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第32話 裕美さんがご来店です
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「なんだこれ」
かすれた声が唇からこぼれる。
俺はオフィスの自席でニュースサイトを開きながら昼食を撮っていた。
目に留まったのは、芸能ニュースの中のある見出しだ。
『愛沢マイ、ストーカー相手に本心を暴露!? 暴言が物議を醸す』
「ママママイマイ!? マイマイどしたの!?」
はす向かいで同じニュースサイトを見ていたらしい青木がバグっている。
そういえばこいつ、マイのファンだって言ってたな。
記事を下にスクロールしていくと、地面に膝をついた昨日の男と、それを見下ろすマイの隠し撮り写真が添付されていた。
それに加えて、音声ファイルも。
「っ……!」
◆
焦燥感を抱えながら仕事を終えた後、俺は急いでBAKUへと帰ってきた。
野次馬が店に来ていることを覚悟していたものの、俺の予想に反して、BAKUの周囲も店内も静かなものだった。
というか、やっぱり今日も客がいない。
大丈夫なのかこの店。
「ああ、昭博。お帰りなさい」
「いつも通りだな。例の現場として、マスコミかなにかが話を聞きにくるんじゃないかと思ったが」
カウンターの向こうにいる夢見が眉根を寄せる。
「マイさんの報道ですか。ワイドショーでも話題になってました。
お気の毒ですね。昭博もお疲れ様でした」
昨夜表で起こっていることに気づけなかったことを再び詫びながら、夢見がコーヒーを入れて、カウンターに置く。
俺も上着を脱いでその席に腰掛けた。
幸世はどうやらもう帰ったらしく、見当たらなかった。
「ちなみに、この店なら心配いりませんよ。
店に害意を持つ人間や、特にこの場所を必要としていない人間はそうそう入れないよう結界が張ってあるんです。
知り合いの妖怪さんたちのご助力で」
「知り合いの妖怪さん……?」
詳しく聞きたいような、聞きたくないような話だった。
とりあえず聞き流すことにする。
「普段は店の中にまで入ってこれないだけなんですけど、少々面倒なことになりそうだったので昼間のうちに結界の範囲を広げておきました。
マスコミが来ようとしてたところで、おそらく道の途中で延々と迷うことになるかと」
「そうか。ならよかったけど」
一番心配なのはマイのことだ。
ネットに上げられていた音声は、微妙に編集を施してあるものだった。
俺はスマホを取り出し、再生ボタンを押す。
『ねえ、さっきずっと見てたって言ったよね? それってなにを?』
『え? だ、だからマイちゃんを……』
『あたしを? テレビの中のあたしを? あんな、馬鹿そうでふわふわした女を? 実際のあたしもあんな風になに言われてもなにされても笑っていられると思った? あんたが見てたのは単なる虚像だよ! 今すぐ謝れ!』
音声はここで途切れている。
直接あの場にいたからこそ、悪意のある編集だとわかった。
マイがアイドルにあるまじき発言をしたことは確かだ。
だが、恐ろしい目に遭ったにも関わらず、相手の男に寄り添うような発言をしたことは、バッサリとカットされている。
マイの評判をおとしめるために――あるいは、惹きのあるゴシップネタで存分に儲けるために。
「マイさん、今頃どうしてるでしょうね」
夢見が心配そうに呟いたそのとき、店内にドアベルが鳴り響く。
入ってきた人物に、俺は思わず目をむいた。
「……おや。見たことのある顔ですね」
小首を傾げて眼鏡のつるを押し上げる夢見を、視線で制する。
「ここに来るのは初めてのはずよ」
入ってきた客――裕美さんが、怪訝そうにそう言って、おぼつかない足取りで俺の横に座った。
まさか、よりによってこの人がこの店にやってくるとは。
「お酒ちょうだい。できれば強いやつ」
「すみませんお客様。ここはバーでは――」
「そこにあるバーボンの瓶は何?」
「ああ。これはバイトの子が置いていったものですね」
飲むな。座敷童が。
「――いいでしょう。
せっかく縁のある方がいらっしゃったことですし、幸世さんには新しいものを買ってお返しすることにします。何で割りましょうか?」
