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第6話 バクの店へようこそ
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警戒しながら聞くと、目の前の2人が顔を見合わせた。
「……そうですね。順を追ってお話しようかと思いましたけど、どうせ全てをお話することには変わりありません。でしたら、まずは、私たちのことからお話ししましょうか」
――その口ぶりに、ふいに嫌な予感がした。
これを聞いてしまったら、引き返せなくなるような気がする。
「ちょっと待ってください。やっぱり話さなくてもいいです。なんか聞かない方が良いような気がしてきました。帰ります」
けれど、俺の言葉なんて聞こえなかったかのように、夢見がおっとりと唇を開いた。
「実は私、獏なんです」
「はい名札を拝見して存じてますそういうお名前ですよね!」
ちくしょう俺の言うこと丸無視しやがった!
初めから俺に発言権なんてなかったんだ!
こうして相手のペースに丸め込まれて、ここを出るときには変な絵画や壺を買わされているに違いない。
俺はどちらかというと売る方だっていうのに……!
頭を抱えていると、困ったような声が降って来た。
「いえ、そうじゃなくて……獏。バクです。動物の」
「は……?」
「基本的には夢の中で生きる動物ですけど、長命になるとこうして人間の形を模して外に――あなた方の言う、『現実』の世界に出ることもできるんですよ。長生きすると化けられるようになるのは、猫や狐狸の類と同じですね」
いや、ですね、とか言われても、こちらは全く内容が把握できない。
「……信じられませんか? 夢の中で、あなたにも2回ほどお会いしていますよ」
そのおっとりとした言葉に、夢の中で見た光景が鮮やかに蘇る。
獏。白い獣。この、穏やかで眠くなるような声。
眼鏡の奥の瞳は、よく見るとかすかに青みがかっている。
あの獣の瞳と同じように。
……嘘だろ?
でも確かに、こいつは前も変なことを言っていた。
まるで、俺の夢を食べたようなことを……。
混乱する俺を見て、夢見は確信を得たように頷いた。
「やっぱり、私の夢の中での姿を覚えていらっしゃるようですね。普通の人間はバクに会った記憶が綺麗に抜け落ちるものです。
あなたが私のことを覚えているのは……おそらく、頻繁に明晰夢を見ているせいでしょう。
夢に呑まれることなく、現実のあなたのままで夢を体験しているので、夢の中の記憶も、現実のそれと同じくらい強烈に残っているんです」
夢見が淀みない口調でそう説明する。
目の前の男の正体がバクだ?
いくら思い当たる節があったとしても、そんな荒唐無稽な話、とても信じられない。
「それじゃあ、俺がなんの夢を見ていたか、2回とも当ててみてくださいよ」
「昨日は、上司に怒られる夢でしたね。
噛んだら風船のようにしぼんでしまったので、少し驚きました。あまり見た目は良くありませんでしたが、なかなか深みのある味でしたよ。
今日は途中まで道を歩いてらっしゃったようですが、私と出会ってからは森林散策に変わりましたね」
…………。
……そうか。
しばらくフリーズした後、俺は唐突に全てを理解をした。
そうだ。きっと、これも夢なんだ。どうして気付かなかったんだろう。
早く目覚めないと。
……強制的に目を覚ますには、何かしらの衝撃があればいい。
例えば――テーブルの上のグラスを割って、破片をこの手に突き立てるのはどうだろう。
衝撃はあるが痛みはないはずだ。それでも駄目なら――
しかし、俺の思考を読んだかのように、目の前の男が先回りをする。
「言っておきますが、ここは現実です。夢であることを確認するために無茶な行動に出ることは、くれぐれもやめてくださいね」
俺ははっと我に返って、グラスに伸ばしかけていた手を止めた。
代わりに、ぐっと手を握り込む。短く切った爪が手のひらに食い込み、かすかに痛みが走った。
……落ち着け。これは現実。
俺はごくりと唾を飲み込むと、今度は小さな女の子の方へと視線をやった。
「じ……じゃあ、その子もバクだって言うんですか?」
「私は座敷わらし。本来、おまえなんかが気軽に口を利けるような存在じゃないのよ」
「座敷、わらし……?」
俺は何度目かの思考停止を迎えた。
バクと、座敷わらし。なんかジャンル違くね?
