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第八話
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夜明けの訪れと共に、ふたりはすぐさま目的地へ向かった。子供が住む国――ここから南にある異国へ。
聖夜の訪れまであと数日。普通ならばもう間に合わないと諦めるところだが、ニコルの胸には希望があった。
「ニコっ! このまま突っ切るよ、しっかり僕に捕まってて!」
勇ましい声かけと共に、レインが断崖から海へ勢いよく飛び降りる。叫び声を上げるニコルの手をしっかりと握り、彼は安定した姿勢で水面に着地した。
水飛沫を上げるレインの後を、白い海鳥が鳴き声を上げながらついていく。海原にひとすじの軌跡を描き、彼は嬉しそうに笑った。
レインはかつてないほど上機嫌だった。ライトブラウンの艶やかな体毛はもっふりもふもふと膨よかになびき、胸には幸せが満ち溢れ、頭の中はニコルにお願い事を聞いてもらうことでいっぱいだ。彼はこれまでにないスピードで駆け、一直線に目的地を目指していた。
どこまでも広がる青い空と雄大な海。
北方の冷たい風に吹かれて、赤い聖人服がぱたぱたと音を立てる。
「すごい。海の上を走ってるよ……!」
ニコルは感嘆した。
切り裂かれた水面から波の花が散る。間近で嗅ぐ強烈な潮のにおいが、ニコルの胸をときめかせる。この海を超えた先は、踏み出したことのない未知の地。仕事をやり遂げなければならない重圧と冒険への期待に、彼女はこくりと唾を飲み込んだ。
(レインってば本気だ。今まで見た数倍……いや数十倍は速い! レインってこんなに凄かったの!?)
レインの体力は凄まじい。ユッカ村近辺に棲むトナカイたちよりも遥かに速く、長く駆けることができる。山を踏み越え、深雪の上も軽々と走ってみせる強靭な脚。善行が本能的に気に食わないレインは滅多に己の力を振るうことをしなかったが、ニコルを抱くという欲望に取り憑かれた今の彼は、全力で役目を果たそうとするのだった。
「すごいねレイン! あなたって水の上も走れたのね!」
「ふふっ、僕も自分が海を走れるなんて初めて知ったよ。本気を出せば僕はどこでも走れるのかもしれないね!」
ニコルの手が温もりに包み込まれる。
レインは少女の手を摩りながら、申し訳無さそうな声を出した。
「反省したんだ。君は可愛いから、あちこち出かけた先で厄介な虫に目を付けられたら堪ったもんじゃない、だからサンタクロースの仕事なんかしなくてもいいじゃないかってどこかで思ってた。でも、あんな風になるまで追い詰められてしまったのなら……僕は心を入れ替えて頑張らなくちゃいけない」
「レイン……」
「絶対にやり遂げるぞ。子供にプレゼントを届けて、ユッカ村に堂々と凱旋するんだ。村の奴らにも、リザっていう女にも目に物見せてやる。僕たちは最高のパートナーで、決してお互いの傍から離れることはないんだって! 大好きなニコからご褒美を貰うためなら、どんな苦難だって乗り越えてみせる!」
高らかな宣言に顔が熱くなる。頬を真っ赤にしたニコルは言葉を失ったが、甘えるようにレインの背にぽふりと顔を埋めた。密度が高い体毛に覆われたレインの背中は、シャツ越しでも分かるほどにふかふかもこもこ柔らかい。ニコルが後ろから男の胸元に手を差し込むと、レインはくすぐったそうに笑った。
「僕の胸毛、気持ちいい?」
「うん、気持ちいい。温かくてふわふわしていて、いつ触っても毛布みたいに手触りがいいわ。早くここに顔をくっつけたいな。暖かい家の中で。私たちのベッドの上で……」
恥ずかしそうにぽつぽつと呟くニコルに、レインは歓喜の呻き声を上げ、なお脚を速く動かした。
「その時は僕の毛で包み込んであげるね。はだかんぼのニコが、寒い思いをすることがないように」
スピードがまた上がる。粉雪を含んだ潮風がふたりの傍を通り抜けていく。数多の海鳥を追い抜く疾走に、ニコルは目をきらきらさせながら微笑んだ。
これなら。
こんなにレインが頑張ってくれるなら、絶対に大丈夫だ。
「ありがとう、レイン。私を支えてくれて本当にありがとう……!」
途中でどんなことがあっても、レインがいれば最後は絶対に上手くいく。
レインとなら、どこまでも行ける気がする。
何度もありがとうと呟く少女の手を摩り、レインはくすくすと笑った。
「お礼を言いたいのは僕の方だよ、ニコ。獣人の呪いは祝福かもしれないって言ってくれたことがすっごく嬉しかったんだ! 僕は悪しき魔女の使いだけど、君のためなら限界を超えて頑張れる。ニコは落ちこぼれなんかじゃない。子供を笑顔にできる立派な聖人なんだって、僕が証明してみせるよ」
嬉しそうな男の声が風に溶けていく。ニコルはレインの優しさに目を閉じ、満面の笑みを浮かべた。
*
レインは疲れを見せなかった。陽が沈み、満天の星が夜空を彩っても、彼はニコルを背に乗せたまま駆け続けた。ニコルは休もうと何度も声を掛けたが、片角のトナカイは決して止まることがない。主に寝てていいよと返し、目をぎらつかせながら暗闇の中を突き進んだ。
「ニコ、ニコっ、僕の愛しいサンタクロース。もうすぐで君を抱ける。十数年愛し続けてきた女の子と、やっと番うことができるんだ! ああ、嬉しすぎて鼻息が止まらないよ。初夜の前にはまず、僕の毛を抜いてもっとふかふかの毛布を仕立てておかなくちゃいけない。他には何が必要だろう? ワイン? ジャムパイ? 一生に一度きりの初夜なんだ、しっかり準備しておかないと」
「レイン、もう休みましょう! 夜も走りっぱなしだなんてあなたが死んじゃうわ!」
「もう少し走らせて、お願い。君に触れる想像をすると居ても立っても居られなくておかしくなりそうなんだ! はあっ、ニコのおしりが背中にくっついてる。すべすべつやつやのニコのおしり。村に帰ったらたくさん撫で回したいな」
「……レインのへんたい。そんなことしたら、あなたのお尻も撫で回してやるからね」
ニコルがくいっとレインの髪を引っ張ると、彼は嬉しそうに身動いだ。
「ふふっ、ニコが照れてる。今の君はりんごみたいに顔が赤くて、とっても可愛いんだろうなあ。はあ、顔の後ろにも目が付いていたら良かったのに。そうしたらこうして走ってる間もずっとニコを見ていられる。どうして魔女は獣人の目を増やしてくれなかったんだろう? 僕は片時もニコから目を離したくないのにさ……」
