橙乃紅瑚

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 車通りのない山道を足早に下りながら、怒れる少女――ゆかりはまた大声を上げた。

「ああああっもう、最悪!! こんな山奥に置き去りにするなんて何考えてんの!? あいつら絶対訴える。すぐ警察に通報してやる!」

 強烈な陽射しがゆかりの肌をじりじりと焼いていく。歩けども歩けども人の気配はなく、彼女は地面から立ち昇る陽炎を呆然と見つめた。早く誰かに助けを求めなければならないのに、いつまでも人に会うことができない。大声で苛立ちを吐き出し、額に滲む汗を乱暴に拭う。

「このままじゃ本当にまずいよ。どうしよう……!」

 道路の両側は深い森。ガードレールの向こうに広がる樹々は鬱蒼としていて、向こう側の様子を伺い知ることは一切できない。不気味なほど押し静まった茂みに踏み込んだところで、人がいる場所へ辿り着けるとはちっとも思っていなかった。

 熱せられた道路が光を反射する。ゆかりのうなじからまた雫が流れ落ちていく。せかせかと彼女が足を動かす度に、ひとつに結ばれた髪の毛先から飛沫が散る。

 暑い。暑すぎる。汗が止まらない。だが、いつ助けが来るか分からない状況で立ち止まるのも危険だ……。夏の終わりの耐え難い残暑に苛まれながら、ゆかりは手持ちの水の残量についてひたすら考えた。

 ゆかりが山道をひとり歩いているのには理由があった。

 所属する登山サークルの活動で県外に向かっていたところ、途中で無理やり車から降ろされてしまったのだ。

 理由は分からないが、同性の先輩からひどく嫌われているのは分かっていたし、その取り巻きが部長含め、サークル内に多くいるのも知っていた。だが、彼らが急に置き去りという怖ろしい行為に出るとは思っていなかった。

 最悪なのは、サークルメンバーと揉み合う際に携帯電話を車の中に落としてしまったことだ。財布と水は持っているが、外部に助けを求める手段を失ってしまった。

 走り去る車の音が、いつまでも耳の奥にこだましている。

(いくら私のことが嫌いでも、こんなことまでする人たちだとは思えなかったのに……!)

 とにかくこれは犯罪だ。絶対に許さない。ゆかりはサークルメンバーたちを心の中で口汚く罵倒した。

 歩く。歩く。歩く。陽が傾き始めても人と出会うことを願ってひたすら歩き続ける。だがいくら歩いても、人どころか鳥や獣とも遭遇することはない。

(落ち着いて。ここは何度か通ったことのある山道よ。このまま歩いていけばいつか大通りに出られるはず)

 静寂の中、地面を踏みしめる音だけが聞こえる。静かすぎておかしくなりそうだ。虫の声くらい聞こえても良さそうなものだが……。

「冗談じゃない、こんなの……もし私が死んだら、いつまでも取り憑いて呪ってやるからね……」

 ゆかりの荒い息混じりの声はすっかり元気を無くしている。休み休み歩いて数時間になるだろうか。彼女の足は長時間の歩行によってところどころ擦り切れてしまい、歩を進めようとする度に悲鳴を上げる。

 もう限界だ。ゆかりはとうとうその場に座り込み、ガードレールにもたれかかって深く息を吐いた。

 空にひとなすりの黒が滲んでいる。やや冷たさを含んだ風から、ゆかりは夜がすぐそこまでやって来ていることを感じ取った。

「……。誰か、助けて……」

 すっかり気力が潰えてしまったゆかりは、空を見上げ弱々しく呟いた。

 明かりもない山奥でひとりきり。人里離れた山の中で無事に朝を迎えられるか分からない。減っていく水。凄まじい気温差に、虫や獣に対する本能的恐怖。すべてが自分の不安を掻き立てる。

 夜の山なんて、本当にぞっとする。よく怖ろしい怪談として語られるではないか、お化けが出るだの死人が徘徊するだの……。

 空がどんどん暗くなっていく。昼から夜へ移り変わる暮れの時間は、どこか妖しげで怖ろしい雰囲気がある。昔の人々は何か人ならざるものに出会いそうだと、この黄昏時を別の名で呼んだ。このような刻を何と呼ぶのだったか? 



 ああ、そうだ。確か「逢魔が時」と――。



 がさり。

「ひっ!?」

 ゆかりは顔を強張らせた。

 何か大きなものが、物音を立てながら近づいてくる。道路に映り込んだ色濃い影にゆかりは悲鳴を上げた。

 左右にゆらゆらと揺れるそれは頭が大きい。
 頭だけが、やたらに大きい。

 ――これは、人間の形じゃない。

 本能的な警鐘が鳴り響く。突然現れた影の正体を確かめないまま急いでその場から駆け出す。だが影は、逃げるゆかりの後を執拗に追いかけてきた。

「やっ、やだ! 来ないで!」

 怖ろしくて振り返ることができない。車、あるいは獣? 影の動きは、ゆかりが知るどの物とも一致しない。

 影は巨大な頭のようなものを左右に激しく振りながら、やや機械じみた動きでこちらに迫ってくる。その奇妙な動きは、ゆかりにある都市伝説を思い起こさせた。

 廃村に踏み込んだら化け物に遭遇した。

 やたらに頭が大きい人間のようなものたちが、両の手を足にぴったりとくっつけ、頭部を激しく振りながら追いかけてくるのだ……。

(ま、まさかね)

 大きな頭、そしてゆらゆらと左右に揺れる丸い影。ゆかりの中では、影がその都市伝説の怪異――巨頭人間に差し替わっていた。

 怖ろしい存在に追いかけられる本能的恐怖に、どっと涙が溢れてしまう。あれはきっと怪物だ。あの都市伝説に出てくる化物だ。捕まったら殺されるか、それとも齧られて少しずつ喰われるか……。怪異や化物というものが大嫌いなゆかりにとって、この逃亡は拷問に等しいものだった。

 ふと足の力が抜けてしまう。疲労に限界を迎えた膝を制御することができず、ゆかりは勢いよく前に倒れ込んだ。

「いっ、たあっ……!」 

 足首がずきずきと痛む。どうやら倒れる時に捻ってしまったようだ。立ち上がろうとしても、立ち上がることができない。

「う……うぅぅっ」

 ずる、ずると大きなものが這うように近づいてくる。震えることしか出来ない哀れな女へ、手が伸ばされる。悲鳴を上げてうずくまったゆかりに、影の持ち主は呆れ混じりの声を出した。

「……おい、そう怯えるな。俺はただ助けてやろうとしただけだ」

 ややぶっきらぼうな声が落ちる。ゆかりは自分を追いかけてきたものをおそるおそる見上げた。

「悲鳴を上げられると困る。安心しろ、お前に危害は加えない」

 ……男だ。すらりとしていて背が高い。

 黒浴衣を纏ったその男は、思わずゆかりが呆けてしまうほど美しい顔を持っていた。引き結ばれた薄い唇に、すっと通った鼻筋。そして切れ長の瞳。

 歳はゆかりよりも少しだけ上だろうか。
 さっぱりと整えられた黒髪が、夜風に柔らかく揺れている。

「あ、なたは……」

 整った顔立ちの黒浴衣の男。それだけなら特におかしなところはないが、男は背中側の帯に、大きな大きな団扇うちわを差していた。巨大な白い団扇が、風に吹かれてぱたぱたと音を立てる。

 どうやらこの団扇が、男を頭の大きい化物だと勘違いさせたらしい。

「まったく。声をかけようとしたら悲鳴を上げて逃げるのだから。そんなに怖がって一体どうしたんだ?」

 男は屈み、口を開けるゆかりをまじまじと見つめた。

「ごっ、ごめんなさい。影がおかしかったから驚いちゃって」

「影? ……ああ、これか」

 男が身動きする度、大きな団扇が左右に揺れる。まるで孔雀の羽のように広がった団扇の頭を見ながら、どうしてそんなものを腰に差してるんだとゆかりは訊ねた。

「これは俺の村の風習だ。それよりもお前、足を痛めたのだろう。可哀想に、村で手当てしてやろう」

「え? ほっ、本当ですか! それはありがたいです、是非お願いします」

 やっと足が楽になるかと思うとほっとする。ゆかりは笑顔で男の手を取った。

 男はゆかりを抱き起こそうとしたが、彼女の足首は腫れ上がって立つことさえできない。痛みに呻くゆかりに一声かけ、男は彼女を難なく姫抱きにした。すらりとした見た目だが、存外力があるらしい。

 ゆかりは彼の腕の中で声にならない悲鳴を上げた。汗臭い自分が恥ずかしい。顔を真っ赤にしながら何度も謝るゆかりを不思議そうに見つめ、男は美しい顔を綻ばせた。

「別に気にしない。でも、こんなに汗をかいたのは可哀想だ。村に着いたら体を清めてやろう」

 男はガードレールの隙間から深い茂みへと入り込んだ。薄暗く不気味な森の中を、何の迷いもなく歩いていく。

 明かりも無いのに、道なき道を歩む彼の足取りはしっかりしている。森の中は草木が生い茂っていたが、男の帯に差された団扇の頭がそれらを払い除け、ゆかりの身をしっかりと守るのだった。

