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翌日、ナオトは十四時くらいに『四季』へやってきた。
「お前はどこぞの部長かい」
ゲンイチロウの皮肉をナオトは無視した。
「今日は、シオリはいないのか」
「学校へ行くと言っていたが」
「それは、なにより」
どんな顔をしてシオリに会うか、相当悩んだ末に出した結論は、能面でいよう、というものだったナオトは、それを使うことがなくなって胸をなで下ろした。
「カナタは?」
「学校だろう。期末試験があると言っていたのでな」
「善き哉、善き哉」
ナオトは昨日と同じようにカウンター席につくと、アイスコーヒーを注文した。流石に店長と名のるだけあって、ゲンイチロウの手際もいい。ナオトは差し出されたグラスを傾けた。
「いやー、平和だねぇ」
店内に流されているJ‐POPに耳を澄ましていたナオトに、ゲンイチロウは太い指で店外を指した。
「ん? どうした」
「また来ている」
ゲンイチロウの言わんとすることをナオトは理解した。椅子を回転させて、窓外に目を向けた。目があった瞬間、子供は首を引っ込めて隠れたようだが、少し経つと、再び首を伸ばして店内を覗き見た。ナオトは微笑みながら手を振った。残念なことに、子供は手を振ってはくれなかった。
「わしが行ってこよう」
「マスター、止めたほうがいい。そんな厳つい顔を見せたら虐待していると思われかねん」
「マイナス百円」
「……」
まったく、どこまで本気なのか。ナオトはゲンイチロウがたまに見せる鋭い光が宿った目が気になっていた。気にはなってはいたが、あえて尋ねないようにしていた。四十四歳で喫茶店と探偵を生業としている。何か、深い訳があると思っていたのである。でもまあ、いまはそれを問題にはしていない。ナオトは決然と立ち上がった。
「おれが行ってくるよ」
「お前がか?」
「こう見えて、子供には好かれる体質でね。シオリにカナタ、それからキョウジ」
ナオトは指折り数えて見せた。
「お前の子供の定義には、疑問符がたくさん必要だな」
「そこには、マスターも含まれている」
「マイナス百円」
「勘弁してくれ」
顔を左右に振りながらナオトは、店外へ出て行った。
ゲンイチロウは店内から様子をうかがっていた。昨日のシオリと同様ナオトは、身振り手振りで何か話しているようである。そこまでは昨日のシオリと同じであった。その後が異なっていた。ふいに子供が何かをしたかと思いきや、ナオトはその場でぴょんぴょんと跳ねた。子供は一目散に去って行った。
律動的にドアベルが鳴った。ナオトは眉間にしわを寄せている。
「脛、おもいっきり蹴りやがった」
「口ほどにもない。なーにが子供には好かれる体質だ」
ナオトは椅子に座りながら答えた。
「おれは精神年齢のことを言っているんだ。実年齢のことを言っているんじゃあない」
「今度は、立派な大人のわしが行くからな」
にんまりと笑ったゲンイチロウには、絶対にさせてはならないとナオトは思ったのであった。
翌々日、土曜日のことである。ナオトは相変わらず昼過ぎに『四季』に現れた。もう、ゲンイチロウは何も言わなかった。
今日はいつもとは違っていた。シオリとカナタが居たのである。
秋津カナタ、十八歳。探偵『四季』の情報と機械作成担当である。話すのは苦手で言葉数は極端に少ない。そのために、他人から誤解されることもしばしばなのだが、本人は全く意に介さない。言い訳するでもなく、他者の自分に対する評価を、それこそ見当違いであっても正す努力を一切しない。人付き合いを出来得る限り避けて、いつも奥の部屋にこもって何かを制作している。機械にはめっぽう強く、手に入る物で必要な物をこしらえたり、情報管理用のソフトウェアが気に入らないと、自分で一から組み上げたりもしている。目差しは非常に冷めている。ただ、本人はその表現は嫌いなのだが、正義については一家言あるようだ。
