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第二章 怪しい潜入者たち 1

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 間仲有佳里まなかあかりは美しい少女であった。それは間違いがなかった。手にした写真に目を落として、春海はるみキョウジは、心の底からそう思った。好みかと聞かれれば、そうではない。有佳里の美しい両の瞳の奥には、諦めの色が見て取れた。写真の中で微笑む間仲有佳里には、どこか無理やり感情を押し殺したかのような、重さのようなものを感じた。第一印象にすぎないが、おそらく、風間慶一かざまけいいちとの結婚を心の底から望んでいるわけではないのであろう。少なくともキョウジには、そのように見え、そのように感じられ、そのように思われた。
 間仲有佳里は高校生である。それも幼稚園からのエスカレーター式の女子校であり、中学生の頃も共学校ではなかった。そういうこともあってか、今まで、同い年の異性と接する機会に乏しく、異性と付き合ったこともなかった。一度も会ったことのない風間慶一と結婚することに抵抗があるのは確かであろう。それは間違いがないと思えた。しかし、父が決めたことである。選択肢は最初からひとつしか与えられてはいなかった。従順な有佳里には、父に反抗する意思もなく、母に相談することもしなかった。母も有佳里と同様、母の父、つまり有佳里にとっての祖父が決めた男と結婚したからでもあったのである。そうやって、間仲グループは現在の地位を築いたのであった。
 こんな平和ぼけした国において、戦国時代でもあるまいに、政略結婚など馬鹿げている。時代錯誤も甚だしい。当初、キョウジにはそう思えた。有佳里も同じように感じていることは容易に想像ができたが、心の中でそう思っていたとしても、声に出す勇気や気概はなかった。しかし、ここで、「いや待てよ」と、キョウジはもう少し深く考えをすすめた。間仲グループは巨大企業である。グループの拡大路線を突き詰めていけば、自然、他の企業との姻戚関係も戦略的なものとならざるを得ない。そう考えると、現在のこの国のかたちとは、四百数十年前とそれほど差はないのかもしれない。望まない運命に翻弄されるのであれば、最も高値をつけてくれる相手が望ましいと考えたのかもしれなかった。そういうシビアな現実感覚は、あるいは、戦国時代とそれほど変わらないのかもしれない、と。
 そんな間仲有佳里の身辺を探ることが、キョウジの今回の仕事である。好むと好まざるとにかかわらず、自分がやるべきことはわかっていた。常に飄々としながらも、キョウジには、そんな冷めた一面もあった。
 女子校である以上、男であるキョウジの取るべき行動には始めから制約があった。蛇足だが、共学校であれば、転校生と偽って入学する方法も考えられたかといえばそうではない。キョウジの見た目は高校生を称するには大人びていた。二十三歳であるので当然ともいえた。そのため、四季よつきゲンイチロウは当初、冬木ふゆきシオリに有佳里の身辺調査を任せようと考えたのである。しかし、本人にやる気がない以上、瑕疵があってはならないので、キョウジに任せることに決めたのである。そういうことで、キョウジは、新任教師として潜入を試みるつもりでいたのだが、有佳里の通っている女子校では教員の募集がなかった。しかし、幸運なことに教育実習生はいた。というわけで、教育実習生と偽って潜入することに決めたのだが、正式なルートを使ったわけではなく、勝手に潜り込んだのである。一歩間違えるまでもなく、まごうことなき怪しさ全開の不審者であった。
 キョウジは、昼休みを利用して女生徒たちに接触して、間仲有佳里について調べることにした。自他ともに認める、口だけは三人前であるが、もちろん、直接的に有佳里の名前を出して同級生たちに尋ねるほど性急ではなかった。慎重に外堀を埋めてから、徐々に、本丸を目指すのである。
 そうして得た情報によると、ひとことでいえば、間仲有佳里は才色兼備であった。成績は常にトップクラスで、美人だが鼻につくことはなく、性格はさばさばしている、という。クラブは弓道部で、地区大会で優勝するほどの腕前であった。まずは手始めに、キョウジは、弓道部の部員に接触すると、軽い気持ちで問いかけた。
「日本には、なになに道というものが数多くあるだろう? 例えば、武士道に剣道、柔道、茶道、華道、書道、合気道、とまあ、挙げればきりがないくらいにね。君たちがやっている弓道もそうだね。なぜ『道』とつくものがこんなにも多いのか、さて、わかるかな?」
 弓道部の面々は、このチャラそうな金髪教育実習生のことを少しも疑ってはいなかった。ともすれば、キョウジに好意的であった。その教育実習生らしからぬホストのような容貌に、瞳をハートにする女生徒も多かったのである。
