2 / 15
第二話
しおりを挟む
愛くるしくて、温かくて、ふかふかもふもふ柔らかい。大きなぬいぐるみのようなレインをニコルは甘やかし、どこへ行くにも連れていった。
「レインはわたしのトナカイさんだから、わたしがしっかりお世話してあげるね!」
ニコルは毎日レインの毛に櫛を入れ、彼の首にリボンを結んであげた。不器用なブラッシングは艷やかなレインの体毛をぼさぼさにしてしまうものだったが、獣人の少年はニコルにされるがままじっとしていた。
「ニコは僕のサンタクロースだから、僕がしっかり見守ってあげるね」
それがレインの口癖だった。
ニコルは大変危なっかしい少女だ。何もないところで転び、熱い料理にそのまま手をつけるせいで頻繁に火傷をする。何をしても上手くできないため、彼女は村の子供たちから「ドジのニコル」と呼ばれていた。
少女の輝く金髪と深紅色の瞳は、白夜に浮かぶ夏の太陽、そして森に実るコケモモを思わせる。山で暮らしてきたレインにとって、ニコルが持つ鮮やかな色彩は眩しいものだった。見た目の可愛さも相まって、レインは間の抜けたニコルを放っておくことができなかった。
獣人の少年は、甲斐甲斐しく少女の世話をした。家にいる時は二本足で歩き、ニコルと共に家事をする。外にいる時は四本脚に化け、ニコルが雪に足を取られることがないようにと背に乗せた。
ニコルは、いつも自分を気遣ってくれるトナカイのことが大好きだった。レインを『ユッカ村いちばんのトナカイさん』と褒め称え、朝晩欠かさず鼻にキスをした。
「大好きだよ、かわいいかわいいわたしのレイン」
初めからニコルに好意的だったレインだが、純真無垢な愛情を真っ直ぐに向けられて、彼の庇護欲求はどんどん暴走していった。
「ねえニコ。絶対に僕以外の男を見ないでね。絶対だよ!」
独占欲が強いレインはニコルにそう言い聞かせ、彼女が自分以外の存在と接触することを酷く嫌がった。
ニコルに話しかける村の子供を角で追い払い、ニコルが他のトナカイを撫でれば嫉妬に一日中涙を流す。大らかで可愛らしいニコルは住民からもトナカイからも好かれていたが、レインが暴れ回るせいで彼女に近づく者は段々と少なくなった。
レインは自分の抜け毛でコートを作り、風邪を引かないようにとニコルに着せた。それでもニコルが体調を崩してしまえば、自分の至らなさに悔し泣きをしながら毛を抜き、もっと分厚いコートを仕立てようとした。
毎晩ベッドに潜り込むという宣言通り、レインは一日も欠かさずニコルの隣で寝た。レインはニコルが深く眠っているのを確認すると、目をかっ開きながら限界まで顔を近づけ、愛しい少女にしつこく自分のにおいを擦りつけた。
ニコルと同じものを食べ、同じように過ごし、一瞬でも彼女と離れることがあれば不安に取り乱す……それがレインという少年だった。
このままでは孫が食われる。常軌を逸した執着にニコルの祖父は頭を抱えたが、当のニコルはあまり気にすることなく『甘えん坊さんね』と言いながらレインを可愛がり続けた。
レインに危機感を抱いたのはニコルの祖父だけではない。ユッカ村の大人たちは獣人の少年を見て大層驚き、なんとかレインをニコルから引き離そうとした。
村人から『それはトナカイか?』『そいつは獣人だぞ』『魔女の使い魔だぞ』『一緒にいたら危険だぞ!』という言葉を投げかけられる。毎日心配そうに話しかけられるうち、鈍感なニコルも首を傾げるようになった。
そういえばレインは、通常トナカイが好む干し草や苔を全く食べない。手の込んだ料理を食べ、ナイフとフォークを行儀よく使い、きっちりと服を着る。
手先が器用で、美味しいジャムパイを焼いてくれる。状況に応じて四足歩行と二足歩行を巧みに使い分け、いくら祖父が頼んでも決してそりを引かないという気位の高さも持つ。
自分の知っているトナカイとは随分違う。
もしかして、レインはトナカイではない……?