「珍しいな天才少年。今日はこもっていないんだな」
「自分だってお腹ぐらい減ります」
そう言ってから、カナタはトーストを口に運んだ。その様子を目に止めて、ナオトはカナタの横に座りながら腹をさすった。
「シオリ、サンドウィッチを貰えるかな?」
「はい、サンドウィッチ」
シオリは寸分の間もなくサンドウィッチの乗っている皿をナオトの前に置いた。
「作ってたのか?」
「今度頼むってナオトが言ったんじゃない」
「ああ、そういえば、そうだったな」
「気のない返事ね」
ナオトは頭を掻いた。
「昨日も来てたんだって? あのエロガキ」
「口が悪いぞ、シオリ」
シオリは小さな唇を尖らせた。
「だって、下着なんて好きな人以外に見られたくないもの」
「まあ、相手は子供なんだから、許してあげなよ」
ナオトがそう言ったものの、シオリは難しい顔のままであった。
「あのくらいの男の子って好きな女の子の興味を惹こうと、わざと意地悪したりするだろう、多分それじゃあないかな」
ナオトはサンドウィッチを頬張った。トマトがパンの間からこぼれ落ちた。
「もう子供なんだから」
呆れたように言いながら、シオリはカウンターのトマトを拭き取った。
「シオリは気が利くな」
「ありがと」
なんかしおらしい。ナオトがシオリのことを褒めると、決まって口数が少なくなる。なぜかは、堅物のナオトにはわからなかった。
「なんです、エロガキって?」
珍しくカナタが会話に入ってきた。人に興味を持つのは良い兆候である。ナオトは微笑みながら答えた。
「一日目はシオリがスカートをめくられた。二日目はおれが脛を蹴られた」
「蹴られたの?」
シオリが目を丸くしている。
「ああ、手加減無く、思いっきりな」
シオリは自分ごとのように腹を立てた。
「やっぱり、一度、ギャフンと言わせないとダメね」
「駄目かな」
「ダメでしょ」
シオリは短く答えた。ナオトは手を払った。
「子供相手に本気にならなくてもいいだろう。可愛いもんだよ」
「子供って、あの子ですか?」
カナタが意外なことを口にした。ナオトとシオリ、ゲンイチロウが窓外に目をやると、件の子供が相変わらず店内を窺っている。
「よし、今日はわしが行こう」
ゲンイチロウが腕まくりしていること自体が剣呑である。
「それはダメ」
「それは駄目」
シオリとナオトの声が見事に唱和した。
「今日はカナタに行ってもらう」
ナオトがカナタの肩に手を置いた。
「自分がですか?」
「案外カナタならうまくいくように思う」
「適当なことを」
カナタは面白くもなさそうにホットレモンティーに口をつけた。
「マスターを行かせるのは最終手段なんだ」
「ねぇカナタ、行ってきてよ」
シオリも参戦してきた。カナタは溜息をもらした。
「嫌ですよ、気が乗りません」
「よし、ならばわしが」
シオリがゲンイチロウの服を掴んだ。
「ダメです。店長は店内に居るから店長なんです。店を出たら、ただの長になるじゃない」
「お前はなにを言っとるんだ」
ゲンイチロウはシオリに文句を言った。
「カナタ、行ってきて」
シオリに促されて、カナタはめんどくさそうに立ち上がった。
「もう、何かあったら責任取ってくださいよ」
そう言い置くと、足取り重く、カナタは店を出ていった。
シオリが目を爛爛と輝かしていた。
「どうなるかな、ねぇねぇ」
「スカートめくり、脛キック、鳩尾に正拳突きってところかな」
ナオトも満更でもないようで、楽しそうである。
窓外に六つの目が注目している中で、正に、ナオトが言った通りになった。カナタは鳩尾に正拳突きを食らった。子供は一目散に去っていった。
律動的にドアベルが鳴った。ひるがえってカナタの足取りは重い。
「だから嫌だったんですよ」
