上 下
26 / 52

【番外】寒い夜には…… 前編

しおりを挟む

 ――なぜか室内に吹雪が降っていた。
 ここは仕事した後に帰って寝るだけの場所。つまり俺のマンションだ。
 あったはずの数少ない家具さえも取っ払われて、むき出しの床には絨毯の代わりに白い雪が敷き詰められている。
 そしてその雪の上には、獣の姿をした夢見が、まるで行き倒れたように横たわっていた。
「この寒さ、死ぬかもしれません」
 毛並みは小刻みに震え、青みががかった目は伏せられて、これ見よがしに儚げな表情を作っていた。
 なんだ夢か。ほぼ毎晩明晰夢を見ることがお決まりになっていた俺は、すぐにそう認識した。
 現実の俺はきっと、【BAKU】の2階にあるウォーターベッドの上でぐっすり眠っているのだろう。
 そして夢見は、なぜか俺の悪夢を食うこともせずに、雪の上で行き倒れている。
「死ぬかもしれません」
 弱った獣がそう繰り返す。放っておけばこのまま降り積もる雪に同化してしまいそうだ。
「改めて聞くが、そんなに貧弱なくせにどうやって今まで人間の夢の中で生き延びてきたんだ……?」
「そんなことはどうでもいいではありませんか。死に瀕した私に向かってその態度、少々冷たいのではありませんか? 人間は仲間意識が強い生き物だと思っていたのですが」

 尻尾が不満げに雪の上に打ち付けられる。
 全然元気じゃねえか。

「痛んだ悪夢じゃなければ食えるだろ、お前」
「そうなんですけどね」

 夢見は『よっこいしょ』などとじじくさい掛け声とともに起き上がった。
 いや本当に全然元気じゃねえか。

「あなたも他人の夢に入り慣れてきた頃合いですから、自分の夢をコントロールすることを試みてもいいのではないかと思いまして」
「夢をコントロールってどういうことだ?」
「マイさんの夢の中に入った時に、盾……もとい、鍋のフタを具現化させていましたよね? あの要領です。天候を操るのはハードルが高そうですが、寒さをしのぐという発想なら何か出来ることがあるのでは?」

 なるほど。
 たしかにあの時と同じようになにか対策が打てるかもしれない。
 とにかく今すぐこの寒さをどうにかしたいところだ。
 暖かい場所に行く?
 いや、瞬間移動なんてそれこそ非現実的だ。リアルに想像することは難しい。
 それなら――

「こたつ」

 俺のつぶやきと同時に、部屋の中央にこたつが現れた。
 その瞬間、夢見の瞳が輝く。

「これは……噂に聞く魔の暖房器具ですね!」

 白い獣はこたつに走り寄ると、警戒するようにその周りをゆっくり歩き始めた。

「なんでも、一度入れば出られなくなるとか……。人間は恐ろしいものを作り出しますね。敵を捕獲するための罠でしょうか。きっと出られなくなったところをまとめて一網打尽にするのですね」
「どんな恐ろしい暖房器具だよ」

 ごくりと生唾を飲んでいる夢見をしり目に、こたつに入る。
 ぬくい。
 俺が落ち着くのを観察してから、夢見もそろそろとこたつに入り、顔だけ出した。

「暖かいですね……」
「だろ? 寒いときはやっぱりこれだよな」

 相変わらず頭に降ってくる雪は冷たいが、こたつの下に敷き詰められていた雪はどういうわけかほんのり温かく、いつの間にか本物の絨毯のようになっていた。
 夢と言うのは妙なところで都合がよくできている。

「こんな幸せなものがあるのなら、お客様にもぜひおすそ分けしなくてはなりませんね」
「【BAKU】に置けばいいんじゃないか?」
「……」

 夢見が無言になった。
 もしかしたら眠いのかもしれない。
 夢の中で眠いなんて妙な話だが、夢見にとってここは現実だ。
 こたつなんてものに生まれて初めて触れてしまったからには、強烈な睡魔に襲われてそのまま意識を失ってもおかしくない。
 ……やっぱりこたつって恐ろしい暖房器具だな。

 そんなことを考えていると――

「さむっ! なにここ」

 ふいに聞こえた声に振り向くと、そこには寒そうに自分の身体をかき抱くマイの姿があった。

「マイ!? どうしてここに……」
「昭博が自室に入った直後、マイさんがご来店されたんですよ。ちょうどよくマイさんもすでに眠っていらっしゃったので、特別なルートからお招きしました」

 こいつ、今の沈黙はお招きしてる間だったのか!?