「幸世さんとはある件がきっかけでたまたまお友だちになったんですが……私があまりにも現代日本に疎いものですから、アルバイトとして色々と手伝ってもらっているんです。
機械にも強くて、腕時計型デバイスの導入は幸世さんがしてくれました。とっても助かってます」
ざ、座敷童がアルバイト……?
俺の動揺も気に掛けず、夢見はあくまでもマイペースに説明を続ける。
「この通り私達は人間ではないので、色々と困難なことがあるのです。夢の中でも同じく。そこで、あなたにお手伝いをお願いしようかと……」
……何だって言うんだ。
荒唐無稽な話に、頭がズキズキと痛む。
確かに夢見は俺の悪夢を見事に当てて見せた。
しかし、コールドリーディングのように、いくつかの質問をして相手に気付かれず情報を聞き出す術はいくらでもある。
人の心を喰う悪夢だなんて、ばかばかしい。
バクも座敷わらしも、そんなものは現実に存在しない。
……そうだ。
俺の夢を当てて見せたのも、きっと何かタネのあるパフォーマンスなのだろう。
それじゃあ、何のためにこんな話を?
――答えは簡単だ。人を騙すような会話術は、全て商売のためにある。
「さて、前置きが長くなりましたね。それでは本題です。あなたの精神を疲弊させている明晰夢を、私がどうにかする代わりに――」
「これ以上は結構です」
俺は夢見の言葉を遮って、今度こそ席を立った。
「これ以上、バカバカしい話に付き合ってられない。時間なんで、俺はもう行きます」
これ以上ここにいたら、頭がおかしくなってしまう。
どんなに粘られたとしても、早くここを出なければ。
「……そうですか。残念ですが、無理強いはできませんね」
俺の予想に反して、夢見は俺を引き留めなかった。
初めてこの店に来た昨日と同じように、ドアを開けて俺を見送る。
……なるほど。商売の引き際はわきまえているらしい。
「あ、そうだ。最後に、ひとつだけ」
「……なんすか」
わざとぞんざいに返事をしたが、夢見は意に介さず、にっこりと微笑んだ。
「もし、どこかであの人……愛沢マイさんに会ったら、ここに来るよう声をかけてみてください。きっと必要としていると思うので」
「はあ?」
まだあの不良アイドルを取り込もうとしているのか。
それに、この状況で俺にそんな頼み事をするとは……。
この夢見という男、相当空気が読めないに違いない。
マイペースが限度を越えていた。
「俺がそんなこと言う義理もありませんし、第一アイドルなんて、そう簡単に会えるものじゃないでしょ」
そう言い放ち、俺は今度こそ背を向けて店を去った。
きっと、もうここに来ることはない。
――そう思っていたのだ。この時は、確かに。
カフェ【BAKU】を最後に利用してから、1週間が経った。
――ああくそ、はかどらねえな。
顧客リストのエクセルが、疲労と眠気のせいで白く滲んでいく。
俺は目頭を押さえて、軽く頭を振った。
再びキーボードに指を滑らせて、修正と入力を繰り返しながら、頭は睡眠のことを考えている。
あれ以来、また悪夢が戻って来た。
夢でも働き、こうして現実でも働く。昨日せめてもの癒しを求めて野良猫を撫でようとしたら、思い切り引っ掻かれた。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
あの場所に行けばぐっすり眠れるかもしれないとは思うが、また妙な話を聞かされるのはごめんだった。
ああ、でもウォーターベッド……。
俺はため息をついて、エクセルを閉じた。
デスクに座っているから眠くなるのだ。
たまにはこちらからあの整体スタジオにでも出向いて、ご機嫌を伺うのもいいかもしれない。
俺はそう心を決めると、席を立って鞄をひっつかみ、エレベーターホールへと足早に歩いていった。
「遠原《とおはら》!」
途中で名前を呼ばれて振り向く。するとそこには、見知った男がいた。
「青木《あおき》……」
先日飲み屋でぐったりしながら愚痴を吐いていたのが信じられないほど、青木は晴れ晴れとした顔をしている。
「お疲れ、今から出るところか? それなら、耳よりの情報だ!」
「なんだよ。いつも以上にテンションが高いな」
青木は俺の肩をぐっと抱き寄せると、声を潜めた。
「今すぐそこの駅前広場でな、バラエティの撮影やってんだよ。誰がいたと思う?」
「知らん」
「おいおいノリ悪いな! な・ん・と、あのマイマイ! 愛沢マイちゃんだ!」
「……そうですね。順を追ってお話しようかと思いましたけど、どうせ全てをお話することには変わりありません。でしたら、まずは、私たちのことからお話ししましょうか」
――その口ぶりに、ふいに嫌な予感がした。
これを聞いてしまったら、引き返せなくなるような気がする。
「ちょっと待ってください。やっぱり話さなくてもいいです。なんか聞かない方が良いような気がしてきました。帰ります」
けれど、俺の言葉なんて聞こえなかったかのように、夢見がおっとりと唇を開いた。
「実は私、獏なんです」
「はい名札を拝見して存じてますそういうお名前ですよね!」
ちくしょう俺の言うこと丸無視しやがった!
