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第肆話.ロケットランチャーとUFOとクレープと

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 ある夜のこと。
 自分の部屋でくつろいでいた私は、突如響き渡った轟音に飛び起きた。

「えっ、え、何……!? 敵襲っ!?」

 どおん、どおんという音と共に、天井から木片がぱらぱらと落ちてくる。何が起きたのか分からず、急いで病麻呂のお座敷へと向かう。

「やみまろぉ~~~っ! 一体何が起きたのっ!?  焼き討ち!?」

 地響きのような音は止まらない。煙が立ち込める廊下の向こうに、ロケットランチャーを構えたエルフが見えた。

「ええい、また姿を現しおって! 帰れ帰れ、何人たりともこの病麻呂の邪魔はさせぬわ! ひなは麻呂のものじゃあ!!」

『―――! ――――!!』

 ふよふよと浮かぶ円盤に向けて、病麻呂がロケット弾を何発も撃ち込んでいる。夜空に浮かぶ光も負けじと彼に向けてレーザーを浴びせるが、病麻呂は美しいステップでそれを躱してみせた。重そうな公家装束を着ているのに軽やかに動けてすごい。病麻呂って本当に格好いい! 

 おじゃるエルフに惚れ直しながらも、壮絶な撃ち合いの様子を観察する。衝撃波と爆風によって、壮麗な庭園が見るも無残な姿になってしまっていた。松の木は燃え盛り、枯山水は砂利の山と化している……。

「……うわぁ」

 ロケット弾とレーザー光が激しくぶつかりあい、耳を塞ぎたくなるような怖ろしい音が響き渡る。私を起こした轟音の正体はこれらしい。硝煙に咳き込みながらも、私は大声で病麻呂を呼んだ。

「ちょっとやみまろ! 何してるの!? お屋敷が壊れちゃうよ!」

「むっ、雛菊。起こしてしまったか?」

「そりゃ起きるわぁ! 天井が崩れてくるかと思ったよ!」

「済まぬ済まぬ。後でひなに怖い思いをさせた詫びをしなくてはな」

 病麻呂は私の方を振り返って涼しげに笑った。だがよく見ると腕がぷるぷると震えている。きっとロケットランチャーが重いのだろう。
 あの光る円盤は何かと尋ねると、病麻呂は私を近づけないようにしつつまたロケット弾を打ち込んだ。

「気にするでない、ただの未確認飛行物体じゃ! それよりもここにいたら危ないでおじゃるよ、すぐに追い払うから座敷で待っておれ!」

 ……そうは言っても気になる。
 私は柱の陰に隠れながら、そっと空を観察した。

 立ち上る煙の中にぴかぴか光る円盤が見えて、そこから厳かな女性の声が聞こえてくる。光はぱっと私の顔を照らし出し、病麻呂に向けて何やら大声で怒鳴った。

『――――――――。――――!』

 光が話す言葉の意味は分からないけれど、病麻呂は女性の声を聞いて苛立たしげに顔をしかめている。エルフにだけ通じる言葉なのだろうか?

「煩いわ! 何度言われても麻呂の気は変わらぬ! 去れ去れ、そして二度と来るな!」

 病麻呂がぱちりと指を鳴らす。
 すると光は何かをわめいた後、その場から消え去ってしまった。

「……ぜえ、はあ、はぁ、ふうぅ……。毎度のことながら、こっ、この反動は中々肩に来るでおじゃるね……。運動不足の麻呂には堪えるでおじゃる」

 ロケットランチャーをずるりと下ろし、病麻呂は煙が立ち込める縁側に座り込んだ。尖った耳はしんなりと下がり、上品な公家装束はところどころほつれている。こんなに疲れた彼を見るのは初めてだ。強大なエルフであるという病麻呂がここまで追い詰められるだなんて、一体何があったのだろうか?