これで人間嫌いがいや増すことが無いよう、ゲンイチロウは十字を切った。
「お前はどこぞの部長かい」
ゲンイチロウの皮肉をナオトは無視した。
「今日は、シオリはいないのか」
「学校へ行くと言っていたが」
「それは、なにより」
どんな顔をしてシオリに会うか、相当悩んだ末に出した結論は、能面でいよう、というものだったナオトは、それを使うことがなくなって胸をなで下ろした。
「カナタは?」
「学校だろう。期末試験があると言っていたのでな」
「善き哉、善き哉」
ナオトは昨日と同じようにカウンター席につくと、アイスコーヒーを注文した。流石に店長と名のるだけあって、ゲンイチロウの手際もいい。ナオトは差し出されたグラスを傾けた。
「いやー、平和だねぇ」
店内に流されているJ‐POPに耳を澄ましていたナオトに、ゲンイチロウは太い指で店外を指した。
「ん? どうした」
「また来ている」
ゲンイチロウの言わんとすることをナオトは理解した。椅子を回転させて、窓外に目を向けた。目があった瞬間、子供は首を引っ込めて隠れたようだが、少し経つと、再び首を伸ばして店内を覗き見た。ナオトは微笑みながら手を振った。残念なことに、子供は手を振ってはくれなかった。
「わしが行ってこよう」
「マスター、止めたほうがいい。そんな厳つい顔を見せたら虐待していると思われかねん」
「マイナス百円」
「……」
まったく、どこまで本気なのか。ナオトはゲンイチロウがたまに見せる鋭い光が宿った目が気になっていた。気にはなってはいたが、あえて尋ねないようにしていた。四十四歳で喫茶店と探偵を生業としている。何か、深い訳があると思っていたのである。でもまあ、いまはそれを問題にはしていない。ナオトは決然と立ち上がった。
「おれが行ってくるよ」
「お前がか?」
「こう見えて、子供には好かれる体質でね。シオリにカナタ、それからキョウジ」
ナオトは指折り数えて見せた。
「お前の子供の定義には、疑問符がたくさん必要だな」
「そこには、マスターも含まれている」
「マイナス百円」
「勘弁してくれ」
顔を左右に振りながらナオトは、店外へ出て行った。
ゲンイチロウは店内から様子をうかがっていた。昨日のシオリと同様ナオトは、身振り手振りで何か話しているようである。そこまでは昨日のシオリと同じであった。その後が異なっていた。ふいに子供が何かをしたかと思いきや、ナオトはその場でぴょんぴょんと跳ねた。子供は一目散に去って行った。
律動的にドアベルが鳴った。ナオトは眉間にしわを寄せている。
「脛、おもいっきり蹴りやがった」
「口ほどにもない。なーにが子供には好かれる体質だ」
ナオトは椅子に座りながら答えた。
「おれは精神年齢のことを言っているんだ。実年齢のことを言っているんじゃあない」
「今度は、立派な大人のわしが行くからな」
にんまりと笑ったゲンイチロウには、絶対にさせてはならないとナオトは思ったのであった。
翌々日、土曜日のことである。ナオトは相変わらず昼過ぎに『四季』に現れた。もう、ゲンイチロウは何も言わなかった。
今日はいつもとは違っていた。シオリとカナタが居たのである。
秋津カナタ、十八歳。探偵『四季』の情報と機械作成担当である。話すのは苦手で言葉数は極端に少ない。そのために、他人から誤解されることもしばしばなのだが、本人は全く意に介さない。言い訳するでもなく、他者の自分に対する評価を、それこそ見当違いであっても正す努力を一切しない。人付き合いを出来得る限り避けて、いつも奥の部屋にこもって何かを制作している。機械にはめっぽう強く、手に入る物で必要な物をこしらえたり、情報管理用のソフトウェアが気に入らないと、自分で一から組み上げたりもしている。目差しは非常に冷めている。ただ、本人はその表現は嫌いなのだが、正義については一家言あるようだ。