初めから俺に発言権なんてなかったんだ!
こうして相手のペースに丸め込まれて、ここを出るときには変な絵画や壺を買わされているに違いない。
俺はどちらかというと売る方だっていうのに……!
頭を抱えていると、困ったような声が降って来た。
「いえ、そうじゃなくて……獏。バクです。動物の」
「は……?」
「基本的には夢の中で生きる動物ですけど、長命になるとこうして人間の形を模して外に――あなた方の言う、『現実』の世界に出ることもできるんですよ。長生きすると化けられるようになるのは、猫や狐狸の類と同じですね」
いや、ですね、とか言われても、こちらは全く内容が把握できない。
「……信じられませんか? 夢の中で、あなたにも2回ほどお会いしていますよ」
そのおっとりとした言葉に、夢の中で見た光景が鮮やかに蘇る。
獏。白い獣。この、穏やかで眠くなるような声。
眼鏡の奥の瞳は、よく見るとかすかに青みがかっている。
あの獣の瞳と同じように。
……嘘だろ?
でも確かに、こいつは前も変なことを言っていた。
まるで、俺の夢を食べたようなことを……。
混乱する俺を見て、夢見は確信を得たように頷いた。
「やっぱり、私の夢の中での姿を覚えていらっしゃるようですね。普通の人間はバクに会った記憶が綺麗に抜け落ちるものです。
あなたが私のことを覚えているのは……おそらく、頻繁に明晰夢を見ているせいでしょう。
夢に呑まれることなく、現実のあなたのままで夢を体験しているので、夢の中の記憶も、現実のそれと同じくらい強烈に残っているんです」
夢見が淀みない口調でそう説明する。
目の前の男の正体がバクだ?
いくら思い当たる節があったとしても、そんな荒唐無稽な話、とても信じられない。
「それじゃあ、俺がなんの夢を見ていたか、2回とも当ててみてくださいよ」
「昨日は、上司に怒られる夢でしたね。
噛んだら風船のようにしぼんでしまったので、少し驚きました。あまり見た目は良くありませんでしたが、なかなか深みのある味でしたよ。
今日は途中まで道を歩いてらっしゃったようですが、私と出会ってからは森林散策に変わりましたね」
…………。
……そうか。
しばらくフリーズした後、俺は唐突に全てを理解をした。
そうだ。きっと、これも夢なんだ。どうして気付かなかったんだろう。
早く目覚めないと。
……強制的に目を覚ますには、何かしらの衝撃があればいい。
例えば――テーブルの上のグラスを割って、破片をこの手に突き立てるのはどうだろう。
衝撃はあるが痛みはないはずだ。それでも駄目なら――
しかし、俺の思考を読んだかのように、目の前の男が先回りをする。
「言っておきますが、ここは現実です。夢であることを確認するために無茶な行動に出ることは、くれぐれもやめてくださいね」
俺ははっと我に返って、グラスに伸ばしかけていた手を止めた。
代わりに、ぐっと手を握り込む。短く切った爪が手のひらに食い込み、かすかに痛みが走った。
……落ち着け。これは現実。
俺はごくりと唾を飲み込むと、今度は小さな女の子の方へと視線をやった。
「じ……じゃあ、その子もバクだって言うんですか?」
「私は座敷わらし。本来、おまえなんかが気軽に口を利けるような存在じゃないのよ」
「座敷、わらし……?」
俺は何度目かの思考停止を迎えた。
バクと、座敷わらし。なんかジャンル違くね?
