜びなさい」
 ナオトが鼻から息を出して微かに笑った。
「了解した」
 この夜、シオリに声をかける馬鹿はいなかった。虫除けナオトの面目躍如といったところであろうか。それは、堅物であるナオトにはわかるよしもなかった。
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