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第15話 仕事終わりはカフェで一息

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 ――翌日。
 俺は、約束した通り仕事終わりにカフェ【BAKU】を訪ねた。
 ドアの小窓からは暖色系の明かりが漏れているが、ドアノブには『close』と書かれた小さな看板が掛けられている。
 どうやら、今夜はマイのように深夜であっても受け付けるような『特別な客』の来店は無いようだ。

 そっとドアを押し開けると、上部に取り付けられたベルが小さく音を立てた。

「ああ……お疲れ様です。どうぞ座ってください」

 夢見はカウンターの向こうの湯気越しに俺に気付き、席を勧めた。
 どうやら湯を沸かしていたらしい。

「あれ……あの子は?」
「ああ、幸世さんですか? もう遅いですから、帰りました」

 そりゃそうか。子供だもんな。
 そう納得しかけたところで、ふとただの子供じゃなかったことを思い出す。

「あんたがバクなのはもう仕方なく納得するとして……あの子は、本当に座敷童なのか?」

 幸世に関しては、座敷童であることを証明されたわけではない。
 ただの幼女にしては尊大な態度でこなれた口を利くという、ただそれだけだ。

「正真正銘、200年以上存在してる座敷童ですよ。元は古い温泉宿にいたそうですが、今は家出中でお友達とルームシェアをしているそうです。幸世さんが家出してから、その温泉宿は来客が右肩下がりだとか……。やっぱり、座敷童のご利益だったんでしょうかね」
「ル、ルームシェア……?」

 座敷童がルームシェア。なんだその古と現代の融合みたいな響きは。なかなかのパワーワードだった。
 部屋に取り憑いてるとか、さもなくば部屋の持ち主に取り憑いてるとか、そういう面妖な表現をした方が良いやつじゃないのか?

「私も、どんな方とルームシェアしているのか詳しくは知りませんが。幸世さんは関東妖怪コミュニティの中でも知り合いが多い方ですから、相手に困ることもないでしょう」
「へえ、そうな…………!?」

 図らずもノリツッコミをしてしまった俺を気にも留めず、夢見がうなずく。

「ええ。人間が作った社会で人ならざる者が生きていくのは大変ですから。お互いに助け合いをしているのです。僕もこの店を開くにあたって、随分と助けていただきました。バクというのはなかなかにマイナーな生き物ですからね。一人ではるばる現実までやって来て生きていくのは、何かと不安だったんです」

 つらつらと語る夢見の言葉は、半分以上頭に入ってこなかった。
 ……やべえな。明らかに知ってはいけない組織の存在を知ってしまった。
 近いうちにピカッと光るペンで記憶を消されてしまうかもしれない。

「さて。そろそろですね」

 夢見は俺の前にカップを置くと、ティーポットを持ち上げ中身を注いだ。
 カップは紅茶よりも薄い黄金色の液体で満たされ、辺りに林檎にも似たさわやかな香りが広がる。

「なんだ? これ」
「カモミールティーです。夜にカフェインを取ると、寝つきが悪くなったり、すぐに目が覚めてしまったりしますから。ところで、お食事はお済みですか?」
「いや、まだだけど……」
「そうですか。では、簡単なものを作りましょう。お話はその後です」

 少し待っていてくださいと言って、夢見は鼻歌を歌いながらカウンターの奥へと引っ込んだ。


 しばらくして俺の前に置かれたのは、レタスと緑黄色野菜のサラダの小鉢、コンソメスープ、それから鶏むね肉をトマトソースで煮込んだものと、チーズリゾットのプレートだった。
 鶏肉にはニンニクの香りづけがしてあるらしく、食欲をそそる香りが鼻をくすぐる。
 ……すげえ美味そう。
 もう夜も遅いことを考慮したのか、それぞれが控えめに盛り付けられていて、腹への負担もなさそうだった。

「今日のランチプレートのメニューをアレンジしてみました。ここ、ちゃんと料理もお出ししているんですよ。どうぞ召し上がってください」

 夢見に促されて、箸を手に取る。

 サラダはひと齧りで新鮮さがわかるほど瑞々しい歯ごたえだった。
 玉ねぎを使ったソースも美味い。
 トマトソースで煮込まれた鶏むね肉は柔らかく、酸味とのバランスがちょうどよかった。
 チーズリゾットはしつこくなく、黒胡椒が利いていて、鶏肉と合わせて食べるとトマトソースの酸味がまろやかに変化する。

 最後にコンソメスープを飲むと、適度な塩気が全ての味を見事に調和させていった。

「なにこれうまっ……」
「ふふ、ありがとうございます」

 思わず漏れてしまった感想に、夢見が機嫌よく答えた。
 普段の夕食は、居酒屋かコンビニで適当に済ませてしまっている。
 こうして誰かの手料理を味わうのは、久しぶりのことだった。

