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第34話 孤独の城―1

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「懐かしい道ですね」

 どうやら、いつの間にか夢の中に入ったらしい。
 周囲には無数の液晶ディスプレイのようなものが浮かんでいる。
 様々な角度でほぼ空間に映像が投影されているようなさまは、まるでSF映画のワンシーンのようだった。
 背景はどこまでも真っ白で、寂寥感が漂っている。

「なんだ? ここ」

 左右を見回しても、マイの姿はない。

「初めてマイさんの夢の中に入った時に通った、あなたの夢の端っこです。
 今回もここからマイさんの夢に入ることになりそうですね」

 夢見に言われて、初めてマイの夢の中に飛び込んだ時のことを思い出す。
 たしか延々と真っ白な空間で、俺の姿でさえ霞のように不確かだった。

「あのときと違う」
「以前よりも心が柔軟になっている証拠ですよ。新しく思い出したこともあるようですし」

 すべて見通しているかのような言葉にぎくりとする。

 新しく思い出したこと。
 本当は記憶の底に沈めたままにしておきたかったこと。
 屋上で出会った彼女のこと。

 油断すれば無数に浮かぶ液晶ディスプレイのひとつにあのときの記憶が映ってしまいそうで、俺は妙な緊張感を覚えた。

「ここに映っている映像は、いわばあなたの原風景です。あなたを形作る思い出たちですね」

 どこか楽しそうに言って、夢見は周囲を見回す。

「おい、あんまり見るな」
「恥ずかしがることはありませんよ。私たちと人間の尺度は違いますから、どんな場面を見ようとそれは公園にいる鳩さんの粗相を偶然見てしまったようなもので――」
「黙らないとその尻尾むしり取るぞ」
「ひっ」

 夢見の両耳がぺたんと垂れる。

「なんて恐ろしいことをおっしゃるんですか」

 どうやらバクの尻尾は引っ張られるとすこぶる痛いらしいという知見を得た。
 けれど夢見はすぐに顔をあげて、上機嫌に歩きながら周囲に浮かぶ映像に視線を向ける。

「見るなっつーのに」
「ああ、あれは小さい頃のあなたですか? とても楽しそうですね」

 夢見がさしたひとつの映像に、俺は思わず足を止めた。

 スーツアクター達が、アクロバティックな動きで怪獣を倒していく。
 あれはデパートの中央広場でやっていた、チープなヒーローショーだった。

 ちょうど両親に家具屋に連れて行かれて、人生初のウォーターベッドに感動した後のことだった。
 デパートのテナントだった家具屋を出てすぐ、勇ましいBGMと共にステージの上に5人のヒーロー達が躍り出た。
 母親に手を引かれていた俺は、思わず足を止めた。

 ヒーロー達は噴水のあるステージで華麗なフォーメーションを決め、仲間と連携して怪物を倒し、それぞれのポーズを決める。
 子どもの頃の俺は、きらきらした瞳で夢中になってヒーローを見つめていた。
 ショーがあっという間に終わってしまった後も、俺はその場から動かず母親を困らせた。

 生まれて初めて、言いようのない感動に包まれていたからだ。
 突然現れた怪物から、この場にいるみんなを守るために戦ったヒーローは、一瞬で俺の心を奪っていった。
 そしていつの間にか周囲にいた観客達も去り、困り果てた母親がきょろきょろと周囲を見回す。
 すると舞台袖から赤いスーツを着たヒーローの一人が出てきて、俺と握手をし、頭を撫でてくれたのだった。

 この後しばらく幼稚園でヒーローの真似をするのにハマり、着地に失敗して何度も手足を擦りむき怒られたことを覚えている。

 思えば俺は、ずっとあのヒーローの姿に憧れていたのかもしれない。
 あのヒーローはいつも正義感に燃えていて、悪い奴を倒し、子どもに優しい。
 だったらスーツアクターでも目指せばいいようなものだが、保育士を目指し現実的なところに落としどころをつけようとしたのは、ひとえに自信のなさのせいだったのかもしれない。