しかし、大らかなニコルはそれ以上気にすることはなかった。
レインはおっちょこちょいの自分を丁寧にサポートしてくれる。心優しい彼がいなければ、自分は日々生活する上で随分と苦労していただろう。
自分はレインをトナカイとして迎え入れた。彼は未来のサンタクロースを支えてくれる、最高のパートナーだ。
レインは、誰が何と言おうとトナカイだ。
可愛くて賢い、ユッカ村いちばんのトナカイなのだ。
……ちょっと様子がおかしくて、度を越した甘えん坊だとしても。
「好きだよ、ニコ。君って本当に可愛いなあ」
レインは事あるごとにそう囁き、ニコルの腰に腕を回してくる。耳元で囁かれる愛の言葉は年を経る毎に甘く、大胆なものへと変わっていく。
「君の唇はぷるっとしているね。舐めたらとっても美味しいんだろうなあ。ねえニコ、キスしていい?」
愛くるしさが全面に出ていたレインの貌は、いつの間にか男らしいものに変わった。黄と青の双眼には、ニコルが知らない熱が宿っている。美しい獣人の男に見つめられるたび、彼女は胸がとくとくと跳ねるのを感じた。
これは、何だろう。
ニコルはレインの接触で自分が変になるのをはっきりと自覚したが、その理由に向き合うのは何だかこそばゆい気がして、心の中に芽生えた感情に気づかないふりをし続けた。
「もう、レインったら。挨拶のキスはほっぺたにするんだよ。私の口にはしちゃだめ!」
腕からするりとニコルが抜け出す。自分のアピールを受け止めてくれない少女の姿勢に、レインはもどかしさを感じていた。
逃げる主の後ろ姿に、そっと囁く。
「……僕は、君の唇に愛のキスをしたいんだ」
ニコルに、男として見てもらいたい。
可愛いトナカイと言ってもらえるのは嬉しいけれど、いい加減彼女に意識してほしい。だって、自分はニコルのことを深く愛しているから。
己に害を為そうとした獣人を、進んで家に迎え入れた恐れ知らずの少女。独占欲が強い自分をすぐ嫌になると思っていたのに、ニコルはいつも『大好きだよ、私のレイン』と言ってくれた。
寒いからと焚き火の傍に連れて行ってくれた優しさが好きだ。自分をぬいぐるみみたいだと笑う可愛らしい顔が好きだ。
周囲に何を言われても、決して自分を手離さなかったところが好きだ。
――レイン、一緒に帰ろう。そんなところにいたら寒いよ。
全部好きだ、大好きだ。
ニコルの傍にいると、体だけではなく心まで温かくなる。
獣人は魔女の使い、決して聖人とは相容れない。けれどニコルに必要としてもらえるのなら、この力を人間のために振るうのだって惜しくはない。
ニコルに愛されたい。
彼女の恋人になりたい。番になりたい。
だから。
「ニコ、僕を見て。僕はこんなにも君のことが好きなんだよ……」
少女と獣人はいつも一緒。
最初は怯えていた村人たちも、やがてレインがいる日常に慣れてしまった。彼は凶暴な獣人だが、ニコルに手を引かれている間はほぼ無害だ。放っておいても問題はないだろう……。
ニコルの祖父もまた、レインに対する見方を変えた。
レインは高慢で手のかかる獣人だけれど、孫のことを大切に思い慈しみながら接している。
彼の愛情は本物だ。
レインならば、自分がいなくなった後もニコルを守ってくれる。
老父は獣人の少年をトナカイとしてではなく、もうひとりの孫として可愛がったのだった。
*
ニコルが十五歳の時、大好きな祖父がこの世を去った。
ふくよかな体型に、たっぷりとした白髭を蓄えた朗らかな老父。彼は立派にサンタクロースの仕事を務めた。
祖父は心優しく、敬虔な男だった。貧しい者に施しを与えることを日課としていた祖父は、サンタクロースの仕事に憧れて、このユッカ村で聖人の赤外套を受け取ったのだ。
九頭のトナカイを率いて、世界中の子どもに贈り物を届けた彼はユッカ村の誇りだ。広場には祖父の功績を称える像が建てられ、その近くにあるポストには、子どもたちがサンタクロースに宛てた手紙がひっきりなしに届くのだった。
成人を迎えたニコルは、祖父と代替わりをするように新たなサンタクロースとなった。彼女は村の慣例に従い、山に入って自分に仕えてくれるトナカイを探そうとしたが、レインがそれを許さなかった。
「ねえニコ。僕以外のトナカイを婿に迎えるだなんて、何を考えてるの」
ぎゅうと腕に力が込められる。背後からレインに抱きしめられたニコルは、一生懸命身を捩らせてなんとか彼から逃れようとした。
「婿に迎えるんじゃないよ、そりを引いてもらうの。サンタクロースはたくさんの荷物を運ばなければいけないのよ、あなただって知ってるでしょ?」
「そりなんて必要ない! 君は僕の上に乗っていればいいじゃないか!」
「もう、それじゃちょっとしか荷物を持てないじゃない。とにかく放してよ、レイン。山に行かせて」
「やだやだやだ! 僕以外のトナカイを連れてくるだなんて絶対に許さないぞ。絶対に絶対にぜえっったいに許さない!!」
わあわあと騒ぐレインの口吻を撫で、ニコルは眉を下げた。
「我儘言わないの、これは村のしきたりなのよ。十五歳の私はひとりで山に入って、トナカイさんを何頭か連れてこなくちゃいけないの! お願いだからいい子で待ってて。ね?」