「ああ、嬉しい。やっとこの腕に抱くことができた。来客を迎えるのは随分と久しぶりだ。村の皆もきっとお前を見て喜んでくれるぞ」

 少し平坦な声だが、男の声には隠しようのない喜びが滲んでいる。

 例えば、探し続けていた失せ物が見つかったような。
 待ち望んでいたものがようやく手に入ったような。

 ――可愛い嫁御が手に入って満足だ。

 その言葉に首を傾げてしまう。
 ゆかりが口を開こうとした時、男の足がぴたりと止まった。


「村に着いたぞ」

 男が指差す先に、微かな明かりがぽつりぽつりと見える。温かみのある明かりの色に、ゆかりはほっと息を吐いた。

 開けた中に数軒の家が建っている。質素な家屋や石の井戸、そして焚き火台。森の中の古風な佇まいの村に、ゆかりは目を瞬いた。

 ……少し、違和感がある。

 村の様子をしばらく見つめ、ゆかりはああと呟いた。この村からは、自分が常日頃触れている技術のにおいがしないのだ。電柱も電灯も、畑を耕す機械や車も見当たらない。昔ながらの木と石だけで造られた村が目の前に広がっている。珍しいものだ、今どきこんな田舎があるなんて。

 村の入口に、朽ちた看板が立っている。風雨に削られてしまったそれはまともに読むことができなかったが、ゆかりは目を細めて刻まれた文字を読もうとした。



『巨〓オ』



 これは一体何だろうか。

 なぜか、この看板を見ていると鳥肌が立つ。


「おい、大丈夫か。足が痛むのか?」

 男がゆかりの顔を覗き込んでくる。呆けていたゆかりははっと顔を上げ、何でもないと首を横に振った。

「そうか。もう少しだからな」

 男はゆかりをしっかりと抱え直し、美しく微笑んだ。
 彼は上機嫌な様子で、手当てをしなければ、綺麗な着物を着せてやらなければとあれこれ呟くのだった。

 村の中心に敷かれた石畳の先に、一際大きな屋敷がある。夜空の下、いくつもの焚き火台がごうと燃え上がり、等間隔に植えられた彼岸花を美しく照らす。炎と花に彩られたその景色は、この世ならざるような、幽玄な雰囲気を醸し出していた。

 門の傍らには変わった老翁の石像があった。頭部だけが大きい奇妙な形の石像だったが、包容力のある素朴な微笑みは、ゆかりの心に親しみを抱かせた。

 その石像を取り囲むようにして、小さな男女の像がいくつも置かれている。白く、そして骨ばったその像はいずれも欠けたり傷付いていたりして、ひとつたりとして完璧なものはなかった。

「あれが俺の家だ。これからお前はあの家で過ごすのだ」

 男の弾んだ声が夜の静寂に溶けていく。ゆかりはその声に心地よさを感じながらも、同時に微かなざらつきを覚えた。

 彼は先程から随分と嬉しそうだ。そんなに来客が珍しいのだろうか?


 行きはよい、帰りは怖い。

 男の歌が眠気を誘う。

 行きはよい、帰りは怖い。

 男が石畳の上を一歩一歩進むたび、ゆかりの記憶が薄れていく。



 行きはよい、帰りはない。



 思考がまとまらない。
 自分は、どうしてここにいるのだったか?


「ゆかり。早くお前と番うのが楽しみだ」


 ……兎にも角にも、自分はこの男に助けられた。もう安心だろう。
 ゆかりは微笑み、恩人の男に感謝を伝えた。



 *―*―*―*―*―*



 村の住民はとても親切だった。中でも特別ゆかりを気遣ったのは、彼女を助けたあの男だった。

 透真とうまと名乗ったその男は村人たちを集め、ゆかりを何不自由なく過ごさせるようにと言った。彼は村の長の息子なのだという。透真は常にゆかりの傍に控え、何か困ったことはないか、何かしてほしいことはないかと頻繁に尋ねてくるのだった。

 透真から美しい着物を贈られ、特別広い座敷で過ごすようにと言われる。過剰なもてなしにゆかりは戸惑ったが、彼は笑いながらゆかりの遠慮を押し込めようとした。

 ゆっくりするといい。
 ここがお前のいるべき場所なのだから。

 透真だけでなく、村の者たちもゆかりと顔を合わせる度に必ずそう口にした。彼らの気遣いを一身に受け続けるうち、やがてゆかりもこの村こそが自分のふるさとのような気がしてきた。

 村での生活は至って穏やかだった。空はいつも晴れていて、丁度いい気温の中で過ごすことができる。水彩で描いたような淡色の空、そして鈴虫の声が鳴り響く星月夜。寒暖差が激しい夏の終わりだというのに、この村の天気は全く変わらない。まるで穏やかな初秋の日をずっと繰り返しているかのようだった。

 米は釜で炊き、衣は小川で洗う。昔ながらの暮らしの中にゆかりが親しんできた娯楽は全くなかったが、彼女はそれほど不満を感じることはなかった。

 透真がいるだけで、村での生活が何よりも素晴らしいものに思えたのだ。


 *



「ゆかり。茶の用意ができたぞ」

 庭の景色を眺めていたゆかりの隣に、透真が座る。嬉しそうに笑ったゆかりをちらと見遣り、彼はやや照れくさそうに口角を上げた。

「今日も綺麗だ」

「庭の彼岸花が?」

「お前のことだ。その白い着物、よく似合っているぞ」

「ほんと? 嬉しい。透真くんが選んでくれたからだね」

 お互いを見つめながら笑い合う。ひとつ屋根の下で暮らしているということもあり、ゆかりと透真の距離はすぐに縮まった。

 縁側に座りながら手を繋ぎ、日が傾くまで会話を交わすこと。それがふたりの習慣だった。

 練り切りを口に運びつつ、ぴたりと寄り添って話をする。取り留めのないゆかりの話に透真が相槌を打つのが常であったが、この日の彼はいつもより饒舌だった。

「ゆかりがやって来てからもうすぐで一年か。お前もすっかりこの村に馴染んだな、古顔の奴らと何も変わらない」

「ふふ、そうかな?」

「ああ。飯炊きだって慣れたじゃないか。昨日作ってくれた炊き込みは美味かった」

「ええ? ご飯固かったでしょ」

「いいや。ゆかりが俺のために作ってくれたと思うと、どんな料理よりも美味しく感じられる」

 ややぶっきらぼうな透真の声には優しさが滲んでいる。またゆかりが作った飯を食べたいと呟き、彼はにこりと笑った。

 この村には炊飯器を始め、機械というものが全くない。不器用なゆかりは何度も失敗した末に、ようやく米を釜で炊けるようになった。

 いつも食事は透真が用意してくれたがそれでは申し訳ないと思い、ゆかりは少しずつでも村の暮らしに慣れていくことにしたのだ。透真はゆかりが作った食事についてあれこれ褒めながら、赤い彼岸花が咲き誇る庭を見つめた。
  
「釜で米を炊いたことがないと聞いた時は驚いたが、今のお前なら問題なくここで暮らしていける。好きな女が故郷に馴染もうとしてくれるのはいいものだ。お前がやって来てから、村の景色が色鮮やかに見える」

 微笑む透真の横顔に、ゆかりは微かな違和感を抱いた。

 透真は変わった男だ。
 彼は炊飯器の存在を知らなかった。

 それだけではない。大学のことも携帯のことも、テレビもラジオも、警察という組織があることすら透真は知らない。最初、彼と会話を交わすのに随分と苦労したのを思い出す。

 だが、そんなことはあり得るのだろうか。この現代日本に生きる者が。

(あれ? そもそも私、なんでそんなことを透真くんに話したんだろ)

 ……ああそうだ。
 村に着いたら、警察に電話しようとしていたからだ。

(でも、なぜ警察に電話を? 助けを呼ぶ必要があった……?)

 思い出せない。頭に靄がかかったように記憶が曖昧だ。
 ふと生じた違和感が、針先のようにちりりと胸を刺激する。

 ゆかりは男の手を握り、真剣な顔で訊ねた。

「ねえ透真くん。どうして私、この村にいるんだっけ」

「俺の恋人だからだろう。なんだ、また忘れてしまったのか? 全くゆかりは薄情な女だな」

 透真は口早に答えた。薄く笑みを浮かべるその様子は、彼が嘘を吐いているようには見えない。

「…………ごめん。これって前にも聞いたよね? 何回も聞いて申し訳ないと思ってる。でも……」

 胸に込み上げた違和感の正体を探るように、ゆかりは吃りながらも言葉を紡いだ。

「いつから透真くんと付き合っていたのか、どんな道を通ってこの村に来たのかとか……。そういうことを思い出そうとしても、どうしても思い出せないの……」

 こんなの、変でしょう?