 俺は誰かにとってのヒーローになりたかった。
 誰かを救いたかった。

 でも俺にはそんなことできない。
 それは高校生のあの時に実証済みだった。

 そもそも、誰かを救いたいなんておこがましい願いなのだろう。
 自分の存在があるからこそ成り立つ他者を求めている。
 それはとんでもなく依存的な生き方で、ヒーローの本質とはほど遠い気がした。
 今の悪徳会社に入社してしまったのは、もしかしたら昔の自分への当てつけのようなものだったのかもしれない。

 俺はヒーローになれない。
 マイを助けたいと言っておいてなんだが、俺は今までの夢の中でもたいしたことは出来ていないし、助けられるほどの器があるとも思っていない。

「……昭博?」
 黙り込んでしまった俺を、夢見が怪訝そうな声で呼ぶ。
「なんでもない」
 俺は素っ気なく答えて、歩く速度を速めた。

 ……夢見の案内で夢の中に入るようになってから、自分のどうしようもないところを掘り起こされ晒されてる気分だ。

 思えばマイは無意識のうちに俺にそんな心の中を晒しているということで、もし勝手に夢の中に入っていることがバレたら平手打ちでもされるかもしれない。
 少なくとも俺だったら恥ずかしいし、この上なくいたたまれない。

 『本当の自分』なんて認識したくないし、他人に知られたくもない。
 この気持ちが普遍的なものなのか、それとも俺が思春期にこなすべき課題のようなものを取りこぼしてしまったのかはわからないが。

「もうすぐですよ」
「え?」

 白い空間に浮かび上がっていた無数のディスプレイがふっと消え去る。
 次の瞬間強い風が吹き、白い背景だと勘違いするほどに周囲を埋め尽くしていた濃霧を一瞬のうちに吹き飛ばした。

 そして現れた景色に、絶句する。
 そこあったのは、茨に覆われた古城だった。
 前回の夢のように、人が住んでいる城にはとても見えない。
 朽ちかけたレンガの壁には無数の蔦が這い、庭は禍々しい棘付きの植物が縦横無尽に生い茂っていた。
 俺たちは黒い門の鉄格子ごしに城を見上げた。

「この中にマイがいるのか……? つっても、門開きそうにないけど――うわっ」

 俺の言葉を遮るようにして、門が鈍い音を立てる。
 慌てて離れると、ゆっくりと左右に開いていった。

「入って来いってことか」
「行きましょう」

 俺が先に入り、後から続いて夢見が門を通ろうとすると――

「うおっ!?」

 開いた時の優雅な動きが嘘のように、門が恐ろしい早さで閉まった。
 夢見の身体を挟まんばかりのスピードだったが、白い獣はしなやかにするりと逃れる。

「おや、残念です。私は許されなかったようですね」

 今や完全に閉まった門の向こうで、夢見が言う。

「え……?」
「マイさんの心が拒否しているんですよ。……というよりも、昭博、あなただけに許可していると言った方が正確でしょうか。無理矢理押し入ることも出来ますが、今マイさんは大変不安定な状態です。こうもあからさまに拒まれてしまっては強行突破するのも危険でしょう」
「つまり、この先は俺一人ってことか」
「引き返しますか?」
「……いや」

 今までマイの夢の中で危険な目に遭っても無事で済んでいるが、夢見なしでどうなるかはわからない。
 なにかが起こっても、俺のなけなしの想像力でなんとかするしかない。

 もしこの夢の中でリアルな『死』を体験すれば、最悪現実の俺にも影響が出るかもしれない。
 でもそんなことは今更だ。

 ぐだぐだ考えて、言い訳をして、予防線を張ったって、ここまで来たからには前に進むしかない。

「行く」

 短く答えると、夢見は俺の返事を予想していたような顔で頷いた。

「頼もしいですね。それではマイさんをお願いします」



 ……一人でここに入ったのは間違いだったのかもしれない。
 すぐにそう思った。

 城のエントランスは錆ともカビともつかない赤茶色や黒の汚れに覆われ、壁にかけられた燭台が薄気味悪く辺りを照らしている。 
 時折、獣のうめき声か、あるいは幽霊のすすり泣きのようなものが聞こえてきた。
 不気味な声は反響し、どこから聞こえてきているのかもわからない。

 まるきりホラー映画のシチュエーションだ。
 前回はまだ景色だけは明るいファンタジーだったからいいものの、今回は見るからにヤバいものが出てきそうだった。
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