色違いの双眼が夜闇の中できらきらと輝いている。こちらの様子を気遣いながらも真っ直ぐに前を向き続けるレインに、ニコルは何かできることはないかと訊ねた。
「僕のために何かしてくれるの? それならさ、キスしながら愛してるって囁いて。ニコにそう言ってもらえたら、僕はあっという間に元気になれるんだ」
「そっ、そんなことでいいの?」
「最高の励ましだよ! 僕のことをどんなに好きか伝えてくれるなら、僕は一晩中駆けることもできるよ」
平たい獣耳が興奮を伝えるようにぴくぴくと動く。レインのもこもこした背を撫でながら、ニコルは彼のことがどんなに好きか夜通し伝えてやるのだった。
レインは止まらない。脚が痙攣しても、ニコルからのご褒美を想像すると疲れが霧散する。男は込み上げる欲望のまま走り、十秒に一度主に愛の言葉を要求した。
レインが脚を動かす度にもふん、もふんと柔らかく背が跳ねる。北国のスピードスターと讃えられた祖父よりも、遥かに速く雪原を奔る。陽が昇って、また沈んで。数多の山を越え、氷の道を凄まじい速度で突っ走って……。
そしてとうとう、十二月二十四日がやってきた。
多くの者が待ち望んだ祝祭日が。
ユッカ村の聖人の務め。それは二十四日の日没から、日付が変わるまでの間にプレゼントを届けること。寝ている子供を起こさないようにこっそりと煙突から忍び込み、用意された靴下の中に贈り物を入れなくてはいけない。
今夜が本番だ。
失敗は許されない、何としても目的を果たさなくては。
緊張感の中、ニコルは仕事を完遂するための手順を頭の中で反芻した。
*
二十四日の昼頃。
長旅の末、ふたりはやっと子供が住む国に辿り着いた。
海に突き出た長靴型の半島は、ニコルが住む北国とはまた異なった雄大な景色を湛えている。立ち並ぶ連峰に花咲く丘陵。燦々と降り注ぐ陽の光、整然と連なるカラフルな外壁。レインが駆ける度に景色は次々と移り変わり、そしてそのいずれもが絵画のように美しい。
初めて踏み込んだ異国の地は開放的で、どこかゆったりとした雰囲気を帯びている。見慣れぬ光景にレインも思わず速度を落とし、きょろきょろと辺りを見渡した。
「ここは何だか暖かいね。空気のにおいが違うよ」
レインがきゅっと鼻をひくつかせる。
高く澄み渡る青空を見上げながら、ニコルはこくりと頷いた。
この国は、いくつかの島々が連なって構成されている。半島の南に位置する一際大きな離島――そこに子供が暮らす村はあった。目的の国に辿り着けたからといって、まだ油断はできない。高い峰々と海を超えなければ、その離島には行けないのだから。
「ねえ、待って。あなた限界でしょ? 一旦ここで休もうよ」
ニコルはレインの背から降り、彼の顔を覗き込んだ。
男の疲労は色濃い。黄と青の瞳は血走り、目元には隈のような黒ずみがくっきりと浮き出ている。屈強な獣人とはいえ、三日間走り通しは辛いに決まっている……。
自分を心配そうな顔で見つめる少女に、レインは力強い笑顔を向けた。
「僕は余裕だよ。ようやくここまで来たんだ、このまま休まずに向かおう!」
「で、でも……」
「心配しないでニコ。気遣ってくれるのは嬉しいけど、休んでる時間は少しもないんだ。ね、この仕事が終わったらたっぷり休むからさ」
かつてニコルが鉱山の前で吐いた言葉を、レインは同じように繰り返した。
「さあ、行こう。子供がいる離島はレモンが有名らしいよ。袋いっぱいに買って、あとで美味しいレモンパイを焼こうか!」
眉を下げるニコルの手を引き、レインは大口を開けて笑った。白い歯をわざと見せるような笑い方に気遣いと優しさを感じて。ニコルは彼をぎゅっと抱き締め、この仕事が終わったら何でも好きなようにさせてあげようと決めるのだった。
「ふふっ。ユッカ村に帰ったら、大好きなご主人様に思う存分よしよししてもらいたいな。ご褒美のためならこの脚が削れたって惜しくはないよ」
走る。走る。ご機嫌なトナカイが突き進む。
雪を頂く山々、そして壮麗な湖水都市を遠目に見ながら、なだらかな丘陵を駆けていく。透き通った空気がふたりの頬を撫でる。穏やかな旅程になるものだと思われたが、突如、ぽつぽつと雨が降ってきた。
一気に翳っていく。
ニコルは天を見上げ、ざっと顔を強張らせた。
「この空、まずいかもしれないわ」
あっという間に暗雲が立ち込め、ごろごろと耳障りな音が響く。地を裂くような雷鳴と共に、豪雨がふたりに襲いかかった。
ばしゃばしゃと降り注ぐ雨が、もっふりとしたレインの体毛に吸い込まれていく。レインは大きなぬいぐるみ、歩く毛布だ。ライトブラウンの柔らかな毛は水分を非常によく吸収し、濡れるととても重くなってしまう。ニコルは彼の背を赤外套で覆いながら、一旦避難しようと叫んだ。
岩陰で雨をやり過ごし、レインの全身を布で拭いていく。大量の水を浴びた彼の毛はぺたりと萎びてしまい、普段隠れている体の線をくっきりと浮き上がらせている。レインはくしゃみをし、犬のようにぶるぶると激しく頭を振った。
「ああ大変だわ、こんなにびしょ濡れになっちゃって! レイン、寒くない?」
哀れっぽく垂れ下がった髪がレインの目元を隠している。ニコルが髪を退けてやると、レインはしょんぼりとした顔で溜息を吐いた。
「寒くはないけど、お尻が濡れて気持ち悪いよ……。参ったね。さっきまで晴れてたのにいきなりこんな風になるなんて。そういえばこの国の天気は変わりやすいんだっけ……」
山の向こうからやって来た、陽の光を覆い隠すほどに分厚い雨雲。黒い雲はどこかに行ってくれる様子はなく、地に大量の雨を降らせ続けている。数時間休んでもこの豪雨は弱まらないかもしれない。
やっと、やっとここまで来たのに。
あと一歩のところで立ち塞がった壁に、ニコルは唇を噛み締めた。
(これじゃ先に進めない。どうすればいいの……? レインの体を布で覆う? それとも傘を差す? ううん、何をしたって子供の住む島には辿り着けないわ。こんな天気じゃ、きっと海も荒れている……)
ニコルの胸に絶望が広がっていく。
今すぐどうにかしなければ夜には間に合わないのに、頭に浮かんでくる案はいずれもこの雨に太刀打ちできるものではない。
ここまで来て、諦めるしかないのだろうか。
大変な思いをして分光石を手に入れたのに。子供の願いを叶えようとこの旅に出たのに。落ちこぼれの自分から変わりたいと思って、必死に頑張ってきたのに!