「先生、全然わかりませーん」
 ある女生徒が無邪気に手を上げた。キョウジは、仮にA子ちゃんとすることにした。すると、B子、C子、D子、E子ちゃんも同じようなことをいい出した。
「かしましいな」と思いつつ、キョウジは、人差し指だけを突き立てて、左右に動かした。
「ちっちっちっ。少しは自分で考えることだ。おれは女は好きだが、他力に頼るだけの馬鹿は好きにはなれないね」
「ひっどーい。そんなこといわずに教えてよー」
「答は常に与えられるとは限らない。このおれに気に入られたいのなら、少しは頭を働かせることだね」
「うーん」
 五人の女子高生たちが同時に唸った。首をかしげ、眉間にしわを寄せて考え込んでいる女生徒たちを、キョウジは、悠然と見まわした。キョウジは、なにも一家言があって尋ねたわけではなかったが、どうやら女生徒たちは本気で考え込んでいるようであったので、鼻を鳴らして自嘲するように笑うと、頭を少し傾けて左目をつむり、口を開いた。
「仕方がないね。今回は特別だ」
 キョウジは髪を掻きあげた。この男、自分が人並み以上に異性を惹きつけるほどの美男子であることを知っていたし、その使い方もわかっていた。焦らせば焦らすほど、比例して関心が大きくなることも知っていた。キョウジは、閉じていた左目を開いた。
「道とは、極めることだ。その道を極めることを指す。それは、日々努力し、忍耐と鍛錬を要する。そして、極めた先になにがあるのか、それは、追い求める者にのみ与えられる権利があるのさ。日本人とは、そういうものを美徳ととらえている、のかもしれないね」
「ふんふん」
 女生徒たちは、皆一様にうなずいている。
「しかし、だ。我慢することも努力することも、おれは好かんね。おれは、なにごともそこそこ出来る。しかし、なにかひとつを極めたいとは思わない。したい奴はすればいい。だが、おれは浅ーく、とてつもなく広ーくを信条ポリシーにしている。なにごとにおいてもね」
「はーい」
 B子ちゃんが手を上げた。キョウジは、手で合図を送って発言を促した。
「それは、恋愛についてもですか?」
「さて、そいつは、どうだろうね」
 B子ちゃんの質問を受けて、キョウジは淡々と韜晦した。努力とか根性とか忍耐とか、暑苦しいのは趣味ではなかったが、こと色恋沙汰に関しては、簡単に主義主張を変える一面がキョウジにはあった。
 キョウジは、自分の周りに集まっている女生徒たちを見まわしつつ、ウインクしてみせた。女生徒たちは、「きゃー、きゃー」と、黄色い声を上げた。
「まあ、とにかくだ。繰り返すようだが、おれは、なにごともそこそこできるのさ。いや、違うな。それがおれの限界かもしれないね」
 なにくれとなくキョウジは、近くの桜の木の木かげに座っている女生徒たちに目を向けた。葉桜の下で四人の女の子が弁当を広げていた。笑顔の絶えない四人組であり、先程から笑い声が聞こえてきていた。歓談しながら昼食をとっているようである。キョウジは、その中のひとりの女生徒に視線を固定した。その笑顔には、嘘偽りがないように見えたが、どこか釈然としないものを感じた。
「彼女は、いつもあんな調子なのかな?」
「彼女?」
 女生徒たちがキョウジの視線の先を追うように目や顔を動かした。C子ちゃんが小首をかしげて、ある人物の名前を口にした。
「有佳里のこと?」
「有佳里というのか? ふむ、どこかで見たことがあるような顔をしているが、なぜだろう、思い出せないなあ」
 少々わざとらしくキョウジが疑問を口にすると、D子ちゃんが応えてくれた。
「ああ、それわかる。有佳里って有名人だから」
「有名人?」
「有佳里の苗字、間仲っていうの」
「間仲?」
「間仲グループよ、先生、知らないの?」
「いや、知っているよ。ふん、なるほど、間仲有佳里か。どうりで、どこかで見たことがあると思ったわけだ」
 手を打ってキョウジは、わざとらしく驚いてみせた。
 風間慶一と間仲有佳里の婚約会見は、業界から驚きを持って迎えられていた。そんなニュースをテレビやネットで見て、記憶として定着している理由がわかった、そのように女生徒たちは解釈したようである。
「とても楽しそうにしているみたいだが、なにか、こう違和感みたいなものを感じるんだが、なんでかね」
「有佳里って、天然みたいなところがあるからじゃない?」
「天然?」
「空っぽのコップを最後まで傾けるまで、中身が入っていなかったことに気がつかなかったらしいよ」
「ほう、そいつは確かに天然だね」
 キョウジは、端正な口元に微笑を漂わせた。
「持った時点で気づくわな、普通ならね」
「そうそう」
「それにさ、天然だけじゃなくて、とても気さくなんだよ」
「気さく?」
「お嬢様だからって、他人を見下したりしないし鼻にかけることもしないから、ほとんどの人は悪く思っていないわ」
