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第22話 沈黙の人魚姫ー3
しおりを挟むとにかく状況の把握に努めることにして、夢見と一緒に城を探索する。
手っ取り早く魔女の場所を聞いて会いに行こうかとも思ったが、接触する前にこの悪夢についての情報をもう少し集めておきたかった。
廊下を歩いているうちに何人かの使用人たちとすれ違ったが、特に何かを言われることもない。
全員が当たり前のように俺たちの側を無表情のまま通り過ぎていく。
「俺たちのことを客人だって呼ぶわりには、ずいぶん無関心だな」
「確かに、客という扱いではありませんね。さきほどのメイドさんも、私たちのことを『拾ってきた』と物のように言っていましたし」
俺の隣を歩きながら、夢見が言葉を続ける。
「ですが、逆に考えれば――前回の悪夢のように、私たちを排除しようとはしていません。これはもしかすると、現実で私たちが交流を深めたことが原因になっているのかもしれませんね」
「前よりも俺たちを受け入れてるってことか?」
「ええ。そもそも、受け入れられていなければ、夢の深層に降りていくこともできないはずですし」
「……なるほどな」
夢のありようは、本人の心が反映される。
前回は遭った途端にナイフを向けられたし、そもそも俺も俺の姿ではなかった。
今はあのときとは違い、彼女の心にいる他者として認められているのかもしれない。
「とりあえず、城の様子はだいたい分かった。あと気になるのは……城の外の様子だな」
「ええ。さきほどからいくつか窓がありましたが、外は不自然なほどに静かですね。鳥の鳴き声ひとつしません」
いくつもの肖像画が飾られた階段を降り、エントランスに出る。
そのまま出口となっているらしい大きな扉の方に歩み寄ると、両脇に立った門番のような男たちに止められた。
「いけません。お二人をここから出すわけには参りません」
「なんでだよ、別に俺たちは虜囚として連れてこられたってわけじゃないだろ?」
「ですが――」
その時、背後から凛とした声が響いてきた。
「何事です」
「っ……!」
振り向くと、黒いドレスをまとった美女がエントランスの階段を下りてくるところだった。
どこか鋭い印象を受けるその眼差しは、遠巻きにしか見たことがないが、確かに覚えがある。
――推測した通り、アイドル愛沢マイのマネージャー、『裕美さん』だ。
◆
連れていかれた広い部屋は、まるでゲームに出てくる玉座の間だった。
その最奥で、『魔女』はやたら高そうな装飾がなされている椅子ににゆったりと腰かけ、足を組んでいた。
レースでところどころ透けたドレスを着ていて、スリットから脚が見える。……正直、やや目のやり場に困った。
「ちょっと、貴方」
やや険のある声音に視線を上げると、思い切り眉をしかめた魔女と目が合った。
「さきほどから、どこを見ているのですか?」
デジャブ……!
カフェで初めてマイと出逢った時の、思い切りメンチを切られた記憶がよみがえる。
いや、そんながっつり見てはいないよな……?
女性の体をじろじろ見るのが失礼だってことくらいは承知してるつもりだ。
「昭博は思考がそのまま表情と視線に出るタイプです。自覚した方が良いですよ」
「うるせえ……」
他人事のように言う夢見に、唸るように言い返す。
魔女はため息をつくと、改めて俺たちを眺めた。
「折角外の世界から保護してあげたというのに、なぜ外に出ようなどと思ったのです?」
「保護……?」
「この城の外には魔物がはびこっています。人が生きられる世界ではありません」
青い空と海、砂浜と平和なそよ風に揺れる木々……そんな景色からは想像できない言葉だった。
「……あんな、リゾートみたいな場所なのにか?」
「美しく華やかな場所が安全な場所とは限りません。当然でしょう?」
魔女が顎を上げて俺たちを見下す。
とにかく、辺り一帯は何か恐ろしい生き物に囲まれていて、この城の中は安全地帯、という設定になっているらしかった。
夢の中とはいえ、魔物とやらに遭遇せずに助けてもらえたのは幸運だった。
「それじゃあ……俺たちを助けてくれたのは、マイだよな。マイはどうして外にいたんだ?」
「あの子は、素直に私の言うことを聞けるような子じゃありませんから。以後勝手に抜け出すようなことはすべきではないと、きちんと話しておきました。……あの子に何かあったら、私は……」
その声には、高圧的な冷たさよりも、マイに対する心配がにじんでいた。
裕美さんは親代わりだと言っていたマイの言葉を思い返す。
この夢の中の『裕美さん』は、当然夢の主であるマイの印象を通したものでしかないが、少なくともまるきり冷徹な人物というわけでもなさそうだ。
でも、そうだとしたら、なぜマイの声を奪ったんだ?