黴びた封筒。そこから読み取れる貧困の徴。サンタクロースが来てくれないと泣く子供を想像し、ニコルは強烈な罪悪感を覚えた。
(私を待ってる子供がいるの、だから絶対に諦めたくなんかない! けれど……)
黒ずんだ目元を擦るレインを見る。
自分を支えてくれるトナカイはとうに限界を迎えている。だが、自分が島に行きたいと言ったら命を削って前に進もうとするだろう。
レインは何よりも大切な存在だ。
大好きなレインが傷つくなんて、そんなことがあってはならない。
暫し逡巡した後、ニコルは男の手を握った。
「レイン。引き返そう」
「ニコ?」
「これ以上進むのは危険よ。視界も随分悪いわ……無理やり島に行こうとすれば、私たちふたりとも酷い目に遭ってしまう。雨が弱まるまで待って、それから真っ直ぐ村に帰りましょ。こんな天気じゃ、プレゼントを届けることはできないだろうから……」
残念だけど、仕方ないわよ。
ニコルは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
「うっ、うぅ……」
声が震え、深紅色の目がたちまち潤む。涙をぼろぼろ流しながらしゃくりあげるニコルに、レインは尖った鼻を近づけた。
「ニコは優しいね。誰よりも子供の願いを叶えたいと思ってるだろうに、そう言うのは僕のことを心配してくれているから?」
こぼれ落ちる涙の雫がレインの舌に掬い取られる。彼はニコルを抱き締め、光沢のある金の髪を撫で梳いた。
「諦めないで。僕は魔女様に造られた獣人だ。雨が降ろうが海が荒れようが、ご主人様が望むところに連れて行くよ」
「……でも、レイン……。無理よ、間に合わないわ」
「僕を信じて、ニコ。君が信じてくれるなら、僕は無敵になれる」
ニコルの頬にふわふわした手が添えられる。そのまま彼女は、レインにそっと唇を奪われた。
「んっ……?」
「ふふっ、ニコの唇はいつもつやつやしているね」
黄と青の瞳が穏やかな光を湛えている。じっと見つめられながら唇をちろちろ舐められると、胸も口もくすぐったい。肩をぴくりと跳ね上がらせたニコルに、レインは笑い声をこぼした。
「ねえ、ニコ。君は冬がとても好きだったよね。家族三人で、屋根に登ってオーロラを見たことを覚えてる? オーロラの輝きをぎゅっと閉じ込めた宝石が欲しいって、一生懸命爺さんにおねだりしてさ」
「う、うん」
それがどうしたのと首を傾げるニコルに、レインは微笑んだ。
「鼻を真っ赤にしながら、きらきらした目で夜空を見上げる女の子。僕は、その横顔を見るのが好きだった。笑う君の傍にいると、僕の心まで温かくなった」
ニコルの鼻がちょんとつつかれる。
レインは聖人の赤外套を丁寧に拭き、少女の肩に掛けた。
「冬の訪れを待ち望んでいた女の子は、サンタクロースになってから冬を怖がるようになってしまった。僕はまた、君に冬を好きになってほしい。ニコと笑顔でオーロラを見たいんだよ。陰口を叩く奴らのせいで、美しい季節を嫌いになってほしくない」
「……レイン」
胸の和毛に少女の顔を埋めさせ、レインはゆっくりと語りかけた。
「ニコ、素直な気持ちを聞かせて。子供の願いを叶えるために頑張ってきたんだろ。このまま村に帰ったらまた酷いことを言われてしまうぞ。つまらない奴らに好き勝手言わせておいていいのかい?」
「ううん。もうあれこれ言われるのは、嫌だ……」
「自分を変えたいんだろ。ここで引き返したら、また冬を怖がらなくちゃいけなくなる。君は『落ちこぼれ』で、僕は『悪しき魔女の使い』のままだ。本当にそれでいいの?」
「……いや」
ニコルの腕に力が込められる。ぎゅうと己を抱きしめる主に、レインは悪戯っぽく囁いた。
「リザとの賭けに負けてもいいのかい? 勝負に負けたら、僕はその女のものになるんだろ。この毛並みをべたべた触られて、あんなことやこんなことをされてしまうのかもしれないよ」
「やだっ、そんなの絶対に嫌! レインに甘えていいのは私だけよ!!」
必死の形相で叫んだニコルに、レインはにやにやと笑った。
「ぷっ、ふふふっ! そんな顔しないでよ、大人しく攫われる訳がないって言ったでしょ」
「……からかったわね」
「ごめんごめん、ニコに嫉妬してもらいたかったんだよ。ふふ……睨み顔も可愛いなあ」
少女を焚き付けた男は、面白そうに笑い声を漏らした。そして二度三度ぶるぶると全身を震わせ、体毛に纏わりついた水分を振り落としていく。やがて、もっふりとした獣人本来の毛並みが戻ってきた。
「ほら、元通り。僕はいつだって出発できるよ」
君はどうだいと訊ねてくる男に、ニコルは潤む目を向けた。
「……ええ。こっちも出発できるわ」
赤外套を身に着け、分光石が入った袋を背負い直し。
ニコルは再び務めを果たす決心を固めた。
「レイン。限界まで頑張らせて本当にごめんなさい。私を子供が住む街に連れて行ってくれる?」
主の頼みに、レインは色違いの目を柔らかく細め頷いた。しっとりと濡れてしまったニコルの金髪を撫で、その毛先に口付ける。頬を染める少女の頬に、レインはそっと手を添えた。
「頑張るよ。僕、絶対にご主人様の頼みを叶えてみせる。だから先に……ご褒美をちょうだい」
丸みのある口吻が近づいてくる。黒い鼻をニコルの鼻にくっつけた後、レインは少女の唇を優しく塞いだ。
「んうっ……」
獣人の長い舌が、唇の形を確かめるようにゆっくりと這う。頭を撫でられながら下唇を舐められると気持ちよくて、胸が切なく震えてしまう。穏やかな愛撫にニコルはうっとりと眉を下げた。
「はっ、かわいい……。にこ、ニコ。もっと君が欲しい」
「んはぁっ……。んっ、むぅ……れ、いん……」
唇の隙間を縫ってにゅるりとレインの舌が入り込む。ニコルは思わず舌を引っ込めたが、彼の長い舌に呆気なく捕らえられてしまう。軟らかい肉を横から掬い上げられたり、先端をしつこく舐め上げられる。口端から溢れた唾液をじゅうっと啜られ、ニコルは顔を真っ赤にした。
「ふふっ、垂れてるよ? 僕が全部飲んであげるね」
「んやっ、レインっ、は、げし……んあぁっ……!」
甘やかな女の声に惹かれて、レインはなお濃厚な口付けを繰り返した。ふわふわした彼の手が、ニコルの顎から頬を何度も摩る。安心感のある手の動きに彼女は体を弛緩させ、男がもたらす口腔の快楽に浸った。
腔内の粘膜と粘膜を合わせているだけなのに、全身へ切ない刺激が広がっていく。長い睫毛に縁取られた獣の眼に、蕩けた自分の顔が映っている。
(私も、レインがもっと欲しい)