「ロックで」
やがて差し出されたバーボンのロックを、裕美さんは一気に飲み干した。
「ああもう、やってらんない」
この人、たぶん一軒目でだいぶ飲んできたな。
まあ、気持ちはわかるけど。
夢見も同じように感じているのか、何も言わず小皿に盛り付けたオリーブとナッツを裕美さんの前に出した。
荒れまくっている裕美さんの隣で、俺は小さくなりながらコーヒーを飲む。
夢でさんざん話したような気はするが、当然ながら今の裕美さんは魔女ではなく立派な社会人なわけで、ほぼ初対面だ。
うっかり話しかけでもしたら、夢の中と現実が混ざって妙な言動をしかねない。
……けれど、裕美さんの方は俺をそっとしておいてくれなかった。
「あ。あなたもしかして、収録の休憩中にどっか行っちゃったマイを車で収録現場まで送ってくれた人?」
まさか顔を見られてたとは。
「そ、そうですね。あの節はどうも」
「……」
裕美さんは完全に座った目で、グラスをもう一度傾けた。
けれどすでに氷しか入っていないことに気づいて、すぐにカウンターに置く。
「じゃあ私があの子をビンタしちゃったことも知ってるのね」
ため息をつきつつ、空いたグラスをカウンターに乗せると、すかさず夢見がおかわりをつぐ。
これ以上飲ませて大丈夫なのか、若干心配になった。
「あの……心配しなくても、あなたがマイをビンタしてたことをマスコミにたれ込んだりしませんよ」
一応そう伝えてみると、裕美さんの顔がくしゃっとなった。
「そんな心配してないわよぉ。
今となっては、マネージャーのパワハラでニュースになった方が100倍マシよ。
あの子の仕事にそこまで大きな支障は出ないはずだもの」
うつむいた目尻に、きらりと涙が光る。
「ちょっ……泣いてます!? 大丈夫ですか?」
「昭博、泣かせちゃいましたね」
「いや違うだろ! 俺はなにも……」
「昭博は人間が言うところの『女泣かせ』だったんですね。実物を見たのは初めてです」
「珍獣のように言うな!」
俺は慌てて鞄を探り、ハンカチを取り出すと、裕美さんに渡した。
「私は結局あの子を守れなかった!
最近誰かにつけられてる気がするって言うから警戒してたし、あの子の奔放な行動も叱りつけたけど……神経質になりすぎてたのかもしれないわ。
追い詰められた結果があの言動でしょ? 私の責任は大きいわ」
そう嘆いて、裕美さんは俺のハンカチでそっと涙を拭く。
なんだ。話せばわかってくれそうな人じゃないか。
夢見も手を止めて、カウンター越しに裕美さんを見つめている。
「人間は不思議ですね。私たちのように夢を経由して他人の意識の中に入っていく術を持たないのに、言葉にしなくても互いにわかり合えると勘違いしてるんですから」
「お、おい……!」
「……そうね。そうかもしれないわ」
酔っているせいか、裕美さんは夢見の不可解な発言を深くつっこまなかった。
よかった。
こんな状況でバクがどうの傷んだ悪夢がどうのと説明するのはややこしすぎる。
「きっとあなたの言うとおり、話をしなさすぎたのよ。
『私の言うことを聞いていれば絶対に成功できる』なんて、マネージャーになったばかりの頃言ったことを自分で盲信してた。
初めは、初仕事を前にして不安そうにしてたあの子を安心させるためのハッタリだったっていうのにね。
マイが売れるようになって、私もいつの間にかずいぶん傲慢になってたみたい」
そう言うと、裕美さんは二杯目のグラスから手を離した。
「ごちそうさま。話を聞いてくれてありがとう。ハンカチも」
そしてよたよたと椅子から降り、『財布……あれ、財布は~?』と呟きながらハンドバッグを漁り始めた。
この人、ちゃんとしてる時としてない時のギャップが酷すぎるな!
「さて、そろそろ事務所に戻らないと」
「今から戻るんですか!? その酔いっぷりで?」
思わず声を上げると、裕美さんはヒールを鳴らしてしゃんと立ち直した。
いつの間にか涙も頬の赤みも引いていて、見た目だけは素面に見える。
「あんなスキャンダル流されて、しばらくは寝てる暇なんてないわ。
酒でも飲んでないとやってらんないわよ。……あ、でも」
裕美さんが俺にぐいと顔を近づける。
「あなた、マイと知り合いなんでしょう?