「ねえ病麻呂。今のUFOは何? ロケットランチャーで追い払わなければならないほど危険なものだったの?」

 病麻呂の背を摩りながらそっと問いかける。彼は私の視線から逃げるように顔を背けて、ぶっきらぼうに言った。

「ひなが心配することは何もない。あれはただの不審者じゃ!」

「不審者ぁ? それにしては知り合いっぽかったけど。あの光、ずっと病麻呂に向けて喋ってたでしょ。なんて言ってたの」

「ふん、いつものことじゃ! いい加減元の世界にそちをかえ――」

「……かえ?」

 病麻呂はしまったという顔で息を呑んだ。

 口に手を当て、ずるずると私から後ずさる。眉を下げ何でもない、何でもないと繰り返すが、ひくりひくりと震える尖った耳が彼の狼狽をはっきり表していて、私は公家装束の袖を握りしめながら病麻呂を問い詰めた。

「やーみーまーろー? ねえ、あなた私に何か隠してない?」

「なっ、何も。とにかく何でもないのでおじゃる!」

「何でもないですって? 本当に? ねえ、病麻呂ってばぁ。ひなぎく、隠し事は好きじゃないなあ……。教えてよ。お・ね・が・い♡」

 上目遣いで病麻呂に抱きつく。最近気がついたが、病麻呂はこういう頼み方にとっても弱い。尖った耳に向けてふうっと息を吹きかけると、彼は顔を真っ赤にして私を引き剥がした。

「ええい、悪い女子おなごよ! 麻呂を誘惑するな! ほ、本当に何でもないのじゃ。それ以上聞くな、もうこの話は終わりでおじゃるよ!」

 病麻呂は一方的に話を打ち切り、ぱちりぱちりと指を鳴らした。煙は消え、壊れかけた家屋が元通りになっていく。最後に病麻呂はもう一度指を鳴らし、私に大きな苺クレープを差し出した。

「これは詫びくれえぷじゃ。足りぬならまた出す、存分に食べよ」

 麻呂は厠に行ってくる、それじゃあの。
 病麻呂はそう言い残し、その場からさっと消えてしまった。

「はあ、まーたトイレ? もう、病麻呂ってば私が抱きつくとすぐトイレに行くんだから。お腹の調子が悪いのかな?」

 何だか誤魔化された気がするけれど、手の中にあるお菓子の魅力には抗えない。病麻呂のクレープはいつ食べても美味しいのでありがたくいただくことにした。

 縁側から赤い月を見上げる。苺が乗っかったクレープにかぶりつきながら、私は帰り道のことを考えた。

「お月さま、全然満月になってくれないよねえ」

 徹夜して月が満ちるところを観察しようと試みたこともあるけれど、なぜかぐっすり寝入ってしまって、次の日病麻呂に起こされることがお決まりだった。

「あんなにコーヒー飲んだのになんでかな。一晩中起きていられる自信があったのに、どうして私は寝ちゃったんだろう?」

 このままここにいてもずっと帰れない気がする。
 満ちない月を前にして、近頃そんなことを考えてしまう……。

(でも、それもいいかもしれない)

 ここでの暮らしは快適だ。水道代も電気代もガス代も気にする必要ないし、欲しいものは何でも病麻呂が用意してくれる。魔法の力でいい感じにネットワークが構築されているから、病麻呂お得意の『高尚なインターネット』も動画視聴もやり放題。

 病麻呂と一緒にいれば安全だ。追い詰められるまで働かなくてもいいし、誰かにいじめられることもない。それって素晴らしいことじゃないか。

 次元の狭間でずっと暮らしていく想像をしてみる。
 病麻呂と毎日話して、散歩して、クレープを食べて。そんな生活を送っていたら、兄だと誤魔化したこの好意も、いつかちゃんと伝えられる時が来るかもしれない。

(男性として好きだって伝えたら、病麻呂は私を受け入れてくれるかな?)

 告白してもうまくいかないかもしれない。でも万が一うまくいったとしたら。その時はか弱き人間の娘と侮っていた私のことを、ひとりの女性として見てくれるかもしれない。

(恋人同士になったらキスするんだよね? や、病麻呂の口にちゅーするの……? えっ!? それってすごく恥ずかしいことじゃない!? きゃー、私の心臓が爆発しちゃう!)