 男の手をきゅっと握り込む。彼の手は、血が通っていないのかと思うほどに冷たい。

 ゆかりがおずおずと透真の顔を見上げると、彼は目を細めながら指を絡ませてきた。

「思い出せないなら何度でも言ってやる。道に迷ったゆかりを助けたのがきっかけで、俺たちは仲良くなり付き合い始めた。俺がお前を見初めたんだ。こんな可愛い女は手放せない、どうか俺の恋人になってほしい……。一目惚れだったんだ。村に来いと言ったら、お前は笑顔でついてきてくれた」

「…………」

「俺はしっかり覚えてる。山道でひとりきり、泣きそうな顔で俺を見たゆかりを」

 風に吹かれ、透真の白団扇がぱたぱたと音を立てる。
 男の顔に、不気味な影が差す。

「お前はここに招かれた。きっかけが何だろうが、ゆかりはもうこの村の住人で、俺の女だ。ゆかりの居場所はここだ、ここしかない。そうだろう?」

 透真の骨ばった手がゆかりの腿を摩る。大きな手に遠慮なく足を撫で回され、ゆかりは思わず顔を赤らめた。

「ここはいいところだ。飯はうまいし、村の連中も気のいい奴ばかり。何も考えずにずっといればいい」

 透真の顔が近づけられる。ゆかりを抱き寄せ、透真は女の耳にゆっくりと上品な声を注いだ。

「なあゆかり。この村で番っていない男は俺だけなんだ。だが生憎、女も全員相手持ちでな。何が言いたいのかというと、俺は番を探している。嫁になってくれる女を探し続けてきたんだ。そうだな……嫁にするなら笑顔が可愛くて、ひとつ結びがよく似合っていて、練り切りが好きな女がいいな」

「えっ? それってもしかして」

「お前のことだよ、ゆかり」

 ゆかりの頬を大きな手で包み、透真は美しい黒目を瞬かせた。

「もうすぐで月が変わるな。村に来たばかりのお前にこれを言うのは憚られたんだが、今なら言える。この村にはな、月が変わる夜に未婚の男が未婚の女を訪ねる風習があるんだ」

 そっと額に口付けられる。
 顔を真っ赤にしたゆかりを見て、透真はまるで林檎みたいだと破顔した。

「俺たちは、その風習を縁結びの儀と呼んでいる。女に受け入れられたら、男はその女を嫁に迎える権利を得られるんだ。俺はゆかりが欲しい。お前と夫婦になりたい。だから……月明けの夜が来たら、その時は俺を座敷に入れてくれ」

「透真くん……」

「ゆかり、大好きだ。ずっとずっと一緒にいよう」

 胸に温かなものが巡る。ゆかりは微笑み、透真に頷きを返した。



 透真の言う通り、村での生活は充分に満ち足りている。ここで暮らせば何も心配はない。彼と共にこの村で暮らすことが、きっと一番幸せなのだ。

 思い返せば、今までの人生は苦労に塗れていた。

 両親はおらず、他人の手を借りてなんとか高校まで卒業した。

 友達なんて一人もいなかった。放課後はいつもへとへとになるまで働いた。一度くらい青春というものを味わってみたくて、必死にお金を用意して何とか大学に入り込んだ。

 憧れていた大学生活は、授業とアルバイトで精一杯で楽しむ余裕がなかった。せっかく入った登山サークルでは、なぜか同性の先輩から疎まれてしまった。

 心に痛みを覚える度、もう頑張りたくないと思ってしまう時がある。

 人から悪意を向けられたくない。楽になりたい。心のどこかがいつまでも拉げていて、誰かにこの苦痛を癒やしてほしいと願ってしまう。

 自分を好きになってくれる存在と一緒にいたい。
 強く愛してほしい。
 穏やかに、甘やかされながら暮らしたい。

 ああ、それなら。
 やっぱり何も考えずこの村にいるのが一番いいじゃないか。

 透真はいい男だ。ややぶっきらぼうな話し方をするがとても優しい。もっと彼と仲良くなりたい。彼と結ばれたい。彼のことも、村のことも知りたい……。



 ゆかりは住民たちと話し、自分がいる場所のことを積極的に知ろうとした。


 *


「そういえば、あのうちわって何のために差すんですか? 透真くんは村の風習だって言ってたけど……」

 ゆかりは屋敷の前で使用人の女と話していた。

 この村の男は、誰もが帯の後ろに巨大な白団扇を差している。ゆかりは身の丈よりも大きな団扇を差していては邪魔で仕方ないだろうと言ったが、女は村の掟でそうしなければならないのだと返した。

「陽が出ている間は団扇を使って化けるのさ。ご覧、男連中はあれにそっくりだろ」

 女は門の傍らにある老爺像を指差した。優しい笑みを湛えた顔は見るとほっとするが、人間離れした歪な造形には不気味さも感じる。

 なるほど。確かに帯に団扇を差した男の姿は、頭がやたら大きな老爺のかたちとよく似ているかもしれない……。

 ゆかりの元にひとりの男が近づいてくる。男は石像を見つめながら、ゆかりに向けて朗々と語った。

「彼は俺たちの御先祖様だ。昼は小鬼の刻。太陽が出ている間、悪どい小鬼どもが村を襲いに来る時がある。俺たちは勇敢な先祖の姿を真似て、その小鬼を追い払うんだ」

 小鬼。
 そう吐き捨てた男は、老翁を取り囲む白い像を忌々しそうに見つめた。

「この村は棲家を追われた御先祖様がやっとこさ手に入れた安息の里。姑息な小鬼どもに何もかも奪われる訳にはいかない」

「ふうん……。よく分からないけど、そうやって厄除けみたいなことをしてるんですね? うちわを差して頭を大きく見せるなんて、初めて聞く風習です。太陽が出ている間は腰にうちわを差すって言いましたけど、夜はいいんですか?」

「ああ、必要ない。夜は俺たちの時間だからな。直に君も分かるさ」

 男は歪に笑った。ゆかりは彼の言葉の意味がよく分からなかったが、男は挨拶をした後、その場を去ってしまった。

「いい男だろ? あれはあたしの旦那なんだ。ところであんた、透真様とはどうなんだい。夜の方は満足してる?」

 あけすけな言葉に思わず驚いてしまう。目を見開いたゆかりを見て、女はにたにたと笑った。

「何を驚いてるんだ。あんた、透真様に見初められてここに来たんだろ。あたしらは早く子供が生まれるのを待ってるんだよ」

「と、透真くんとはまだ何もしてません……! 結婚もしてないし、彼とそういうことをするのは早いので……」

「へぇ? もう行くところまでとっくに行ってると思った。透真様も奥手だねぇ」

 もじもじと指を組むゆかりの肩が、ぽんと叩かれる。

「何も不安に思うことはないさ。あんたがその気なら、早く透真様を受け入れたらいい。ここの男は強くて優しくて、とっても頼り甲斐がある。あたしはここに来れて幸せだ! 村に来る前のことをすっかり忘れちまうくらいにね」

「あっ……。あなたも外から来たんですか?」

「あたしだけじゃないよ。女連中はみんな外から来た奴ばかりさ。そういや、あたしはどこから来たんだっけ……? ははっ、全然思い出せないや。不思議だねえ」

 女はけらけらと笑った。

「村の暮らしは不便なこともあるけど、あたしは出ていこうなんて一度も思ったことはないよ。なんてったって旦那が最高だからさ。だから早く骨を捧げちまいな」

 あんたもいずれ、あたしと同じになるんだからさ。

 女はそう言い残し、夫の後を追いかけていった。

「どういうこと?」

 一人残されたゆかりは、老爺像を取り囲む白い像をぼんやりと見つめた。

 肉付きのない男女の像。穏やかな笑みを湛える老爺像とは違い、白い像はいずれも苦悶のような表情を浮かべている。

 どこか骨を思わせるほど白く、どこか死を思わせるほど脆く。救済を求めて上に手を伸ばす様は、地獄で苦しむ餓鬼のようにも見えた。

 奇妙だ。女の像はあちこち欠けているが、それでも全身の形が見て取れる。反対に、男の像は全て首がなく、すっかり崩れてしまったものもある。男女で小鬼の扱いが違うのだろうか。

 ……心なしか女の小鬼像は、村の女性に顔が似ている気がする。

 ゆかりは思い耽った。

 村の男は白い像を「小鬼」と呼んでいたが、肉体のバランスはごく人間らしく、頭だけが大きい老爺よりもずっと自然に見える。むしろ、異形である老爺像の方が「鬼」と呼べるのではないか。

(なんてね。透真くんのご先祖様に対して失礼なことを考えるのはやめよう)