その疑問は、そのまま現実のふたりの関係にも投げかけられる。
親代わりと言っていたからには、それなりの信頼関係もあるのだろう。
けれどマイは体調不良を隠そうとし、その上本当に自分がやりたいことを言い出せずにいる。
「マイさんは、声をなくしているそうですね。あなたに取られたものだと聞きましたが」
同じ疑問を抱いたらしい夢見が、ストレートすぎる質問を投げかける。
しかし魔女はそれに気を悪くするでもなく、ただ憂いを帯びた表情を浮かべた。
「あれは、やむを得ない措置ですよ。……マイの声には、魔物を惹きつける力がありますから」
「魔物を惹きつける力……?」
「ええ。マイが声を発すると、魔物たちが寄ってくるのです。マイはそんな中、奇跡的に生き延びてきました。本当は、この城の住人にもマイを保護することを反対されていたのですが……声を奪うことを条件に、納得してもらいました。マイ自身もここの生活に満足しているはずです」
なるほど。
最初に話を聞いたメイドがマイに対して嫌悪感を抱いているように見えたのは、そういうことだったのか。
そしてあくまでも魔女自身は、マイの安全のために声を奪ったのだと言う。
そうしてマイは魔女の庇護下に入った。あくまでも魔女の善意のもとで。
「声を奪う以外の方法はないのか?」
「ありません。……それに、素性も知れない一時の訪問者であるあなたがたに口出しされるいわれもありません」
ぴしゃりと言われてしまえば、今はこれ以上追求することも出来ない。
なにせ、この状況をマイがどう思っているのかという、一番重要なところが分からないのだから。
「とはいえ……あなた方を外の世界に放り出すようなことはしませんよ。しばらくこの城の中で暮らすと良いでしょう」
この城の主である魔女への謁見は、そんな言葉で締めくくられた。
◆
「なんか、そんなに悪い人にも見えなかったな……」
与えられた部屋に戻り、ベッドの上に腰掛ける。
一方の夢見は毛足の長いラグの上でのんびりと横になった。
「現実での彼女がどうかは分かりませんけどね。これはあくまでも夢の主が抱くイメージが投影されたものに過ぎません」
「実際は悪い奴かもしれないってことか?」
「ええ。けれど現実での『実際』というものもまた、それを観測する一個人の解釈に委ねられているものです。そのあたりは、夢も現実も変わりませんよ」
……そういうもんか。
納得したような、良く分からないような気持ちで、窓の方に目をやる。
いつの間にかすっかり陽が落ち、空には星が瞬いていた。
「……なあ。こんなに時間が経ったけど、まだ現実でマイが目覚めてないってことか?」
仕事にも支障が出るのではないだろうか。
だが、夢見は俺の懸念を軽い調子で払拭した。
「ああ、心配はいりませんよ。現実での時間はそう経っていないはずですから。時間の流れ方も違うんです」
夢見は、どこか眠そうに目を瞬かせた。そして大きなあくびをし、鋭い牙を晒す。
「ふわああ……。もう夜ですし、眠くなってきましたね。私は少し眠ります」
「は……? 寝てるだろ、もう」
「私とってはこの夢の中こそ現実ですから。昭博も眠ったらどうですか? 現実で目覚めることはなく、夢の中での眠りになるはずですが」
なんだそのマトリョーシカみたいな構造の眠りは。
でもまあ、とにかく、このまま起きていても突破口は見つからないかもしれない。
城の連中もちらほらと眠りに就いているらしく、昼間よりも使用人を見かけることはなかった。
どうやらこの夢は現実の時間の流れを踏襲しているらしく、窓の外は次第に暗くなってきている。
となれば、この夢の中のマイ自身もそろそろ眠るのだろう。
現実でそう時間が経ってないのなら、焦る必要もない。
果たして夢の中で眠るのがどんな気分かは分からないが、頭と体を休めるに越したことはないだろう。
だがその前に、ひとつ夢見に聞いておきたいことがあった。
「……なあ」
「なんです?」
眠そうな声が返ってくる。
「マイにとっての希望は、本当に声を取り戻すことだと思うか?」
「そうですねぇ……。マイさん本人の気持ちが分からなければ、確信を持って頷くことはできませんが。
一つだけ言えるのは、マイさんはこの悪夢の中でも何かしらの葛藤を抱え、絶望しているということです。ですから、もし現実でのマイさんが望んでいるなら、取り戻してあげる必要があるでしょうね。
……そのせいで、この悪夢の中でのマイさんは、城を追放されて辛い思いをするかもしれませんが」
「でもそれじゃ、結局絶望することになるんじゃないか? 夢が現実の状態を表してるとしたら、この城も、マイが今いる『安全な場所』の象徴なんだろ?」
「ええ。ですが環境の変化には痛みがつきものです。絶望から救ってくれる希望は、いつでも人に優しく微笑みかけるわけではありませんから」
つまり、辛い思いをしても変わる必要があるってことか。
それはそうだろう。人間はそうやって成長していくしかない。
だが――こんな形で他人が干渉するのは、果たして正しい行為なのか?
