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第26話 沈黙の人魚姫―7

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 城は塀で囲われてはいなかった。
 その代わりに、城の周囲にはぐるりと木々が植えられ、星空を遮るように大きく枝を広げている。

 その隙間からは、白い砂浜と、夜空を明るく照らす月が見え――そして例の『魔物』の姿も垣間見えていた。

「落ち着いてください」

 夢見は俺をなだめてから、何が面白いのか少しだけ微笑んだ。

「前回の夢といい、なんだかマイさんにはホラーの素養を感じますね」
「感心したように言うんじゃねえ! 死ぬだろこれ、というか食われるだろ!」

 俺たちが小声で会話を交わす横で、マイは魔物たちとの遭遇に慣れているのか、警戒しながらも落ち着いた様子だった。
 俺だけがぎゃあぎゃあ騒いでるわけにはいかねえ。
 必死で自分を奮い立たせ、呼吸を落ち着ける。
 幸いまだあいつらが俺たちに気づく気配はない。

 あいつら――そう、満天の星空の下、白い砂浜の上を徘徊するゾンビどもは。

 こんなファンタジー然とした世界観になぜゾンビ。
 思わず出てきたばかりの城を振り返った。世界観統一しろ。

「なかなか斬新な世界観ですが……リゾートさながらの砂浜とゾンビのコンビネーションは、視覚にうったえるものがありそうですね。
 マイさんは意外と映像制作の才能もあるのではないですか?
 昨今のホラー映画は彩度を落とす傾向にあるようですが、いっそコントラストを生かして色彩を強調する方向でも……ほら、砂浜に獲物の血が映えそうですし」
「やめろまじで想像させるな毛え毟るぞ」
「それは勘弁してください。ほんのお茶目に対する罰としては重すぎます」
「お前のお茶目は重罪だ!」

 今のは確実に俺の反応を楽しんでたしな!

「ほら、行きますよ。マイさん、魔女の寝室の方へと案内していただけますか?」

 夢見の言葉にマイは真剣な表情で頷くと、なるべく足音を立てないよう注意しながら移動を始める。
 俺と夢見もそれに続いた。城の壁を回り込み、南側へ。

 どうやらあのゾンビどもは聴力も視力もいまいちなようで、気を付けていればそう簡単に気付かれることもなさそうだった。
 魔物がいるなら城壁くらい築いていてほしいものだが、あくまでもこれは夢の中であって、常識を盾に苦情を訴えても意味がない。

 やがてマイは足を止め、一番上の窓が魔女の寝室だと教えてくれた。
 俺はさっきと同じ要領で梯子を出し、窓に届くよう立てかける。
 念のため『この梯子は簡単には外れない』と思い込んでおくことにする。

「夢の中に思い通りのものを出現させることは、だいぶ慣れてきたようですね」
「一度コツを掴めば、なんとかな」

 以前は、夢の中で『これは夢だ』と分かっていたとしても、こうやって思い通りにコントロールすることなんてできなかった。
 この調子で夢への干渉力を高められるなら、悪夢を自分の思い通りの夢に変えることもできるのかもしれない。
 ただしそれは自分の夢の中だけの話だ。こうして他人の夢の中にお邪魔している時は、夢そのものを変容させることなどきっとできないだろう。
 それができるのは、夢の主だけだ。

 早速梯子を登ろうと足をかけると、肩を軽く叩かれた。
 マイが魔女の部屋の窓を指さし、次に自分を指差してから、軽くうなずく。
 どうやら自分ひとりで行くという意味らしい。

「……確かに大勢で行くこともないのですが、マイさんには待っていてもらった方がいいですね」
「俺もそう思う」

 夢がその持ち主の意思を反映するという特性を持っている以上、マイ本人よりも、不確定要素である俺たちが介入した方が成功する確率が高い。

 俺たちの行動は、マイ本人には読めないからだ。

 一方マイ本人の行動は常にシミュレーションの結果として夢に反映され、よってマイが魔女を偉大な存在として思い描いていればいるほど、このミッションの難易度は跳ね上がる。