レインの腕から無理やり抜け出したニコルは、サンタクロースの赤外套を羽織って外へと出た。
「それじゃ、行ってくるから!」
新しいトナカイさんに意地悪しないでね。
念押しするニコルにどろりとした目を向け、レインはかちかちと歯を鳴らした。
「……ああ、そう。いってらっしゃい。でも、君の思い通りにはさせてあげないよ、ニコ……」
聖人服を纏い、美しい白銀の山に入る。
雪原に足を踏み入れて間もなく、ニコルは自分に仕えてくれるというトナカイをたくさん見つけた。
いずれも穏やかで温順な子たちだ。ニコルはその中から数頭のオストナカイを選び、仕事のパートナーとして家に迎えることにした。
レインのことを気がかりに思いながらも、サンタクロースの仕事を手伝ってくれるトナカイと巡り会えたことにほっとする。ニコルは心地よい充足感を覚え、その日は早々にベッドに潜り込んだ。
静かな夜、事件は起こった。
すやすやと眠っていたニコルは、壁が揺れるほどの大きな物音に飛び起きた。窓の向こうから、トナカイの鳴き声と男の怒号が聞こえてくる。
これはただごとではない。ニコルはサンタクロースの赤外套を羽織り、急いで玄関へと向かった。
レインの姿がない。彼はどこに行ったのかと思いながら扉を開けると、大きな影がぬっと現れた。
「やあ、おはよう。良い夜だね」
そこには笑顔のレインが立っていた。
尖った鼻から、ふうふうと荒い息が漏れている。彼は少し疲れているようだ。大きな枝角に、何か赤いものが付着している……。
「ひぇっ」
異様なレインの様子にニコルは息を呑んだ。彼お気に入りの、糊のきいた白シャツが真っ赤に染まっている。
いったいどうしたんだと訊ねるニコルを見下ろし、レインはゆっくりと目を細めた。
「自主サンタクロースしてきたんだ」
「自主……サンタクロース? なにそれ?」
「大きなそりの上に荷物を乗せてね、山に送り届けたんだよ」
ニコルはレインの言葉に首を傾げ、そしてはっとした。家の前に繋いでおいたトナカイが一頭もいない。驚くニコルに、レインは明るい笑い声を上げた。
「ふふっ、ふふふふふ! いやあ、大変だったんだよ。山に帰れって言ったらみんな怒っちゃってさ、僕に襲いかかってきたんだ! びっくりしたあ、トナカイってあんなに凶暴なんだね」
「ぁ、あの、レイン……?」
「身の程を知ってもらうために、程々に調教した上でそりに乗せたよ。山に着いてからもとんでもない目に遭った。可愛い女の子に仕えたいっていう変態が多くてさ、僕はオストナカイの集団と戦う羽目になったんだ! ふふっ、僕は強いから全員追い払ってやったけどね」
可愛いニコ。君って本当に人気があるんだね。
悪い虫が付かないように、これからも僕が見守ってあげるね。
とろりとした男の声が落ちる。レインは機嫌良さそうに鼻歌を紡ぎ、ニコルが羽織る赤外套を見た。
「ふふ。僕もニコも真っ赤。僕たちお揃いだね! ああ、そうそう。もう僕以外のトナカイを迎えないでよね。次こんなことしたら本気で怒るからね」
レインの低い声に背筋が凍る。どろどろした目を向けてくる獣人の男に、ニコルは頷くしかなかった。
「うん、いい子。君が僕だけを見てくれたら、これからも僕は温厚なレインのままでいられるんだ。よろしくね、ニコ!」
……そしてニコルは、レインのみを従えてサンタクロースの仕事を始めることになってしまった。
レインは決してそりを引かない。背にニコルを乗せ、自分にしっかり抱きつくよう彼女に言い聞かせる。ニコルがもこもことした腹に腕を回さなければ、レインは絶対に走ってくれなかった。
レインは気分屋だ。勢い良く駆ける時もあれば、悠々と歩くこともある。そして時折、ニコルの体温と重みを味わうように恍惚とした様子で立ち止まる。
「ふふ、ニコのおしりって柔らかいね。君の股が僕の背に当たっていると思うと昂ぶってしまうよ、ふふふっ。うっ……ふぅ……」
「レインっ、変なこと言わないでよ! それよりも頑張って走って。約束の時間に遅れちゃう!」
「えぇ? 別に急ぐ必要なんてなくない? 僕はこのままでいたいんだけど。ニコに抱っこしてもらえるし」
「もう、マイペースなトナカイさん!」
ニコルはレインの扱いに随分苦労をし、やはり他のトナカイを迎えるべきだろうかと悩んだが、頭のいいレインはトナカイ数頭分の働きをしてくれるので、別にこのままでもいいかと割り切ることにした。
初めてサンタクロースとなった年も、そしてその次の年も。ニコルは子どもたちの夢をひとつも叶えることができなかった。
地図が読めないニコルは、まず目的地へ辿り着くことができない。不器用なゆえにプレゼントの梱包も上手くできず、大きな荷物は持てないから他のサンタクロースに任せるしかない。
雪の上を歩けば転ぶ。華奢な体格のせいで、少しでも重い荷物を持てば息切れしてしまう。あたふたしているうちに届け先がひとつもなくなって、何も達成することができないまま聖夜を終える。レインがニコルの仕事を懸命に支えても結果は同じだった。
心無い者たちは、ニコルを見てひそひそと陰口を叩いた。