舌を吸われるたび奥からとろりとしたものが溢れるのを感じて、ニコルはなお刺激を求めるように男にすり寄った。
「ふぁ、んっ。んんっ……」
「にこ……僕のニコ。愛してる、愛してる……」
ニコルの顔を上げさせ、喉奥から敏感な上顎までを舌で一気になぞる。くぐもった声がもたらす震えを舌先で愉しんだ後、レインは名残惜しそうに少女を解放した。
「はぁっ、はあ……れ、レイン。あなたね……ちょっとキスがしつこすぎるわ……」
「ええ? これっぽっち全然大したことないでしょ。僕はもっとニコが欲しいよ」
「こ、こんな激しいキスばかりされたら私の体が持たないわよ!」
「慣れてよ。これから毎日こんなキスをするからね」
荒い息を吐く少女を見下ろし、獣人の男は頬を緩ませた。愛しい主に口付けて満足したのか、彼の目には生気が漲っている。脱力するニコルを鼻先でつつき、レインは己の背に乗るよう急かした。
「ニコ、早く乗って。僕はスッキリとした気持ちで君を抱きたいんだからさ」
「も、もう。恥ずかしいことばっかり言わないで……」
「やだね。照れる君を見るのは楽しいもん」
主を背に乗せたレインが勢いよく外へ踏み出す。途端、横殴りの暴風がふたりを襲った。
「うわっ! 風が強すぎるわ……!」
固い何かがニコルの手に傷を付ける。激しい雨に混じって、どうやら霰まで降ってきたようだ。次々と地に打ち付けられる氷が怖い。ニコルはレインにしがみつき、自然がもたらす怖ろしさに慄いた。
「レイン。やっぱりこれは無理じゃ――」
「ぐっ……これくらい、何ともないってば!」
レインは吼え、ぎっと空を睨みつけた。
「こんな雨ごときが、僕を止められると思うなよ」
獣人の唸り声に空気がざわめく。ニコルはレインの体から、何やら不可思議の力が発されていることに気が付いた。レインの眼と蹄がぴかぴかと光り輝く。暗がりを眩く照らし出すそれに、ニコルは列の先頭でそりを引いたという赤鼻のトナカイを重ねた。
「ニコとえっちできるまであと少しなんだぞ、絶対に諦めてやるもんか! 僕の性欲がどれほど強いのか思い知れ!!」
そう叫んだレインは、凄まじいスピードで雨の中を突き進み始めた。あまりの速さに周囲の景色がぼやけていく。しっかりしがみついていないと落ちてしまいそうな速度は、やがて浮遊感となってニコルに伝わった。
(あれ? なんだか……)
地を駆けている感覚が全くない。いつもはレインの脚が動くたびに、柔らかく突き上げられるような衝撃を感じるのに。まるで空を飛んでいるみたいに無感覚だとニコルは思ったが、ふと下を見て大声を出した。
「ちょっ、ちょっと待ってレイン! 私たち浮いてる、本当に飛んでる!」
眼下には雪山と、遠目に見えていた湖水都市がある。怖がりのニコルはきゃあきゃあと騒いだが、レインはそれに構わず面白そうに笑った。
「どうやら僕は本気を出せば空も飛べるみたいだ! 当然だよね、獣人の半分は不思議なトナカイなんだから!」
レインは村のトナカイと違い、一度も空を駆けたことがなかった。だからニコルは彼が空を飛べないものだと思っていたが、レインは羽持つ生物のように、悠々と空中を歩んでみせた。見えない階段を上るように光る蹄が動く。その歩は慣れた様子で、とても初めてだとは思えない。
「ニコ見てる!? 今の僕、すっごく格好いいでしょ!」
「うん、うんっ、とっっても格好いいよ! だからもう少しゆっくり走ってぇ! レインの背中から落ちちゃう!」
「何言ってるのニコ、落とす訳ないでしょ! ほらっ、しっかり手を握ってるから僕の勇姿を見届けて!」
恐怖に叫ぶニコルの手を握り込み、レインは更に高みを目指した。
「大雨だろうが海が荒れていようが、空を飛べる僕には関係ないね。何にも邪魔されないところに行けばいいんだよ。そう……あの雲の向こうに!」
「うええっ!? 雲に突っ込むの!? 無茶よっ、私ここで死んじゃうわ!!」
「死なせないよ。君は生きて帰って、僕にたっぷり抱かれてもらうんだから!」
一気に高度が上昇する。内臓がきゅっと縮こまるような奇妙な感覚にニコルは悲鳴を上げ、レインの背中に顔を押し付けた。
「うっ、ふう……! 背中にニコの吐息を感じる……。そうだ、そうやって僕に抱きついていてね。さあ、大冒険の始まりだ!」
目を輝かせたレインは、雨雲の中に勢いよく突っ込んだ。
強靭な脚が巻き起こす旋風が乱気流と激しくぶつかり合い、分厚い暗雲を切り裂いていく。鋭い氷片がふたりを傷つけるが、ニコルはレインを信じて耐え忍んだ。
鉱山に分光石を採りに行って子供に贈る、それだけの旅になるはずだったのに。いつの間にか海の上を走り、挙句の果てには空まで飛んでいる。
(すごい。まさかこんなことになるとは思わなかった)
不可能を可能にする自分のパートナー。どんなことがあっても、レインがいれば最後は絶対に上手くいく。
ニコルは、失いかけた希望が再び自分の中に宿るのを感じた。
飛ばされてしまいそうな激しい気流に、四方八方から突き刺さる氷。逞しい背にしがみつくのに精一杯で、とても周囲の様子を窺う余裕はない……。ニコルは随分と長い間目を瞑っていたが、ふと自分を取り巻く風が穏やかになったのを感じた。
聖夜の訪れまであと数日。普通ならばもう間に合わないと諦めるところだが、ニコルの胸には希望があった。
「ニコっ! このまま突っ切るよ、しっかり僕に捕まってて!」
勇ましい声かけと共に、レインが断崖から海へ勢いよく飛び降りる。叫び声を上げるニコルの手をしっかりと握り、彼は安定した姿勢で水面に着地した。
水飛沫を上げるレインの後を、白い海鳥が鳴き声を上げながらついていく。海原にひとすじの軌跡を描き、彼は嬉しそうに笑った。
レインはかつてないほど上機嫌だった。ライトブラウンの艶やかな体毛はもっふりもふもふと膨よかになびき、胸には幸せが満ち溢れ、頭の中はニコルにお願い事を聞いてもらうことでいっぱいだ。彼はこれまでにないスピードで駆け、一直線に目的地を目指していた。
どこまでも広がる青い空と雄大な海。
北方の冷たい風に吹かれて、赤い聖人服がぱたぱたと音を立てる。
「すごい。海の上を走ってるよ……!」
ニコルは感嘆した。
切り裂かれた水面から波の花が散る。間近で嗅ぐ強烈な潮のにおいが、ニコルの胸をときめかせる。この海を超えた先は、踏み出したことのない未知の地。仕事をやり遂げなければならない重圧と冒険への期待に、彼女はこくりと唾を飲み込んだ。
(レインってば本気だ。今まで見た数倍……いや数十倍は速い! レインってこんなに凄かったの!?)