「そういえばあんた、人間じゃないのに人間の食べ物も食べれるのか?」

 盛り付けの際、夢見が指についたソースを舐めていたことを思い出して、聞いてみる。

「一応は。夢以外のものは私達にとって栄養にはならないので、あくまでも嗜好品といったところですが」
「へえ……」
「実はずっと気になってたんですよね、人間の料理。悪夢の中で食べることはあったんですけど、本来の味とは違うので」
「料理が出てくる悪夢なんてあんのか?」
「割と多いですよ。セロリが嫌いな子供が延々とセロリを食べさせられる夢とか。気の毒なので、代わりに食べてあげるんです」

 思い返してみれば確かに、子供の頃はそんなくだらない悪夢を見ることもあったような気がする。
 まさか代わりにバクが食ってくれてるとは……。
 それこそ夢にも思わなかった。

「人間の料理は、夢と違って、自らの手を加えて作品として仕上げられるところが最高ですね。コーヒーや紅茶ひとつ淹れるのにも、細やかなルールや多彩なアレンジ方法があります。これは興味深いことです。研究のし甲斐があります」
「バクは、出来合いの夢しか食べれないってことか?」
「その通りです。ですから、気に入った味の悪夢を見る人間を、自分専用の家畜として囲うこともあります。もちろん夢の中の話ですから、人間はそれに気づかないのですけど」
「か、家畜……?」

 不穏な言葉にスープを吹き出しそうになりながら聞き返すと、夢見はにっこりと笑みを浮かべた。

「ああ、悪く思わないでくださいね。所詮違う生き物なので、そういった風に考えるバクもいるというお話です」

 あくまでも、自分たちの食料を生み出す動物として見られてるってことか。

「あんた……薄々思ってたけど、性格悪いだろ」
「何のことでしょうか?」

 きょとんとこちらを見つめる姿は、人畜無害な、ちょっと顔がいいだけの兄ちゃんといった風体だ。

 だが、こいつと喋っていると、時々無性にイラっとする。
 その正体は何なのか、よくわからなかったが――今の話を聞いて、確信した。

 夢見は、『夢喰いのバク』として、人間を自分たちとは決定的に違う生き物として見ている。
 いくら人間の容貌をして、親し気に話しかけて来ようとも、対等で当たり前のように理解し合える存在として見ているわけじゃない。
 その証拠に、夢見は人間の希望が理解できず、俺を”痛んだ悪夢”の駆除に巻き込んだ。

 けれどその一方で、このカフェは『人間のため』を追求したつくりになっている。
 快適な眠りのためにウォーターベッドにこだわり、目覚まし代わりのデバイスも、柔らかな間接照明も、すべて人間が快適に過ごせるよう計算しつくされたものだ。

 そんなカフェを、何らかの明確な目的をもって作るような存在が、人間の感情の機微を気にしないわけがない。

 つまり今の家畜発言は、俺の反応を予想したうえで、あえて告げられたものだ。
 それに加えて――

「俺のこと試してただろ。マイの夢の中で。……追い詰められた場面でわざと危険性を明かしたり、俺がどう出るか少し離れて見物したり」

 あれはただの天然じゃない。
 わざとワンテンポ遅れた言動をし、同時に引き返す選択肢も用意することで、俺の動揺を誘っていた。
 その結果、追い詰められた俺は、自分の価値観に基づいて自主的に選択せざるを得なくなった。

 おそらく、極限状態に置かれてこそこちらの本質が現れると踏んでのことだろう。

「営業の観察眼なめんなよ。こっちは心理戦の世界で生きてんだからな」

 営業は駆け引きの世界だ。相手の感情の機微には否応にも敏感になる。
 案の定、夢見は動揺した様子もなく、少し困ったような笑みを浮かべた。

「……はは、さすがです。気付かれちゃいましたね」
「そう隠す気もなかったくせに」
「そこまで見抜かれてしまってはもうお手上げですね」

 あっさり認めやがって。
 いくら穏やかな物腰だとしても、こいつは油断できない。あの獣の姿こそが本性だ。
 悪い奴ではなさそうだが、きっと100%純粋に良い奴というわけでもないのだろう。というか、善悪の判断が人間と同じ基準だとは限らない。

「誤解はしないで欲しいのですが、私は人間に対して極めて友好的なバクですし、悪意もありませんよ。だからこそ、あなたを試すような真似をしたのですし、こうしてありのままの事実をお話ししています。
 本来なら、”傷んだ悪夢”の駆除なんてする必要はありませんし」
「する必要がないって……どういうことだ?」

 眉を顰める俺に、夢見は軽く肩をすくめて言葉を続ける。

「単純な話ですよ。まずくて食べられない悪夢があるのなら、他の悪夢を探せばいいんです。人間と私達はあくまでも違う生き物ですから。
 危険を冒してまで、人間を救う義理はない……そう考える同胞は多いでしょうね」
「危険……?」

 バク自身にも危険があるとは初耳だ。

「例えば、”傷んだ悪夢”の中で、悪夢が作り出したものに不意打ちで襲われた時――私達は、傷を負ったことが原因で死んでしまうリスクがあります」
「……それは、前に説明してくれたやつか? 夢で死んだと思えば、現実でも死ぬ可能性があるっていう……」

