ヤンデレトナカイと落ちこぼれサンタクロースの十二月二十四日

橙乃紅瑚

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第十話

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 ニコルが遂に贈り物を届けた。
 その報せは聖夜明けのユッカ村を駆け巡り、他のサンタクロースたちを大層驚かせた。

 ニコルの間抜けさは有名だ。彼女は獣人に世話をしてもらわなければ、日々の生活を送るのにも苦労する。村人たちの間には「ニコルが何もできないのは当たり前」という共通認識があり、どうせ彼女は今年も贈り物を届けられないだろうと、誰しもが思っていた。

 あのニコルが本当に?
「ドジのニコル」が贈り物を届けたなんて信じられない。

 一部の住民はそう疑い、ニコルとレインに対する悪意を露わにした。

 ニコルは何一つまともにこなせない落ちこぼれ、おまけに悪しき魔女の使いをトナカイと呼んで従えている。そんなニコルが仕事をやり遂げただなんて、あいつ自身が吐いた嘘ではないだろうか? 三年目もプレゼントを届けられなかった自分が恥ずかしくて、わざとこんな噂を流したんだろう。

 あいつは聖人にふさわしくない。ニコルの嘘を暴き、恥をかかせてやる。鼻息荒く村の入口へと出向いた住民は、広場の大木に集まったライチョウの群れを見て報せが真実だと知るのだった。

 聖人は決して嘘を吐けない。聖人の行いは、天使のような羽を持つライチョウが全て見届けているからだ。鳥たちは集まった住民の前で翼を広げ、清らかな声で囀った。

 ニコルは確かにひとりの子を笑顔にした。
 己の従者と共に、子供の願いを完璧な形で叶えてみせたのだ!

 サンタクロースのポストの上で、鳥たちがくるくると輪を形作る。真っ白なライチョウが届けた喜びの報せは、ニコルが聖人の務めをやり遂げたことの証左だった。

 住民の反応は様々だった。初めての成功に沸き立つ者、安堵する者、そして苦々しく顔を歪める者。彼らはやっと一人前のサンタクロースになったニコルにひとこと言ってやろうと、そわそわした様子で彼女の帰還を待った。

 大木の下に鎮座する老父像だけが、落ち着いた微笑みを湛えていた。


 *ー*ー*ー*ー*ー*


 静かな真夜中。

 満身創痍のサンタクロースとトナカイが、白銀の地を重々しく踏みしめる。ふたりは前方に見えた明かりに胸を撫で下ろし、手を繋ぎながらふらふらと前に進んだ。

「うぇぇ……。限界……吐きそう……」

「頑張ってニコ、僕たちの家までっ、あと少しだよ……!」

「分かってるけど、疲れちゃって全然歩けないのよぉ……あ、もうだめかも」

 雪に足を取られたニコルがぱたりと前に倒れ込む。そのまま起き上がろうとしない彼女を慌てて抱き起こし、レインは一生懸命励ました。

「ニコ、起きて! こんなところで寝たら死んじゃうよ。家に着いたらジャムパイをたくさん作ってあげるからさ、ほら頑張って!」

 ニコルの頬がふわふわした手に摩られる。ぬいぐるみのようなレインの手に心地よさを感じ、彼女は目を閉じたままふにゃりと笑った。

「あ……。ねえレイン、空がとっても綺麗だわ……!」

 緩やかに目を開けたニコルは、視界に飛び込んできた光景に胸が跳ねるのを感じた。
 
 黒いキャンバスには満天の星。金剛石のように眩い星の海が、ニコルの頭上で綺羅びやかに瞬いている。優しい光を宿すレインの黄と青の瞳が、美しい空により一層の彩りを加えていた。

 清澄な空気がくっきりと星を映し出す。
 空の神秘に、感嘆の息がこぼれる。

「なんて素敵なの……。クリスマスツリーの飾りに負けないくらいぴかぴかしているわ」

 なぜだろう。冬の空なんて今まで何度も見てきたはずなのに、なぜだか今夜の空はとても綺麗に見える。
 
 ふと、屋根に登って夜空を眺めた時のことを思い出す。祖父とレインと自分、三人で寄り添いながら、オーロラを見ることが好きだった。

 そうだ。私はずっと、この冬の空を見るのが好きだった。どの季節よりも夜空が綺麗だから、私は冬が好きだったんだ。

 ――僕はまた、君に冬を好きになってほしい。

 胸が温かい。
 ニコルはレインにありがとうと囁き、差し出された彼の手を取った。
 
(ありがとう、レイン。もう一度冬を好きにさせてくれて、本当にありがとう)