祖父は最高のサンタクロースだったのに、どうして孫はあんなに駄目なのか。あの娘は幼い頃から、何一つまともにできない愚図だった。
きっと頭のどこかが足りないに違いない。何せ、獣人とトナカイの区別もつかない馬鹿な娘なのだ。悪しき魔女の使いを、家族だと言っていつまでも傍に置いている。あの娘はきっと獣人に呪われてしまったのだろう。
あの娘は落ちこぼれだ。いつまでも『ドジのニコル』のままだ。のろまなニコルに、サンタクロースの仕事が務まるとは到底思えない……。
少女の柔らかな心がずたずたに傷付いていく。
ニコルはやがて、大好きだった冬の到来をひどく怖れるようになってしまった。
*ー*ー*ー*ー*ー*
ジャムパイを食べ終えたニコルは、レインの大きな体を背もたれにしながらソファで寛いでいた。もこもことした獣人の腕はとても手触りが良く、撫でていると気の沈みが少し和らぐ。
ゆらゆら揺れる暖炉の火を見つめながら、ニコルは小さく溜息を吐いた。
「ニコ、どうしたの? 何だか顔色が悪いよ。もしかして体調が悪い?」
レインはニコルの肩に顎を乗せ、心配そうに訊ねた。
「元気がないなら僕の角を煎じて飲ませてあげようか。獣人の角は滋養強壮の源だよ。ニコのためならいくらだって角を削るよ」
「あはは……レインは優しいね。でもそんなことをしなくてもいいよ。私はレインの立派な角が好きだからね」
「ふぅん。僕はニコに角を飲んでほしかったのに」
拗ねた顔をするレインにニコルは苦笑し、彼の鼻にキスを落とした。
「心配かけてごめんね。私はただ、聖夜が来るのが怖いだけ。憂鬱で仕方ないのよ。私は今年も……ひとつもプレゼントを届けられないんじゃないかって」
ニコルのまなじりに涙が滲む。
それに気がついたレインは顔を寄せ、ぺろりとニコルの涙を舐め取った。
「ニコ、何を気にしてるの。別にプレゼントを届けられなくたっていいじゃない。君が無理なら他の奴が届けるだけだし」
「それじゃだめなの。私がこのままだったら、おじいちゃんまで酷いこと言われちゃう」
ニコルは震え交じりの声を出し、自分の膝に顔を埋めた。
「おじいちゃんは伝説のサンタクロースだったのに、どうして私はこんなに駄目なんだろう?」
……おじいちゃんは、とても立派なサンタクロースだった。
服がはち切れんばかりにお腹が出っ張っていたのに、狭い煙突からするりと家の中へ侵入することができた。
煤に汚れず、息を切らせることもなく。九頭のトナカイと共に世界中を駆け、一晩のうちに何百人もの子供に贈り物を届けてみせた。
「ぐすっ、うぅ……。おじいちゃんは、北国のスピードスターって呼ばれてた。あんなに太ってたのに、百メートルをたったの五秒で駆け抜けることができたのよ? そりを立ち乗りして崖を垂直滑走することも得意だった! なのに私は、なんにもできない!」
「ニコ、それは僕たちの爺さんが人並み外れて凄かっただけだ。君があんな風になる必要はないんだよ」
「うぅっ……でも、でも……」
愛嬌のある外見。高潔な精神。
皆の憧れそのもの。
誰からも愛される、穏やかな老父。
私は、おじいちゃんのように他人を笑顔にする存在になりたかった。
――おじいちゃん、私ね。おじいちゃんみたいなサンタクロースになりたい! 私みたいなドジでもなれるかな?
――ああ、もちろん。なれるとも。
戯言と笑わず、おじいちゃんは孫の夢を真っ直ぐに受け止めてくれた。
――おっきな袋にいっぱい小包を詰め込んで、世界中にばらまくのよ! そうしたら、プレゼントをいちばん届けたサンタクロースは私になるでしょ?
――ふぉっふぉ。それは素敵じゃのう!
たっぷりとした白髭を撫でながら、おじいちゃんはこう言った。
――ニコルや、よく覚えておきなさい。サンタクロースの務めはたくさんの贈り物を届けることではなく、子供を笑顔にすることじゃ。ひとりでも誰かを笑顔にすることができたら、それはとても尊い行いなのじゃよ。
――たったひとりだけでも?
――ああ、たったひとりだけでも。レインと共に駆け、子供を笑顔にするサンタクロースになりなさい。ニコルならできる。おじいちゃんは天国に行った後も、ずっとおまえたちのことを見守っているからね。
……その言葉は、自分の支えだ。
サンタクロースは、おじいちゃんが心から愛した仕事だった。少しでもおじいちゃんに近づけるよう頑張りたい。彼の顔に泥を塗るような真似はしたくない。
立派になって、天国にいるおじいちゃんを安心させてあげたいのに。
「なのに、私は……いつまでも落ちこぼれのまま」
紅色の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。レインはきゅっと眉を寄せ、ニコルを労るように抱き締めた。
「ニコは落ちこぼれなんかじゃない。君が一生懸命頑張ってるのは知ってるよ。もし悪口をぶつけてくる奴がいたら僕が追い払ってあげる! だからもう泣かないで……。君が泣くと、僕まで悲しくなるんだ」
自分を懸命に慰めてくれるレインに、ニコルは罪悪感を抱いた。