 ゆかりは像から目を背け、屋敷へと向かった。


 もうすぐ透真と結ばれる。
 月が変わるまで、あと少しだ。



 *―*―*―*―*―*



 縁結びの儀が近づくにつれ、ゆかりは怖ろしい夢を見るようになった。


 薄暗やみの中を、必死に駆けている。
 虫の声ひとつしない静まりかえった山道を、走る。走る。

「はあっ、はあっ……!」

 ゆかりは自分を追う影から必死に逃げていた。

 左右にゆらゆらと揺れるそれは頭が大きい。
 頭だけが、やたらに大きい。

 ……これは人間の形じゃない。

 影はしつこくしつこく、どこまでも自分を追ってくる。ゆかりは後ろを振り向くことができないまま哀れな悲鳴を上げた。

「やっ、やだ! 来ないで!」

 ふと足の力が抜け、前に勢い良く倒れ込んでしまう。立ち上がれなくなった自分に、影が伸し掛かってくる。

「ぁ、ぁっ……」

 異形の化物に見下ろされ、ゆかりはがたがたと震えた。

 ――つかまえた。

 自分を追ってきたものは、巨大な頭部を持つ男だった。男の黒髪が、夜風に吹かれて不気味に揺れている。男は怯えるゆかりに向けてぬうっと首を伸ばし、にたにたと笑った。その顔の作りは陰になってよく見えない。闇夜を湛えた双眸だけが、僅かな光を受けてぎらりと輝く……。

 男はがばりと口を開き、ゆかりの全身を味わうようにゆっくりと舐め上げた。

「ひっ!? いやっ、いやああぁぁっ!」

 暗い森に連れ込まれ全身に舌を這わされる。
 肩を齧られる。首を齧られる。腕を、腹を、そして腿を。不思議と痛みは感じなかったが、ゆかりは巨頭の怪物に嬲られる恐怖に悲鳴を上げた。

 喰われている。自分の体がこの怪物のものになってしまう。喰われ切ってしまえば自分はもう戻れない。どうにか男から逃げなければ!

 だが逃げたところで、一体どこに行けばいいのか?



 戻る場所なんて、もうないのに。



「……っ!」

「ゆかり、どうした?」

 慣れ親しんだ男の声に意識が浮上する。ゆかりは目を開け、声のする方向に顔を向けた。

「うなされていたぞ。怖い夢を見たのか」

 障子の向こうに、大きな影が見える。頭だけが大きく見える、不自然な影のかたちだ。

「とう、まくん。あのね、また怖い夢を見たの。山の中で変な化物に捕まって、食べられる夢……」

 近頃こんな夢ばかり見る。一体どうしてだろうかとゆかりは鼻を啜った。

「……あの影は、こわい。私が一番怖いと思っているから、何度も何度もこうやって夢の中に出てくるのかな……」

 透真はその言葉を聞いて、障子の向こうで笑い声を上げた。

「それなら、その影を俺だと思えばいい」

「影が、透真くん?」

「そうだ。お前が影を怖れるのは未知のものだからだ。影の正体を知ってしまえば、何も怖れることはないだろう」

 ゆかりは透真の影をじっと見つめた。

 彼の言う通りかもしれない。透真の影のかたちは、そのまま見れば人間離れしていて怖ろしい。夢で見た異形とそっくりだが、そう見える理由は団扇によるものだと知っているから、透真に対しては何ら恐怖を抱かない。

 知れば、怖くなくなるということか。
 ゆかりは納得し、ほうと息を吐いた。

「あの影は俺だ。お前を迎えに来た俺だ。もう一度眠るがいい、怖れることは何もない……」

 優しい声に導かれ、ゆっくりと目を瞑る。ゆかりは安心感の中微笑んだ。

「分かった。あの影は、透真くんなんだね……」


 微睡みの中、また夢を見る。

 同じ夢だ。
 山道で異形に追いかけられている。

 だが勇気を出して後ろを振り返ると、そこに立っていたのは巨大な団扇を腰に差した透真だった。

 ――足を痛めたのだろう。可哀想に、俺の村で手当てしてやろう。

 手を差し伸べられる。ゆかりは笑み、しっかりと男の手を取った。

 抱きかかえられながら透真の村に向かう。大きな団扇が、風に吹かれてぱたぱたと音を立てる。

 暗い森を迷いなく歩きながら、透真は上機嫌な様子で笑った。宵闇に溶けるその顔は美しく、そしてどこか魔物のように怖ろしい。

  ――可愛い嫁御が手に入って満足だ。

 ああ、確か前にこんなことがあったはずだ。
 あれはいったい、いつの出来事だっただろうか?



 ゆかりはまた目を開けた。


 障子の向こうに、頭だけが大きな影がある。きっと自分が夢にうなされることがないよう、透真が見守ってくれているのだろう。

 優しいひとだ。
 ゆかりは微笑みながら彼の影を見つめた。

 ふと、胸の奥に違和感が凝る。


 ……夜は、腰に団扇を差さないのではなかったか。

 ならばあの影のかたちは、いったい。


 透真の影に思うところがありながらも、ゆかりは引きずり込まれるような強い眠気に抗うことができなかった。



 *―*―*―*―*―*



 障子の向こうから夕焼けの光が射す。眩しさに目を眇めながら、ゆかりは布団の上でごろごろと転がった。

 今夜、とうとう月が変わる。透真はいつ頃ここにやって来るのだろうか。まだ夕方だが、緊張で落ち着かず何をする気も起きない。

 未婚の男が未婚の女を夜に訪ねる。女に受け入れられたら、男はその女を妻にする権利を得られる。透真はそれを縁結びの儀と呼んだが、つまり夜這いをするということだろう。

 夜這いですることと言ったらひとつだ。男と女が愛を交わし、体を重ね合わせる。透真のことを受け入れると決めているが、経験のない自分にとっては恥ずかしく、そしてほんの少しだけ怖い。

 彼と無事に事を済ませられるだろうか。
 ゆかりは跳ねる胸に手を遣り、想い人の名を小さく呼んだ。

「うぅ、とうまくーん……あっ」

 足音もなく、ぬっと男の影が障子の向こうに現れる。ゆかりは急いで障子を開き、屋敷の主を迎え入れた。

「透真くん! こんなに早く来てくれるとは思ってなかった。まだ夕方だよ」

「いいだろ。お前に触れたくて仕方なかったんだ」

 透真は顔を赤らめながら口早にそう言った。相変わらずぶっきらぼうな言い方だが、その声音は優しい。ゆかりがくすくすと笑うと、透真はぎゅっと手を握り込んできた。

 彼の大きな手が微かに震えている。興奮を押し殺すように唾を飲み込んだ透真に、ゆかりは愛おしさが込み上げてくるのを感じた。

(手が震えてる。きっと透真くんも私と同じ気持ちなんだね)

 そう考えると緊張が和らいでいく。
 ひんやりとした手を握り返すと、透真は縋るようにゆかりの顔を覗き込んだ。

「座敷に入れてくれたってことは、いいんだよな」

「うん。私ね、ずっと透真くんと結ばれる日を楽しみにしてたんだ。……だから、早く来て」

 勇気を出して透真に抱きつく。そのまま彼の首に腕を回すと、透真はゆかりを優しく抱きかかえた。額に口付けられ、そのまま布団の上に降ろされる。ゆかりの腰に手を遣りながら、透真はごく穏やかな笑みを浮かべた。

「嬉しい。俺もだ。俺もゆかりを迎える日をずっと待ち望んでいた」

「透真くん……」

 ふたりは暫くお互いを見つめ合った後、どちらからともなく唇を重ね合わせた。

「んっ……と、ま……くん」

「ゆかり。かわいい……」

 両頬に手を添えられ、何度も唇を啄まれる。ちゅ、ちゅと下唇を軽く吸われる感覚に、ゆかりは顔を真っ赤にしながらも口角を上げた。

 初めての口吻は拙くも優しい。頭を撫でられながら唇を優しく透真のもので挟まれると、胸にむずむずするような切なさが広がっていく。透真の綺麗な顔が間近にある緊張で、上手く息ができない。ゆかりがふうふうと荒く呼吸すると、透真は幸せそうな顔で笑い声を上げた。

「落ち着け。そういう時は鼻から息を吸うといいと聞いた」

「ふっ、ふぅっ……そ、そうなの……?」

「俺もお前に言えるほど経験豊富じゃないんだがな。はは……女の唇が、こんなに甘くて柔らかいとは知らなかった。これはくせになるな」

 男の黒い目が喜びに細められる。透真はゆかりの様子を窺いながら、彼女の唇をちろりと舐めた。くすぐったさにゆかりの肩が跳ね上がる。

「んっ……? んむ、んうぅっ……」

「はっ、ぁ……ゆかりっ、ゆかり……好きだ、ゆかり……」

 唇の隙間から男の舌がぬるりと腔内に入り込み、引っ込めた舌を横から掬い取られる。歯がぶつかってしまいそうな程に近く、そして舌を丸ごと飲み込まれてしまいそうなほど濃厚な口付け。透真に唾液をちゅうちゅうと啜られ、ゆかりはかっと顔が熱くなるのを感じた。