 *

 
 異国の名産であるレモンをたんまりと買い込んだ後、ニコルとレインはそのままユッカ村に帰ることを選んだ。聖夜に味わった興奮が肉体の疲労を殆ど感じさせなかったのだ。

 海を越え、山を越え。旅の思い出を楽しく語り合いながら空を駆ける。レインはやっとご褒美を貰えると大喜びし、流れ星のように速いスピードでユッカ村を目指した。

 レインがこんなに速く駆けてくれるなら、すぐユッカ村に着いてしまうかもしれない。そう考えていたニコルだったが、村に近づく頃になって突如がくりと速度が落ちた。

「あ、あれ? レイン、どうしたの!?」

「……ごめん、急に目眩がしてきた」

 空を駆けていたレインはがっくりと項垂れ、そのままふらふらと雪山に着地した。ぼんと音を立てて彼の下半身が二足に変わる。力なく目を閉じるレインはもう駆ける体力がないようで、荒い息を吐きながら木にもたれ掛かった。

「レイン、大丈夫!?」

「……大丈夫だって言いたいけど、さすがの僕も疲れたみたい……」

「そ、そうよね。レイン、今まで凄く頑張ってくれたもんね」

「クソ、あと少しなのに! 早く帰って君を抱きたいのに、脚が痙攣して動かないんだ! ああもう、滾って僕のあそこが爆発しそうなのにっ、この役立たずの脚のせいで!」

 大声を上げながら自分の脚を捻るレインを止め、ニコルは彼の頭を撫でた。

「落ち着いて、そんな焦らなくても私は逃げないよ! ほら、立てる?」

「う、ぐぅ……。ごめんねニコ……。僕はトナカイらしく、サンタクロースを乗せなくちゃいけないのに……」

「たまにはサンタクロースがトナカイを運んだっていいでしょ? ユッカ村いちばんの賢くて格好いいトナカイさん、しっかり私の手を掴んでいてね」

 何度も目元を擦るレインはとても眠たそうで、今にも倒れてしまいそうな顔をしている。彼の手を握るニコルもまた、毛布のように柔らかいレインの体毛に誘われて大欠伸をした。

(大変。私も今頃になって眠くなってきた)

 ふたりとも雪山で寝てしまうのはまずい。ニコルはレインの手を引きながら下山し、徒歩でユッカ村に帰ることにしたのだった。


 *


 そして今。
 ようやく到着したユッカ村の景色を見て、ニコルは深く息を吐いた。

「……何だかとっても懐かしい感じ。村を出てから一月も経ってないのに」

「僕もそう思うよ。あの冒険の後だと、特にね」

 粉雪の中で淡く光るランプ、道沿いに置かれたいくつもの雪だるま。星を模したオーナメントに飾り付けられたトウヒのツリー。澄んだベルの音と鼻をくすぐるスパイスワインの香りが、寒風に乗って運ばれてくる。わくわくするような空気を胸いっぱいに吸い込んで、ニコルはふわりと口角を上げた。

 綺麗だ。
 全てが心地よく、自分を歓迎してくれているように思える。

 今までは努めを果たせなかった情けなさで、仕事帰りにこの景色を真っ直ぐ見ることができなかった。けれど、今回は違う。たったひとりだけでも自分は子供を笑顔にしてみせたのだ。

 目をきらきらと輝かせるニコルを見遣り、レインは穏やかな声を掛けた。

「いい景色だね、ニコ」

「うん、うん……。ユッカ村って、こんなに美しかったのね」

 私はサンタクロースだ。私たちはやり遂げてみせた。
 ようやく、この道を堂々と歩いていける。

 ニコルは胸を張りながら、大通りをレインと共に歩んだ。


 *


 祖父の像に挨拶をしようと広場に寄ったふたりは、大勢の住民に取り囲まれた。

 もう真夜中だというのに誰一人として眠そうな顔をしていない。赤らんだ顔をした住民たちは、どうやら年替わりに向けて祝杯をあげていたようだ。ほんのりと刺激的なスパイスワインの香りが、ニコルの鼻を擽った。

「ニコ! よお、やるじゃねえか。お前の爺さんも喜ぶよ!」

「良かったねえニコルちゃん、とうとうやったのねえ……」

 サンタクロースの赤外套を羽織った住民たちが、拍手をしながらニコルに声を掛けてくる。彼らの紅潮した顔は、ニコルが初めて仕事をやり遂げた嬉しさと興奮を伝えてくるようだ。ニコルはひとりひとりと握手をしながら「レインが頑張ってくれたお陰なの」と照れ笑いをした。