 キョウジは、今の台詞の中に気になった部分があったので、さり気なく質した。
「ほとんどっていうからには、違う考えの人もいるっていうことなんだろうね」
「うん。でも、それはしかたがないと思う。親が大企業の社長さんでしょう、だからね。でも、それだけで、妬んだり嫉んだり蔑んだりするなんて間違ってると思う。有佳里は悪くない、とてもいい子よ」
「ふーん。なるほどね」
 キョウジはうなずくと、首をひねった。ゴリッと音がした。
「間仲グループの御令嬢か。まあ、鼻持ちならなくて気に食わない、そんなふうに取る人もいるわな。第一、すべての人から好かれるのは困難極まりない、というより端から無理だね。半数が味方であれば、御の字といったところだろうね」
「そんなことよりさ、先生の授業受けられたらいいのになー」
 E子ちゃんが急角度で話題を転じると、キョウジは鷹揚に応じた。
「おれは問題のある教育実習生だと思われているのさ。どうやら、この髪の色やピアスが気に入らんらしい。というわけで、担当者と折り合いが悪くてなかなか教えることができなくてね。いやー、残念無念、遺憾千万、自業自得、五里霧中」
 当然、これは嘘である。しかし、女生徒たちは信じきっていた。キョウジは大学生で、教育実習生として、この櫻華学園おうかがくえん高等科へ研修に来たことになっていた。とはいえ、正規のルートを使っていないので、あまり大声で話すことも、長逗留することも出来なかったが。
 潜入一日目で、間仲有佳里の概観について知ることが出来たのは、まずまずといって良い成果であった。いずれキョウジの身元が発覚バレれば、二度とこの女子校に来られなくなることは疑いを差し挟む余地が無い。その前に、できるだけ情報を集めなければならなかった。初日としては、満足すべき収穫であったと考えるべきであろう。
 キョウジは、有佳里と面識はなかった。有佳里がどのような経緯で喫茶探偵『四季しき』のことを知ったのかはわからなかった。しかし、始めから有佳里は、『四季』のことを知っているふうであったと、応対した四季ゲンイチロウは語っていたし、撮影されていた動画を見て知っていた。
『四季』の実働部隊は、基本的にキョウジとナオトのふたりである。実働部隊はできるだけ、依頼人クライアントとは対面しないようにしていた。それは、クライアントを色眼鏡で見ないためであった。先入観なしに、余計な感情を抜きにして、真っ白な状態で、クライアントの情報を集めるためであった。
 実働部隊は、まずクライアントのことを調べあげる。これは、ゲンイチロウが決めた取り決めであった。どのような依頼であろうと引き受けるが、それはクライアントの周辺を探ることから始めるのである。どういう理由で、なんのために『四季』の扉を開いたのか、理由を知る必要があった。クライアントの一方的な味方をするのではなく、仕事を依頼するに至った経緯を正確に把握するためである。そうやって、クライアントの本心を探り、的確な助言を与えたり、依頼に沿う形で始末する。それが、ゲンイチロウが単なる探偵事務所ではなく便利屋と称したかった『四季』の方針であったのである。
「一度、直接接触する必要がありそうだが……」
 そう判断して、キョウジはそれを実行しようとしたのだが、女子高生の集団は、教育実習生と思い込んでいるキョウジを解放してはくれなかった。
「まあ、そう急くこともないか。相手は、逃げも隠れもできないのだから」
 間仲有佳里を澄んだ瞳に映して、キョウジは、ゆったりと髪をかきあげた。
 間仲有佳里は弁当を食べ終えたようである。行儀よく手を合わせてから、弁当箱を片づけ始めた。ランチョン・マットで弁当箱を包むと、立ち上がり、下に敷いていた大きめのハンカチを手に取った。有佳里は教室へ向かうためにその場を立ち去ろうと歩き始めた。丁度、キョウジたちがいるところの横を通り過ぎようとした。一瞬、キョウジと有佳里の視線が交錯した。
「ほう」
 キョウジは、いたく感心した。通り過ぎる際に、有佳里が軽く会釈したのである。それは、キョウジに対してというよりは年長者に対しての仕草であり、また、驚くほど自然体であった。「よく出来たではないか」と、髪をかき上げたポーズのまま、キョウジは感じ入った。それから、髪をかき上げる動作を終えると、なにくれとなく視線を上げた。
「それにしても、今日もやけに暑いね」
 脈絡のない言葉を発して、キョウジは手をかざして太陽を見上げた。白い光の塊が、抜けるような青い空の中で、圧倒的な光量で光り輝いていた。目が焼きつく前に視線を下げて、キョウジは、歩き去っていく間仲有佳里の背中を、その麗しい双眸におさめたのであった。
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