どういう関係かは聞かないでおくけど、私がべろんべろんに酔ってたことは言わないであげて」
「どうしてですか?」
「……トラウマがあるのよ、あの子。とにかくお願いね」
それだけ告げて、裕美さんは確かな足取りで店から出て行った。
かすれた声が唇からこぼれる。
俺はオフィスの自席でニュースサイトを開きながら昼食を撮っていた。
目に留まったのは、芸能ニュースの中のある見出しだ。
『愛沢マイ、ストーカー相手に本心を暴露!? 暴言が物議を醸す』
「ママママイマイ!? マイマイどしたの!?」
はす向かいで同じニュースサイトを見ていたらしい青木がバグっている。
そういえばこいつ、マイのファンだって言ってたな。
記事を下にスクロールしていくと、地面に膝をついた昨日の男と、それを見下ろすマイの隠し撮り写真が添付されていた。
それに加えて、音声ファイルも。
「っ……!」
◆
焦燥感を抱えながら仕事を終えた後、俺は急いでBAKUへと帰ってきた。
野次馬が店に来ていることを覚悟していたものの、俺の予想に反して、BAKUの周囲も店内も静かなものだった。
というか、やっぱり今日も客がいない。
大丈夫なのかこの店。
「ああ、昭博。お帰りなさい」
「いつも通りだな。例の現場として、マスコミかなにかが話を聞きにくるんじゃないかと思ったが」
カウンターの向こうにいる夢見が眉根を寄せる。
「マイさんの報道ですか。ワイドショーでも話題になってました。
お気の毒ですね。昭博もお疲れ様でした」
昨夜表で起こっていることに気づけなかったことを再び詫びながら、夢見がコーヒーを入れて、カウンターに置く。
俺も上着を脱いでその席に腰掛けた。
幸世はどうやらもう帰ったらしく、見当たらなかった。
「ちなみに、この店なら心配いりませんよ。
店に害意を持つ人間や、特にこの場所を必要としていない人間はそうそう入れないよう結界が張ってあるんです。
知り合いの妖怪さんたちのご助力で」
「知り合いの妖怪さん……?」
詳しく聞きたいような、聞きたくないような話だった。
とりあえず聞き流すことにする。
「普段は店の中にまで入ってこれないだけなんですけど、少々面倒なことになりそうだったので昼間のうちに結界の範囲を広げておきました。
マスコミが来ようとしてたところで、おそらく道の途中で延々と迷うことになるかと」
「そうか。ならよかったけど」
一番心配なのはマイのことだ。
ネットに上げられていた音声は、微妙に編集を施してあるものだった。
俺はスマホを取り出し、再生ボタンを押す。
『ねえ、さっきずっと見てたって言ったよね? それってなにを?』
『え? だ、だからマイちゃんを……』
『あたしを? テレビの中のあたしを? あんな、馬鹿そうでふわふわした女を? 実際のあたしもあんな風になに言われてもなにされても笑っていられると思った? あんたが見てたのは単なる虚像だよ! 今すぐ謝れ!』
音声はここで途切れている。
直接あの場にいたからこそ、悪意のある編集だとわかった。
マイがアイドルにあるまじき発言をしたことは確かだ。
だが、恐ろしい目に遭ったにも関わらず、相手の男に寄り添うような発言をしたことは、バッサリとカットされている。
マイの評判をおとしめるために――あるいは、惹きのあるゴシップネタで存分に儲けるために。
「マイさん、今頃どうしてるでしょうね」
夢見が心配そうに呟いたそのとき、店内にドアベルが鳴り響く。
入ってきた人物に、俺は思わず目をむいた。
「……おや。見たことのある顔ですね」
小首を傾げて眼鏡のつるを押し上げる夢見を、視線で制する。
「ここに来るのは初めてのはずよ」
入ってきた客――裕美さんが、怪訝そうにそう言って、おぼつかない足取りで俺の横に座った。
まさか、よりによってこの人がこの店にやってくるとは。
「お酒ちょうだい。できれば強いやつ」
「すみませんお客様。ここはバーでは――」
「そこにあるバーボンの瓶は何?」
「ああ。これはバイトの子が置いていったものですね」
飲むな。座敷童が。
「――いいでしょう。
せっかく縁のある方がいらっしゃったことですし、幸世さんには新しいものを買ってお返しすることにします。何で割りましょうか?」
「ロックで」
やがて差し出されたバーボンのロックを、裕美さんは一気に飲み干した。
「ああもう、やってらんない」
この人、たぶん一軒目でだいぶ飲んできたな。