こんな素晴らしいトナカイに仕えてもらっているのに、何もできない自分が酷く恥ずかしい。
ああ、駄目だ。しっかりしないと。
おじいちゃんだけではなく、大好きなレインまで悪口を叩かれてしまう。
「可愛いニコ、元気を出して。君が笑ってくれるなら、僕は何度だってパイを焼くよ」
レインが慰め続けてもニコルの涙は止まらない。彼女は暫し泣いた後、すっくとソファから立ち上がった。
「ごめん。私ちょっと外に出てくるね」
「ニコ?」
「少しひとりになりたいの。大丈夫、すぐに戻るから」
心配そうに首を傾げるレインから顔を背け、ニコルはサンタクロースの赤外套を羽織った。ついて来ようとするレインを止め、寒風吹きすさぶ外へ飛び出す。
(私を元気づけようと、せっかくジャムパイを作ってくれたのに……。情緒不安定なサンタクロースでごめんね、レイン)
ニコルは赤くなった鼻を啜り、逃げるようにその場を後にした。
「ニコ、どうしちゃったんだろう」
愛しい少女の後ろ姿を見つめ、レインはぽつりと呟いた。外に出るニコルの横顔は強張っていて、とても思い詰めている様子だった。
近頃、ニコルの様子がおかしい。
彼女は何か抱え込んでいるようだ。
今までは好物のジャムパイを食べさせれば、すぐ元気になってくれたのに。
「外は寒いよ、ニコ。出かける時は僕も連れていってよ……」
そっと退けられた手が痛い。
雪煙の向こうに消えた少女に向けて、レインは声を掛けた。
「レインはわたしのトナカイさんだから、わたしがしっかりお世話してあげるね!」
ニコルは毎日レインの毛に櫛を入れ、彼の首にリボンを結んであげた。不器用なブラッシングは艷やかなレインの体毛をぼさぼさにしてしまうものだったが、獣人の少年はニコルにされるがままじっとしていた。
「ニコは僕のサンタクロースだから、僕がしっかり見守ってあげるね」
それがレインの口癖だった。
ニコルは大変危なっかしい少女だ。何もないところで転び、熱い料理にそのまま手をつけるせいで頻繁に火傷をする。何をしても上手くできないため、彼女は村の子供たちから「ドジのニコル」と呼ばれていた。
少女の輝く金髪と深紅色の瞳は、白夜に浮かぶ夏の太陽、そして森に実るコケモモを思わせる。山で暮らしてきたレインにとって、ニコルが持つ鮮やかな色彩は眩しいものだった。見た目の可愛さも相まって、レインは間の抜けたニコルを放っておくことができなかった。
獣人の少年は、甲斐甲斐しく少女の世話をした。家にいる時は二本足で歩き、ニコルと共に家事をする。外にいる時は四本脚に化け、ニコルが雪に足を取られることがないようにと背に乗せた。
ニコルは、いつも自分を気遣ってくれるトナカイのことが大好きだった。レインを『ユッカ村いちばんのトナカイさん』と褒め称え、朝晩欠かさず鼻にキスをした。
「大好きだよ、かわいいかわいいわたしのレイン」
初めからニコルに好意的だったレインだが、純真無垢な愛情を真っ直ぐに向けられて、彼の庇護欲求はどんどん暴走していった。
「ねえニコ。絶対に僕以外の男を見ないでね。絶対だよ!」
独占欲が強いレインはニコルにそう言い聞かせ、彼女が自分以外の存在と接触することを酷く嫌がった。
ニコルに話しかける村の子供を角で追い払い、ニコルが他のトナカイを撫でれば嫉妬に一日中涙を流す。大らかで可愛らしいニコルは住民からもトナカイからも好かれていたが、レインが暴れ回るせいで彼女に近づく者は段々と少なくなった。
レインは自分の抜け毛でコートを作り、風邪を引かないようにとニコルに着せた。それでもニコルが体調を崩してしまえば、自分の至らなさに悔し泣きをしながら毛を抜き、もっと分厚いコートを仕立てようとした。
毎晩ベッドに潜り込むという宣言通り、レインは一日も欠かさずニコルの隣で寝た。レインはニコルが深く眠っているのを確認すると、目をかっ開きながら限界まで顔を近づけ、愛しい少女にしつこく自分のにおいを擦りつけた。
ニコルと同じものを食べ、同じように過ごし、一瞬でも彼女と離れることがあれば不安に取り乱す……それがレインという少年だった。
このままでは孫が食われる。常軌を逸した執着にニコルの祖父は頭を抱えたが、当のニコルはあまり気にすることなく『甘えん坊さんね』と言いながらレインを可愛がり続けた。
レインに危機感を抱いたのはニコルの祖父だけではない。ユッカ村の大人たちは獣人の少年を見て大層驚き、なんとかレインをニコルから引き離そうとした。
村人から『それはトナカイか?』『そいつは獣人だぞ』『魔女の使い魔だぞ』『一緒にいたら危険だぞ!』という言葉を投げかけられる。毎日心配そうに話しかけられるうち、鈍感なニコルも首を傾げるようになった。
そういえばレインは、通常トナカイが好む干し草や苔を全く食べない。手の込んだ料理を食べ、ナイフとフォークを行儀よく使い、きっちりと服を着る。
手先が器用で、美味しいジャムパイを焼いてくれる。状況に応じて四足歩行と二足歩行を巧みに使い分け、いくら祖父が頼んでも決してそりを引かないという気位の高さも持つ。
自分の知っているトナカイとは随分違う。
もしかして、レインはトナカイではない……?