 顔に熱が集まる。頬にキスするのは何度もやってきたことなのに、唇にキスをする想像をした途端、物凄い羞恥がこみ上げてくる。恋愛ドラマの刺激的なシーンに自分と病麻呂の姿を重ね、甲高い悲鳴を上げてしまう。

(うそうそうそ、恋人になったら病麻呂とあんなことやこんなことやそんなこともしちゃうの!? はっ恥ずかしいっ……! でもきっと幸せ! 病麻呂とならどんなに恥ずかしいことだってできちゃいそうだなあ。だって彼は、絶対に私を責めたり怒ったりしないから)

 自分に呆れつつも恥ずかしい想像が止まらない。エルフに優しく口付けされる妄想に胸をときめかせながら、私は足をじたばたさせた。

(……でも、だめだよね。いつまでもここにいる訳にはいかない)

 だって約束したもの、また一緒に大学に通おうねって。

「まひるちゃん。私、絶対に約束守るからね。だからもうちょっと待ってて」

 世界の向こうにいる親友へと呼びかけてみる。
 あの子の泣き顔がちらついて、私は少し沈んだ気分で部屋に戻った。
 

 ――――****――――


「どうしよやみまろ! もう一年経っちゃったよ~!」

 畳の上でごろごろと寝転がりながら叫ぶ。
 あたりめをつまみながら電子掲示板巡りを楽しんでいた病麻呂は、私の太ももにちらりと目を遣って足を閉じるようにと言ってきた。

「これ、雛菊! しょーとぱんつの時は足を開くなと何度言ったら分かるんじゃ! 女子おなごとしての恥じらいが足りないでおじゃるよ! はあ……。ここに来た時のひなは、それはそれはもう奥ゆかしい娘であったのに、なぜこんな風になってしまったのか。ああ、嘆かわしや」

「泣き真似しないでよ。私はなんちゃって公家エルフさんの言う通り、好きな格好をして好きなように振る舞ってるだけですぅー。はあぁぁ、嘆かわしっ。私、ぜんっぜん帰れないじゃん! まさか一年経っても帰れないなんて思わなかったよ」

「言ったでおじゃろう、月は気まぐれだと。すぐ戻る者もいれば、そちのように長く留まる者もいる。焦らずのんびり待っておれ。それにしても、可愛い可愛いひながやって来てから一年か……。よし、麻呂と共に一周年の儀を執り行おうぞ! おもちたくさん出すでおじゃる、麻呂と餅つきするのじゃ! ずんだにあんこにきなこ、からみもちにばたー醤油。よりどりみどりでおじゃるよ」

「……なんで急にお餅なの?」

「む? ひなの世界では年の替わりに餅を食べるものではないのか」

「ふふっ、それはお正月の話だね。でもお餅もいいなあ、クレープに入れたらもちもちして美味しいかも」

 病麻呂とどんな餅を作って楽しもうかしばらく悩んでいたけれど、お餅と一緒に親友の泣き顔がちらつき始めて、私は大きなうめき声を上げた。

「うう、つらい。このままじゃまひるちゃんが卒業しちゃう!」

「まひる? ……ああ、そちの友だったか」

「そうそう、青空真昼あおぞらまひるちゃん。名前の通り、とっても明るくて元気な女の子なんだ」

 まひるちゃん。

 口下手で世間知らずの私を受け入れてくれた子。生活が苦しくなってからも、家に泊めてくれたり食事をご馳走してくれたりと、何かと助けてくれた優しい子。そんな彼女との約束は何としても守りたい。なんてったって、初めて出来た友達なのだから……。

「私ね、まひるちゃんとまた一緒に大学通おうねって約束してたの。でもこのままじゃ約束を守れない。まひるちゃん、私のことすごく心配してるだろうなあ」

 親友のことを考えると胸が痛む。
 ノートパソコンをぱたりと閉じ、病麻呂は静かな声で呟いた。

「……ひなが心配しているようなことは起きぬわ。この次元の狭間は時が止まっておる。他世界の時に影響を及ぼすこともない。ここでどれだけ過ごそうが、そちの世界の時は一秒たりとも流れぬ」

「えっ、そうなの? なんか変な感じだね。私はここで一年も過ごしてるのに……。でもそれなら、まひるちゃんが大学を卒業しちゃう事態は避けられるんだね」

「そうじゃそうじゃ。何の心配も要らぬのだから、もう元の世界のことなんて考えるな! ほれ、そちの好きなくれえぷでも出してやるでおじゃる。行儀よく味わうのでおじゃるよ」

 目の前に大きなクレープが現れる。たっぷりの生クリームにバナナにチョコソース、とても魅力的な組み合わせだ。心惹かれるそれを一刻も早く食べたくて、病麻呂の言う通り足を閉じることにした。