レインの体力は凄まじい。ユッカ村近辺に棲むトナカイたちよりも遥かに速く、長く駆けることができる。山を踏み越え、深雪の上も軽々と走ってみせる強靭な脚。善行が本能的に気に食わないレインは滅多に己の力を振るうことをしなかったが、ニコルを抱くという欲望に取り憑かれた今の彼は、全力で役目を果たそうとするのだった。
「すごいねレイン! あなたって水の上も走れたのね!」
「ふふっ、僕も自分が海を走れるなんて初めて知ったよ。本気を出せば僕はどこでも走れるのかもしれないね!」
ニコルの手が温もりに包み込まれる。
レインは少女の手を摩りながら、申し訳無さそうな声を出した。
「反省したんだ。君は可愛いから、あちこち出かけた先で厄介な虫に目を付けられたら堪ったもんじゃない、だからサンタクロースの仕事なんかしなくてもいいじゃないかってどこかで思ってた。でも、あんな風になるまで追い詰められてしまったのなら……僕は心を入れ替えて頑張らなくちゃいけない」
「レイン……」
「絶対にやり遂げるぞ。子供にプレゼントを届けて、ユッカ村に堂々と凱旋するんだ。村の奴らにも、リザっていう女にも目に物見せてやる。僕たちは最高のパートナーで、決してお互いの傍から離れることはないんだって! 大好きなニコからご褒美を貰うためなら、どんな苦難だって乗り越えてみせる!」
高らかな宣言に顔が熱くなる。頬を真っ赤にしたニコルは言葉を失ったが、甘えるようにレインの背にぽふりと顔を埋めた。密度が高い体毛に覆われたレインの背中は、シャツ越しでも分かるほどにふかふかもこもこ柔らかい。ニコルが後ろから男の胸元に手を差し込むと、レインはくすぐったそうに笑った。
「僕の胸毛、気持ちいい?」
「うん、気持ちいい。温かくてふわふわしていて、いつ触っても毛布みたいに手触りがいいわ。早くここに顔をくっつけたいな。暖かい家の中で。私たちのベッドの上で……」
恥ずかしそうにぽつぽつと呟くニコルに、レインは歓喜の呻き声を上げ、なお脚を速く動かした。
「その時は僕の毛で包み込んであげるね。はだかんぼのニコが、寒い思いをすることがないように」
スピードがまた上がる。粉雪を含んだ潮風がふたりの傍を通り抜けていく。数多の海鳥を追い抜く疾走に、ニコルは目をきらきらさせながら微笑んだ。
これなら。
こんなにレインが頑張ってくれるなら、絶対に大丈夫だ。
「ありがとう、レイン。私を支えてくれて本当にありがとう……!」
途中でどんなことがあっても、レインがいれば最後は絶対に上手くいく。
レインとなら、どこまでも行ける気がする。
何度もありがとうと呟く少女の手を摩り、レインはくすくすと笑った。
「お礼を言いたいのは僕の方だよ、ニコ。獣人の呪いは祝福かもしれないって言ってくれたことがすっごく嬉しかったんだ! 僕は悪しき魔女の使いだけど、君のためなら限界を超えて頑張れる。ニコは落ちこぼれなんかじゃない。子供を笑顔にできる立派な聖人なんだって、僕が証明してみせるよ」
嬉しそうな男の声が風に溶けていく。ニコルはレインの優しさに目を閉じ、満面の笑みを浮かべた。
*
レインは疲れを見せなかった。陽が沈み、満天の星が夜空を彩っても、彼はニコルを背に乗せたまま駆け続けた。ニコルは休もうと何度も声を掛けたが、片角のトナカイは決して止まることがない。主に寝てていいよと返し、目をぎらつかせながら暗闇の中を突き進んだ。
「ニコ、ニコっ、僕の愛しいサンタクロース。もうすぐで君を抱ける。十数年愛し続けてきた女の子と、やっと番うことができるんだ! ああ、嬉しすぎて鼻息が止まらないよ。初夜の前にはまず、僕の毛を抜いてもっとふかふかの毛布を仕立てておかなくちゃいけない。他には何が必要だろう? ワイン? ジャムパイ? 一生に一度きりの初夜なんだ、しっかり準備しておかないと」
「レイン、もう休みましょう! 夜も走りっぱなしだなんてあなたが死んじゃうわ!」
「もう少し走らせて、お願い。君に触れる想像をすると居ても立っても居られなくておかしくなりそうなんだ! はあっ、ニコのおしりが背中にくっついてる。すべすべつやつやのニコのおしり。村に帰ったらたくさん撫で回したいな」
「……レインのへんたい。そんなことしたら、あなたのお尻も撫で回してやるからね」
ニコルがくいっとレインの髪を引っ張ると、彼は嬉しそうに身動いだ。
「ふふっ、ニコが照れてる。今の君はりんごみたいに顔が赤くて、とっても可愛いんだろうなあ。はあ、顔の後ろにも目が付いていたら良かったのに。そうしたらこうして走ってる間もずっとニコを見ていられる。どうして魔女は獣人の目を増やしてくれなかったんだろう? 僕は片時もニコから目を離したくないのにさ……」
色違いの双眼が夜闇の中できらきらと輝いている。こちらの様子を気遣いながらも真っ直ぐに前を向き続けるレインに、ニコルは何かできることはないかと訊ねた。
「僕のために何かしてくれるの? それならさ、キスしながら愛してるって囁いて。ニコにそう言ってもらえたら、僕はあっという間に元気になれるんだ」
「そっ、そんなことでいいの?」
「最高の励ましだよ! 僕のことをどんなに好きか伝えてくれるなら、僕は一晩中駆けることもできるよ」
平たい獣耳が興奮を伝えるようにぴくぴくと動く。レインのもこもこした背を撫でながら、ニコルは彼のことがどんなに好きか夜通し伝えてやるのだった。
レインは止まらない。脚が痙攣しても、ニコルからのご褒美を想像すると疲れが霧散する。男は込み上げる欲望のまま走り、十秒に一度主に愛の言葉を要求した。