「んやっ!? と、まくんっ……まって、んっ、んむうう!」

「ん、はぁっ、ゆか、りぃ……! はっ、はは……お前の舌は美味いな……」

「ひ、ひあっ、ふうっ……ふあぁあっ 」

 敏感な上顎をそっと優しくなぞられる。歯をひとつひとつなぞるような丁寧で執拗な舌の動きに、ゆかりはひくひくと体を震わせた。ぴちゃり。ちゅく、ちゅくと粘度のある水音が口から聞こえ、それがゆかりの快楽をなお深いものにしていく。

「ん、んんんぅっ……は、やぁっ、んっ、んぅ……」

 好きだ、ゆかり。もっとしたい。
 時折囁かれる求愛の言葉が、ゆかりの体を昂らせていく。

 濃厚な口付けは続く。透真とこんなキスをしていると思うと、頭がぼうっとして全身が熱くなる。鼻にかかったような淫らな声を止めることができない。両頬に大きな手を添えられると共に、透真の唾液が次々に流れ込んでくる。ゆかりはゆっくり瞬きをし、透真に受け入れる姿勢を見せた。

 唾液を啜られるのも味わうのも恥ずかしいけれど、好きな人とキスをしていると思うと止められない。粘膜同士を柔らかく合わせながら口での交合に浸る。ゆかりは透真の後頭部にそっと手を回し、自身も積極的に舌を絡めた。

「ふああっ、ぁ……透真くん……」

「はっ、はあ……ゆ、かり……」

 銀の糸がふたりを繋ぐ。透真の唇についた唾液をゆかりが舐め取ると、彼は嬉しそうにゆかりを抱き締めた。

「ふっ、ふふ。私たち、なんだかすごいことしちゃったね」

 ゆかりが唇を拭いながらふにゃふにゃとした調子で笑うと、透真はやや悪戯っぽい笑みを溢した。

「俺たちはこれからもっとすごいことをするんだぞ」

 肩を持たれ優しく横たえられる。仰向けのゆかりにそっと伸し掛かり、透真は彼女の着物に手を掛けた。

 ゆかりの下着が露わになる。初めて目にする女の下着と白い肌に、透真は勢い良く顔を背けた。

「透真くん? どうしたの、そっぽ向いて……」

「何でもない」

「ふふっ……耳まで真っ赤だよ。刺激が強かった?」

 ゆかりは笑い、そっと上の布を取り去った。羞恥を堪えながら透真の顔を己の方に向かせる。

「ね、こっち見てよ。続きをしよう」

 透真の黒い瞳が、夕焼けの光を受けて妖しく輝く。前髪の奥から欲に潤む目を向け、彼はゆかりの首に顔を近づけた。

「いい匂いがする。ゆかり、お前は本当に愛らしいな」

 ゆかりの肌に、さらさらした透真の髪がかかる。首元に顔を埋めたまま深く呼吸する彼に、ゆかりは困惑の声を出した。

「あっ、あの。透真くん、そこで息されると恥ずかしっ……ひん!」

 首筋から耳をべろりと舐め上げられる。敏感な耳の穴に舌を挿し入れられ、ゆかりはびくりと全身を震わせた。

「……舐めたい。俺は舐めるのが好きなんだ」

「な、何言って……んんっ……」

 透真の舌使いはねちっこい。彼はゆかりの耳や首にしつこく舌を這わせたがった。肌のきめ細やかさを確かめるようにゆっくりと舌を動かし、甘さや塩気を味わうがごとくちろちろと舐め上げる。ゆかりの肌は美味だと褒めながら、透真は白い皮膚にそっと己の歯を沈めた。

「ん、くっ、んんっ!」

 痛みに似た快感が走る。ゆかりが透真の頭を撫でると、彼は微笑みながら彼女の全身に口付けを落とした。

 肩を齧られる。首を齧られる。腕を、腹を、そして腿を。
 肌に湿り気のある愛撫を施されながら、唇と歯で優しく所有痕を付けられていく。ゆかりは透真の動きに、夢の中で遭遇した巨頭の怪物を思い出した。

 あの魔物も、こんなことをした。
 自分の全身をべろべろと舐めあげて、肩や首を齧ってきた。

「とうま、くん……」

 あの夜に見た透真の影と、巨頭の怪物が重なっていく。
 ちりりとした違和感にゆかりが口を開こうとすると、透真はいきなり胸の先端に吸い付いてきた。

「ふあうっ!?」

 乳輪ごと口に含まれ、ちゅくちゅくと唾液をまぶされながら胸の頂きを吸われる。胸の膨らみを下から捏ねるように掬い取られ、ゆかりは羞恥と快楽に弱々しい声を上げた。

「ひ、ひ、ひぅっ……ん、とうま、くんっ……やあっ、そんなのだめ……!」

 両の手で乳房を揉み込まれる。芯に快楽を与えるような淫らな手の動きに、じわじわした快楽を感じてしまう。唾液に濡れた乳首を指の腹で擦られたり、爪で優しく引っ掻かれたりする。穏やかな快感と鋭い快感を交互に与えられて、ゆかりは唇から色のある吐息を漏らした。

「はっ、はああっ、ぁっ、ああんっ……」

 気持ちいい。両胸の先端から伝わる切ない刺激に生理的な涙が出てしまう。唇を半開きにしながら啜り泣くゆかりを見下ろし、透真は口角を上げた。

「ゆかり、目が潤んでいるぞ。気持ちよかったのか」

「はあっ、ぅ、うん……」

「そうか。俺の嫁御は素直で本当に愛らしい。もっともっと悦くしてやるからな」

 ゆかりの口の端からこぼれた唾液を舐め取り、透真は再びゆかりの胸に口付けた。自在に動く舌先で乳首を扱き、上下に舌を這わせて乳輪からその頭までを勢い良く弾く。

「ああっ、はあんっ! あっ、あぁっ、あ、だめぇ……」

 刺激され続けたゆかりの乳輪は充血してぷっくりと腫れ上がり、乳首は更なる快楽を乞うように固く隆起している。己の唾液に濡れたゆかりの胸を見て、透真は興奮入り混じる震えた笑い声を上げた。

「お前のここ、ぴくぴく震えている。俺に舐めしゃぶられるのが余程良かったんだな」

「はあぁんっ! ひっ、ひあっ、まって……! わたしのむねっ、なんか変だよおっ……」

 優しくもしつこい透真の責めに、性感がどんどんと高まっていくのが分かる。胸ではそれほど感じないと思っていたのに、透真に愛撫されると微弱な電流が走ったような快感が胸から全身へ広がっていく。体を震わせることしかできない。秘部からとろとろとしたものが次々に流れ落ち、下着をびっしょりと濡らしてしまう。 

「ぷ、はあっ……ゆかりのここはとても美味い。お前は胸の先が弱いんだな?」

「くっ、ふうっ……ん、んあっ、ぁ……」

「ふふ。俺に可愛がられて喘ぐお前は、本当に美しい」

 透真は胸から顔を離し、快楽の余韻に震えるゆかりを見下ろした。可愛い、大好きだ、愛している……。ありったけの愛のことばを紡ぎながら、ゆかりの唇にぴったりと己のものを重ね合わせる。甘やかなゆかりの唇を味わった後、透真は彼女の足を割り開いた。

「ぁ……ま、まって。あまり見ないで……」

 ゆかりは羞恥に呻いた。
 見なくても分かる、自分のあそこはぐっしょりと濡れていて、履いている下着はその意味を為さないほどに透けてしまっているだろう。ゆかりの懇願に構わず、透真は荒い息を吐きながら彼女の秘部に顔を近づけた。

 下着を取り払われる。ぬらぬらと光るゆかりの秘部に、透真はぴとりと指をくっつけた。

「濡れてる。こんな風にぬめるほど俺の手で感じてくれたのか」

「透真くん、そんな間近で見ないでっ! は、恥ずかしいから!」

「何を恥ずかしがる必要がある? これから俺たちは数えきれないくらいこういうことをするんだぞ。……ああ、奥から雫がとぷとぷと溢れてきた。俺に見られて昂ぶったのか?」