 はにかむニコルと、それを嬉しそうに見つめるレインに、突如冷たい声が飛んでくる。

「調子に乗るなよ、ドジのニコル。たったひとりにプレゼントを届けたくらいで威張りやがって。お前は何にも偉くねえ」

 敵意剥き出しのその声に、ニコルはざっと顔を強張らせた。
 
 自分を取り囲む住民たちから一歩引いたところに、にやにやと笑う男の集団がある。幼い頃からニコルを蔑み、そして今も陰口を叩いてくる者たちだ。

(……この人たち、確かリザの下僕だったはず)

 悪意に塗れた男の視線に本能的な警鐘が鳴る。彼らは俯くニコルをなお苛もうと近づいてきた。

「なあ、いったいどんな手を使ったんだ? お前ひとりじゃなんにも出来ねえだろ? ああ。トナカイもどきに股を開いて上手くやったのか! お前らずっと仲良かったもんな? 尻軽ニコル、お前は聖人じゃなくて淫乱――」

 聞くに堪えないその言葉が途切れる。
 風を切る音と共に、暴言を吐く男の体が勢いよく吹っ飛んだ。

「おい。いい加減にしろ」

 低い声がびりびりと空気を震わせる。毛を逆立てたレインは、拳を握りながら男の集団を睨みつけた。返り血を纏う獣人にあちこちから悲鳴が上がる。ニコルを嘲笑っていた男たちは、怖ろしい獣人の威嚇にたちまち顔を青褪めさせた。

「虫どもめ、どうしてニコのことを悪く言う? ニコの気を引きたい、獣人の僕が気に入らない、あるいはニコを虐めた人間の取り巻きだとか……? まあ、理由なんてどうでもいい。とにかくその汚い口を閉じろ」

 後ずさる男たちに屈強な獣人が一歩一歩近づく。太い腕を見せつけるように手の骨を動かし、かちかちと歯を鳴らす。ニコルはレインの激昂に怯えながらも、彼を止めようと大きな背に抱きついた。
 
「いいか、よく覚えておけ。ニコはご主人様でもあるけれど、大切な花嫁でもあるんだ! 愛する番をこれ以上傷つけてみろ、全員地の底に叩き落としてやる!」

 花嫁。その言葉にどよめきが起きる。
 ニコルはとうとうあの獣人に食われてしまったのか……。ひそひそと話をする村人たちに見せつけるように、レインは愛しい少女をすっぽり包みこんだ。

「僕たちの邪魔をするなよ。邪魔する奴がいたら未来永劫この村を呪ってやる。今までは我慢してやったけど、ニコはもう僕のものだ。容赦はしない」

 ニコルの顔を己の胸毛に埋めさせ、レインはおどろおどろしい声で言い放った。

「人間如きが、獣人を舐めるな。あまりにも調子に乗るならその服を真っ赤に染めてやるからな……」

「わっ、ちょ、ちょっと! レイン!?」

 少女の体が軽々と持ち上げられる。
 言葉を失う村人を残し、レインはニコルを姫抱きにしてその場を去った。


 *


 玄関に何重も鍵を掛け、隙間なくカーテンを閉め切る。誰もやって来れないように厳重な戸締まりをした後、レインはごろりとベッドに寝転がった。薄汚れた服を脱ぎ捨て、ニコルも彼の隣に寝転がる。暗闇の中できらきら光るレインの目を見つめながら、ニコルは優しい声で話しかけた。

「やっとお家に帰ってこれたね、レイン」

「うん。こうやって横になるとほっとする。僕たちの旅がようやく終わったんだ」

 少女と獣人が共に体を休めるための、大きくて頑丈なベッド。分厚い敷布からニコルのにおいがふわりと漂ってくる。レインは目を細め、心満たされるようなそのにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。

「ああ、だめだ。君からご褒美を貰うために頑張ってきたのに、全然体が動かない」

「……レイン」

「お風呂に入って体を綺麗にしなくちゃいけないのに。ニコが寒い思いをしないように、僕の毛を抜いて新しい毛布を作らなくちゃいけないのに。最高の初夜を迎えるための準備をしなくちゃいけないんだ。なのに……情けない。疲れ切って、もう……」

 レインの目が潤む。彼は隣で寝転がる少女に腕を伸ばし、ぎゅうと抱きしめた。己のにおいを擦り付けるように体を寄せ、少女の肩に鼻先をくっつける。レインはニコルの頬を舐めながら、彼女の華奢な腰に太い腕を回した。