レインが脚を動かす度にもふん、もふんと柔らかく背が跳ねる。北国のスピードスターと讃えられた祖父よりも、遥かに速く雪原を奔る。陽が昇って、また沈んで。数多の山を越え、氷の道を凄まじい速度で突っ走って……。
そしてとうとう、十二月二十四日がやってきた。
多くの者が待ち望んだ祝祭日が。
ユッカ村の聖人の務め。それは二十四日の日没から、日付が変わるまでの間にプレゼントを届けること。寝ている子供を起こさないようにこっそりと煙突から忍び込み、用意された靴下の中に贈り物を入れなくてはいけない。
今夜が本番だ。
失敗は許されない、何としても目的を果たさなくては。
緊張感の中、ニコルは仕事を完遂するための手順を頭の中で反芻した。
*
二十四日の昼頃。
長旅の末、ふたりはやっと子供が住む国に辿り着いた。
海に突き出た長靴型の半島は、ニコルが住む北国とはまた異なった雄大な景色を湛えている。立ち並ぶ連峰に花咲く丘陵。燦々と降り注ぐ陽の光、整然と連なるカラフルな外壁。レインが駆ける度に景色は次々と移り変わり、そしてそのいずれもが絵画のように美しい。
初めて踏み込んだ異国の地は開放的で、どこかゆったりとした雰囲気を帯びている。見慣れぬ光景にレインも思わず速度を落とし、きょろきょろと辺りを見渡した。
「ここは何だか暖かいね。空気のにおいが違うよ」
レインがきゅっと鼻をひくつかせる。
高く澄み渡る青空を見上げながら、ニコルはこくりと頷いた。
この国は、いくつかの島々が連なって構成されている。半島の南に位置する一際大きな離島――そこに子供が暮らす村はあった。目的の国に辿り着けたからといって、まだ油断はできない。高い峰々と海を超えなければ、その離島には行けないのだから。
「ねえ、待って。あなた限界でしょ? 一旦ここで休もうよ」
ニコルはレインの背から降り、彼の顔を覗き込んだ。
男の疲労は色濃い。黄と青の瞳は血走り、目元には隈のような黒ずみがくっきりと浮き出ている。屈強な獣人とはいえ、三日間走り通しは辛いに決まっている……。
自分を心配そうな顔で見つめる少女に、レインは力強い笑顔を向けた。
「僕は余裕だよ。ようやくここまで来たんだ、このまま休まずに向かおう!」
「で、でも……」
「心配しないでニコ。気遣ってくれるのは嬉しいけど、休んでる時間は少しもないんだ。ね、この仕事が終わったらたっぷり休むからさ」
かつてニコルが鉱山の前で吐いた言葉を、レインは同じように繰り返した。
「さあ、行こう。子供がいる離島はレモンが有名らしいよ。袋いっぱいに買って、あとで美味しいレモンパイを焼こうか!」
眉を下げるニコルの手を引き、レインは大口を開けて笑った。白い歯をわざと見せるような笑い方に気遣いと優しさを感じて。ニコルは彼をぎゅっと抱き締め、この仕事が終わったら何でも好きなようにさせてあげようと決めるのだった。
「ふふっ。ユッカ村に帰ったら、大好きなご主人様に思う存分よしよししてもらいたいな。ご褒美のためならこの脚が削れたって惜しくはないよ」
走る。走る。ご機嫌なトナカイが突き進む。
雪を頂く山々、そして壮麗な湖水都市を遠目に見ながら、なだらかな丘陵を駆けていく。透き通った空気がふたりの頬を撫でる。穏やかな旅程になるものだと思われたが、突如、ぽつぽつと雨が降ってきた。
一気に翳っていく。
ニコルは天を見上げ、ざっと顔を強張らせた。
「この空、まずいかもしれないわ」
あっという間に暗雲が立ち込め、ごろごろと耳障りな音が響く。地を裂くような雷鳴と共に、豪雨がふたりに襲いかかった。
ばしゃばしゃと降り注ぐ雨が、もっふりとしたレインの体毛に吸い込まれていく。レインは大きなぬいぐるみ、歩く毛布だ。ライトブラウンの柔らかな毛は水分を非常によく吸収し、濡れるととても重くなってしまう。ニコルは彼の背を赤外套で覆いながら、一旦避難しようと叫んだ。
岩陰で雨をやり過ごし、レインの全身を布で拭いていく。大量の水を浴びた彼の毛はぺたりと萎びてしまい、普段隠れている体の線をくっきりと浮き上がらせている。レインはくしゃみをし、犬のようにぶるぶると激しく頭を振った。
「ああ大変だわ、こんなにびしょ濡れになっちゃって! レイン、寒くない?」
哀れっぽく垂れ下がった髪がレインの目元を隠している。ニコルが髪を退けてやると、レインはしょんぼりとした顔で溜息を吐いた。
「寒くはないけど、お尻が濡れて気持ち悪いよ……。参ったね。さっきまで晴れてたのにいきなりこんな風になるなんて。そういえばこの国の天気は変わりやすいんだっけ……」
山の向こうからやって来た、陽の光を覆い隠すほどに分厚い雨雲。黒い雲はどこかに行ってくれる様子はなく、地に大量の雨を降らせ続けている。数時間休んでもこの豪雨は弱まらないかもしれない。
やっと、やっとここまで来たのに。
あと一歩のところで立ち塞がった壁に、ニコルは唇を噛み締めた。
(これじゃ先に進めない。どうすればいいの……? レインの体を布で覆う? それとも傘を差す? ううん、何をしたって子供の住む島には辿り着けないわ。こんな天気じゃ、きっと海も荒れている……)
ニコルの胸に絶望が広がっていく。
今すぐどうにかしなければ夜には間に合わないのに、頭に浮かんでくる案はいずれもこの雨に太刀打ちできるものではない。
ここまで来て、諦めるしかないのだろうか。
大変な思いをして分光石を手に入れたのに。子供の願いを叶えようとこの旅に出たのに。落ちこぼれの自分から変わりたいと思って、必死に頑張ってきたのに!