「う、うぅ……見ないでって言ったのに、い、じわるぅ……!」

 涙目になりながら顔を手で覆ったゆかりに、透真は短く謝り彼女の瑞々しい太ももを摩った。

「悪いなゆかり。お前が可愛くてつい意地悪したくなったんだ。大丈夫、怖いことはしないから。俺を信じて、そのまま身を委ねていてくれ」

「んっ!? んはあぁっ……」

 膣口を指でなぞり上げられる。秘部から伝わる刺激にゆかりはびくりと肩を震わせたが、その後すぐに強烈な快楽が彼女を襲った。

「あひいぃっ!?」

 突如、陰核に滑り気のある快感が襲いかかる。痺れるほどの快楽にゆかりは目を白黒させ、急いで透真を見た。

「ひゃああぁぁっ!? なっ、なにを……! んひぃっ、とうまくんっ! やっ、やだ! だめだめまって、そこは舐めちゃだめえぇっ!!」

 秘部を舐められている。ゆかりはその衝撃に顔を真っ赤にし、股に顔を埋める透真を必死に止めようとした。

 だが透真の舌の動きは止まらない。彼はゆかりが最も感じる部分――陰核を確かに捕らえ、胸に施した愛撫と同じようにしつこく舐めしゃぶってくる。

「あっ! あっあっ、ああああああぁぁ! こんなのっ、こ、こんなのぉ……!」
  
 陰唇ごと口に含まれ、腔内でころころと飴玉を舐め転がすように敏感な肉芽を可愛がられる。

 ひと舐めされる毎に小さな絶頂が押し寄せてきて、足が勝手にがくがくと震えてしまう。弱点を執拗にいたぶられる快感に、ゆかりは透真の頭に手を遣りながら喘ぎ泣いた。

「やあっ、いゃあっ、まってぇ! とうまくんってばぁっ! そこなめちゃだめなところなのっ、おかしくなっちゃうから……あっ、あ、ああぁ……」

「はあっ……ゆかり、ゆかりぃ……。だめなんて言わないでくれ。お前のここは本当に美味しいんだ。もっとこの雫を飲ませてくれよ」

「ひぐっ、んふぅっ! あっ、ああ……。ぐす……わ、私のあそこっ、熱いよお……!」

 いくらやめてと言っても透真は聞いてくれない。ゆかりの腿をがっちりと掴みながら秘部に吸い付く彼は、うっとりとした様子で愛液を舐め啜っている。

「あっそこだめ、さきっぽ吸ったらだめええっ! はひっ、ひ……ひあぁぁ……と、まくん……」

 堪らなかった。鋭い快感を得られる陰核の先端部に、ちゅ、ちゅっと口付けを落とされると体がひくひく跳ねてしまうし、裏筋を根元から上へねっとり舐め上げられると、落ちてしまいそうな快感に悲鳴を上げるしかなくなる。

 切羽詰まった嬌声が己の唇から溢れるのを他人事のように聞きながら、ゆかりは自分の秘部がぼうっと熱を持ったのを感じた。

 もう少しでやって来てしまう。甘く穏やかな絶頂とは違う、自分をばらばらにしてしまうほどの大きな波が……。

「ああぁぁっ、あ、あ、あっ、やだ、なんかきちゃう! やだあっ、とうまくん、舌止めてぇ!」

 ゆかりが一生懸命懇願すると、透真は薄暗い笑みを浮かべ、わざと赤い舌を見せつけてきた。

「愛しい俺の嫁御よ。思い切り気持ちよくなってしまおうな」

 陰核を唇で優しく挟まれ、ちろちろと素早く舌を動かされる。敏感になり切った先端を容赦なく虐められ、ゆかりはとうとう強烈な絶頂を迎えた。

「あああああぁぁぁぁんっ! あっ――あ、あああああああっ!!」

 ゆかりが切羽詰まった嬌声を上げても、透真はまだ秘部に舌をくっつけたままだった。絶頂最中の陰核の痙攣を愉しむようにぺとりと舌を這わせ、愛液をこぼす膣口を舐め穿つ。そのせいで二度三度、立て続けに絶頂に襲われてしまう。

 思い切り顎を仰け反らせ、ゆかりは全身を走り抜けた快楽の強さに啜り泣いた。

「あっ、あ……ひ……」

 体の震えが収まらない。透真の舌が動く度、腹の奥がきゅうきゅうと収縮して大量の愛液を垂れ流してしまう。どろりとした官能に肉体を支配される悦びに、ゆかりは蕩けきった微笑みを浮かべた。

 どろどろにぬかるんだゆかりの秘部に、透真はそっと中指を挿し入れた。女の肉は指を柔らかく迎え入れながらも、きゅうきゅうと締め付けてくる。

 膣を優しく掻き回されながらざらざらした天井を左右に擦られると、腹の奥に響くような深い快感が広がっていく。ゆかりは目を閉じ、甘く誘うような啼き声を漏らした。

「はあん……ああぁぁ……。とうまく、のゆび……きもちいい……」

 ゆかりは全身を脱力させ、もたらされる快楽を従順に得ようとした。

「なあ、ゆかり。俺の顔を見てくれないか」

 女の頬を伝う涙を拭い、透真は静かな声でゆかりに話しかけた。

 先程の熱に浮かされたような声音とは違う、悲しみを滲ませる声。その声に、ゆかりはゆっくりと目を開いた。

 気がつけば辺りはもう暗い。
 陽はすっかり沈んでしまったようだ。

 薄暗やみの中、透真の顔を見上げる。
 陰になってよく見えないその顔は、夢の中の怪物とよく重なった。

「お前に聞いてほしいことがあるんだ」

 ゆかりの体を愛撫しながら、透真は薄く微笑んだ。その笑みはどこか空っぽで、わざとらしいものに見える。

 透真は息を深く吸い込み、静かな声で語り始めた。

「ここは彼岸。この村の時は正しく流れない。村で過ごす一年ひととせは、森の向こうのたった一日だ」

「……透真くん、急にどうしたの……?」

「俺は生まれた時から、彼岸で孤独に生きることを運命づけられた存在だった。お前がいた此岸は、俺の……俺たちの存在を疎ましく思う者ばかり。昼に森を出れば肌が焼け、夜に出れば異形と呼ばれる。俺たちの居場所は外になく、故にこの村にいるしかない」

 ゆかりは首を傾げた。

 透真の言葉の意味は分からないが、目を伏せる彼の表情からは強い悲痛を感じる。

 彼の哀しみが楽になるなら耳を傾けたい。自分の顔を覗き込む透真の頬を摩りながら、ゆかりは続きを促した。

「翁像を見ただろう。あれは、俺の先祖だ。頭が大きいという理由で『鬼』と呼ばれ、忌々しい『小鬼』によって彼岸に追いやられた悲劇の御方だ」

「……鬼」

 障子の隙間から夜風が吹き込み、透真の黒髪をさらさらと揺らす。宵闇の中で柔らかく揺れるそれをどこかで見た気がして、ゆかりは懐かしさを覚えた。

「村の男はみな翁の血を引く。血が薄れたから夜しかことができないが、それでも俺たちは確かに鬼だ。此岸と相容れず、永遠の寂寞の中生きるしかない存在だ」

「此岸の呪いか、この村には決して女が生まれない。番う女が欲しいのなら、共に生きる女が欲しいのなら。村の外から攫ってくる必要があった」

 どくりと胸が跳ねる。
 透真に抱きかかえられながら、暗い森を歩んだ記憶が蘇る。

「俺には宿願があった。寄る辺なき彼岸の暮らしにおいて、心の支えとなる安息が欲しかった。愛し、愛されながら過ごしたかった」

 寂しさから逃れたい。
 空虚を埋めてくれる存在が欲しい。
 この異形を愛してくれる存在が欲しい。
 何も生まれぬ彼岸に、新たな生を生み出してみたい。

 これは、鬼の血を受け継ぐ者たちが先祖代々抱く渇望だ。

「俺は望みを叶えるために、鬼の力――幻術を使って先祖のように化けた。団扇で頭を大きく見せ、わざと奇妙な走り方をして。陽の光で肌が焼けるのも構わず、ただひたすら走る鉄かごを追いかけ続けた。ゆかり、お前を得るために」

「鉄かご、って……。もしかして車のこと?」

「鬼に化けた俺は、小鬼共を脅した。ゆかりを寄越さなければ全員殺してやると。そうして鉄かごから降ろされたお前を……力が強まる逢魔が時に迎えに行った」

 男の黒い目が潤む。

「村の男たちがかつてしたように。俺もまた、攫った女に幻術を施した。お前を帰さないために、記憶を曖昧にする術をかけたんだ」

「…………」

 ゆかりは呆然と透真の顔を見た。

 残暑。虫の音ひとつしない山道。彼岸花。不気味な看板。頭の大きな影に追いかけられたこと。

 全てを、はっきりと思い出す。

「どうして私を狙ったの?」

 男の涙を指で掬い取りながら、ゆかりは静かな声で訊ねた。

「ゆかりのことが好きだったからだ。一目惚れだった」

 吹き込む肌寒い夜風からゆかりを守るように、透真は彼女の体をすっぽりと抱き締めた。

「暇を持て余し、彼岸と此岸の際に出ていた時のことだった。道の端に止まった鉄かごから出てきた女に、俺は目を奪われたんだ」

 笑顔が可愛くて。
 ひとつ結びがよく似合っていて、うなじが綺麗で。

 小鬼を攫って番にするなんて悍ましいと思っていたのに、ゆかりを見た途端そんなことはどうでもよくなってしまった。

 愛らしい女。
 日向に咲く花のように明るく笑う女。

 可愛い。綺麗だ。
 一緒に過ごすならあんな女がいい。
 あの女を得られるなら、何をしたっていい。

 俺はたちまち、ゆかりへの恋に取り憑かれてしまった。

「ゆかりの姿を見てから、俺の生活は変わった。夜も昼も欠かさず山道に出て、お前を探し歩いた。だが俺がいくら会いたいと思っても、ゆかりは中々俺の前に姿を現さなかった。此岸と彼岸の時の流れは違う、俺はお前への恋心を膨らませながら……森の境で何十年も、何百年も彷徨った」