 そして夢見の行動は、俺にさえ予想がつかない。
 マイを“痛んだ悪夢”から助けるという目標は共有しているものの、任せるにはリスクが高すぎる。というか、なぜか限りなく失敗する確率を上げてくるような気さえする。
 それも、『人間が活躍するところを見たい』とか、そういう自分の欲望に忠実な方向で。

「俺が一人で取ってくる。お前は夢見と一緒に待ってろ」
「さすがですね! 偉いですよ! 怖がっているのに平気なふりをして女性を守るなんてとっても良い子です!」
「うるせえ」

 尻尾を振って見上げてくる夢見の頭を乱暴に掴んで遠ざけると、俺は梯子を登り始めた。

 ◆

 幸いにして窓の鍵は開いていた。
 ピッキング用品でも思い浮かべてなんとかならんものかと考えていたので、これには拍子抜けだった。
 容易に事が運んだのは、マイに事前に作戦を聞かせた影響もあるのかもしれない。

 ――それで、だ。

 俺は音を立てないように魔女の部屋の床に足をつけ、夢見が言っていた映画についての話を思い出す。
 夢を見ている本人は、映画の監督や脚本と同じ役割を果たしている。無意識下ではあるから、必ずしも意味のある筋書きを描くとは限らないが。

 この夢は、ファンタジーに見せかけたホラーだ。
 マイにとっての悪夢だし、夜の砂浜の光景がすべてを物語っている。
 マイははりぼての城から逃げ出し、ゾンビの大群の中で生活しようとしている。
 それが何の暗喩になるのか、安易に想像することは今はやめておきたいが、マイが感じている恐怖がきっとそこに表れているのだろう。

 ……いったん話を戻して。

 本題はここからだ。
 もし映画を作る際、このシーンをよりよく面白いものにするとしたら?
 マイはきっと、部屋に忍び込んだ俺は、魔女が寝ている間にこっそり声を探し出すつもりなのだと考えている。

 そんな筋書きがあった場合、俺ならこう演出する。
 部屋のどこかにある『声』を見つけ、ひっそり手を伸ばしたその時――魔女が目覚め、俺はあえなく捕まってしまう。
 これはお約束のようなものだ。
 俺は予想される展開をなるべく崩す方向で動く必要がある。
 この夢の中では、不確定要素であること自体が俺の最大の強み。

 それなら……。

 俺は足音を立てないように、大きなベッドで眠っている魔女へと忍び寄った。
 そしてそこに膝をつき、静かに唇を開く。

「お休みのところ申し訳ありません。少しお話させていただいてもよろしいでしょうか」

 冷静に考えてみると相当に間抜けな声かけだった。
 染みついた社会人としての礼儀に従って物腰穏やかに切り出してみたものの、真夜中に女性の寝室に忍び込むなど、シチュエーション的には不審者そのものだ。
 しかし敵意はないと判断してもらわないことには、あっけなく警備兵を呼ばれてまた牢の中へと戻ってしまう。
 あくまでも丁寧に話を運ぶ必要がある。

 俺の声は、夢の中の魔女が見る夢(ややこしい)にまで無事届いたらしく、魔女の目がゆっくりと開いた。
 数度瞬きをしてから、俺の顔に焦点が当たる。
 しかしその表情はあまり変わらない。

「脱獄して城の主の部屋に忍び込むとは、大胆ですね」

 魔女は静かにそう言ってから、やたらと広く豪華なベッドの上に身を起こした。
 脚を組んだその姿は、ゆったりとした黒いレース付きのワンピースのような夜着に着替えてはいるが、隙のないものだった。