黴びた封筒。そこから読み取れる貧困の徴。サンタクロースが来てくれないと泣く子供を想像し、ニコルは強烈な罪悪感を覚えた。
(私を待ってる子供がいるの、だから絶対に諦めたくなんかない! けれど……)
黒ずんだ目元を擦るレインを見る。
自分を支えてくれるトナカイはとうに限界を迎えている。だが、自分が島に行きたいと言ったら命を削って前に進もうとするだろう。
レインは何よりも大切な存在だ。
大好きなレインが傷つくなんて、そんなことがあってはならない。
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「レイン。引き返そう」
「ニコ?」
「これ以上進むのは危険よ。視界も随分悪いわ……無理やり島に行こうとすれば、私たちふたりとも酷い目に遭ってしまう。雨が弱まるまで待って、それから真っ直ぐ村に帰りましょ。こんな天気じゃ、プレゼントを届けることはできないだろうから……」
残念だけど、仕方ないわよ。
ニコルは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
「うっ、うぅ……」
声が震え、深紅色の目がたちまち潤む。涙をぼろぼろ流しながらしゃくりあげるニコルに、レインは尖った鼻を近づけた。
「ニコは優しいね。誰よりも子供の願いを叶えたいと思ってるだろうに、そう言うのは僕のことを心配してくれているから?」
こぼれ落ちる涙の雫がレインの舌に掬い取られる。彼はニコルを抱き締め、光沢のある金の髪を撫で梳いた。
「諦めないで。僕は魔女様に造られた獣人だ。雨が降ろうが海が荒れようが、ご主人様が望むところに連れて行くよ」
「……でも、レイン……。無理よ、間に合わないわ」
「僕を信じて、ニコ。君が信じてくれるなら、僕は無敵になれる」
ニコルの頬にふわふわした手が添えられる。そのまま彼女は、レインにそっと唇を奪われた。
「んっ……?」
「ふふっ、ニコの唇はいつもつやつやしているね」
黄と青の瞳が穏やかな光を湛えている。じっと見つめられながら唇をちろちろ舐められると、胸も口もくすぐったい。肩をぴくりと跳ね上がらせたニコルに、レインは笑い声をこぼした。
「ねえ、ニコ。君は冬がとても好きだったよね。家族三人で、屋根に登ってオーロラを見たことを覚えてる? オーロラの輝きをぎゅっと閉じ込めた宝石が欲しいって、一生懸命爺さんにおねだりしてさ」
「う、うん」
それがどうしたのと首を傾げるニコルに、レインは微笑んだ。
「鼻を真っ赤にしながら、きらきらした目で夜空を見上げる女の子。僕は、その横顔を見るのが好きだった。笑う君の傍にいると、僕の心まで温かくなった」
ニコルの鼻がちょんとつつかれる。
レインは聖人の赤外套を丁寧に拭き、少女の肩に掛けた。
「冬の訪れを待ち望んでいた女の子は、サンタクロースになってから冬を怖がるようになってしまった。僕はまた、君に冬を好きになってほしい。ニコと笑顔でオーロラを見たいんだよ。陰口を叩く奴らのせいで、美しい季節を嫌いになってほしくない」
「……レイン」
胸の和毛に少女の顔を埋めさせ、レインはゆっくりと語りかけた。
「ニコ、素直な気持ちを聞かせて。子供の願いを叶えるために頑張ってきたんだろ。このまま村に帰ったらまた酷いことを言われてしまうぞ。つまらない奴らに好き勝手言わせておいていいのかい?」
「ううん。もうあれこれ言われるのは、嫌だ……」
「自分を変えたいんだろ。ここで引き返したら、また冬を怖がらなくちゃいけなくなる。君は『落ちこぼれ』で、僕は『悪しき魔女の使い』のままだ。本当にそれでいいの?」
「……いや」
ニコルの腕に力が込められる。ぎゅうと己を抱きしめる主に、レインは悪戯っぽく囁いた。
「リザとの賭けに負けてもいいのかい? 勝負に負けたら、僕はその女のものになるんだろ。この毛並みをべたべた触られて、あんなことやこんなことをされてしまうのかもしれないよ」
「やだっ、そんなの絶対に嫌! レインに甘えていいのは私だけよ!!」
必死の形相で叫んだニコルに、レインはにやにやと笑った。
「ぷっ、ふふふっ! そんな顔しないでよ、大人しく攫われる訳がないって言ったでしょ」
「……からかったわね」
「ごめんごめん、ニコに嫉妬してもらいたかったんだよ。ふふ……睨み顔も可愛いなあ」
少女を焚き付けた男は、面白そうに笑い声を漏らした。そして二度三度ぶるぶると全身を震わせ、体毛に纏わりついた水分を振り落としていく。やがて、もっふりとした獣人本来の毛並みが戻ってきた。
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「……ええ。こっちも出発できるわ」
赤外套を身に着け、分光石が入った袋を背負い直し。
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「レイン。限界まで頑張らせて本当にごめんなさい。私を子供が住む街に連れて行ってくれる?」
主の頼みに、レインは色違いの目を柔らかく細め頷いた。しっとりと濡れてしまったニコルの金髪を撫で、その毛先に口付ける。頬を染める少女の頬に、レインはそっと手を添えた。
「頑張るよ。僕、絶対にご主人様の頼みを叶えてみせる。だから先に……ご褒美をちょうだい」
丸みのある口吻が近づいてくる。黒い鼻をニコルの鼻にくっつけた後、レインは少女の唇を優しく塞いだ。
「んうっ……」
獣人の長い舌が、唇の形を確かめるようにゆっくりと這う。頭を撫でられながら下唇を舐められると気持ちよくて、胸が切なく震えてしまう。穏やかな愛撫にニコルはうっとりと眉を下げた。
「はっ、かわいい……。にこ、ニコ。もっと君が欲しい」
「んはぁっ……。んっ、むぅ……れ、いん……」
唇の隙間を縫ってにゅるりとレインの舌が入り込む。ニコルは思わず舌を引っ込めたが、彼の長い舌に呆気なく捕らえられてしまう。軟らかい肉を横から掬い上げられたり、先端をしつこく舐め上げられる。口端から溢れた唾液をじゅうっと啜られ、ニコルは顔を真っ赤にした。