「幸世さんとはある件がきっかけでたまたまお友だちになったんですが……私があまりにも現代日本に疎いものですから、アルバイトとして色々と手伝ってもらっているんです。
機械にも強くて、腕時計型デバイスの導入は幸世さんがしてくれました。とっても助かってます」
ざ、座敷童がアルバイト……?
俺の動揺も気に掛けず、夢見はあくまでもマイペースに説明を続ける。
「この通り私達は人間ではないので、色々と困難なことがあるのです。夢の中でも同じく。そこで、あなたにお手伝いをお願いしようかと……」
……何だって言うんだ。
荒唐無稽な話に、頭がズキズキと痛む。
確かに夢見は俺の悪夢を見事に当てて見せた。
しかし、コールドリーディングのように、いくつかの質問をして相手に気付かれず情報を聞き出す術はいくらでもある。
人の心を喰う悪夢だなんて、ばかばかしい。
バクも座敷わらしも、そんなものは現実に存在しない。
……そうだ。
俺の夢を当てて見せたのも、きっと何かタネのあるパフォーマンスなのだろう。
それじゃあ、何のためにこんな話を?
――答えは簡単だ。人を騙すような会話術は、全て商売のためにある。
「さて、前置きが長くなりましたね。それでは本題です。あなたの精神を疲弊させている明晰夢を、私がどうにかする代わりに――」
「これ以上は結構です」
俺は夢見の言葉を遮って、今度こそ席を立った。
「これ以上、バカバカしい話に付き合ってられない。時間なんで、俺はもう行きます」
これ以上ここにいたら、頭がおかしくなってしまう。
どんなに粘られたとしても、早くここを出なければ。
「……そうですか。残念ですが、無理強いはできませんね」
俺の予想に反して、夢見は俺を引き留めなかった。
初めてこの店に来た昨日と同じように、ドアを開けて俺を見送る。
……なるほど。商売の引き際はわきまえているらしい。
「あ、そうだ。最後に、ひとつだけ」
「……なんすか」
わざとぞんざいに返事をしたが、夢見は意に介さず、にっこりと微笑んだ。
「もし、どこかであの人……愛沢マイさんに会ったら、ここに来るよう声をかけてみてください。きっと必要としていると思うので」
「はあ?」
まだあの不良アイドルを取り込もうとしているのか。
それに、この状況で俺にそんな頼み事をするとは……。
この夢見という男、相当空気が読めないに違いない。
マイペースが限度を越えていた。
「俺がそんなこと言う義理もありませんし、第一アイドルなんて、そう簡単に会えるものじゃないでしょ」
そう言い放ち、俺は今度こそ背を向けて店を去った。
きっと、もうここに来ることはない。
――そう思っていたのだ。この時は、確かに。
カフェ【BAKU】を最後に利用してから、1週間が経った。
――ああくそ、はかどらねえな。
顧客リストのエクセルが、疲労と眠気のせいで白く滲んでいく。
俺は目頭を押さえて、軽く頭を振った。
再びキーボードに指を滑らせて、修正と入力を繰り返しながら、頭は睡眠のことを考えている。
あれ以来、また悪夢が戻って来た。
夢でも働き、こうして現実でも働く。昨日せめてもの癒しを求めて野良猫を撫でようとしたら、思い切り引っ掻かれた。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
あの場所に行けばぐっすり眠れるかもしれないとは思うが、また妙な話を聞かされるのはごめんだった。
ああ、でもウォーターベッド……。
俺はため息をついて、エクセルを閉じた。
デスクに座っているから眠くなるのだ。
たまにはこちらからあの整体スタジオにでも出向いて、ご機嫌を伺うのもいいかもしれない。
俺はそう心を決めると、席を立って鞄をひっつかみ、エレベーターホールへと足早に歩いていった。
「遠原《とおはら》!」
途中で名前を呼ばれて振り向く。するとそこには、見知った男がいた。
「青木《あおき》……」
先日飲み屋でぐったりしながら愚痴を吐いていたのが信じられないほど、青木は晴れ晴れとした顔をしている。
「お疲れ、今から出るところか? それなら、耳よりの情報だ!」
「なんだよ。いつも以上にテンションが高いな」
青木は俺の肩をぐっと抱き寄せると、声を潜めた。
「今すぐそこの駅前広場でな、バラエティの撮影やってんだよ。誰がいたと思う?」
「知らん」
「おいおいノリ悪いな! な・ん・と、あのマイマイ! 愛沢マイちゃんだ!」
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