しかし、大らかなニコルはそれ以上気にすることはなかった。
レインはおっちょこちょいの自分を丁寧にサポートしてくれる。心優しい彼がいなければ、自分は日々生活する上で随分と苦労していただろう。
自分はレインをトナカイとして迎え入れた。彼は未来のサンタクロースを支えてくれる、最高のパートナーだ。
レインは、誰が何と言おうとトナカイだ。
可愛くて賢い、ユッカ村いちばんのトナカイなのだ。
……ちょっと様子がおかしくて、度を越した甘えん坊だとしても。
「好きだよ、ニコ。君って本当に可愛いなあ」
レインは事あるごとにそう囁き、ニコルの腰に腕を回してくる。耳元で囁かれる愛の言葉は年を経る毎に甘く、大胆なものへと変わっていく。
「君の唇はぷるっとしているね。舐めたらとっても美味しいんだろうなあ。ねえニコ、キスしていい?」
愛くるしさが全面に出ていたレインの貌は、いつの間にか男らしいものに変わった。黄と青の双眼には、ニコルが知らない熱が宿っている。美しい獣人の男に見つめられるたび、彼女は胸がとくとくと跳ねるのを感じた。
これは、何だろう。
ニコルはレインの接触で自分が変になるのをはっきりと自覚したが、その理由に向き合うのは何だかこそばゆい気がして、心の中に芽生えた感情に気づかないふりをし続けた。
「もう、レインったら。挨拶のキスはほっぺたにするんだよ。私の口にはしちゃだめ!」
腕からするりとニコルが抜け出す。自分のアピールを受け止めてくれない少女の姿勢に、レインはもどかしさを感じていた。
逃げる主の後ろ姿に、そっと囁く。
「……僕は、君の唇に愛のキスをしたいんだ」
ニコルに、男として見てもらいたい。
可愛いトナカイと言ってもらえるのは嬉しいけれど、いい加減彼女に意識してほしい。だって、自分はニコルのことを深く愛しているから。
己に害を為そうとした獣人を、進んで家に迎え入れた恐れ知らずの少女。独占欲が強い自分をすぐ嫌になると思っていたのに、ニコルはいつも『大好きだよ、私のレイン』と言ってくれた。
寒いからと焚き火の傍に連れて行ってくれた優しさが好きだ。自分をぬいぐるみみたいだと笑う可愛らしい顔が好きだ。
周囲に何を言われても、決して自分を手離さなかったところが好きだ。
――レイン、一緒に帰ろう。そんなところにいたら寒いよ。
全部好きだ、大好きだ。
ニコルの傍にいると、体だけではなく心まで温かくなる。
獣人は魔女の使い、決して聖人とは相容れない。けれどニコルに必要としてもらえるのなら、この力を人間のために振るうのだって惜しくはない。
ニコルに愛されたい。
彼女の恋人になりたい。番になりたい。
だから。
「ニコ、僕を見て。僕はこんなにも君のことが好きなんだよ……」
少女と獣人はいつも一緒。
最初は怯えていた村人たちも、やがてレインがいる日常に慣れてしまった。彼は凶暴な獣人だが、ニコルに手を引かれている間はほぼ無害だ。放っておいても問題はないだろう……。
ニコルの祖父もまた、レインに対する見方を変えた。
レインは高慢で手のかかる獣人だけれど、孫のことを大切に思い慈しみながら接している。
彼の愛情は本物だ。
レインならば、自分がいなくなった後もニコルを守ってくれる。
老父は獣人の少年をトナカイとしてではなく、もうひとりの孫として可愛がったのだった。
*
ニコルが十五歳の時、大好きな祖父がこの世を去った。
ふくよかな体型に、たっぷりとした白髭を蓄えた朗らかな老父。彼は立派にサンタクロースの仕事を務めた。
祖父は心優しく、敬虔な男だった。貧しい者に施しを与えることを日課としていた祖父は、サンタクロースの仕事に憧れて、このユッカ村で聖人の赤外套を受け取ったのだ。
九頭のトナカイを率いて、世界中の子どもに贈り物を届けた彼はユッカ村の誇りだ。広場には祖父の功績を称える像が建てられ、その近くにあるポストには、子どもたちがサンタクロースに宛てた手紙がひっきりなしに届くのだった。
成人を迎えたニコルは、祖父と代替わりをするように新たなサンタクロースとなった。彼女は村の慣例に従い、山に入って自分に仕えてくれるトナカイを探そうとしたが、レインがそれを許さなかった。
「ねえニコ。僕以外のトナカイを婿に迎えるだなんて、何を考えてるの」
ぎゅうと腕に力が込められる。背後からレインに抱きしめられたニコルは、一生懸命身を捩らせてなんとか彼から逃れようとした。
「婿に迎えるんじゃないよ、そりを引いてもらうの。サンタクロースはたくさんの荷物を運ばなければいけないのよ、あなただって知ってるでしょ?」
「そりなんて必要ない! 君は僕の上に乗っていればいいじゃないか!」
「もう、それじゃちょっとしか荷物を持てないじゃない。とにかく放してよ、レイン。山に行かせて」
「やだやだやだ! 僕以外のトナカイを連れてくるだなんて絶対に許さないぞ。絶対に絶対にぜえっったいに許さない!!」
わあわあと騒ぐレインの口吻を撫で、ニコルは眉を下げた。
「我儘言わないの、これは村のしきたりなのよ。十五歳の私はひとりで山に入って、トナカイさんを何頭か連れてこなくちゃいけないの! お願いだからいい子で待ってて。ね?」
レインの腕から無理やり抜け出したニコルは、サンタクロースの赤外套を羽織って外へと出た。
「それじゃ、行ってくるから!」
新しいトナカイさんに意地悪しないでね。
念押しするニコルにどろりとした目を向け、レインはかちかちと歯を鳴らした。
「……ああ、そう。いってらっしゃい。でも、君の思い通りにはさせてあげないよ、ニコ……」
聖人服を纏い、美しい白銀の山に入る。
雪原に足を踏み入れて間もなく、ニコルは自分に仕えてくれるというトナカイをたくさん見つけた。
いずれも穏やかで温順な子たちだ。ニコルはその中から数頭のオストナカイを選び、仕事のパートナーとして家に迎えることにした。
レインのことを気がかりに思いながらも、サンタクロースの仕事を手伝ってくれるトナカイと巡り会えたことにほっとする。ニコルは心地よい充足感を覚え、その日は早々にベッドに潜り込んだ。
静かな夜、事件は起こった。
すやすやと眠っていたニコルは、壁が揺れるほどの大きな物音に飛び起きた。窓の向こうから、トナカイの鳴き声と男の怒号が聞こえてくる。