まあ、気持ちはわかるけど。
夢見も同じように感じているのか、何も言わず小皿に盛り付けたオリーブとナッツを裕美さんの前に出した。
荒れまくっている裕美さんの隣で、俺は小さくなりながらコーヒーを飲む。
夢でさんざん話したような気はするが、当然ながら今の裕美さんは魔女ではなく立派な社会人なわけで、ほぼ初対面だ。
うっかり話しかけでもしたら、夢の中と現実が混ざって妙な言動をしかねない。
……けれど、裕美さんの方は俺をそっとしておいてくれなかった。
「あ。あなたもしかして、収録の休憩中にどっか行っちゃったマイを車で収録現場まで送ってくれた人?」
まさか顔を見られてたとは。
「そ、そうですね。あの節はどうも」
「……」
裕美さんは完全に座った目で、グラスをもう一度傾けた。
けれどすでに氷しか入っていないことに気づいて、すぐにカウンターに置く。
「じゃあ私があの子をビンタしちゃったことも知ってるのね」
ため息をつきつつ、空いたグラスをカウンターに乗せると、すかさず夢見がおかわりをつぐ。
これ以上飲ませて大丈夫なのか、若干心配になった。
「あの……心配しなくても、あなたがマイをビンタしてたことをマスコミにたれ込んだりしませんよ」
一応そう伝えてみると、裕美さんの顔がくしゃっとなった。
「そんな心配してないわよぉ。
今となっては、マネージャーのパワハラでニュースになった方が100倍マシよ。
あの子の仕事にそこまで大きな支障は出ないはずだもの」
うつむいた目尻に、きらりと涙が光る。
「ちょっ……泣いてます!? 大丈夫ですか?」
「昭博、泣かせちゃいましたね」
「いや違うだろ! 俺はなにも……」
「昭博は人間が言うところの『女泣かせ』だったんですね。実物を見たのは初めてです」
「珍獣のように言うな!」
俺は慌てて鞄を探り、ハンカチを取り出すと、裕美さんに渡した。
「私は結局あの子を守れなかった!
最近誰かにつけられてる気がするって言うから警戒してたし、あの子の奔放な行動も叱りつけたけど……神経質になりすぎてたのかもしれないわ。
追い詰められた結果があの言動でしょ? 私の責任は大きいわ」
そう嘆いて、裕美さんは俺のハンカチでそっと涙を拭く。
なんだ。話せばわかってくれそうな人じゃないか。
夢見も手を止めて、カウンター越しに裕美さんを見つめている。
「人間は不思議ですね。私たちのように夢を経由して他人の意識の中に入っていく術を持たないのに、言葉にしなくても互いにわかり合えると勘違いしてるんですから」
「お、おい……!」
「……そうね。そうかもしれないわ」
酔っているせいか、裕美さんは夢見の不可解な発言を深くつっこまなかった。
よかった。
こんな状況でバクがどうの傷んだ悪夢がどうのと説明するのはややこしすぎる。
「きっとあなたの言うとおり、話をしなさすぎたのよ。
『私の言うことを聞いていれば絶対に成功できる』なんて、マネージャーになったばかりの頃言ったことを自分で盲信してた。
初めは、初仕事を前にして不安そうにしてたあの子を安心させるためのハッタリだったっていうのにね。
マイが売れるようになって、私もいつの間にかずいぶん傲慢になってたみたい」
そう言うと、裕美さんは二杯目のグラスから手を離した。
「ごちそうさま。話を聞いてくれてありがとう。ハンカチも」
そしてよたよたと椅子から降り、『財布……あれ、財布は~?』と呟きながらハンドバッグを漁り始めた。
この人、ちゃんとしてる時としてない時のギャップが酷すぎるな!
「さて、そろそろ事務所に戻らないと」
「今から戻るんですか!? その酔いっぷりで?」
思わず声を上げると、裕美さんはヒールを鳴らしてしゃんと立ち直した。
いつの間にか涙も頬の赤みも引いていて、見た目だけは素面に見える。
「あんなスキャンダル流されて、しばらくは寝てる暇なんてないわ。
酒でも飲んでないとやってらんないわよ。……あ、でも」
裕美さんが俺にぐいと顔を近づける。
「あなた、マイと知り合いなんでしょう?
どういう関係かは聞かないでおくけど、私がべろんべろんに酔ってたことは言わないであげて」
「どうしてですか?」
「……トラウマがあるのよ、あの子。とにかくお願いね」
それだけ告げて、裕美さんは確かな足取りで店から出て行った。
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