 縁側に腰掛けながら、ふわふわと柔らかいクレープの味を楽しむ。病麻呂の作るエルフ料理や三色団子は味付けが不安定だけれど、クレープはいつ食べても美味しい。

(病麻呂が作ってくれるクレープが大好き。甘いだけじゃなくて、心まであったかくなるから)
 
 クレープを始め、病麻呂は私の好きなものを完璧に作れるようにと熱心な努力をしてくれた。チョコレートのとろりとしたまろやかさと一緒に、エルフの包み込むような優しさと愛情が伝わってくる。

 このクレープは私と病麻呂の絆だ。
 彼と過ごしたかけがえのない時間を思い出し、つい口元が綻んでしまう。

「ふふっ、今日も甘くて美味しい! 私は幸せ者だね」

「くふふっ、そちはほんに美味そうにくれえぷを食べるの。そんなに可愛らしい顔をされると麻呂も作り甲斐があるというものでおじゃる! 時にひなよ、そちはなぜそんなにくれえぷを好むのじゃ」

 病麻呂がにこにこと笑いながら私の頭を撫でてくる。良い香りのする体に寄りかかりながら、私は笑顔で答えを返した。

「まひるちゃんと食べたお菓子だから!」

 手の動きが、ぴたりと止まる。

「そういえば病麻呂には、まひるちゃんのことを詳しく話したことはなかったよね。あのね……」

 親友との思い出を振り返ると止まらなくなる。まひるちゃんの顔を思い浮かべながら、私は初めて出来た友だちのことを病麻呂に話した。

 青空真昼あおぞらまひる
 明るく元気で成績優秀、茶髪のボブカットが可愛い女の子。講義をきっかけに知り合った私たちは、すぐに仲良くなった。

 お寺の一人娘である彼女は、幼い頃から怪異や変わった存在に好かれることが多かったらしい。そのせいで人間の友だちは全く出来ず、幽霊や妖怪にばかり囲まれてきてしまったのだと、まひるちゃんは笑いながら話してくれた。

 常識が通用しない未知のものに触れすぎたせいで、少々変わったものに接しても何も感じない。だから私が世間知らずでも気にならないし、人間の友だちはいないから仲良くしてくれるだけで嬉しい。

 ――ねえ、ひな。友だちがいないならあたしと仲良くなってよ。あたし人間の友だちが欲しいの。お嬢とあたし、きっといい友だちになれると思うんだ!

 まひるちゃんはそう言って私を色々なところに連れ出してくれた。

 使用人たちの目を掻い潜ってカラオケや漫画喫茶に行った。一緒に毛布を被りながら刺激的な恋愛ドラマを観た。良いことも悪いこともたくさん教えてもらった。菓子を食べてはいけないという親の言いつけを破って、こっそりクレープを食べた。

 その時食べたクレープの味は忘れられない。
 甘くて、優しくて、涙が出るほどきらきらしていた。まひるちゃんは泣きながらクレープを食べる私にびっくりしていたけれど、何も言わずに背中を摩ってくれた。
 
 初めて出来た友だち。初めて食べたお菓子。両親の言いつけを破った背徳感。しがらみに縛られきった私が、その時少しだけ解放されたような気がした。クレープを食べれば、少しずつ生まれ変わっていける気がした。

「無味乾燥だった人生がね、クレープを食べた時に色付いた気がしたの。だからクレープが好きなんだ、まひるちゃんと食べた思い出のお菓子だから! ふふっ、いい話でしょ?」

 ふと、影が射す。

「やみまろ? どうしたの?」

 笑顔で話を聞いてくれていると思ったのに、病麻呂は無表情で私を見下ろしていた。黒い髪がゆらゆらと揺らめいて、彼の美しい顔に不気味な陰が宿る。

「またじゃ。また……。また、まひる。そちはよくまひるの名を呼ぶな」

 親友の名前をゆっくり区切るように言ってから、病麻呂はぐっと私の手首を掴んだ。外から射し込む赤い月光が、能面のような顔を妖しく照らし出す。朱色の瞳がぎらりと煌めいて、一気に鳥肌が立つのを感じた。