「またあの女に会いたい、少しでもいいから話をしたい。彼岸の者に宿命付けられた孤独、それから逃れたいと思っていた俺は、初恋の女をしつこくしつこく追いかけ続けた」

「諦めることなど到底できなかった、お前と一緒に村で暮らすこと、それは俺が縋り続けた願いだったから。やっとゆかりを見かけた時は、嬉しさで頭がおかしくなりそうだった!」

「しかしその時は陽の光が強すぎて、ゆかりの前に姿を現すことができなかった。小鬼の女に酷いことを言われ、泣きそうな顔をするお前をただ見送ることしかできず……。その時は、悔しさの余り狂ってしまいそうだった」

 透真は唇を強く噛み締めた。彼の黒い瞳にはどろどろとした欲望と、仄暗い愛情の色がはっきりと滲んでいる。

「執念の果てに、やっと会えた。やっと話せた。やっと触れ合えた。やっとその肌を味わうことができた! 俺がどれほどこの時を待ち望んだことか。この心の喜びがお前に分かるか? ゆかり……」

「ゆかり、俺はお前を愛している。お前が想像するよりもずっと深く、お前が俺に向けるものよりも遥かに熱く。俺はもう二度とお前を逃さない。永遠の嫁御にするつもりで、俺はお前を村に招いたのだから」

 ゆかりの背筋にぞくりとしたものが走る。

「ゆかり、愛しいゆかり。共にこの彼岸で生きようではないか」

 透真の言う事が本当ならば、彼は怖れ続けた巨頭の鬼で、自分を時の流れが違う世界に引きずり込もうとしている。

 怖ろしい話だ。怪異や化物というものが大嫌いな自分にとって、彼の話は信じたいものではない。

 しかし、ゆかりは目の前の男を拒絶しようとは考えていなかった。

(透真くんは、いつも私に優しかった)

 一緒に縁側で話したり、着物を選んでくれたり。そんな穏やかな生活が自分は大好きだった。

 孤独を抱えてきたのは自分も同じ。
 親も友達もおらず、苦しい思いをしながら生き抜いてきた。

 透真と過ごした日々は温かい。この温もりを失いたくない。

 自分は縁結びの儀をずっと楽しみに待っていたし、透真と触れ合えて心の底から嬉しいと思った。記憶を封じられていたとしても、透真と一緒になりたいと思うこの気持ちは本物だ。

「あのね、透真くん」

 想いを伝えようとしたゆかりは、膣に指を突き立てられ息を呑んだ。

「はっ、ひぃっ!?」

「これは未婚の男と女を結ぶ習わし――縁結びの儀だとお前に伝えたな。この儀には、もうひとつの呼び名があるんだ」

「やあっ、あっあっ……ぁ、とっ、透真くん! それだめっ、しげき強いよおっ!」

 指で秘部を掻き回しつつ、固く勃ち上がった陰核にくるくると愛液を塗り付ける。体を震わせ喘ぎ泣くゆかりを見下ろし、透真はゆっくりと言葉を紡いだ。

魂喚たまよびの儀。此岸の者の魂を、こちらに招くため行う儀式だ」

「あっ!? ぁ、ああああああぁぁぁぁっ!!」

 ゆかりの膣に透真のものがぐっと入り込んでくる。どろどろに濡れているせいで痛みは感じないが、狭路を大きなもので勢い良く拓かれる苦しさに、ゆかりは目を見開いた。

「はっ、はあ……。これが、ゆかりの……! あぁ……なんて軟らかくて温かいんだ、ゆかりっ、好きだ、ゆかり……」

「んっ! あっ、あぁっ! あぁぁ、あっ、あっ、あぁ……あ、ん、んあ、あっ……」

 陰核を擦られながら腰を打ち付けられると、淫らな声が勝手に溢れ出てしまう。陰核から得られる鋭い快感と、膣の奥から広がる鈍くも深い快楽が交互にやって来て全身の力が抜けていく。

 腹の奥から迫り上がってくる甘い快感に身悶えしながら、ゆかりは己を抱く男に弱々しい視線を送った。

 手を取られ、指に優しく歯を立てられる。手首から爪先までを丹念に舐めしゃぶり、透真は美しく微笑んだ。

「ゆかりは美味しい。もっと舐めて、噛んで、喰ってやりたい」

「あっ、透真くんっ……! と、まくんのっ、おなかの、奥まで来てるっ……」

「魂喚びの儀は、番を村に招いて一年経った夜に行う。こうして体を重ね合わせ、番に彼岸のにおいを纏わせる。そして体を噛み、此岸にある肉体を崩していく」

 透真に噛まれた場所が疼く。
 肩が、首が。腕が、腹が、そして腿が。

「女の生気を吸い――」

「んぐっ、んむぅうっ!? んむっ、あむっ……ん、ふうっ」

 布団に縫い付けられ、唇を強く押し付けられる。舌を好き勝手扱かれる息苦しさに透真を押し退けようとするが、彼はゆかりを押さえつけ、執拗な口付けを繰り返した。

「幾度も絶頂に追いやる」

「んはっ、あああっ! あっ、あっ、あああああああああっっ!!」

 穿たれ続けた秘部から深い絶頂感が押し寄せる。ゆかりは膣から大量の愛液を溢れさせ、真白い顎を勢い良く仰け反らせた。女の首筋に男の舌が這う。赤い花びらを刻みつけ、透真は絶頂の余韻に喘ぐゆかりの頭を撫でた。

「そうして、招いた女の肉体を殺しきる。向こうで女が弔われると、彼岸に骨が流れ着く。その骨を使って俺たちは像を作り、先祖に仲間が増えたと挨拶をするんだ。ああ、ゆかり。このまま朝が訪れたら、お前の魂は俺のものになる!」

 ゆかり、お前の骨と魂をくれ。
 俺の永遠の嫁御。お前のことを深く深く愛しているんだ。

 ずっとお前を、お前だけを追い求め続けてきた。

 どうか、どうか俺を受け入れてくれ……!

 切ない声でゆかりに縋った透真は、浮世離れした美しい顔を哀しみに歪めた。

「……化物や怪物を殊更に怖れるというお前だ。やはり鬼は、受け入れられないか」

 ぱき、ぱきと音を立てて男の体が変化していく。ゆかりが目を瞬くごとに透真の頭が大きくなっていき、それはやがて彼女の視界をすっかり覆い尽くした。

「透、真くん……」

 ゆかりが怖れた、巨頭の怪物がそこにいた。

 男の黒髪が、夜風に吹かれて不気味に揺れている。透真は竦むゆかりに向けてぬうっと首を伸ばした。

 闇夜の如き双眸が、月明かりを受けてきらきらと輝く。

「俺が怖いか」

 彼の声は震えている。
 相手に拒絶されることを、心の底から怖れているような様子だった。

 目を潤ませる男に、ゆかりはそっと手を伸ばした。

「怖くないよ」

 ゆかりは巨頭の怪物を真っ直ぐに見つめ微笑んだ。

「怖くない。あなたが優しいひとだって知ってるから、何も恐怖を感じない」

「ゆかり……」

「あなたは怪物じゃない。私の、私だけの透真くんのまま」

 ゆかりは男の大きな頬を撫でながら考えた。
 透真はなぜ、自分に真実を話したのだろうかと。

 事の真相を知った女が逃げないとは限らない。自分を確実にものにするならば、何も話さず儀式を終えても良かったはずだ。

(きっと透真くんは、私に対して少しでも誠実でいようとしたんだ)

 欲望のために自分を攫っておきながらも、何も知らせず妻に迎える罪悪感に押し潰されそうになったのだろう。

 許してくれと囁く男の頭を撫で、ゆかりは彼の耳に想いを注いだ。

 やっぱり優しいひとだ。
 結婚するならこんな人がいい。

 自分を好きになってくれる存在と一緒にいたい。
 強く愛してほしい。
 穏やかに、甘やかされながら暮らしたい。

 ずっとそう思ってきた。
 私を攫ったのならどうか、その願いを叶えて。

「透真くん、大好き。ずっと一緒にいよう」

 男の方に体を寄せる。
 透真の頭を腕いっぱいに抱き、ゆかりは彼と結ばれた幸福に笑みを浮かべた。



 *―*―*―*―*―*



「なぜあんな怖ろしい行動に出てしまったのか、自分でも分かりません。ただ、そうしなければあの怪物に殺されてしまう。そう思ったらとても怖くなって……。結局僕たちは、彼女をひとり置いていってしまった」