「ニコ、逃げないで。今夜はずっと僕の傍にいて」

 縋るような力強い抱擁を受ける。ニコルは頷き、男の口吻マズルにキスを落とした。

「うん。ずっとレインの傍にいるよ」

「何もできなくてごめんね」

「ううん、これ以上何もしなくていい。レインさえいてくれたらそれで充分」

 薄汚れ、脂ぎった毛並みに黒ずむ目元。彼は子供にプレゼントを届けたいという自分の願いを叶えるため、身を削って頑張ってくれた。

「レインが無事で本当に良かった。ありがとうレイン。私を助けてくれて、守ってくれてありがとう」

 男を殴り飛ばしたレインの手は、ところどころ毛が剥げてしまっている。痛かったでしょうと言いながら己の手を摩るニコルに、レインは痛くないよと返した。

「あなたが元気になったらたくさんご褒美をあげる、だから……」

 おやすみなさい。
 今まで頑張ってくれた分、たくさん休んで。
 
 ニコルの言葉に、レインは安堵の微笑みを溢した。

「おやすみ、ニコ」

 長いライトブラウンの髪を撫で梳く。
 すると、すぐに穏やかな寝息が聞こえ始めた。

 呼吸と共に動く獣耳が可愛らしい。ぼっきりと折れてしまった枝角を見つめながら、ニコルはまた立派な角が生え揃うようにと願った。
 
(愛するあなたに、花嫁って言ってもらえてすごく嬉しかった)

 愛しい男の体温。もっふりふかふかとした体毛に、ニコルの気も和らいでいぐ。レインの大きな体に包まれながら、ニコルは蕩けるような眠気に身を任せた。 
 

 *ー*ー*ー*ー*ー*


 それからふたりは、丸三日間ゆっくりと過ごした。
 
 昼も夜も泥のように眠り続けたレインは、三日の休養を経てすっかり元気を取り戻している。折れた角は早くも生え変わり始め、平たい獣耳の近くには新しい角がちょこんと突き出ていた。
 
 爽やかな陽射しが美しい朝。ライトブラウンの髪と白い胸毛を手櫛でもっふりと整え、レインは蕩けた目でニコルを求めた。

「ニコ。そろそろご褒美ちょうだい」

「れ、レイン……」

 恥ずかしがるニコルをベッドに縫い留めながら、レインは色気のある声を彼女の耳に注いだ。

「僕の準備は万端だよ。君が欲しくて欲しくて堪らない。ニコの全てを食べたい」

 ニコルの手首が、もこもこしたレインの手に優しく掴まれる。柔らかくも男らしい力強さを感じさせる束縛に、ニコルは胸がばくばくと跳ねるのを感じた。

「ニコ。僕のニコル。ちゅーしようよ、ちゅー……」
 
 ひくひくと震える口吻マズルがゆっくり近づいてくる。長い舌が自分の唇にくっついてしまう前に、ニコルは勢い良く顔を背けた。

「ニコ? ……ねえ、ニコってば」

 レインが気に入らない様子でふんと鼻を鳴らす。呻くニコルの頬をつつき、彼は一生懸命自分の方を向かせようとした。

「逃げないでよニコ! 僕の目を見て!」

「ご、ごめんなさい。でも恥ずかしいのよ」

「恥ずかしいことなんてないでしょ、ここには僕たちふたりしかいないんだから。さあ、綺麗な紅色の目を見せて。愛してるよ僕の花嫁。今日もたくさんキスしようね」

 逞しい体を擦り付けられ、耳をねっとりと舐められる。一切の遠慮なく迫ってくるレインにニコルはたじろぎ、胸を落ち着かせるために深呼吸をした。

(うう、レインってばすっごく格好いい。格好良すぎて直視できない)

 熱を宿した色違いの双眼に、男らしい獣の貌。朝日に照らされるレインの姿は神々しさを感じるほどに美しい。白いシャツに隠された体躯がどれほど素晴らしいのかも知っている。大好きなレインからこんな熱烈な求愛を受けては蕩けてしまいそうだ。

(レインと夫婦になるだなんて。旅に出る前は、レインとこんな関係になるだなんて思いもしなかった)

 リザとの賭けがなければ、鈍感な自分はこの恋心に気が付くことも、レインの告白を受けることも、彼とキスすることもなかったのだろうか。
 
 そう思うと途端に怖くなってしまう。

 レインに食べてもらいたい。
 もう不安にならないくらい、強く、優しく。

 ニコルは勇気を出し、大きな口の先端に自らの唇をくっつけた。レインの目が見開かれた後、嬉しそうに細められる。急いた様子で唇を舐めてくる男を止め、ニコルは真っ赤な顔ではにかんだ。

「少し待っててね。お風呂に入ってくる」
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