これはただごとではない。ニコルはサンタクロースの赤外套を羽織り、急いで玄関へと向かった。
レインの姿がない。彼はどこに行ったのかと思いながら扉を開けると、大きな影がぬっと現れた。
「やあ、おはよう。良い夜だね」
そこには笑顔のレインが立っていた。
尖った鼻から、ふうふうと荒い息が漏れている。彼は少し疲れているようだ。大きな枝角に、何か赤いものが付着している……。
「ひぇっ」
異様なレインの様子にニコルは息を呑んだ。彼お気に入りの、糊のきいた白シャツが真っ赤に染まっている。
いったいどうしたんだと訊ねるニコルを見下ろし、レインはゆっくりと目を細めた。
「自主サンタクロースしてきたんだ」
「自主……サンタクロース? なにそれ?」
「大きなそりの上に荷物を乗せてね、山に送り届けたんだよ」
ニコルはレインの言葉に首を傾げ、そしてはっとした。家の前に繋いでおいたトナカイが一頭もいない。驚くニコルに、レインは明るい笑い声を上げた。
「ふふっ、ふふふふふ! いやあ、大変だったんだよ。山に帰れって言ったらみんな怒っちゃってさ、僕に襲いかかってきたんだ! びっくりしたあ、トナカイってあんなに凶暴なんだね」
「ぁ、あの、レイン……?」
「身の程を知ってもらうために、程々に調教した上でそりに乗せたよ。山に着いてからもとんでもない目に遭った。可愛い女の子に仕えたいっていう変態が多くてさ、僕はオストナカイの集団と戦う羽目になったんだ! ふふっ、僕は強いから全員追い払ってやったけどね」
可愛いニコ。君って本当に人気があるんだね。
悪い虫が付かないように、これからも僕が見守ってあげるね。
とろりとした男の声が落ちる。レインは機嫌良さそうに鼻歌を紡ぎ、ニコルが羽織る赤外套を見た。
「ふふ。僕もニコも真っ赤。僕たちお揃いだね! ああ、そうそう。もう僕以外のトナカイを迎えないでよね。次こんなことしたら本気で怒るからね」
レインの低い声に背筋が凍る。どろどろした目を向けてくる獣人の男に、ニコルは頷くしかなかった。
「うん、いい子。君が僕だけを見てくれたら、これからも僕は温厚なレインのままでいられるんだ。よろしくね、ニコ!」
……そしてニコルは、レインのみを従えてサンタクロースの仕事を始めることになってしまった。
レインは決してそりを引かない。背にニコルを乗せ、自分にしっかり抱きつくよう彼女に言い聞かせる。ニコルがもこもことした腹に腕を回さなければ、レインは絶対に走ってくれなかった。
レインは気分屋だ。勢い良く駆ける時もあれば、悠々と歩くこともある。そして時折、ニコルの体温と重みを味わうように恍惚とした様子で立ち止まる。
「ふふ、ニコのおしりって柔らかいね。君の股が僕の背に当たっていると思うと昂ぶってしまうよ、ふふふっ。うっ……ふぅ……」
「レインっ、変なこと言わないでよ! それよりも頑張って走って。約束の時間に遅れちゃう!」
「えぇ? 別に急ぐ必要なんてなくない? 僕はこのままでいたいんだけど。ニコに抱っこしてもらえるし」
「もう、マイペースなトナカイさん!」
ニコルはレインの扱いに随分苦労をし、やはり他のトナカイを迎えるべきだろうかと悩んだが、頭のいいレインはトナカイ数頭分の働きをしてくれるので、別にこのままでもいいかと割り切ることにした。
初めてサンタクロースとなった年も、そしてその次の年も。ニコルは子どもたちの夢をひとつも叶えることができなかった。
地図が読めないニコルは、まず目的地へ辿り着くことができない。不器用なゆえにプレゼントの梱包も上手くできず、大きな荷物は持てないから他のサンタクロースに任せるしかない。
雪の上を歩けば転ぶ。華奢な体格のせいで、少しでも重い荷物を持てば息切れしてしまう。あたふたしているうちに届け先がひとつもなくなって、何も達成することができないまま聖夜を終える。レインがニコルの仕事を懸命に支えても結果は同じだった。
心無い者たちは、ニコルを見てひそひそと陰口を叩いた。
祖父は最高のサンタクロースだったのに、どうして孫はあんなに駄目なのか。あの娘は幼い頃から、何一つまともにできない愚図だった。
きっと頭のどこかが足りないに違いない。何せ、獣人とトナカイの区別もつかない馬鹿な娘なのだ。悪しき魔女の使いを、家族だと言っていつまでも傍に置いている。あの娘はきっと獣人に呪われてしまったのだろう。
あの娘は落ちこぼれだ。いつまでも『ドジのニコル』のままだ。のろまなニコルに、サンタクロースの仕事が務まるとは到底思えない……。
少女の柔らかな心がずたずたに傷付いていく。
ニコルはやがて、大好きだった冬の到来をひどく怖れるようになってしまった。
*ー*ー*ー*ー*ー*
ジャムパイを食べ終えたニコルは、レインの大きな体を背もたれにしながらソファで寛いでいた。もこもことした獣人の腕はとても手触りが良く、撫でていると気の沈みが少し和らぐ。
ゆらゆら揺れる暖炉の火を見つめながら、ニコルは小さく溜息を吐いた。
「ニコ、どうしたの? 何だか顔色が悪いよ。もしかして体調が悪い?」
レインはニコルの肩に顎を乗せ、心配そうに訊ねた。
「元気がないなら僕の角を煎じて飲ませてあげようか。獣人の角は滋養強壮の源だよ。ニコのためならいくらだって角を削るよ」
「あはは……レインは優しいね。でもそんなことをしなくてもいいよ。私はレインの立派な角が好きだからね」
「ふぅん。僕はニコに角を飲んでほしかったのに」
拗ねた顔をするレインにニコルは苦笑し、彼の鼻にキスを落とした。
「心配かけてごめんね。私はただ、聖夜が来るのが怖いだけ。憂鬱で仕方ないのよ。私は今年も……ひとつもプレゼントを届けられないんじゃないかって」
ニコルのまなじりに涙が滲む。
それに気がついたレインは顔を寄せ、ぺろりとニコルの涙を舐め取った。
「ニコ、何を気にしてるの。別にプレゼントを届けられなくたっていいじゃない。君が無理なら他の奴が届けるだけだし」
「それじゃだめなの。私がこのままだったら、おじいちゃんまで酷いこと言われちゃう」
ニコルは震え交じりの声を出し、自分の膝に顔を埋めた。