「いえ、違います。私達にとっては、夢の中こそ現実だからです。
 あなたもご覧になった通り、私の本体も夢の中にあります。
 ですからあなたと違って、『死ぬ可能性がある』わけではなく、明確に、確実に死にます」

 まあ、身体能力もそこそこ高いですし、あっけなく死ぬことはないと思いますけど、と夢見が続ける。

 でもそれなら、夢見は自分が死ぬ危険を冒してまで、自分たちの食糧を作る人間を救おうとしているということだ。
 俺が背負った『万が一』のリスクとは違う。
 随分とわりに合わないようなことじゃねえか。

「どうしてそこまでして人間を助けたいと思うんだ?」
「それはですね……」

 夢見は、ふっとどこか遠い理想の地を眺めるような眼差しをして、言葉を続けた。

「人間のことを、美しいと思うからです」
「美しい?」
「ええ。人間は傷つきやすく繊細で、面倒くさいほどに複雑です。多くの傷を負いながら生きているのに、その脆さゆえに、痛々しい傷を夢の中に大切に隠すんです。
 私は特別に人間に興味があるタイプのバクですから、いろんな方の悪夢を見てきました。権力を持ち高い地位にいる人間も、目を背けたくなるほどの悪人も、夢の中では等しく無力です。みっともないほどにもがいて、それでも懸命に毎日を生きています。
 そして――悪夢を食べ終わったその瞬間、その人の本質が明らかになります。ほとんどの方の本質は透き通るほどに無垢で、鮮やかで……まるで、泥の中に宝石を見つけたような気持ちになるんです」

 ん……? なんだこの妙な熱の入りようは。
 いつになく饒舌な夢見の、眼鏡の奥の瞳は、やたらきらきらと輝いていた。

「しかも、しかもですよ! こうして人間の姿を取って現実にやってくれば、人間は私の姿を忘れることなく認識してくれるのです。
 これはもう、嬉しくならずにはいられないじゃないですか。夢でいくら会っても素知らぬふりをされるのに、現実では数度顔を合わせて関係性を深めることができる。しかも関係性は相手の無意識にも反映されて、人間の姿の私がその人の夢に出てくる、なんていうことが可能になるんですよ。
 はあ……。この嬉しさ、言葉ではとても説明しきれません」

「そ、そうか……」

 陶酔状態だ。漫画オタクの俺の妹が、好きな作品について熱く語っている時とよく似ている。つまり夢見は、人間オタクのようなものなのだろう。
 楽しそうで何よりだが、語られている人間本人としては、どういう反応を返せばいいのかわからなかった。

「そんなわけで、私は人間を”傷んだ悪夢”から救いたいと真剣に考えていますし、そのためにあなたのような人間のパートナーを必要としていました。
 真剣に考えているからこそ、適任者を選ぶ必要があり……あなたに対して、少々試すような真似もしてしまいました。すみません」
「……別にいいけど。まあ……どういう気持ちでこのカフェをやってんのかも、なんとなくわかった」
「ご理解いただけて何よりです。ちなみに私は人間のことを家畜とは思っていませんが、芸術品に似たものであるとは考えています。あとは単純に、可愛いですね」

「かわいい……?」

 また予想外な言葉が飛び出した。
 夢見は話を聞いてもらえることが嬉しいらしく、どこか満足げな様子で頷く。

「ええ。バクは人間よりもずっと長生きなんです。ですからほとんどの人間は子供のようなものですし、姿かたちもあどけなく無力なものに見えます」

 おっとりした声はそのままに、夢見の口調が興奮を載せて加速していった。

「人間の感覚に例えると、そうですね――例えば、猫ちゃんを愛でているような気持ちでしょうか。
 人間は素直ではないので思わぬ反撃をもらうこともありますが、猫パンチも爪が短いので痛くないというか……。
 もっとも、私達にとっての猫は同族に近い形をした動物なので、あくまでも人間視点に変換すると、という感じですが」

 夢見の素顔に初めて触れたような気がしていたが、最後の最後でよくわからなくなった。ネコチャンかぁ……。
 とりあえずその微笑ましそうな目で見るのは気持ち悪いからやめてほしい。男に見つめられても嬉しくないまじで。

 その気持ちが伝わったのか、夢見はふと気づいたように俺の手元に視線をやった。

「ああ、すみません。長く喋って食事の邪魔をしてしまいましたね。私は奥で洗い物をしていますから、ゆっくり召し上がってください」

 夢見はそう言ってカウンターの奥に引っ込み、ほどなくして水道の蛇口を捻る音が聞こえてきた。

 ……まだ聞きたいことは山ほどある。今日の本題はマイの今後についてだ。
 いつの間にか非現実的な話をすんなりと受け入れてしまっている自分に嘆息して、俺はすっかり温くなったスープを飲み干した。
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