「珍しいな天才少年。今日はこもっていないんだな」
「自分だってお腹ぐらい減ります」
そう言ってから、カナタはトーストを口に運んだ。その様子を目に止めて、ナオトはカナタの横に座りながら腹をさすった。
「シオリ、サンドウィッチを貰えるかな?」
「はい、サンドウィッチ」
シオリは寸分の間もなくサンドウィッチの乗っている皿をナオトの前に置いた。
「作ってたのか?」
「今度頼むってナオトが言ったんじゃない」
「ああ、そういえば、そうだったな」
「気のない返事ね」
ナオトは頭を掻いた。
「昨日も来てたんだって? あのエロガキ」
「口が悪いぞ、シオリ」
シオリは小さな唇を尖らせた。
「だって、下着なんて好きな人以外に見られたくないもの」
「まあ、相手は子供なんだから、許してあげなよ」
ナオトがそう言ったものの、シオリは難しい顔のままであった。
「あのくらいの男の子って好きな女の子の興味を惹こうと、わざと意地悪したりするだろう、多分それじゃあないかな」
ナオトはサンドウィッチを頬張った。トマトがパンの間からこぼれ落ちた。
「もう子供なんだから」
呆れたように言いながら、シオリはカウンターのトマトを拭き取った。
「シオリは気が利くな」
「ありがと」
なんかしおらしい。ナオトがシオリのことを褒めると、決まって口数が少なくなる。なぜかは、堅物のナオトにはわからなかった。
「なんです、エロガキって?」
珍しくカナタが会話に入ってきた。人に興味を持つのは良い兆候である。ナオトは微笑みながら答えた。
「一日目はシオリがスカートをめくられた。二日目はおれが脛を蹴られた」
「蹴られたの?」
シオリが目を丸くしている。
「ああ、手加減無く、思いっきりな」
シオリは自分ごとのように腹を立てた。
「やっぱり、一度、ギャフンと言わせないとダメね」
「駄目かな」
「ダメでしょ」
シオリは短く答えた。ナオトは手を払った。
「子供相手に本気にならなくてもいいだろう。可愛いもんだよ」
「子供って、あの子ですか?」
カナタが意外なことを口にした。ナオトとシオリ、ゲンイチロウが窓外に目をやると、件の子供が相変わらず店内を窺っている。
「よし、今日はわしが行こう」
ゲンイチロウが腕まくりしていること自体が剣呑である。
「それはダメ」
「それは駄目」
シオリとナオトの声が見事に唱和した。
「今日はカナタに行ってもらう」
ナオトがカナタの肩に手を置いた。
「自分がですか?」
「案外カナタならうまくいくように思う」
「適当なことを」
カナタは面白くもなさそうにホットレモンティーに口をつけた。
「マスターを行かせるのは最終手段なんだ」
「ねぇカナタ、行ってきてよ」
シオリも参戦してきた。カナタは溜息をもらした。
「嫌ですよ、気が乗りません」
「よし、ならばわしが」
シオリがゲンイチロウの服を掴んだ。
「ダメです。店長は店内に居るから店長なんです。店を出たら、ただの長になるじゃない」
「お前はなにを言っとるんだ」
ゲンイチロウはシオリに文句を言った。
「カナタ、行ってきて」
シオリに促されて、カナタはめんどくさそうに立ち上がった。
「もう、何かあったら責任取ってくださいよ」
そう言い置くと、足取り重く、カナタは店を出ていった。
シオリが目を爛爛と輝かしていた。
「どうなるかな、ねぇねぇ」
「スカートめくり、脛キック、鳩尾に正拳突きってところかな」
ナオトも満更でもないようで、楽しそうである。
窓外に六つの目が注目している中で、正に、ナオトが言った通りになった。カナタは鳩尾に正拳突きを食らった。子供は一目散に去っていった。
律動的にドアベルが鳴った。ひるがえってカナタの足取りは重い。
「だから嫌だったんですよ」
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