 登山サークルの部長だという男子学生は、震え混じりの声でそう言った。眼鏡をかけた彼は気弱そうだが穏やかな雰囲気を滲ませており、後輩を置き去りにするような人間には到底見えない。

「何度も通った山道でした。特に危険がないことは全員知っていた。でも今回は違った。車のミラーに、変な怪物がずっと映ってたんです。そいつは突然森から出てきて、いつまでもいつまでも後を追いかけてきた。……ゆかりには、ゆかりだけはそいつが見えなかったみたいですが。でも僕たちは確かにこの目で見たんですよ!」

 怪物が、と再び繰り返し、男子生徒は俯いてしまった。

「怪物……そう、あれは怪物だった。頭だけがおっきくて、腕を腰にぴったりくっつけながら、すごく気持ち悪い動きで走ってきて! そいつが……そいつがあの子を寄越さなければ全員殺すって言ってきたから!」

 ひとりの女子学生が、甲高い声で説明をした。

「だから降ろしたんです、仕方なかった! 変な化物がミラーにくっきり映り込んでいつまでも追いかけてきたら、誰だって怖いじゃないですか! た、確かにあたしはゆかりのことそんなに好きじゃなかったけど、何もあの子を殺そうと思って降ろしたんじゃない!」

 学生たちの泣き喚く声を聞きながら、僧侶はふうと溜息を吐いた。

 山の中にぽつんと建ったこの古寺に、数人の大学生が転がり込んで来たのは少し前のことだ。錯乱する彼らを落ち着かせ、いったいどうしたのかと訊けば、この山に同乗者を置き去りにしてしまったのだという。

 正気に戻り急いで警察に通報しようとしたが、電波は繋がらず、挙げ句道に迷ってしまった。暫く走り続けようやくこの寺を見つけたのだと、学生たちは必死な顔で助けを求めてきた。

「もう、夜だからね。厳しいかもしれないよ」

 僧侶は固い声で呟いた。

 彼は夜闇がもたらす寒暖差を心配した訳でも、人に害をなす獣や虫を怖れた訳でもない。僧侶は全く別の理由で、置き去りにされた女子学生の身を案じた。

 夜は鬼の時間。陽の下に生きる我々は、逢魔が時を過ぎてからは彼らに太刀打ちできない。
 ゆかりという学生は、「こちら側」に戻ってこられない可能性が高いだろう。

(間に合うといいがね)

 明かりだけを持ち、すぐさま寺を出る。
 山道を駆け上がる僧侶を、学生たちは戸惑いながらも追いかけた。

「あ、あの、お坊さん。一体どこへ?」

「ついて来てください。ゆかりさんのいる場所に心当たりがあります」

 歩く。歩く。静まり返った山道を歩く。樹々がざわめき、波のように揺れる……。

 僧侶は藍黒色の空を見上げながら口を開いた。

「この魔の山は、いい加減閉じるべきかもしれないね」

 僧侶の声が、夜闇の静寂に溶けていく。

「学生さん。これは、本当にあった話として聞いてくださいね」


 ……今から六百年ほど前のこと。 

 とある田舎村で、大きな大きな頭を持った男が生まれた。

 男はたいそう頭が良く、その知識は時の将軍にまで重宝されるものであったらしい。しかし男の異様な外見に怖れを抱いた人々は、男を迫害しこの山に追いやってしまいました。

 男は、自分を害した人間への恨みによって巨頭の鬼となった。男は人間を「小鬼」と蔑み、山に入った者を激しく攻撃した。

 夜な夜な山道を通った男を喰い殺し、気に入った女がいれば自分の住処に連れ去った。鬼が棲む森には哀れな旅人の骨が、まるで石像のように積み上げられていったという。

 鬼は攫った女に子を産ませた。
 鬼の子もまた、父親と同じ巨大な頭を持っていたらしい。

 子は親と同じことをした。男を喰い殺し、気に入った女がいれば連れ去った。鬼の一族は暴食と性交に耽り、段々と数を増やしていった……。

「そうして、ここが出来上がりました」

 上り坂を軽々と駆けた僧侶は、突然足を止め、暗い森を指さした。

 彼が指差す方向に、朽ちた看板が立っている。
 学生たちは目を凝らしてそれを見つめた。

『巨〓オ』

 風雨に削られたそれは正しく読むことができない。だがその看板を見ていると、背筋がぞわぞわと震えるような不快感が込み上げてくる。

 学生のひとりが訝しげに呟く。

「オ? オってなんだ?」

「オは、おそらく『村』だったのでしょうね。長い年月を経て文字の左部分だけが残り、こんな表記になってしまった」

 正しくは巨頭村。
 巨頭の鬼と、その子供たちが暮らす村。

「この看板は、こちら側とあちら側の境目。この森に、頭の大きな鬼の一族が棲んでいる……」

 僧侶は、明かりに照らされる看板をじっと見つめた。

「巨頭村には、男しか生まれなかった。個体を増やすために、あるいは己の慰みものにするために。鬼は女を攫ってあちら側へ連れて行く必要がありました」

 ……娘を鬼に連れ去られてしまった親の哀願がきっかけだったといいます。

 僕のご先祖様がね、力を振り絞ってなんとか鬼をこの森に封じ込めたらしい。

 巨頭の鬼たちは彼岸、つまり「あちら側」に追いやられ、陽が出ている間は決して「こちら側」の世界に干渉できなくなった。

 しかし先祖には、鬼を封じることはできても、鬼を滅するまでの力はなかった。巨頭村は鬼に残された唯一の安息の地となり、現代まで密やかに続くこととなりました。

 僕の一族は、この地で鬼が悪さをしないか監視し続けてきたのです。

「僕の代で不審な死に方をする者はいなかった。小鬼に対する憎しみもとうとう薄れてきたか、そう思っていた矢先の出来事でした」

「鬼というものは、とにかく陽の光を怖れる。闇の中に生きる彼らにとって、陽の光は自らの力を奪う毒だからです」

 太陽が出ている間、鬼たちは旅人に幻を見せることはできても、直接手を出すまでの力はない。

 だから、この辺りには言い伝えがあるんです。

 昼は人の刻。
 巨頭の鬼を見かけても、決して彼らの言葉に耳を貸さずそのまま逃げること。

 夜は鬼の刻。
 我々は彼らに敵わない。逢魔が時を過ぎたら山に入ってはならないこと……。

「……そ、それじゃ、車のミラーに映ったのは」

「ええ。この森に棲む鬼でしょう。君たちはゆかりさんを狙った鬼に唆されてしまったのです」

 その言葉に、学生たちの顔色が変わる。


 ゆかりさんはおそらく、この先にいる――。


 僧侶は深く息を吸い、暗い暗い森に分け入った。


 肌寒い夜風に運ばれて、鉄の臭いがこちらに漂ってくる。甘く酸い、噎せ返るような血の臭い。本能的恐怖を刺激する濃厚な臭気に、各々はざっと顔を強張らせた。

 木々の開けた中に、赤い彼岸花が咲いている。それは僧侶が持つ明かりや、学生たちのライトに照らされてぬらりと光った。

 ……捜しものは、すぐに見つかった。

 彼岸花が咲くその先に。
 べっとりと濡れた木々の中心に。

 横たわる白い肉が、傷口からとくとくと血を流し続けている。それは木の根や彼岸花を夥しく濡らし、辺りに不快な湿気を放っていた。

 血。血。血。赤く酷く、血のみちが敷かれている。

 死体の損傷は激しい。肩が、首が。腕が、腹が、そして腿が。何かに齧られたように肉が抉れている。顔が無事でなければ、ゆかりと断じることも難しかっただろう。

 ああ、やはり連れて行かれてしまったか。

 学生たちは悲鳴を上げて逃げ出したが、僧侶は血溜まりの傍でただひとり、鬼に喰われたゆかりの運命を思った。

 人間を狙う、巨頭の怪物の話。
 それは都市伝説として語られることはあっても、その話を真実だと見做す者はごく少ない。鬼は、滅多に姿を現さないからだ。

 僧侶の奇妙な話を信じる者もまたおらず。
 ひとりの女子大生の死は、森の獣による食害に遭ったのだと片付けられてしまった。


 此岸でゆかりが弔われると共に、巨頭村の夜が明ける。
 彼岸の向こうにある村にも、柔らかな陽の光が降り注ぐ。

 青空の下。
 老爺像の傍らに、女の小鬼像がひとつ加わった。
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