 まったく動揺していない。

 それは決して俺がここに来ることを予想していたわけではなく、自らが支配している城の中で危険があるはずもないという自信からくる態度だろう。
 警備を呼べば事足りるだろうし、あるいは、魔女と呼ばれる以上、俺をすぐにどうにかできるほどの強大な力を持っているのかもしれない。いずれにせよ、俺が力づくで彼女に対抗する手段はないと考えた方がいいだろう。

 俺の推測を裏付けるように、魔女の唇には面白がるような笑みが浮かんでいる。

「罪人が牢を抜け出して、一体ここまで何をしに来たのですか?」
「マイについて、あなたと話をしに」

 そして、可能であればマイの声をもらうために。
 現実の関係性も踏まえて考えてみるに、これは魔女とマイの間でのすれ違いが原因のように思えるのだ。
 となれば、第三者が介入することであっさりと解決する可能性もある。

「あなたはマイを保護するために声を取り上げ、この城に軟禁しているんでしたよね」

 やむを得ない処置なのだと、そう言っていたはずだ。

「ええ、もちろんです。外は危険ですから」
「とは言っても、マイは声を奪われることも、ここに軟禁されることも望んではいないようですよ」
「そのようですね。勝手に出て行こうとしたり、こうして厄介な客人を連れてきたり……散々勝手をしていますから」

 憂いを帯びた瞳で彼女は言う。
 マイは早々に声を奪われたせいで魔女との意思疎通そのものが出来ないつもりでいたようだが、マイの意向はしっかり伝わっていたようだった。

「元々マイは外で暮らしていたんですよね。それに、本来の姿は――」

 海で溺れそうになった時に助けてくれたマイの姿を思い出す。
 魚のようなひれを自在に操り、太陽が注ぐ水面へと泳ぐその姿は、彼女の本来の居場所は城の中ではないと示していた。
 魔女は俺の言葉の先を察したように頷き、赤い唇を開く。

「人魚にどのような価値があるのか、あなたは分かっていらっしゃらないようですね」
「え?」
「その声は舟をも沈め、その肉を食らえば不老不死でいられる。≪≪使い方≫≫を誤れば恐ろしい兵器にもなります。最も安全に使える私が城に保護するのは当然のことでは?」

 魔女がゆったりと足を組み替え、俺を見下ろす。

「他の魔女が統べる地に、彼女を明け渡すわけにはいきません。まして声を取り戻した状態でなど」
「……それがあんたの本心か?」

 まるでマイを物か何かのように語るその口調に、形ばかりの敬語が思わず剥がれる。
 『他の仕事』が、他の業種や他の芸能事務所を指すのかどうか詳しくない俺には分からないが、とにかくこの人――少なくとも夢の中の魔女は、マイの才能自体に用がある。

「マイを気にかけ、保護をすると言っておいて、私利私欲のために使おうってのか?」
「私の言葉に嘘はありません。これは互いの利を取った結果です。彼女だって、魔物に食われたり、他の魔女に悪用されたくはないはずです。彼女が一人で戦える強さを持たない以上、私がこの城に軟禁するのが一番安全で賢い道です」

 魔女がため息をつく。

「マイはまだ若い。物事を深く考えるのも苦手です。大人が導いてあげなくては」

 いたいけな幼女か何かを語っているように聞こえるが、マイはもう十分に大人だ。
 自分が進みたい道と、望まれている道を比べ、葛藤し、こんな悪夢の中でひとり戦っているくらいには。

 けれどこうして直接話したことで分かってしまった。
 いくら説得しようとしたところで、マイの声を返してもらうのは困難だろう。

 次の手段を考えようとしたその時――魔女のベッドの枕元に、小さな瓶があるのを見つけてしまった。
 瓶の中には、輝く青い鉱石のようなものが入っている。

 ――多分、あれだ。

 やはり魔女は、今夜は警戒して自分の手元にマイの『声』を置くことにしたのだ。
 どうにかしてあれを取り戻さなければならない。
 俺は何を考えているのか魔女に気づかれないよう、すぐに視線を戻した。
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