「ほんにそちは可愛らしく、時に麻呂を苛立たせる。全く妬けるものじゃ。この麻呂の前で他の者の名を出すなど」

「や、妬ける? んふふっ、変なの。まひるちゃんは女の子だよ? 男の人に対して言うなら分かるけど」

 異様な雰囲気が怖くてわざとふざけた調子で返す。すると病麻呂は私を抱き寄せ、絞り出すような声を出した。

「女だろうが男だろうが関係ない。ひなに心残りがあることが気に入らぬ」

 楕円形の眉がぎゅっと寄せられる。何かを堪えるように目を細めながら、彼は私の頬に触れた。

「ひな。まひるとやらがそんなに大切か。……麻呂よりも大切か?」

「え? 何言って――」

「まひるは所詮人間。そちの心にいくら光をもたらそうが、麻呂のように魔法が使える訳でもなし。脆弱な人間のどこがいいのじゃ?」

「……大切な人を比べるものじゃないと思うけど。私はまひるちゃんと仲良しだけど、病麻呂とも同じくらい仲良しだよ。それでいいじゃない」

「…………」

 無言。

 朱色の目はぎらついたまま。瞬きもせず私を見つめてくる病麻呂が怖い。

 美しい顔からはごっそりと表情が抜け落ちていて、得体の知れない怖ろしいものに睨まれているかのような恐怖がある。病麻呂は顔を近づけ、私をいじめた人たちの名前をぶつぶつと呟いた。

「ああ、嘆かわしや。まさかそちの良縁まで断ち切らねばならぬとは。でも放ってはおけぬ、そちの枷も心残りも麻呂が全て潰してやるのじゃ。まひる、まひる。しかと覚えたぞ」

「や、病麻呂。ねえっ……なんか怖いよ? 覗き込んでくるの、やめてよ……」

 勢いよく顔を逸らそうとしたが、病麻呂は私の顎を掴み、無理やり自分の方を向かせた。

「雛菊、よく聞け」

「ひっ……」

 耳に生温かい息がかかる。病麻呂は私の耳にふうっと息を吹きかけ、くすくすと笑った。

「麻呂はそちの好むくれえぷでも何でも魔法で創り出せる。そちを幸せにしてやれるのはこの麻呂だけじゃ。まひるとの約束なぞ守らんでも良かろ? 人間は薄情じゃ、そちがまひるとの約束を大切に思っていても、まひるはそうではないかもしれぬ。ひながいなければ、ひな以外の友を見つけ日々を過ごしていくまでよ」

 酷薄さの滲む声が、私の上に吐き捨てられる。

「大体、元の世界に戻ってどうするのじゃ。そちは周囲の人間に苛められてきたのじゃろ? 辛い思いばかりしてきたのだと麻呂に話したでおじゃろう。元の世界に戻ったら、そちはまた同じ目に遭うかもしれぬ」

「……そ、それは」

「ひな、ここにいればそちの大好きなくれえぷを永遠に食べられるのじゃ。働かずに好きなことをして過ごしていけるのじゃ。それなのに、なぜ帰り道のことばかり気にする。一体何が不満なのじゃ?」

 不満じゃない、でもここには親友の存在も大学もない。
 だから約束を果たすために、私は元の世界に帰らなくちゃいけない……。

 そう返すと、病麻呂はわざとらしくにっこりと笑った。

「くふふふふっ。それならまひるに代わる親友も、大学とやらも、麻呂の魔法でそっくり創り上げてやろうかの? それならひなの帰る場所はこの聖域になる。もう満ちぬ月を見上げて憂うこともないでおじゃろう。ひな、そちはずっとこの次元の狭間にいるのじゃ! ああ、なんと嬉しや……」
 
 病麻呂がそんなことを言うなんて。
 まるで私を次元の狭間から出したくないみたいな言い方だ。

 自分の仕事は迷い人をもてなし、月が満ちたら元の世界へ送り届けること。
 彼は確かにそう言ったのに……。

「やみまろは、私に帰ってほしくないの?」

 エルフは答えを返すことなく、私を馬鹿にするような笑みを浮かべた。

 歪に笑う病麻呂はどこか人形じみている。彼は唇を曲げながらも、私を睨みつけるような目でじっと見た。光渦巻く朱色の瞳はぎらぎらと輝いていて、彼が人ならざるものであることを改めて実感する。

 これは誰だ? 