「ふふっ、垂れてるよ? 僕が全部飲んであげるね」
「んやっ、レインっ、は、げし……んあぁっ……!」
甘やかな女の声に惹かれて、レインはなお濃厚な口付けを繰り返した。ふわふわした彼の手が、ニコルの顎から頬を何度も摩る。安心感のある手の動きに彼女は体を弛緩させ、男がもたらす口腔の快楽に浸った。
腔内の粘膜と粘膜を合わせているだけなのに、全身へ切ない刺激が広がっていく。長い睫毛に縁取られた獣の眼に、蕩けた自分の顔が映っている。
(私も、レインがもっと欲しい)
舌を吸われるたび奥からとろりとしたものが溢れるのを感じて、ニコルはなお刺激を求めるように男にすり寄った。
「ふぁ、んっ。んんっ……」
「にこ……僕のニコ。愛してる、愛してる……」
ニコルの顔を上げさせ、喉奥から敏感な上顎までを舌で一気になぞる。くぐもった声がもたらす震えを舌先で愉しんだ後、レインは名残惜しそうに少女を解放した。
「はぁっ、はあ……れ、レイン。あなたね……ちょっとキスがしつこすぎるわ……」
「ええ? これっぽっち全然大したことないでしょ。僕はもっとニコが欲しいよ」
「こ、こんな激しいキスばかりされたら私の体が持たないわよ!」
「慣れてよ。これから毎日こんなキスをするからね」
荒い息を吐く少女を見下ろし、獣人の男は頬を緩ませた。愛しい主に口付けて満足したのか、彼の目には生気が漲っている。脱力するニコルを鼻先でつつき、レインは己の背に乗るよう急かした。
「ニコ、早く乗って。僕はスッキリとした気持ちで君を抱きたいんだからさ」
「も、もう。恥ずかしいことばっかり言わないで……」
「やだね。照れる君を見るのは楽しいもん」
主を背に乗せたレインが勢いよく外へ踏み出す。途端、横殴りの暴風がふたりを襲った。
「うわっ! 風が強すぎるわ……!」
固い何かがニコルの手に傷を付ける。激しい雨に混じって、どうやら霰まで降ってきたようだ。次々と地に打ち付けられる氷が怖い。ニコルはレインにしがみつき、自然がもたらす怖ろしさに慄いた。
「レイン。やっぱりこれは無理じゃ――」
「ぐっ……これくらい、何ともないってば!」
レインは吼え、ぎっと空を睨みつけた。
「こんな雨ごときが、僕を止められると思うなよ」
獣人の唸り声に空気がざわめく。ニコルはレインの体から、何やら不可思議の力が発されていることに気が付いた。レインの眼と蹄がぴかぴかと光り輝く。暗がりを眩く照らし出すそれに、ニコルは列の先頭でそりを引いたという赤鼻のトナカイを重ねた。
「ニコとえっちできるまであと少しなんだぞ、絶対に諦めてやるもんか! 僕の性欲がどれほど強いのか思い知れ!!」
そう叫んだレインは、凄まじいスピードで雨の中を突き進み始めた。あまりの速さに周囲の景色がぼやけていく。しっかりしがみついていないと落ちてしまいそうな速度は、やがて浮遊感となってニコルに伝わった。
(あれ? なんだか……)
地を駆けている感覚が全くない。いつもはレインの脚が動くたびに、柔らかく突き上げられるような衝撃を感じるのに。まるで空を飛んでいるみたいに無感覚だとニコルは思ったが、ふと下を見て大声を出した。
「ちょっ、ちょっと待ってレイン! 私たち浮いてる、本当に飛んでる!」
眼下には雪山と、遠目に見えていた湖水都市がある。怖がりのニコルはきゃあきゃあと騒いだが、レインはそれに構わず面白そうに笑った。
「どうやら僕は本気を出せば空も飛べるみたいだ! 当然だよね、獣人の半分は不思議なトナカイなんだから!」
レインは村のトナカイと違い、一度も空を駆けたことがなかった。だからニコルは彼が空を飛べないものだと思っていたが、レインは羽持つ生物のように、悠々と空中を歩んでみせた。見えない階段を上るように光る蹄が動く。その歩は慣れた様子で、とても初めてだとは思えない。
「ニコ見てる!? 今の僕、すっごく格好いいでしょ!」
「うん、うんっ、とっっても格好いいよ! だからもう少しゆっくり走ってぇ! レインの背中から落ちちゃう!」
「何言ってるのニコ、落とす訳ないでしょ! ほらっ、しっかり手を握ってるから僕の勇姿を見届けて!」
恐怖に叫ぶニコルの手を握り込み、レインは更に高みを目指した。
「大雨だろうが海が荒れていようが、空を飛べる僕には関係ないね。何にも邪魔されないところに行けばいいんだよ。そう……あの雲の向こうに!」
「うええっ!? 雲に突っ込むの!? 無茶よっ、私ここで死んじゃうわ!!」
「死なせないよ。君は生きて帰って、僕にたっぷり抱かれてもらうんだから!」
一気に高度が上昇する。内臓がきゅっと縮こまるような奇妙な感覚にニコルは悲鳴を上げ、レインの背中に顔を押し付けた。
「うっ、ふう……! 背中にニコの吐息を感じる……。そうだ、そうやって僕に抱きついていてね。さあ、大冒険の始まりだ!」
目を輝かせたレインは、雨雲の中に勢いよく突っ込んだ。
強靭な脚が巻き起こす旋風が乱気流と激しくぶつかり合い、分厚い暗雲を切り裂いていく。鋭い氷片がふたりを傷つけるが、ニコルはレインを信じて耐え忍んだ。
鉱山に分光石を採りに行って子供に贈る、それだけの旅になるはずだったのに。いつの間にか海の上を走り、挙句の果てには空まで飛んでいる。
(すごい。まさかこんなことになるとは思わなかった)
不可能を可能にする自分のパートナー。どんなことがあっても、レインがいれば最後は絶対に上手くいく。
ニコルは、失いかけた希望が再び自分の中に宿るのを感じた。
飛ばされてしまいそうな激しい気流に、四方八方から突き刺さる氷。逞しい背にしがみつくのに精一杯で、とても周囲の様子を窺う余裕はない……。ニコルは随分と長い間目を瞑っていたが、ふと自分を取り巻く風が穏やかになったのを感じた。
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