「……俺たちがマイの悪夢に干渉して、なにか悪いことは起きないのか?」
「というのは?」
「だから、例えば――逆に、俺たちが干渉したせいでもっと深い絶望を知ることになって、傷んだ悪夢にますます蝕まれる、とか」
俺がそう言うと、夢見はとろとろとつむりかけていた目を開いた。
澄んだ青が、まるでガラス玉のような無機質さで俺を見上げる。
「もしかして、『むやみに他人の心に踏み込んではいけない』と思っていますか?」
「……そりゃそうだろ。それに、現実には、どうしたって折り合いを付けなくちゃいけないことがあるんだから」
マイが変化したがっているのは確かだ。
でもこの夢がマイの心を反映しているのだとしたら――同時に、魔女の庇護のもとで生きるのを望んでいるということでもある。
現実は願望通りに生きられる世界じゃない。
うまくバランスを取って、現実と折り合いをつけて、大人として生きていかなくちゃいけない。
となれば、ここでマイの声を取り戻すことは、果たしてマイにとって本当にプラスになるのか?
「傷んだ悪夢を排除しなければ、マイさんの生死に関わりますよ。命を奪われることは防げたとしても、心は確実に死にます」
「っ、そりゃ、傷んだ悪夢はどうにかして無くしてやりたいけど。でも、絶望が問題だっていうなら、現実でその心配ごとだか葛藤だかを解消すればいい話じゃないのか?」
「……一人で現実に立ち向かうだけではどうにもならなかったから、深い絶望が生まれて、人はこんな夢を見るんですよ。それに、本当の意味で人間が自分の絶望の根源にあるものに気付くのは困難です。
誰でも、自分の深層意識は直視したくないものですからね。だからこそ、こうして否応なく深層意識がむき出しになる夢の中でだけ、救済が可能になるのです」
夢見の論は、どこか哲学的で回りくどい。
だがこれだけは確かだ。夢見は、人間を自力では助かることのできない哀れな生き物だと思っている。
こうしてバクに夢の中を引っ掻き回されないと、立ち直ることもできない生き物だと。
苛立たしい気持ちになったが、あいにく俺の中に反論は見つからなかった。
学校でも会社でも、人間は社会に属する以上、摩擦とストレスに苛まされる。
絶望の原因の最たるものはすぐ近くにいる他人であって、他者との交流の中で得られる救いなど、もしかしたらないのかもしれない。
――いや。もしそうなら、マイの夢の中にいるこの状況を否定することになる。
救いはどこかにあるし、俺はどうにかして見つける必要がある。
マイにとっての希望を。
「……しかし、あなたのその懸念にも理解は示しましょう。他人の心に介入することは確かにリスクをはらんでいます。
あなたは基本的にお人よしな性格をしているのに、自分ではその性質を認めようとせず、他人に干渉することを恐れていますね。
きっと、あなたにもあるのでしょう。自分でさえ感知できないほどの心の奥底に沈めた、絶望の記憶が。
……かつての傷跡、と言い換えてもいいでしょうね」
ぞくり、背筋にと寒気が走る。
いや……俺は、そんな絶望なんて知らない。
自分が動揺したこと自体に、さらに動揺する。
夢見の眼差しを受けとめていられなくなって視線を逸らすと、軽い頭痛に襲われた。
屋上。制服姿の少女。もう二度と見ることのできない笑顔。
ノイズ混じりの映像が一瞬だけ眼前に現れた。
――いや。ただの幻覚だ。きっと。そんな過去は知らない。
「それ、あまり大切に抱え込みすぎると、”傷んだ悪夢”の格好の餌になりますよ。気をつけてください」
「なっ……」
まるで俺の身に起こっていることを汲んだような発言に、夢見の方を見る。
けれども、夢見は俺の反応など露ほども気にせず寝息を立て始めた。
穏やかに上下する腹から察するに、さっきの言葉を残して夢の中へと旅だってしまったようだ。
……夢の中での、夢の中に。
「くそ、ややこしいな……」
ここでの出来事は何もかも、まともに考えると頭が混乱する。
俺はベッドに後ろから倒れ込むと、全てを頭の中から追い出すようにしてきつく両目を閉じた。
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