 目の前のエルフは私の知る病麻呂じゃない。病麻呂はいつも温かくて、優しくて、決して怒ったりプレッシャーをかけたりしない。いつもの病麻呂に戻ってほしくて、白檀の香りがする体をぎゅっと抱きしめる。

「お公家様の言う通り、あなたって本当に過度な寂しがり屋さんなんだね。私だって親切なエルフさんと離れたくないよ。……ねえ病麻呂、私が元の世界に戻ったとしても、絶対あなたに会いに行く。病麻呂の魔法でまた私をここに連れてきてくれるでしょ? だからそんなこと言わないで。ね?」

 病麻呂が放つ雰囲気が柔らかいものに変わる。彼は私の頭を撫でながら、沈んだ声でぽつぽつと話した。

「無理じゃ。この聖域を出た者は二度とこの地に来ることは叶わぬ、それがさだめじゃ。こればかりは麻呂の魔法でもどうにもならぬ」

「それって、帰ったら病麻呂とはもう会えないってこと……?」

「左様」

 病麻呂と離れ離れになったら、二度と彼に会えないのかもしれない。嫌な予感が的中してしまい、ぎゅっと胸が締め付けられる。

 ……急に、満月になるのが怖くなった。

「私から会いに行けないなら、あなたから会いに来てよ」

「それも出来ぬ。麻呂はここに縛られた存在ゆえ、そちに会いに行くことも叶わぬ」

 尖った耳をしんなりと下げるエルフはどこか弱々しい。
 病麻呂は溜息を吐いた後、赤い月を見上げた。

「……麻呂は昔、酷い罪を犯した。驕っていたのじゃ、魔の力を使って他者を弄び、世界にどうしようもない不幸をもたらした。それゆえ、主によってこの次元の狭間へと閉じ込められた。ここは麻呂にとって永遠の牢獄なのじゃ」

 病麻呂は泣きそうな顔で私を見つめた。

「麻呂はもたらした不幸の分だけ、幸福を与えることを命じられた。別世界から流れ着く迷い人をもてなし、その者の望みをすべて叶えてやり、幸福にした後に元の世界へ帰すこと。それが麻呂の役目なのじゃ。……ずっと、その繰り返し。主にかけられた魔法が解けるまで、麻呂は決してこの牢獄から出られぬ」

「それなら、その魔法を解けばいいじゃない! そうしたら病麻呂は私に会いに来てくれるんでしょ? ねえ、教えてよ。どうやったら魔法は解けるの? 魔法を解く条件ってなに?」

「くふふふっ。そちはほんに優しい娘子じゃ。麻呂のことをこうして案じてくれるとは。……残念なことよ、主の魔法を解く条件は、麻呂から言ってはならぬのじゃ。それが制約なのでな……」
 
 寂しそうに揺れる目に何も言えなくなってしまう。病麻呂は私の手を引いて、自分の座敷に戻るようにと言った。

「もう休むとよい。長話をして悪かったでおじゃる。……お休み、雛菊」

「やみまろ……」

 薄暗い廊下へと病麻呂が消えていく。かける言葉が見つからず、私はただその後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 冷たい夜風が吹く。さらさらと草の揺れる音だけが聞こえる。庭園の景色をぼんやり眺めながら、私は病麻呂の言葉を反芻した。

 ――主にかけられた魔法が解けるまで、麻呂は決してこの牢獄から出られぬ。

 ――魔法を解く条件は、麻呂から言ってはならぬのじゃ。それが制約なのでな……。

 彼と離れたくない、二度と会えないなんて耐えられない。目が潤んで、涙がぼろぼろと溢れてしまう。

(病麻呂にかけられた魔法が解けたらいいな。……解いてあげられたら、いいな……)
 
 月は気まぐれ、いつ満ちるか分からない。満月になるのは明日かもしれないし、明後日かもしれない。お餅パーティーも、そしてその他のことだって。病麻呂と一緒にしたいことは、まだまだたくさんあるから……。

(だからお願い。もし満ちるなら、もう少しだけ先でありますように)
 
 まひるちゃんの泣き顔と、病麻呂の寂しそうな顔。
 ふたりの顔を思い浮かべながら、私は赤い月に祈った。
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