「どこ? ここ。変なの。部屋の中なのに雪が降ってるなんて……」
「夢の中ですよ」

 こたつに入ったままの夢見がしらっとそう答える。
 
「……なんだ。夢の中かぁ」
「納得するのかよ」
「だって動物が喋るわけないでしょ」

 マイが当然のように言う。
 そうだった、この子は意外とリアリストなんだった。
 彼女の中で、夢の中だと納得する方が理論的だと判断されたのだろう。

「そういえばさっきからおこたに入ってるじゃん。私も入ろ」
「どうぞマイさん、私の隣が空いてますよ」
「っ…………」

 マイが白い獣を凝視する。

「なんでしょうか」
「そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ。肉食じゃないから」

 口々に言う俺たちに、マイは首を横に振った。

「ううん、別に食べられるのを心配してるわけじゃなくて……」

 しばし逡巡するような間。
 けれどその後、マイは堪え兼ねたように夢見に詰め寄った。

「あのっ、触っていい? 抱きしめてもいい? もふもふさせて!」
「そんなことでしたか。どうぞどうぞ。遠慮なさらず」

 マイはさっそく夢見の毛並みを抱きしめ、嬉しそうに歓声を上げる。
 夢見は微動だにしていないものの、機嫌よさそうに尻尾を揺らしていた。
 ……マイ。そいつ、いつもカウンターの中でコーヒー淹れてるあの優男だぞ。
 そうツッコミたい気持ちをぐっとこらえていると、夢見がちらりとこちらを見る。
 
「昭博もどうぞ。そんなに触りたいのでしたら」
「羨ましがってたわけじゃねえよ!」

 不本意な容疑をかけられた気分だった。

「はあ~。おこたあるし、大きなぬいぐるみみたいな子がいるし、いいなぁこの夢」

 マイは早くも順応したようで、こたつのテーブルに頬をくっつけて溶けていた。

「この適応力……。”痛んだ悪夢”の駆除はマイの方が適任なんじゃないか? 夢だって言われてすぐ納得したみてえだし」
「難しいですね。マイさんはこう見えてリアリストなので、きっと夢の中とはいえ非常事態には冷静さを保てません。それに『他人の夢の中に入っている』という状態も事実として認識できないでしょう」
 
 夢見とひそひそそんな会話を交わしていると――さく、と雪を踏む小さな音が背後から聞こえた。

「相変わらず騒がしくしているようね、お前たち」

 舌ったらずな幼い声。切り揃えられた黒髪。
 可憐な容姿とは裏腹の蓮っ葉な言葉を吐いて、幼女が俺たちを見下ろしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

母の中で私の価値はゼロのまま、家の恥にしかならないと養子に出され、それを鵜呑みにした父に縁を切られたおかげで幸せになれました

珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたケイトリン・オールドリッチ。跡継ぎの兄と母に似ている妹。その2人が何をしても母は怒ることをしなかった。 なのに母に似ていないという理由で、ケイトリンは理不尽な目にあい続けていた。そんな日々に嫌気がさしたケイトリンは、兄妹を超えるために頑張るようになっていくのだが……。

下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー 庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。 そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。 しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……

あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 令和のはじめ。  めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。  同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。  酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。  休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。  職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。  おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。  庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。

生き返った物置小屋の毒巫女は、月神様に攫われる

香木陽灯(旧:香木あかり)
キャラ文芸
あやかしと人が共存している国。 人々は神格と呼ばれるあやかしを信仰し、神格と話が出来る能力者の家系が影響力を高めていた。 八久雲(やくも)家もその一つ。 両親を亡くしたひな乃は、母方の親戚である八久雲家に仕えていた。 虐げられ、物置小屋で暮らす日々。 「毒巫女」と呼ばれる役目を押し付けられており、神事で毒を飲まされていた。 そんなある日、ひな乃宛に送り主不明の荷物が届く。 中には猛毒が入っており、ひな乃はそれを飲むように強いられ命を落とした。 ――はずだった。 ひな乃が目を覚ますと、柊と名乗る男がいて……。

処理中です...