「おじいちゃんは伝説のサンタクロースだったのに、どうして私はこんなに駄目なんだろう?」
……おじいちゃんは、とても立派なサンタクロースだった。
服がはち切れんばかりにお腹が出っ張っていたのに、狭い煙突からするりと家の中へ侵入することができた。
煤に汚れず、息を切らせることもなく。九頭のトナカイと共に世界中を駆け、一晩のうちに何百人もの子供に贈り物を届けてみせた。
「ぐすっ、うぅ……。おじいちゃんは、北国のスピードスターって呼ばれてた。あんなに太ってたのに、百メートルをたったの五秒で駆け抜けることができたのよ? そりを立ち乗りして崖を垂直滑走することも得意だった! なのに私は、なんにもできない!」
「ニコ、それは僕たちの爺さんが人並み外れて凄かっただけだ。君があんな風になる必要はないんだよ」
「うぅっ……でも、でも……」
愛嬌のある外見。高潔な精神。
皆の憧れそのもの。
誰からも愛される、穏やかな老父。
私は、おじいちゃんのように他人を笑顔にする存在になりたかった。
――おじいちゃん、私ね。おじいちゃんみたいなサンタクロースになりたい! 私みたいなドジでもなれるかな?
――ああ、もちろん。なれるとも。
戯言と笑わず、おじいちゃんは孫の夢を真っ直ぐに受け止めてくれた。
――おっきな袋にいっぱい小包を詰め込んで、世界中にばらまくのよ! そうしたら、プレゼントをいちばん届けたサンタクロースは私になるでしょ?
――ふぉっふぉ。それは素敵じゃのう!
たっぷりとした白髭を撫でながら、おじいちゃんはこう言った。
――ニコルや、よく覚えておきなさい。サンタクロースの務めはたくさんの贈り物を届けることではなく、子供を笑顔にすることじゃ。ひとりでも誰かを笑顔にすることができたら、それはとても尊い行いなのじゃよ。
――たったひとりだけでも?
――ああ、たったひとりだけでも。レインと共に駆け、子供を笑顔にするサンタクロースになりなさい。ニコルならできる。おじいちゃんは天国に行った後も、ずっとおまえたちのことを見守っているからね。
……その言葉は、自分の支えだ。
サンタクロースは、おじいちゃんが心から愛した仕事だった。少しでもおじいちゃんに近づけるよう頑張りたい。彼の顔に泥を塗るような真似はしたくない。
立派になって、天国にいるおじいちゃんを安心させてあげたいのに。
「なのに、私は……いつまでも落ちこぼれのまま」
紅色の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。レインはきゅっと眉を寄せ、ニコルを労るように抱き締めた。
「ニコは落ちこぼれなんかじゃない。君が一生懸命頑張ってるのは知ってるよ。もし悪口をぶつけてくる奴がいたら僕が追い払ってあげる! だからもう泣かないで……。君が泣くと、僕まで悲しくなるんだ」
自分を懸命に慰めてくれるレインに、ニコルは罪悪感を抱いた。
こんな素晴らしいトナカイに仕えてもらっているのに、何もできない自分が酷く恥ずかしい。
ああ、駄目だ。しっかりしないと。
おじいちゃんだけではなく、大好きなレインまで悪口を叩かれてしまう。
「可愛いニコ、元気を出して。君が笑ってくれるなら、僕は何度だってパイを焼くよ」
レインが慰め続けてもニコルの涙は止まらない。彼女は暫し泣いた後、すっくとソファから立ち上がった。
「ごめん。私ちょっと外に出てくるね」
「ニコ?」
「少しひとりになりたいの。大丈夫、すぐに戻るから」
心配そうに首を傾げるレインから顔を背け、ニコルはサンタクロースの赤外套を羽織った。ついて来ようとするレインを止め、寒風吹きすさぶ外へ飛び出す。
(私を元気づけようと、せっかくジャムパイを作ってくれたのに……。情緒不安定なサンタクロースでごめんね、レイン)
ニコルは赤くなった鼻を啜り、逃げるようにその場を後にした。
「ニコ、どうしちゃったんだろう」
愛しい少女の後ろ姿を見つめ、レインはぽつりと呟いた。外に出るニコルの横顔は強張っていて、とても思い詰めている様子だった。
近頃、ニコルの様子がおかしい。
彼女は何か抱え込んでいるようだ。
今までは好物のジャムパイを食べさせれば、すぐ元気になってくれたのに。
「外は寒いよ、ニコ。出かける時は僕も連れていってよ……」
そっと退けられた手が痛い。
雪煙の向こうに消えた少女に向けて、レインは声を掛けた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果
てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。
とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。
「とりあえずブラッシングさせてくれません?」
毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。
そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。
※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。



番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。
石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。
雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。
一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。
ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。
その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。
愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる